相棒が僕を邪な目で見てるとかそんなのナイナイ! 作:邪神ナイナイ
突如として、平和(?)なレースから一転、怪異相手のデスレースへと変わった峠道。
背後から響き渡る蹄鉄の音に急き立てられながら、僕は必死に前を走る葵さんについていく。
彼女の走りに焦りはない。赤いテールランプには微塵の乱れもなく、異界の峠道に赤い線を引いて走っていく。むしろ、この場に及んで彼女の走りは益々冴え、積年の借りをここで帰すと言わんばかりの気迫に満ちている。
やはり、彼女はこの異界を、追いかけてくる怪異の存在を知っていたとしか思えない。
……前情報では異界の存在については触れられていたものの、そこに潜む者が何か、そしていかなるルールが異界に敷かれているかについては不明だった。ブリーフィングで明かされなかったという事は、組織も把握していないという事。
「組織に内緒にしていた……? 何故?」
『ブルルゥ』*1
「そ、そうだね、ブラック。今はこの場を乗り切る事に集中しないと」
相棒の影からの忠告に頷き、今はレースに集中する。
考えて見ればそう難しい状況ではない。葵さんが僕にも黙っていたのは、まあ単に信用に値しなかっただけという事だろう。別にそう変な話ではない。
そして彼女自身は恐らくこの状況に対して万全の備えをしているはずで、それはつまり彼女についていけばなんとかなる、という事だ。
「とはいえ、なんか……道が……!」
立ち込める甘い香りのする霧は、ますます濃くなっていくばかりだ。ライトで照らしても道の先は霞んでよく見えない。それに加えて、未知も段々傾斜や起伏がきつくなってくる。現実の道路としてはあり得ない、グネグネと曲がり波打つ峠道。操作をちょっと誤れば飛び出して奈落の底にまっさかさま、というハードなコースを、葵さんはまるで慣れ親しんだ道のように巧みに重心移動でやり過し、減速せずに走り抜けていく。何とか僕もそれに倣い、殺人的なカーブを駆け抜ける。
背後の蹄鉄の音は少しずつ遠ざかっていく。当然だ、運動量で蹄が回転するタイヤに勝てるもんか。
「よし、このままいけば……」
『ブヒヒッ!?』*2
「えっ?」
背後、ダァン! という地を穿つ音。反射的に首を傾けて背後を確認すると、追跡者の巨大な馬体が、暗闇の中を宙に舞っていた。星なのか月なのかわからない怪しげな空模様を背景に、骸骨のような馬とその騎手が飛ぶように跳躍する。
そのまま一息に、S字カーブを飛び越えてショートカット。数歩走ってぐっと屈んで、再び跳躍。
僕達が地面を這うようにして駆け抜けた理不尽な峠道を、デュラハンは軽々と飛び越えて省略した。一度は突き放した蹄鉄の響きが、今はもう手を伸ばせば届きそうな程に近い。
「ず、ずるい! カーレースのジャンプアイテムじゃん!!」
『言ってる場合か、気を抜くな! これぐらいはやってくるだろう、ここはアイツのホームだぞ!!』
「そ、そんなぁ~!」
そりゃあ確かに、怪異が正々堂々挑んでくる訳なんかないんだけど! だからってあんなゲームみたいなショートカットは流石に卑怯だよ!
一度は遠く突き放した蹄鉄の音がすぐ後ろから聞こえてくるというのは、なかなかに焦らされる。勿論、ここで気持ちを乱して走りに影響が出てしまえば一巻の終わりだ。
変わらず精密機械のようなコース取りで走る葵さんの後を必死に追いかけて、僕はなんとか背後の足音を意識から追いやろうとする。
だが……。
『っ、気をつけろ!』
背後で、馬の嘶く声。同時にダァン! と蹄が地面に叩きつけられる音が響き、そこから得体のしれない力のようなものが広がっていく。空間に波紋を齎すその力はこの異界を震わせ、実際に物理的現象となって現れ出た。
硬いはずのアスファルトが水面のように波打ち、バイクがガタガタと上下する。タイヤが一瞬地面から離れ空転し、再接触時にグリップが乱れる。暴れそうになるハンドルを、なんとか抑え込んで車体の安定を保つ。
異変はそれだけに終わらない。
霧によって霞がかった前方の道路にも異変。大きくカーブを描くその道に、突如として無数の隆起が槍のように突き出した。まるで中世の串刺し刑の杭のようなものが無数に立ち並ぶその様、激突すれば横転は必至。
『ちいっ!』
さしもの葵さんも、チカチカとブレーキライトを転倒させながら減速しつつ、その間を巧みに走り抜けていく。僕も可能な限りそれに倣うけど、今もなお振動する地面にタイヤを取られ、ハンドル操作を誤った。
ぐらり、とまずい感じにバイクが傾く。ヘルメットの向こうに、黒光りするアスファルトのざらざらした地面がすぐそばまで迫ってくる。体勢は……駄目だ、立て直せない!
「む、無理だっ! ごめんなさいっ、またあとで!」
とっさにバイクから飛び降りつつ、首を庇うように受け身を取る。激突する瞬間、黒くて柔らかい何かが、ふわりと僕の前身を包み込んだ。
衝撃。
暗転。
◆◆
「黒川っ!?」
その様子を、藤堂葵はバックミラーから目撃していた。
うねる地形と隆起する杭のトラップ。その猛攻にバランスを崩した黒川のバイクが横転し、そのライダーが投げ出される様を。
「くっ!」
普段であれば、すぐにでも停車して助けに行くべき。だがこの異界においてはそれは命取りだ。二人纏めてやられるより、葵だけでもまだ戦いを続けるべき、彼女はそう判断してアクセルスロットを回す。
大丈夫、黒川は死んでいない、そう自分に言い聞かせる。
倒れる直前に、彼女は自らバイクから飛び降りた。車体と道路の間に挟まれない為だろう。受け身も取れていたし、何より地面に激突する直前、影から噴き出した黒い触手が彼女を包み込んだのを見た。件の相棒とやらが、彼女を庇いにいったのだろう。
大丈夫。
多分、大丈夫だ。
その言葉を胸に、意識を無理やり切り替える。
「そうさ……殺しても死ななさそうな奴だったから誘ったんだ、無事に決まってる。今は、コッチが先だ……!」
ちらり、とミラーに移り込むデュラハンの姿に、葵の心がつめたく冷え込む。
昔の事だ。
葵には、兄が居た。バイクに乗るようになったのも兄の影響だ。その兄と共に、初めて峠を走った。
楽しかった。遠くに思えていた兄の背中を近くに見ながら風を感じるあの瞬間を、葵は生涯忘れる事はない。
そして。
その思い出が、邪悪な怪異によって汚された事も。
気が付けば異界に引きずり込まれていた葵と兄は、首無し騎士の挑戦を受けた。レースの最中に葵は脱落し、兄はゴールを目前にした所で怪異に敗れ……そして、殺された。
敗者となった兄の首が、まるでタイヤのようにころころと転がっていく様を、葵は何もできずに、次は自分の番だと地べたから見上げていた。
だが、怪異は葵には手を出さず。気が付けば世界は元通りになり、兄の死は事故死として処理された。誰にどれだけ訴えても信じてもらえず、ついには精神病棟に送られそうになった所で、組織のスカウトに拾われたのだ。
それからずっと、葵は復讐の為だけに闇夜を駆け抜けてきた。全ては今一度、あの首無し騎士と対面し、今度こそ抜き去ってやる為に……!
「そうだ、この時をどれだけ待ち望んだ事か……!」
その復讐心が、マシンを加速させる。エンジンが甲高く唸りを上げ、背後の蹄鉄の響きが遠ざかっていく。
引き離された事に焦ってか、再び大地の震動を林立する杭が葵の前に立ちはだかる。
だが、それは一度見た。
地面の揺れに難なく適応し、聳え立つ杭の間を最大速度で駆けぬける。彼我の距離は縮まるどころか、どんどん開いていくばかりだ。
「……行ける!」
行ける。このままなら間違いはない。
負けない。今度こそ、自分はあの化け物に勝つ。
この数年が無駄でなかった事を、ここに証明する!
「……っ! 見えたっ!!」
そしてS字カーブを越えた先に、葵は確かに見出した。紛い物のの異界の道路に、はっきりと引かれた白線を。あれがこの異界の終点、デスレースのゴールだ。
ゴールまでの間に、大した障害はない。多少の妨害があったところで、追いつかれる心配はない。
このまま駆け込めば、葵の勝利だ。
「やった、やったよ兄さん! 今度こそ、兄さんの仇を……!」
一足早く勝利を確認し、葵が感慨と共にハンドルを握りしめた、その時。
ドクンッ!
「う゛……っ!?」
不意に葵の心臓が激痛と共に跳ねた。興奮によるものかと考えたのも一瞬の事、脈拍に合わせて耐えがたい激痛が四肢にまで広がっていく。胸が火傷したかのように熱くなり、指先が痺れてハンドル操作が鈍る。
「な、に……っ?!」
困惑と共に自分の胸元に目を落とす。
そして、ライダースーツの上からもはっきりわかるほど、赤く不気味な文様が光り輝き脈動しているのを目の当たりにする。
「な……っ!?」
覚えのない異常に困惑するも、状況の把握より体調不良が上回った。ハンドル操作を誤り、転倒するバイク。路面へと投げ出されるものの、いつの間にか随分と落ちていた速度に、辛うじて葵は大怪我を免れた。
「あ……ぐ……っ!」
汚らしいアスファルトの地面に這いつくばる葵の目の前に、ガツン、と錆色の蹄鉄が振り下ろされる。それを辿るように視線を上げると、首無し騎士の姿が見える。
余裕綽々、足を止めて見下ろすその様はまるで、葵を哀れんでいるようだ。
いや、事実、騎士を運ぶ馬の落ち窪んだ眼光に燃える炎は、確かに、藤堂葵という哀れな生贄を嘲笑っている。最初から勝ち目のない戦いに臨んだ、それすら知らなかった無知な女を。
「ぐ……」
辛うじて動く手足で這いずって、バイクの元に向かう葵。
まだレースは終わっていない、そう言いたげな彼女の抵抗をふんす、と鼻で笑い、カツカツとデュラハンは歩みを進めて前に出る。そして、ぐしゃり、とバイクを馬の蹄で踏みつぶした。
もともと、クラッシュした衝撃で破損しており走行は不可能だった有様が、さらにエンジン部分を踏みつぶされて完全におしゃかになる。流血のようにエンジンオイルが滲みだして、黒いアスファルトを茶色く染める。
「あ……」
その愛車の無惨な姿に、今度こそ葵の心が折れた。床に突っ伏す彼女を尻目に、首無し騎士は嘲笑いながら、見せつけるようにことさらゆっくり、ゴールへ向けて歩き出す。
何故なら、すでに勝利は確定している。
怪異以外の参加者は全員、地に伏した。もはや、怪異の背を追う者は、誰もいない。
異界のレースは、またしても怪異の勝利に終わった。
…………本当に?
「ずいぶんゆっくりだね。『兎と亀』でもしゃれこんでる?」
ずきゃん、ずきゃん。
甲高く重い音を立てるのは、闇より昏い、怪異より悍ましき一影。
影は疾風の如く怪異の横を走り抜け、前に出る。遅れて、暴風の如き追い風が吹いた。
聞け。
霧に閉ざされた異界、火花と共に響くのは蹄鉄の音にあらず。
それは万物を引き裂き踏みにじり蹂躙する、不遜者の鉤爪の音。
そして見よ。
疾走する暗黒の馬上にて、嗤う少女が一人。黒髪をなびかせ、血を流す相貌に目を爛々と輝かせる彼女の名は。
「記録(ログ)。エージェント黒川比瑪。これより、蹂躙(ターミネーション)を開始する」
怪異は知るだろう。
より化け物であるのが、誰であるかを。