相棒が僕を邪な目で見てるとかそんなのナイナイ! 作:邪神ナイナイ
「……以上が、作戦の顛末です」
帰投後。厳重な除染と検査を受けた僕はその足で上司の元に出頭、口頭で報告を行っていた。
「ふむ……」
オレンジ色の髪、整った美貌。眼鏡の向こうの切れ長の視線を細めるのは、僕の上司であるマリア・テレーファシー。年齢は不明、20代の若き天才とも、見た目と違い実年齢60代のおば……ゲフンゲフン、なんて言われている。一つはっきりしているのは、同じ組織に属する者達ですらその実態を把握できていない、恐るべき諜報能力の持ち主という事である。
そして彼女は、僕が組織に来てからの付き合いだ。あちらがどう思っているかは知らないが、僕からすれば先生兼保護者兼お姉さん、のようなものである。……プライベートではお姉さん、って呼ばないと怒るんだよ。
書類を片手に報告に耳を傾けていたマリアさんが、正面から僕と目を合わせる。眼鏡の奥で、琥珀色の瞳がきらり、と光った。
「よろしい。事前に確認した記録と相違ないようだ。よく頑張ったな、比瑪」
「……はい!」
「だが、今回のお前の判断にはいくつも誤りがある」
お褒めの言葉から一転、おしかりモードの気配。飴と鞭の使い分けとはこの事である。
「まず第一に、研究所での戦闘。通路での行動ならともかく、広い空間……それも戦闘が想定される状況なら、何故ブラックをすぐに呼ばなかった? 戦闘中も迂闊な判断が目立つ、敵への攻撃に熱中し、状況判断を誤った。ブラックの警告が無かったらどうなってたか、言うまでもないな」
「はい……仰る通りです……」
否定しようのない正論にしょんぼりと肩を落とす。
「第二に、他のエージェントとの連携を試みなかった事だ。確かにあの馬鹿どもは先走ってお前の足をひっぱったようだが、それならそれで使いようがある。彼らと連絡が取れていれば、発見した捕虜の何名かは救助出来た。一人で出来る事に限度があると分かっているなら、極力一人で対応しない事だ」
「申し開きもありません……」
「第三、お喋りが多すぎる。敵と思わしき相手と呑気に会話なんぞして情報を与えるんじゃない。ああいう時は無視だ無視。言葉を軽視しろというんじゃない、それが今、自分にとって必要かどうかで取捨選択するんだ。相手のペースに巻き込まれるんじゃない」
声を荒げるでもなく、淡々と僕の落ち度を指摘してくるお姉さま。
僕の心はもうへにょへにょである。
しょんぼりと自分の足元を見つめていると、くすり、と小さく笑ってマリアさんが席を立つ気配がした。
「そうしょげるな。最初に言っただろう、よく頑張ったと」
「あっ」
細くて白い指が、僕の頭をくしゃくしゃっと撫でまわす。顔を上げるとマリアさんは、優しい笑みを浮かべて僕を見つめていた。
「……捕虜の事は残念だった。こちらの調べでは、彼らは現実から誘拐された、あるいは人身売買で捕らえられた者ではなく、どうやらあの施設で生まれ育った“存在しない人間”だったらしい。お前が気にする事はない……といっても、無理か。お前は優しいからな……だが、それでも最後にお前は正しい判断をした、私の元にこうして帰ってきてくれた。それが……私は嬉しい」
「マリア司令……」
「そういえば、まだ言ってなかったな。お帰り、比瑪」
軽くぎゅっ、と抱きしめられて、僕はされるがままに身を任せた。
マリアさんは、柔らかくて暖かい。シャツを通して感じる人肌に、僕の心が凪いでいく。このままずっとこうしていたいな、なんて思ってしまう。
勿論そういう訳にもいかない。マリアさんだって忙しいのだ。
意を決して身を離そうとするが、そんな僕の動きをぎゅっと彼女の腕が抑え込んできた。
「?」
「……ところで、医務室から話を聞いたのだが……今回の任務で、アレな感じの液体をぶっかけられたらしいな?」
「え? あ、いや、だ、大丈夫だよ。もう毒は抜けてるし……」
一瞬、ドキッとする。机の上に、隠していたエロ本を並べられていたような気まずさを覚えて顔を逸らす。と、マリアさんの人差し指が、くい、と僕の頬を押して正面を無理やり向かせる。
再びマリアさんの視線と向かい合う。……が、なんだか、その視線は悪戯っぽいというか、しっとりとした色合いを帯びていて、さっきとは違う意味で胸がどきり、と跳ねた。
「いけない子だ、ちゃんと報告しないとは。何かあってからでは遅いんだぞ?」
「あ、いや、その。別に隠してた訳じゃ……それにその、検査の結果は大丈夫だし……っ」
「確かに医学療法で毒物は抜けたようだが、その効果まで打ち消せる訳じゃない。ほら、心臓がドキドキしているぞ。まだ影響が残っているんじゃないか?」
言いながら、ちろり、とマリアさんが唇を舐める。潤った彼女の赤い唇に思わず視線が吸い寄せられて、僕は気恥ずかしくなって慌てて視線を逸らした。
が、逸らした先には、シャツの下からでも激しく自己主張している豊満な胸が。さっきまで気にならなかったはずのそれに、今は視線が磁石のように吸い寄せられてしまう。
だ、駄目だ。えっちな事を覚えたばかりの中学生でもあるまいし! だ、大体、マリアさんは恩人だぞ、恩人をそんな目で見るなんて、はしたない!
「どうした、顔が赤くなってきたぞ? やっぱり、まだ体調がよくないんじゃないか?」
「は、はわ、はわわ……」
「ふふふ……。実はな、この部屋の隣に仮眠室があるんだ。私が付き添ってやるから、少し休憩していけ。な? 無理はするな……」
マリアさんが少しだけ体を離し、僕の肩に手を回す。その瞬間、少しだけ拘束が緩んだ。
い、今だ!
「ご、ごめんなさい、マリアさん!! ぼ、僕、まだ他にやる事があるから……っ」
「あっ」
「し、失礼しますっ!!」
一瞬の隙をついて彼女の腕の中から離脱すると、一礼して急いで部屋を飛び出す。マナーも何もないが、このままだときっとなんかこうよろしくない事になる気がする!!
開け放ったドアを閉めるのもそこそこに、僕は大急ぎで司令の部屋を後にした。
◆◆
「……ちっ。逃したか」
◆◆
「ふ、ふぅ……。ここまでくれば大丈夫かな。……何がどう大丈夫かは分からないけど……」
指令室を飛び出して爆走し、人の気配がある所まで来た僕は歩幅を小さくする。人目がある所では、大股開いて走るとスカートがめくれちゃう。
頼りない布地を片手で押さえながら、普段の半分ぐらいの歩幅で、かつ三分の二ぐらいの勢いで、静かに歩く。
「ま、マリアさん、怒ってないかな……どうしよう、あとでどう顔を合わせたら……」
『ぶひひぃ』*1
しょんぼりしていると、影から相棒が慰めるように声をかけてくる。
うぅ、ありがと。お前が居るだけで、一人でないってだけで救われる気分になるよ……。
「……あとでマリアさんの好きなお菓子をもって顔出そう」
『ぶるる!』*2
そうか、お前も良い考えだと思うか? ふふふ、じゃあそうしようか。
とりあえず、そうと決まれば売店に行こう。
でもここから売店、どう行くんだっけ。記憶を探りながら、僕は廊下をてくてくと歩く。
と、そこで前方から歩いてくるスーツ姿の組織人。訝し気な視線を向けてくる彼にぺこりと頭を下げてすれ違う。人が増えてきたから、立ち振る舞いには注意しないと。
「あ、ここはオフィスか」
適当に歩いていると、広い部屋を衝立(ついたて)で区切り、たくさんの人が行き来しているフロアにきた。事務員の皆さんの仕事場だ。
僕は邪魔にならないよう隅っこに引っ込んで、彼らの仕事ぶりを伺う。
現場活動を主任務とする僕は、彼らと関わる事はあまりない。けど、僕達が戦えているのは、組織が運営出来ているのは、こういった人達の御蔭なのである。
そう、組織。
通称、シャドゥ。悪の秘密結社みたいな名前だな、と正直に言ったらマリアさんは爆笑していたっけ。
政府の管轄から切り離された、超法規的組織。この世界を揺るがす、超自然的、あるいは超科学的な存在を管理する、闇の守護者。その起源は古く、調べれば室町時代の陰陽寮にまでその歴史は遡るという。
この組織の存在が示すのは、太平の世、平和な世界というものがいかに薄氷の上にあるか、という事である。
不本意ながらも、表の世界からこうして裏の世界にどっぷり浸かってしまった僕だからこそ、その事はよく理解している。世界はオセロの裏表のようなもの。ささいな事で簡単にひっくりかえってしまう……だからこそ、そうならないように誰かが頑張る必要があるのだ。
「……おっ」
観察していると、お盆に御菓子とかコーヒーとか色々乗せた人がオフィスに戻ってくる。なるほど、売店はあっちだったか。
僕は事務スタッフの人達の邪魔にならないよう、背を低くしてこそこそとその場を後にした。
「なんだ、今の子供?」
「あれ、知らないの、お前。マリア司令の可愛がってるテディだよ」
「あれが噂の? ……うーん、可哀そうに」
お菓子を手にマリアさんの所に戻ったが、彼女はいなかった。
考えてみれば当然の事だ。彼女は実働部隊の司令という立場、つまりは無茶苦茶忙しい。
そんな彼女が、いつまでも執務室に腰を落ち着けている筈はない。
そして同時に、そんな彼女が僕の報告を聞くために部屋で待っていた、という事の意味を噛みしめて、僕は少し後悔した。
いくら妙な雰囲気になったからって、あんな逃げだすみたいにしなければよかった……。
「はあ……駄目だな、俺……」
『ぶるるぅ』*3
「ははは、ありがと、相棒。俺みたいなのを見捨てずにいてくれて」
というか考えるまでもなく、エージェントとしての活動だって9割ぐらい相棒のおかげで成り立っている。このへなちょこボディでは過酷なエージェントの仕事なんてとてもやっていけない。
いやまあ、男のままだったとしてやっていけるか? と聞かれるとノウだが。
改めて相棒への感謝の念を深めつつ、僕は自室のドアに手をかけた。
「ただいまー」
習慣で声をかけるが、部屋には誰も居ない。電源を入れると、何もないガランとした部屋が広がっている。
家具らしいものは、冷蔵庫とベッド、それと本棚と机ぐらいのものだ。机の上に広げたままの英会話教材を横目に、僕はベッドに転がった。
どうせ体は検査の時に洗浄されてるし、服も着替えてる。今日はこのまま寝てしまおう。
「はあ、疲れた……ちょっと寝る……」
『ぶひぶひ、ひぃん』*4
影から伸びてきた触手が、つんつん、とスカートの裾を引っ張る。寝るならパジャマに着替えなさい、という事だろうか。面倒くさいんだけど……。
「いいじゃん、ちょっとぐらい。任務明けで疲れてるんだから……」
言いつつも、相棒の気遣いを無下にする訳にもいかない。僕はしぶしぶ起き上がると、脱衣所に向かった。
パジャマに着替え、あらためてベッドイン。
これでもう何を気にすることもない。蓄積した疲労が、速やかに僕を眠りの世界に……と思ったが、なかなかそうもいかなかった。
疲れてるのも眠いのも事実だ。頭だって重い。なのに、妙に意識が冴えていて、ぐるぐると思考が回り続けて止まらない。
閉じた瞼の裏側に浮かんでくるのは、作戦中に目撃した様々な光景……いや、はっきり言ってしまおう。
僕は、見捨てた子供たちの事を、まだ引きずっている。
「…………」
ガラスの檻に閉じ込められたまま、あの研究都市と共に消えていったあの子達。彼らは、どんな気持ちで、どのような末路を迎えたのだろうか。痛く無かったらいいな、苦しくなかったらいいな。眠る様に、夢から覚めるように、終わりを迎えられたのだろうか。
なんて、偽善。どんな言い訳をしても、僕があの子達を見捨てた事実は変わらない。
瞼の裏に浮かぶガラスの澱の中、閉じ込められた子供が増えていく。
その中に、貧相な体系の、髪の長い女の子が混じっていた。
……それは、僕だ。シャドゥに救出される前、相棒に巡り合う前の、僕自身。
きっと僕は、あの子達に自分自身を重ねていたのだ。
研究所で毎日、ラットのように科学者に体を弄りまわされた日々がよみがえる。
『痛い、痛い痛い痛い痛いぃいい!! やだぁ、やめてよぉ!』
『あ゙……うぁ、あ……か、返して。僕の内臓、返してよぅ……』
『注射やだ……気持ち悪くなる注射、やだ……あ゙っ』
ぎゅぅ、と自分の肩を強く抱きしめる。
違う。あれはもう終わったんだ。とっくの昔に過ぎ去った、過去の出来事だ。
シャドゥは怪しい組織だけど、構成員に非人道的な事はしない。切り刻まれたり、変な注射されたり、ぶたれたり殴られたりなんかされる事はない。
だから、こんなの。さっさと忘れればいいのに……っ!
「違う……違う……違う……! 俺は、僕は……っ」
布団の中に潜っても、身体の震えが止まらない。手足を丸めて、体育座りみたいな姿勢で身を固くする。身体中の熱を集めて、それでも、びゅうびゅう吹く寒気がどこもいかない。
「寒い、寒いよ……ここは、寒い……」
その時だった。
大きくて暖かな物が、ずしりとベッドにあがってきたのは。
「……?」
手探りで、布団の向こうにいる何かを探る。伸ばした手に、しっとりした、うねうねした何かが握手をするように絡みついてきた。
『ぶひひぃん……』*5
「ぶらっ……く……?」
それはいつの間にか影から抜け出した、黒い馬のような獣。彼はその大きな体を小さなベッドに窮屈そうに丸めながらも、布団越しに僕に寄り添ってくれていた。
脈動する肉体の高い体温。そっと手繰り寄せた彼の触手は、ほかほかと温かかった。
「温かい……」
相棒の体の一部に抱き着いて、頬ずりするように顔を寄せる。
獣臭さはほとんどしない。なんだかほんのり、安らぐような匂いさえ感じる。
そのまま、瞳を閉じる。やがてやってきた眠りの波が、穏やかに僕の意識を攫って行く。きっと今日はもう、悪夢を見る事はないだろう。
「ありがとう……おやすみ、ブラック…………」
『ぶるる……』*6