機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《11》軍産複合体の暗躍と魔女の引継ぎ(U.C.0080年 9月〜12月)

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八〇年九月。

 

 北米大陸の広大な針葉樹林は早くも秋の気配を孕み、木々の葉が静かに色づき始めていた。

 外界から完全に隔絶されたオークリッジ第四軍事療養施設の時間は、常に淀み、熱的死を迎えたかのように停止しているかのようであった。

 だが、その見せかけの静寂の裏側で、地球圏の次なる覇権を握らんとする巨大な歯車が、一人の「壊れた兵士」を冷酷にすり潰すべく、不気味な軋み音を立てて回り始めていた。

 「戦後の軍縮」という欺瞞に満ちた建前の裏側。

 地球連邦軍の各派閥は次世代主力機動兵器(モビルスーツ)の採用を巡り、水面下で血みどろの暗闘を繰り広げていた。

 軍という巨大組織の欲望を未曾有のビジネスチャンスと捉え、政軍の深奥へと貪欲な触手を伸ばしていたのが、巨大軍産複合体「アナハイム・エレクトロニクス(Anaheim Electronics)社」である。

 AE社の先進開発部門――後のガンダム開発計画の中核を担う派閥――は、連邦軍の極秘データベースの底から一つの異常な戦闘データを発掘。

 病的なまでの狂喜に沸いていた。

 『File: STIGMA』――ア・バオア・クー攻防戦において、シイコ・スガイ中尉が叩き出した限界機動データである。

 ワイヤーアンカーを支点とした慣性無視の急旋回、そしてフレームの限界応力ギリギリで行われる空間格闘戦。

 次世代モビルスーツの能動的質量移動による姿勢制御(AMBAC)システムを完成させる上で、死の商人たちが喉から手が出るほど欲していた「極限の生データ」であった。

 彼らにとってみれば、シイコ・スガイが人間としての心を喪失していようが、軍紀違反を犯した猟奇的な殺人鬼であろうが、全く以て些末な問題に過ぎなかった。

 必要なのは、あの「魔女の機動」を実機で再現し、機体が断末魔の悲鳴を上げる限界値を測定するための、優秀で頑丈な「生体部品」であったのだ。

 かくして、AE社のエージェントはオークリッジの分厚い壁を容易くすり抜け、彼女への接触を図ったのである。

 

『機密指定:レベル四(閲覧制限)』

『文書番号:OR-SEC-0080-09』

『オークリッジ第四軍事療養施設 警備部 月次インシデント報告書』

『記録者:警備主任 ウォルター・ドノバン大尉』

『[UC〇〇八〇年九月一二日・セキュリティシステム異常に関する報告]

 九月一二日一四〇〇時から一五三〇時にかけて、当施設の面会者入退館管理システム、および第四隔離区画の監視カメラネットワークにおいて、原因不明のデータ欠落が発生した。

 事後調査の結果、外部からの高度なサイバー攻撃、あるいはシステム管理者権限の不正利用による意図的な「記録の消去」が行われた痕跡が確認された。

 

 1.【施設入退館記録シート(一部黒塗り復元)】

 当該時間帯、民間企業の視察団を名乗る三名が施設を訪問した記録が残存しているが、代表者の氏名および所属企業名が意図的に上書き・黒塗りされている。

 システムログの断片から、かろうじて「AE社・先進開発部門特別顧問 O・■■■(オサリバンと推測される)」という文字列が復元されたが、確証はない。

 

 2.【監視カメラ映像の欠落報告】

 同時刻、スガイ中尉(四〇二号室)が滞在していたデイルーム、および面会室周辺の監視カメラ映像が、計四五分間にわたり「ノイズによる録画不良」として処理されている。

 警備員の巡回ルートも、当該時間帯のみ不自然に変更されていた。

 結論として、何者かが軍の正規の手続きを経ずに、施設内の特定患者(スガイ中尉)と極秘裏に接触を図った可能性が極めて高い。

 当職は直ちに軍情報部への通報を具申したが、施設長より「本件は本省の管轄事項につき、これ以上の詮索は不要」との厳命を受けた。

 よって、本インシデントは「システムの一時的な不具合」として処理し、関連データを封印する』

 

 民間企業の一幹部が、軍の最高機密施設に平然と侵入し、痕跡を消し去る。

 AE社という巨大なリヴァイアサンが、すでに連邦軍の官僚機構を金と権力で深く侵食していることの、何よりの証左であった。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八〇年一〇月。

 

 オークリッジでの接触から数週間後。

 地球上の某所――星付きの軍高官が非公式な会合。

 すなわち汚職の舞台として用いる高級料亭の一室において、シイコ・スガイの運命、否、彼女の「所有権」を決定づける密約が交わされていた。

 地球連邦軍情報部内の、急進派の動向を警戒するごく一部の監視班が、その密会の音声を奇跡的に傍受・録音していた。

 記録されていたのは、一人の傷痍軍人の命と尊厳が、莫大な裏金と引き換えに文字通り「売買」される、生々しく、吐き気を催すような取引の現場であった。

 

『地球連邦軍情報部 第二課 傍受音声データ・トランスクリプト(非公式保管指定)』

『傍受日時:UC〇〇八〇年一〇月四日 二〇三〇時』

『対象者A:連邦軍 本省高官(中将クラスと推測される)』

『対象者B:アナハイム・エレクトロニクス社 幹部(先進開発部門)』

 

[録音開始]

 

対象者A:

「……それにしても、御社も物好きだな。

 あのような壊れた自動機械〈オートマタ〉の引き取り手になってくれるとは。

 軍法務局も、あれの扱いにほとほと手を焼いていたのだよ」

 

対象者B:

「お気になさらず、閣下。

 我々アナハイムは、常に技術の限界に挑戦する企業です。

 そのためには、並のパイロットでは収集できない『極限のデータ』が必要不可欠なのです。

 ……ア・バオア・クーで彼女が記録したデータを見ましたよ。

 あれは芸術だ。

 彼女は、機体が空中分解する一歩手前の臨界点を、肌感覚で理解している」

 

対象者A:

「芸術、ね。……現場の連中からは、死体を盾にする狂人の殺戮録だと報告が上がっているがね。

 まあいい。

 あの不潔な汚物を我々の庭から片付けてくれるというなら、喜んで差し上げよう。

 御社の特別テスト施設とやらで、好きなだけ『実験』してくれたまえ」

 

 (グラスに酒を注ぐ音。そして、分厚い封筒が卓上に置かれるような重い音が記録されている)

 

対象者B:

「これは、我が社からのささやかな『感謝の印』です。

 次世代主力量産機……ええ、ガンダム開発計画を含めた次期プロジェクトの選定において、閣下の有意義なご助言を賜りたく」

 

対象者A:

「……(低く笑う声)。

 相変わらず、御社の手回しの良さには感服するよ。

 安心したまえ、書類はどうとでもなる。

 『PTSDの症状改善による、特務機関への出向テスト』とでも書き換えておこう。

 ……ただ、気をつけたまえよ。

 あれは、ただの壊れた人形ではない。

 死神を背負った呪いの塊だ」

 

対象者B:

「ええ、承知しておりますとも。

 彼女の命が尽きるか、それとも用意した機体のフレームが千切れるか……。

 我々としては、素晴らしいデータさえ取れれば、どちらが先でも一向に構わないのですよ」

 

[録音終了]

 

 ここに、軍人としてのシイコ・スガイは完全に死滅した。

 彼女は、連邦軍という巨大なシステムから、アナハイム・エレクトロニクス社というさらなる巨大な怪物へと引き渡される、単なる「データ収集用の生体部品」へと成り下がったのである。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八〇年十一月。

 

 軍上層部からの決定は、絶対的な命令としてオークリッジ施設に下達された。

 

「患者:シイコ・スガイ中尉のPTSDは劇的な治癒を見せたため、直ちに退所させ、特務機関への出向を命ずる」

 

 という、現実を完全に黙殺した白々しい通達である。

 この理不尽な命令に対し、ただ一人、医学的な見地と医師としてのささやかな良心から猛烈に抗議した男がいた。

 彼女の担当医である、アーサー・クレメンス少佐である。

 施設長である病院長室へと怒鳴り込み、そして一枚の抗議文書を叩きつけた。

 

『オークリッジ第四軍事療養施設 担当医アーサー・クレメンス少佐から病院長への上申書』

『提出日:UC〇〇八〇年十一月二〇日』

『※本上申書は、同日付けで病院長により受領拒否・破棄されたものを、著者の記憶に基づき再録したものである』

『病院長閣下。

 シイコ・スガイ中尉の即時退所、および軍務(テストパイロット任務)への復帰命令について、担当医として断固たる異議を申し立てます。

 上層部の通達には「劇的な治癒」とありますが、完全な捏造であり、医学的真実に対する重大な冒涜です。

 彼女は全く治癒などしていません。

 入所から半年以上が経過した現在も、彼女の精神の絶対的な虚脱状態は継続しており、むしろその「虚無」は日を追うごとに深く、取り返しのつかない臨界点へと達しつつあります。

 彼女は、ディラン・トマスの詩集を抱きしめたまま、外界との接触を完全に絶ち、自身の内側にある「死」の概念とだけ対話を続けているのです。

 この極限の精神状態にある人間を、再びモビルスーツのコックピットに押し込め、しかも限界稼働テストという過酷なストレス環境下に置くことの意味を、上層部は理解しているのでしょうか。

 彼女を宇宙(そら)へ戻せば、彼女の精神のタガは完全に外れます。

 彼女は再び、あの自他の区別なく命を刈り取る「黒い魔女」へと変貌し、今度こそ完全に自壊してしまうでしょう。

 これは治療でも、軍事任務でもありません。

 一人の人間の尊厳を意図的に破壊する、緩やかな処刑に他なりません。

 この状態で彼女を軍務に復帰させるなど、狂気の沙汰です。

 直ちに命令の撤回を上層部へ進言していただきたく、強く要請いたします』

 

 だが、軍という冷徹な官僚機構の前では、一人の医師のヒューマニズムなど、吹けば飛ぶような紙屑に過ぎなかった。

 

「……クレメンス少佐。

 君のヒューマニズムには敬意を表するがね」

 

 分厚いマホガニーのデスク越しに、病院長は氷のような声で告げた。

 

「これは上層部の決定だ。

 我々には覆す権限はない。

 これ以上の異議申し立ては、君自身のキャリア……いや、君の命すら損なう結果になるぞ。

 彼女のことは、忘れろ」

 

 抗議文書はその場でシュレッダーにかけられ、粉々に裁断された。

 クレメンス少佐は、自らの無力さに打ちひしがれながら、拳を握りしめて立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八〇年十二月。

 

 冬の足音が近づき、オークリッジの森に初雪が舞い降りた日。

 シイコ・スガイ中尉は、施設を退所した。

 彼女を迎えに来たのは、連邦軍の正規の車両ではない。

 所属を示す一切のマーキングが消去された、黒塗りの軍用車両であった。

 

『地球連邦軍人事局 特務辞令(極秘)』

『発令日:UC〇〇八〇年十二月五日』

『対象者:シイコ・スガイ中尉』

『辞令内容:対象者を、連邦軍直轄の特務機関預かりとする。

 以降の身柄の管轄、および作戦行動の指揮権は、アナハイム・エレクトロニクス社 先進開発部門へと委譲する』

 

 彼女の荷物は、入所した時と同じ、一冊の古い詩集だけであった。

 黒塗りの車両まで護送する任務を負ったのは、施設警備隊の若い下士官であった。

 彼は後に、自らの業務日誌の片隅に、その日の不気味な情景を震えるような筆致で書き残している。

 

『護送任務担当下士官の業務日誌(私的メモ)』

『十二月五日。スガイ中尉の護送任務完了。

 彼女は、退所の手続きから車両に乗り込むまで、ただの一度も声を発しなかった。

 喜ぶでもなく、悲しむでもなく、まるで自分がベルトコンベアに乗せられた部品であるかのように、ただ淡々と歩を進めていた。

 雪が降っていた。

 彼女の漆黒の髪と、黒いコートに粉雪が落ちても、払おうともしなかった。

 車両のドアが開き、彼女が後部座席に乗り込む直前のことだ。

 施設を出る際、一度だけ、立ち止まって振り返った。

 その視線は、見送りに立っていたクレメンス少佐を見たわけでもなく、施設を見上げたわけでもない。

 我々が見ているのとは全く別の次元の風景を、ぼんやりと見透かしているようだった。

 私は、その時の彼女の目を見て、思わず息を呑み、後ずさりしてしまった。

 その目は何も見ていなかった。

 光も、感情も、魂の欠片すら存在しない、ただの底知れぬ「黒い穴」のようだった。

 あれは、人間の目ではない。

 深淵が、こちらを覗き返しているのだ』

 

 黒塗りの車両は、音もなくオークリッジの森を走り去り、やがて視界から完全に消え去った。

 連邦軍の公式記録上、シイコ・スガイ中尉はこの日をもって「療養中に行方不明」として処理され、歴史の表舞台から完全に抹消された。

 だが、それは終わりではない。

 新たなる惨劇の幕開けであった。

 彼女は向かっているのだ。

 アナハイム・エレクトロニクス社が管轄する、絶対の暗黒が支配する暗礁宙域の極秘テスト施設へ。

 彼女の異常なデータを元に鋳造された、規格外の重装甲と剥き出しの大推力スラスターを備えた、狂気の魔改造機――ジム・カスタムII ウィッチズ・ブルーム仕様――が、新たな主の到来を待ちわびている。

 軍の上層部と巨大企業の果てなき強欲によって、生きたまま地獄の底へと突き落とされた一人の兵士。

 彼女は再びモビルスーツのコックピットに座り、あの十字の楔を携えて、宇宙の闇へと舞い戻る。

 

『……And Death Shall Have No Dominion(そして死は覇者にあらず)……』

 

 次にその呪われた詩篇が通信回路に響き渡る時、地球圏は再び、あの喪服を着た魔女がもたらす純粋な狂気と、逃れられぬ死の恐怖に震え上がることになるのである。

 

 

 




U.C.0081 - Anaheim Electronics Company's top-secret test record - continues...
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