相棒が僕を邪な目で見てるとかそんなのナイナイ! 作:邪神ナイナイ
作戦は順調に推移している。
何のトラブルもないまま、僕は目的の階層に辿り着いた。警戒していた敵の反撃はない。
それでも注意しつつ、重たい鉄扉を押し開く。
「む……」
そこに広がっていたのは、だだっ広い空間だった。
恐らく5階フロアの壁を全部ぶち抜いて一つにした大部屋。部屋には何もなく、反対側の壁にエレベーターの出入口があるのみ。
壁も床も真っ白ツルツルで、一見すると運動用のフロアにすら見える。
もちろんそんな訳はない。綺麗に掃除しても染み付いた死臭は隠せない。
見渡すと、部屋の隅に、監視カメラ。無機質なレンズと目が合う。
ブッ、と放送設備にノイズが入った。
『ようこそ、エージェント』
「……こちらの襲撃は想定済み、という事か」
どこからか聞こえてくる、余裕たっぷり、嫌らしいまでに自信に満ちた男の声。それを耳にして、僕は作戦の失敗を確信する。
どこからか情報が漏れていたのだ。こちらの強襲は敵に察知されていた。
即座に撤収しようとするが、背後の扉はいつの間にか閉ざされていてびくともしない。閉じ込められた。
「何のつもりだ」
『ビジネスだよ。君達も、踏み込んでみたがもぬけの殻でした、では上に示しがつかないだろう? こちらもただ撤収するだけでは収支がマイナスだし、ここはひとつ、お互いにウィンウィンな取引といこうじゃないか』
対面のエレベーターの表示が増えていく。下から、何かがこちらに上がってくる。
数字が5を示し、チン、という音と共に扉が開かれた。
その中に居たのは……。
『実戦テストだ。君達は言い訳が出来る、我々は実戦データが手に入る。お互い、損をしないという訳だ』
「俺は損しかないんだが?!」
エレベーターから這い出してきたのは、うぞうぞと蠢く肉の植物だった。現実には存在しない、暗黒の生物。ケロイドのように皮膚が爛れてじゅるじゅると粘液を滴らせる汚らわしい触手が、僕を見つけて狙いを定める。
「記録(ログ)。時刻(レコード)2212、交戦開始(エンゲージ)!!」
フルオートショットガンの引き金を連続で引く。放たれる散弾が、伸びてきた触手をぐちゃぐちゃに引き裂いた。怯んだように引き下がっていく触手だが、入れ替わるように本体が近づいてくる。蛇のようにのたうってエレベーターから這い出した怪物が、粘液の跡を残しながら迫ってくる。
すぐさま立ち位置を変え、階段の前から遠ざかる。振り回された太い腕が、鉄の扉に叩きつけられた。分厚い扉が、段ボールのように凹む。
「交戦相手(エネミー)は詳細不明の暗黒生物(クリーチャー)、形状は不定形(ザ・シング)、複数の触手(テンタクル)が特徴。また体表に粘液の分泌を確認、接近戦(クロスレンジ)は避けて射撃戦(シューティング)に徹する!」
弾切れになったショットガンを目の前に迫る触手に叩きつける。触れた銃身に絡みつき、触手は小枝のように鉄の銃身をへし折った。
愛用品だったのに! 武装をサブマシンガンに持ち替えて、触手目掛けてバースト射撃。あまり銃撃への耐性は高くないようで、射撃の集中で触手の一本が簡単に引き千切れた。
損傷部位から半透明の体液を噴出しながら触手が引いていく。
「やった! この調子で……」
相手の太い触手は見た所、合計四本。それらが細かく枝分かれして分岐しているが、大本を断てば纏めて無力化できる。
素早くマガジンを交換し、再び狙って触手に射撃を集中。
再び触手が千切れ、声なき悲鳴を上げて暗黒生物の本体が後退する。
「なんだ、大したことないじゃん!」
考えてみれば、戦闘力に自信があればテストなんてする必要はない、ましてや施設を撤収する際に置いていく、という事は喪っても構わない……つまり、価値が低い、という事でもある。敵対勢力にデータを取られても構わない、殺処分するぐらいなら嫌がらせに使おうといった程度の生物が、そう強い訳がなかったのだ。
「やれる! 俺一人だって、戦えるんだ!」
さっきまでの勢いはどこへやら、しおしおになって引き下がる暗黒生物に、僕は一定の距離を持ったまま射撃を続行した。
もはや怪物は防戦一方だ。本体を守るように残った触手を巻き付けて防御しているものの、サブマシンガンの攻撃は容易くそれに風穴を穿つ。
逃げるように距離を取る怪物に追撃するべく、僕はマシンガンを交換しながら慎重に距離を詰めた。
と、その時。影に隠れている相棒が小さく嘶いた。
『ブルルゥ』*1
「ん? どした?」
警告に足を止め、怪物を観察する。
見た所、怪物は死に体だ。残った触手も穴だらけで、本体にも何発か銃弾が届いている。へにょへにょに萎れたその様子からは、到底脅威を感じられない。千切れた触手や風穴からは透明な体液が流れだし、怪物が逃げた後に沿って床に粘液の川を引いている。
あっ。
はっとして足を引くと、靴の裏にねちゃり、と粘ついた体液が糸を引いた。
「うぇ、気持ち悪……」
僕は少し後ろに下がって、サブマシンガンからハンドガンに変えて狙いを定めた。アイアンサイトの向こう、なおも僕から距離を取ろうと這いずっている怪物に狙いを定める。
見た所もう死にかけだし、この距離からでもいいや。
引き金を引いて、トドメを差す。
「記録(ログ)。戦闘は優勢。敵暗黒生物(クリーチャー)にとどめを……」
ドクン。
「え……あ……?」
不意に、強く心臓が脈打った。
胸と頭に強い圧迫感を感じて、視界がぼやける。ずきんずきんと頭が痛んで、吸い込む空気が妙に甘い。続けて手足がしびれて、僕は銃を取り落とし、その場に倒れ込んだ。投げ出された手足に力が入らない、代わりにお腹の奥が酷く熱い。頭の奥で、どくどくどく、と血管が脈打つ音がする。
『ぶるるっ』*2
「な、んだ……これ」
呟く声も掠れている。横倒しになった視界の中で、暗黒生物がこちらににじり寄ってくるのが見えた。
逃げようとするも体の自由が効かない。動けない僕の目の前で、暗黒生物は見せつけるように、本体にある口を開いた。十字にぐぱあ、と裂けて、内部から数えきれないほどの柔毛がにょろにょろと伸びてくる。
「ひ……っ」
その露骨なまでに卑猥な口腔部を目の当たりにして、僕はようやく状況を把握する。それが何を意味しているか、理解できない程僕は純粋でも幼くも無かった。
本能的な恐怖に喉が竦み、声が枯れる。
「い、いや……っ!」
恐怖が倦怠感を凌駕し、体を引きずって逃げようとする。だが、床はべとべとのぬるぬるで、滑って僕はふたたび床に転がった。つん、と甘い香りがより強く鼻腔を刺激して、頭がかーっと熱くなって思考がぼやける。
定かではない、かすれた視界の中……それだけは分かる、汚らわしい粘液に塗れた、獣欲を露にした怪物が迫ってくる……。
「や、やだ……こんなの、やだっ! た、助けて……助けてブラックゥ……!」
『ガルルゥ』*3
突如、視界が漆黒に満たされる。冷たくて硬い床の代わりに、暖かくて柔らかい何かが、ふんわりと僕の体を包み込んだ。肌をすれるほんのり湿った感触に、知らず肩が跳ねる。
「あ……ん……っ、ぶ、ブラック……?」
僕を包み込むような優しい黒の向こうで、肉を叩きつけ、引き裂くような凄惨な響きが轟いている。断末魔を思わせる、何かが裂ける引き絞った音を最後に、世界は静寂に満たされた。
するする、と視界を塞ぐ黒がどいていく。
その向こうには予想通り、凄惨極まりない私刑が繰り広げられていた。
『ブルルルゥ……?』*4
牙と爪を剥き出しにして、漆黒の獣が上気を立ち上げながら佇んでいる。その前足の下に踏みにじられているのは、ズタズタに引き裂かれた肉塊。ゆらゆらと鬣を靡くように揺らめかす彼は、僕の知っている穏やかで理智的な普段のそれと違い、荒れ狂う野獣のように見えた。
ふん、と鼻を鳴らし、ブラックはそのまま肉塊を踏みつぶす。
ぐしゃり。
飛散した肉片と体液の一部が、僕の頬に飛び散る。その僅かな刺激に、僕の体がびく、と震えた。
「あ……ぶらっ、く……?」
『ぶる? ぶるるるぅ』*5
呼びかけに、はっとしたように振り返ったブラックはその時にはもう、僕の良く知るブラックだった。細長い尻尾をフリフリしながら歩み寄ってきた彼が、長い舌でべろぉり、と僕の頬を舐める。
つぶつぶざらざらした舌の触感に、ぞわり、と背筋が泡立ち、お腹がきゅうとなる。僕は慌てて誤魔化すように彼の顔を押しのけた。
「ちょ、まだ任務中! 甘えるのは後にして!」
『ブルルゥ』*6
注意すると大人しくブラックは顔を引いた。全く、もう。何もこんな時に……!
「ま、まあ、それはともかく。助かったよ、ブラック。ありがとう」
『ぶるるん!』*7
鼻先を揺らす相棒に苦笑しながら、僕はなんとか身を起こした。まだ体の芯に倦怠感と灼熱感が残っているけど、手足のしびれは取れてきた。なんとか歩くぐらいはできそうだ。
ともかく、今回も窮地を乗り切れたらしい。
「……記録(ログ)。状況完了(ステージクリア)。任務を続行する(ミッション・リスタート)」
勝利の余韻に浸る僕だったけど、それは空気の読めない声でたちまち台無しになった。
『お見事、お見事。検体SE-99の毒に侵されて正気を保っているとは、なかなかの精神力だ。流石は、アダムの肋骨といった所か』
「お前……なんでそれを……っ」
『秘宝で肉体変異した者のデータ、興味深くはあったのだがね。今回はまた別に貴重なデータが取れたから良しとしよう。その褒美という訳ではないが、忠告だ。たった今、この研究都市の中核を爆破した。この空間は、あと数分で消滅する』
しれっと告げられたタイムリミットに、背筋が凍る。
男の言葉を肯定するように、突如ビルの中が騒がしくなった。鳴り響くサイレン、回転する赤色灯。さらに、足元から伝わってくる、世界そのものが崩れていくような地響き。
もはや疑う余地はない。男の言葉は本当だ。
『それでは、生き残れたらまた会おう』
「まっ……!」
ブツリ、と放送が途絶える。
「ま、まって……まってよ……あと、数分?」
頭の中で、ぐるぐると思考が巡る。いくら相棒の足でも、ここから脱出地点に向かうには数分はかかる。今すぐ脱出しないと、僕もこの世界と同じ運命を辿る。
でも、じゃあ、掴まっている人達は? あの人達を皆、見捨てて自分だけ逃げるのか? 頑張れば、一人や二人は助けられるかも……じゃあ、他の全部は見捨てる?
決断しないと。
決断しなくちゃいけないのに。
喉がひきつって、声が出ない。
『ぶるぅうる』*8
「あ……」
そんな僕を、ひょい、と持ち上げる黒い触手。相棒は、荷物のように僕を背中に横たえると、一直線に走り出した。
待って、と言おうとして、僕は歯を食いしばった。
相棒はただ、僕を助けようとしているだけだ。それに対し僕のそれは単なる感情論で、現実を無視した我が儘でしかない。ここで我が儘を言うのは、僕の命だけでなく相棒の命も危険にさらすだけで、結果的には何もプラスになりはしない。
エージェントとして、冷静に判断しろ。僕の出来る事は、ここにはもう無い。
「……作戦完了(ミッションコンプリート)。主目標第一段階の達成を確認。第二目標、及び補助目標は状況の変化を顧みて放棄(トラッシュ)。これより帰投する」
壁をぶち破ってビルの外に脱出する相棒。脱出地点に向けて疾駆するその背中で、僕は一度だけ、背後に遠ざかる研究棟に視線を向けた。
窓の無い、磨き抜かれた墓標のようなビル。その壁を通してこちらをじっと見つめている、いくつもの無垢な視線が見えたような気がして、僕はそっと目を逸らした。
「……ごめん、ごめんよ。ごめん……」
噛みしめた唇は、しょっぱかった。
こうして、僕の何度目かのミッションは上々とは言い難い結果に終わったのである。