機動戦士ガンダムSEED / Re.00 -西暦の蒼き翼- 作:コエンマ
第6話、どうぞ
静寂の帳が下りた砂漠の夜。昼間とは打って変った凍えるような風が、乾いた砂を音もなく運んでいく。そんな静けさが宿る空間、その遠くから硬質な音が響いてきていた。
それは掃き溜めと言われた集落の一角、最も大きな規模を誇るモビルスーツ工廠からのもの。
天井から吊り下げられた複数の高輝度ライトが、ハンガーの中央に鎮座する巨躯を白々と照らし出していた。修復作業開始からおよそ二ヶ月弱。当初は朽ちるのを待つ残骸に過ぎなかったその機体は、今やかつての威容をほぼ完全に取り戻していた。
エミリアたちの心血を注いだ作業によって完遂された右腕と脚部の接続。装甲の継ぎ目一つ、機体内部の神経骨格一本に至るまでただの一つも妥協することなく、キラの指示のもとで工廠艦の予備資材が惜しみなく投入されている。背部にはフリーダムの象徴とも言える十枚の翼が静かにその折り畳まれ、その肢体を休めていた。
複雑に重なり合うスラスターと、その間に隠された砲門の群れ。それら「高機動空戦ユニット」の再接続は、機体の重心バランスをミリ単位で調整し直す過酷な工程であったが、それも数日前に完了していた。
「エミリアさん! こっちの準備はすべて完了しましたよ!」
クレーンのマニピュレーターをチェックしていたメイが大きく手を振る。
残された作業は、ただ一つ。
メインカメラ──すなわち、この機体の「眼」であり「頭脳」の末端である頭部パーツの組み入れと、中枢回路への接続である。
「ええ、こちらもOKよ! ……よし、光軸調整終了。センサー感度、正常値内。これより……最終マウントに入るわ!」
エミリアの声は、期待と緊張でわずかに震えていた。
彼女は精密作業用の拡大鏡を跳ね上げ、目の前にある「頭部」を見つめる。オリジナルのメインカメラは回収時に完全に破壊されていたため、工廠艦から発掘された予備パーツを組み上げたものだ。
実はメインカメラの修復作業は初期段階から始まっていたのであるが、これが最大の難問だったのだ。
『一番時間がかかると思うから、機体の修復と同時並行で少しずつやりましょう』
キラがそう言ったのは作業が開始されてから間もなくのこと。彼自身の口調はいつものと同じ穏やかなそれだったが、いざ作成が始まると完成するまでの日々は苦労の連続であった。
『く、組み上げるだけでこれなの……!?』
提示されたパーツ構築難易度の高さにはさしものエミリアも絶句していた。盛大に顔をひきつらせていたのが印象的だったのを覚えている。
ティエレンはおろかフラッグとすら比較にならないほどのパーツ数、そして回路接続の複雑さ。それでも、その性能の一端をコックピット内で見た彼女の再起動は早かった。
『なんとかするわよ。やってやろうじゃないの!』
あの圧倒的な映像──―現実と同等レベルの解像度や演算処理能力の高さを考えればそれも仕方ない、とすぐ切り替えたあたりは流石砂漠の工廠長だった。
とはいえやる気だけで問題が易しくなるわけもない。複雑怪奇な頭部設計図の図面を見たメイが、文字通り目を回して倒れる事態にまで発展する中で、工廠員たちは目の前に突きつけられた難題にめげずに取り組んだ。
胴体を直す傍らで続けられる並行作業。初めての体験が連続する状況に倒れ込みそうになる体に鞭を打ち、電子回路専攻の工廠員を選りすぐり、泣き言一つ言わず一つずつ着実に作業を完了させていった。
その集積回路の密度は、西暦の世界における最新の軍事衛星をも凌駕する。顕微鏡下でなければ見えないほどの微細な調整や光ファイバーの接合は、少女たちの精神を極限まで摩耗させてきた。
だがその甲斐があって、出来上がってきたパーツはキラも脱帽するしかないほど完成度の高いものだった。
製造ではなく組み立てという作業であるとはいえ、コズミックイラ由来の知識など何も持たない少女たちだ。年若い彼女たちが図面だけでこれをくみ上げたのだと聞けば、ザフトの熟練整備員も驚嘆すること間違いなしの出来栄えだった。
熱を帯びたハンガーの空気が、重苦しく肌にまとわりつく。
キラは汗の滲んだ指先で工廠クレーンのジョイスティックを握り込み、網膜に焼き付くようなコンソール画面の輝度を調整した。
天井から吊り下げられたフリーダムの頭部ユニット。それは、この世界の物理法則や技術体系からは隔絶された「異物」でありながら、今はただの巨大な精密部品として静かに揺れている。キラの視線は、数ミリ単位のズレも許さない電子目盛りと、物理的な接合部を交互に往復した。
「慎重に……よし、その位置よ。作業班各位、固定作業を開始して! 接合用工具を間違えないでよ!」
凛とした声がハンガーに響き渡り、了解です、という威勢のいい返答をした少女たちの動きが一段と鋭くなる。剥き出しのフレームが複雑に絡み合う首の基部へ、工具を手に迷いなく進む。
物資も設備も限られたこの砂漠の拠点。技術者としての矜持を失わない彼女たちの姿はどこか美しくすらあった。
キラは手元のモバイルデバイスを叩き、フェイズシフト装甲のバイパス経路と、OSの末端神経をリンクさせていく。金属が擦れ合う微かな振動が、クレーンのワイヤーを通じてキラの手のひらに伝わってきた。
彼女たちが心血を注いでこなし、ようやくここまでこぎつけたのだ。手は抜けない。
「接続端子の電圧、チェック。システムが認識を開始……誤差修正、システム異常ありません。もう大丈夫ですよ、皆さん!」
「っはぁあああああ──! 緊張したぁ!!」
メイが工具を放り出し、フリーダムのコックピットハッチの上で大きく息を吐いていた。周りにいる作業員も緊張が解かれたのか安堵の表情が見えた。
張り詰めていた空気が霧散し、代わりに心地よい疲労感が現場を包み込む。
エミリアもふうと息を吐き、固まっていた体をほぐしながら苦笑していた。
「あそこでミスったら台無しだからね、心臓に悪かったわよ。いくら未知への探求とはいっても、あんな神経を削るような作業は二度と御免ね」
作業の手を休めることなく、エミリアが溜息混じりに言った。彼女の視線は、未だ解析しきれないブラックボックスの塊であるこの機体への、畏怖と好奇心が混ざり合った複雑な色を帯びている。
と、ちょうどその時、砂塵を遮る重いシャッターをくぐり、フィオがハンガー内へ入って来た。真っ直ぐにコンソール前へ歩み寄り、キラの隣で足を止める。
「お疲れ様、キラ。もうまもなくね」
「フィオさん。ええ、皆さんのおかげで、なんとか」
キラがわずかに表情を和らげたのも束の間、フィオの瞳は、この世界の「理」から逸脱した機体の細部を鋭く観察していた。彼女の内に宿る技術者としての純粋な疑念が、言葉となって溢れ出す。
「ずっと気になることがあったんだけどちょっと聞いていい?」
「なんですか?」
不意に投げかけられた問いに、キラの背筋に冷ややかな緊張が走る。フィオはフリーダムの背後に回り込み、複雑な機動を可能にする翼状のスラスターユニットを指差した。
「この背中の翼についてる太い筒……これ、推進剤のタンクか何かなの? あと腰のこれ、連装式の砲身よね? でもそれにしては弾頭が小さすぎるわ。弾はいいみたいだけど、この口径で今のMSの装甲を抜けるだけの火薬が詰められるとは思えない。フラッグはともかく、重装甲のティエレン相手じゃ何発撃ち込んでもかすり傷程度しか与えられないわよ?」
その問いに呼応するように、傍らで装甲板の隙間にケーブルを這わせていた少女も手を止め、不思議そうに首を傾げた。
「この長い銃もちょっと不思議。どこを探しても
矢継ぎ早に飛んでくる専門的な疑問。キラは視線をコンソールに固定したまま、唇を噛んだ。
答えられない。この「フリーダム」という機体が火薬の爆発力に頼るような旧来兵器の仕様ではなく、核のエネルギーから齎される大電力を前提とした運用設計であることを。
この翼を持つ騎士が一体何なのか、それを告げることは彼女たちの運命を大きく変えてしまうかもしれないからだ。
視線をコンソールに固定したまま、慎重に言葉を選んでいく。
武器の仕組みが違う。
詳しいことは説明しきれない。
電力と専用の回路を使ったものだと聞いていて、シールドはこの大きさに重要な意味がある……等々。
技術者としての知識を逆手に取った、嘘ではないが真実を伏せた弁明。ギリギリのところで納得してもらえるかどうかの、薄氷を踏むような回答だった。
純粋な好奇心も時と場合でこれほどまでに厄介だとは。キラは誰にも悟られないよう、心の奥底で重く苦い溜息をついた。
と、キラへと集まっていた少女たちの言葉を遮るように、エミリアがパン、と手を叩く。
「さあ、おしゃべりはそこまで! クレーンを外すわよ。みんな、足場から降りて!」
重厚な鎖が緩み、機体を支えていた治具がゆっくりと左右に割れていく。 そこに現れたのは、もはや「残骸」ではなく、一機の完成された『戦神』の姿だった。
左腕には、機体色より深い黒を描く鋭利なシールド。右腕には、洗練されたシルエットのライフル。 装甲は起動していないため、その全身は重厚なグレイカラーに沈んでいる。だが、その静止した姿には、見る者を圧倒するような、ある種の威厳が宿っていた。 機能性を極限まで追求した結果として生まれた、暴力的なまでの美しさを称える姿。
工廠員たちは誰からともなく言葉を失い、清廉さと勇ましさが混然一体となった巨像を見上げていた。 自分たちの手で直したのだという自負と、自分たちの理解を超えた存在への根源的な畏怖。その二つが、工廠の冷えた空気の中で火花を散らしているようだった。
「……綺麗」
リアが、コンテナの影から宝石を見るような瞳で呟いた。わずかに砂塵を含んだ光が、その頬に淡く反射している。
そのポツリと漏らした言葉が、全員の思いを代弁していた。誰もが声を発することを忘れ、ただ目の前の巨躯に視線を奪われている。
「今まで色んな機体を見てきた。政府軍のティエレンも、AEUの新型も。でも、これほどまでに『気高さ』を感じるMSは初めてよ……キラ、あんた、本当にすごいものと一緒にここへ来たのね」
エミリアの言葉は、静まり返った空間の中でやけに鮮明に響いた。
キラは何も答えなかった。
その灰色の翼にかつて自分が背負った平和の重みを重ねる。
触れれば崩れてしまいそうな静寂の中で、その存在だけがあまりにも確かだった。
「さあ、今夜はもう休みましょう。明日の朝、砂漠の太陽の下で、この子の本当の姿を拝もうじゃない」
その一言で、固まっていた空気がようやくほどける。
誰もが名残を惜しむように何度も振り返りながら、ゆっくりと持ち場を離れていった。
エミリアに促され、工廠の明かりが一つ、また一つと消されていく。キラは最後に一度だけ振り返り、闇の中に佇むフリーダムを見つめた。
わずかに残った非常灯の光が、その輪郭をかすかに縁取っている。まるで眠りについた獣のように静かで、それでいて圧倒的な気配を放っていた。
(とりあえず明日、この機体とともにこれからのことを考えよう)
肩の荷が下りたキラは心地よい疲労と共に深い眠りについた。
──しかし、翌朝。
不快なノイズを伴う緊急通信のベルが、集落の静寂を切り裂いた。それはあまりにも唐突で、あまりにも場違いな音。眠りの余韻を容赦なく引き裂くその電子音が、工廠の壁に反響し、現実を無理やり引き戻す。
宿舎で体を休めていたキラ達の元へ、昨夜の祝祭の残り香を掻き消すような勢いでフィオが飛び込んできた。
「……キラ! エミリア! すぐに起きて!」
「……フィオさん? どうしたんですか……?」
その悲鳴に近い叫びに、キラたちは飛び起きた。まだ覚醒しきらない意識の中で、その声だけが異様な現実感を伴って突き刺さる。
「……全員、広場へ。急いで」
彼女の声は震えていた。怒りでも、悲しみでもない。理解を拒むような、根源的な恐怖に近い震え。言葉にしながら、自分でもその理由がわからない──そんな戸惑いが滲んでいる。
フィオの手には、震える掌で握り締められた携帯端末があった。
(何だろう……?)
促されるままに着替えを済ませ、キラ達は広場にやってきた。広場に急遽置かれた大型ディスプレイを中心に人だかりができている。そのまま女性たちが集まった中をすり抜けていく。
広場に集まった人々は呆気にとられた様子で、沈黙の中で古いモニターを見つめていた。誰一人として口を開かない。風に舞う砂の音だけが、やけに大きく聞こえた。
モニターの正面に陣取っていた女性の肩口から、のぞき込むようにそれを見た。キラの瞳が映されたノイズ交じりの映像を捉える。
画面に映し出されていたのは、世界中の正規放送を強引にジャックし、全周波数で流されている「ある速報」だった。そこには、三つの勢力が対立する現代の均衡を嘲笑うかのような異質な紋章が掲げられている。疑問ばかりが浮かぶ中、画面の中央で座った男性から放たれた言葉にキラの全身が総毛立った。
『──―我々は、ソレスタルビーイング。機動兵器ガンダムを所有する、私設武装組織です』
その冷徹な声明が、砂漠の乾いた空気の中に響き渡る。モニターに増設された低温室のスピーカーから流れる無機質な声が、まるで世界そのものに刻み込まれていくかのようだった。
戦争の根絶を謳い掲げられた世界への宣戦布告。
心臓が大きく跳ね、呼吸が荒くなっていく。
────ガンダム
この世界には存在しないはずのその言葉が、見知らぬ誰かの口から放たれた。キラはその言葉を凍りついたような戦慄とともに聞き届けていた。
(……どう、して…………)
身体の感覚が消え失せたようにふらつく中、冷徹なまでに理性的で同時に傲慢なまでの正義を掲げた言葉が、砂漠の集落に響き渡る。
『
それは西暦2307年の均衡を……そしてキラが守ろうとした静かな日々の終わりを、無慈悲に告げる鐘の音であった。
【後書き】
今回は結構難産でした。上手な感じにまとまらなかったため、少し不安です。
と、とりあえず、やっと原作第一話に追いついたことだけは安堵。
早くキラを活躍させたいです……早めに書けるといいなぁ。
それでは次回予告です
[ =次回予告= ]
突如として終わりを告げた平穏
願ったものはそこになく、自らの孤独を深めるだけ
壊れはじめた世界を歩く少年に、砂塵が静かに語り掛ける
次回 『 亀裂走る境界線 』
狭まる心は、