とあるウェブ小説に脳を焼かれた少年が作者が東京で年末開催のイベントに参加すると聞き、謎の熱に押され上京する。安くない新幹線代だが貯めた小遣いから出せない額ではない。親には予備校の自習室に行くと伝えれば良い。一目見て帰る。それで満足できる。東京観光は後期試験が終わってからでいい。
新幹線は速い。2時間で東京に着く。降り立った駅のホーム、林立する灰色のビル群。それらがそうあるのは当然のことと知っていた、そう思えた。スマホの画面の案内に従って改札を抜け、イベント会場直通の臨時バスを目指す。周囲も同じ目的の人。人、人、人。人のうねりに乗って、否、流されて行く。
午後からならマシとは聞いていたんだけどな。少年の甘い見通しはあまりうまくいかなかった。「そこ」についたのは昼も大分過ぎた頃だ。頒布物はもうなくなっているだろう。残念ではあるがそれは承知の上だ。ピークを過ぎてなお地元の繁華街よりも多い雑踏。
その向こう側に、その人を見た、少年は。
その人はやや疲れた表情で4人の売り子に囲まれて座っている。見つけた時、その人は誰かと話ていた。長机の前に立つコスプレ男、後ろ姿しか見えないがおそらくは男性だろう。その人の顔は知らない。だがその人の左腕に巻かれた金属の「それ」はSNSを通してよく見知ったものだ。あの人だ。間違いない。
目的は果たした。その人を見た。このまま雑踏に混じり通りすぎればいい。新幹線に乗って、参考書を眺めながら帰ればいい。
だができなかった。足が動かない。その人から目をそらすことが、できない。
どれだけ棒立ちになっていただろう?数秒だろうか?数十秒だろうか?数分だろうか?
自分の左腕に巻かれたものに目をやればわかる。先週のクリスマスのプレゼントとしてねだった腕時計。入試で必要になるからと両親を説得して手に入れた水晶振動式のそれは最初に彼がねだったものではなかったが、その次に善いものだった。
そんなたわいのない思考が突然打ち切られた。
男の隣に立っていた売り子の一人、変わらぬ笑顔で男たちの会話に相槌を打つ彼女が少年に気づく。いや、とっくに気づいていた。少年がそれに気づく前から彼女はずっと周囲を見ていた。彼女の小さな合図で会話が打ち切られる。
その人と、4人の売り子と、コスプレ男、12の瞳が少年を捉える。
気付けば自分は雑踏を抜け「その人たち」の前に立っていた。緊張からか言葉が出ない。両親でも親戚でも学校の教師でもない大人たちと対峙するのは初めてのことだ。その人が立ち上がり左腕を伸ばす。
「初めまして。○○さんだね」
SNSで使っている少年の名前、それがその人の口から告げられた。
反射的に伸ばしかけた少年の左腕が一瞬固まる、全身がこわばる。その人の腕が伸び少年の手を握る。腕には比べることもできない高価なそれ。
「写真を見せてくれただろう?クリスマスプレゼントだって」
心を読まれたかのような返答。たしかに少年は時計の写真をSNSにあげていた。
他の多くの時計にするのと同じようにその人は少年の時計にも反応した。知っていても不思議はない。でもそれだけだ。
「まあ、時計のこととなると本当によく覚えていらっしゃいますのね」
売り子の一人が揶揄するように少年の疑問の答えを補足する。その人が小さく笑う、申し訳なさそうに。
「はい、○○です」
まずは相手の勘違いではないことを伝えた。その後はなにを話しただろうか、作品を楽しませてもらいました、SNSをいつも見ています、主人公が演説後にヒロインに弱音を吐くシーンが好きです、そんなようなことを話した気がする。
途中、どちらからとなく少年自身の話も出る。受験生であること、その不安、元々機械に興味があったが時計への興味も強くなったこと・・・途中周囲の相槌をはさみながらその人はうんうんと頷く。適当に聞き流しているのではない。少年の言葉の一つ一つをしっかりと受け止める。そんな頷きだ。
短い歓談がひと段落したところで売り子の一人が声をかける。
「お楽しみのところ申し訳ありませんが、肝心のものを忘れていますよ」
手に頒布物の冊子、表紙にはお歳暮ののし紙が巻かれている。作中に出てきた会社の社名が印刷され、マスコットのもこもこシールが張られている。
「え?取り置きしておいてくれたんですか?来るとは言ってなかったのに」
「受験生だから無理だけど行きたいって言ってたからね。それでも○○さんは来るに違いないって彼が言ってね」
その人がコスプレ男の方を見る。歓談を見守ってくれていたメンバーの一人だ。
「僕が○○さんの立場なら絶対にそうすると言っただけですよ、先輩」
コスプレ男の顔を見る、どこかで見たことがあるような顔だ。少年はあまりテレビを見る世代ではない。クラスで流行りのドラマの話題が出ることもあるが受験生としてそういった話題は意識的に無視するようにしてきた。それでも、だ。
少年の言おうとしたことは言葉にする前にコスプレ男に伝わる。コスプレ男は顔を少し傾けると人差し指を口元にあて少しだけ口角をあげる。片目は軽くつむっている。それだけでコスプレ男の「お願い」も少年に伝わった。
「これは僕の勝手なお願いだからもし君が構わなければの話なんだが・・・」
本題に入る前の過剰な装飾、自信のなさの表れだとあったのは小説のどこだったか、それとも記憶違いだろうか。なんにせよその人の次の言葉は皆わかっていた。少年も含めて。
「リストショットを撮ってもいいかな?」
「あ、もちろん嫌なら構わないしSNSに載せてほしくないなら載せないよ、約束する。」
「もちろんです。こちらこそお願いします。でもちょっと恥ずかしいな、僕のは機械式ではないから」
右手にスマホを構え左腕を差し出す。
「いやそんなことはないよ、機械式が・・・」
「はーい写真撮りますよ」
その人の話を売り子の一人が遮る。そうしないとこのままいくらでも話が続いてしまう。
写真を撮り終える。
「ありがとうございます、今度会うときは機械式ので撮らせてください。受験が終わったら買ってもらう約束をしているので」
「それは楽しみだ。そういうことなら・・・」
その人が売り子の一人に目をやる。さっき写真を撮ってくれた女性だ。女性が慣れた手つきで名刺を差し出す。
「彼女は、えっと、その、」
どう説明したものかと詰まると彼女自身が続けた。
「銀座の時計店に勤めております。まだできたばかりの店ですが、お若い方でも手軽に買える時計もそろえていますので是非その際はいらしてくださいね」
名刺にはカタカナの名前、役職はCMOと書いてある。
「ありがとうございます」
少年が名刺を受け取る。いただいた頒布物とともに大切にカバンにしまう。彼女がほほ笑む。彼女の仕掛けたちょっとしたいたずらに他の売り子たちは気づく。少年が気づくのはまた先の話、別の話だ。
その人が少年を見る、大げさに首を振って周りを見る。
「さて、この寒い中急ぎ旅で駆けつけてくれた○○さんの真心を僕は受け取った。だが一方で心配もある。引き留めて風邪でも引かれたら僕のせい。○○さんのご両親につるし上げられてしまう」
作品の主人公である王の台詞の改変だ。
ファンへのサービスに過ぎない、それらしいだけのふるまいだ。それでもそれは少年の心に喜びを与えた。売り子たちとコスプレ男にも。
「まあ!」
売り子の一人が両の手のひらを顔の前で合わせる。
「今日はありがとうございました。これからも応援していますね。」
一歩下がって頭を軽く下げる。
少年は軽く手を振ると背を向けて歩き出した。出口を目指して。その後ろ姿にその人が小さく手を振る。売り子たちとコスプレ男も。
こうして少年の突発的な旅は終わった。さて、帰ったら、いや、新幹線に乗ったら受験勉強の日々に戻ろう。
いや、その前に今日の「戦利品」を開いても許されるだろうか。
「東京で年末開催のイベント」の状況について、現実のそれと違う点があるのはご容赦ください。