機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】 作:王子の犬
宇宙世紀〇〇八一年七月。
この月、アナハイム・エレクトロニクス社におけるモビルスーツ開発部門の実質的な最高責任者であるオサリバン常務が、暗礁宙域の極秘施設に視察へと訪れた。
後に「星の屑」作戦の裏側で暗躍し、自らの野心のために地球圏を再び戦火の渦に巻き込むこととなるこの男は、施設に用意された特等席から、「黒いキメラ」の舞踏を満足げに眺めていた。
その光景と、彼が放った冷血極まる言葉の数々は、若き随行秘書の端末に、戦慄と共に克明に記録されている。
『AE社 先進開発部門 幹部視察記録(随行秘書による私的メモ・暗号化保管)』
『記録日時:UC〇〇八一年七月二二日 一四三〇時』
『記録者:N・マクミラン(オサリバン常務付秘書)』
『……私は今日、人間の作り出した最も醜悪で、かつ最も恐ろしいものを見た。
常務の視察に随行し、暗礁宙域のテスト施設に到着した私は、観測用モニターの前に通された。
そこで行われていたのは、特務パイロット「シイコ・スガイ」による、コードネーム "ウィッチズ・ブルーム" の高機動テストであった。
あの機体のシルエットは、正気の沙汰ではない。
上半身は過剰なまでのチョバム・アーマーで覆い尽くされているのに対し、下半身はフレームが剥き出しで、巨大な「ユニバーサル・ブースト・ポッド」が悪性腫瘍のように無骨に接合されている。
開発部の連中が何を考えてあのような重心バランスの破綻したキメラを創り出したのか、私には到底理解できなかった。
だが、宇宙空間に放たれたあの黒い機体は、私の常識を鼻で嗤うように躍動したのである。
彼女は、デブリ帯に点在する岩塊に、両肩のユニットから「
そして、ワイヤーの張力とブースト・ポッドの爆発的な推力を利用し、慣性の法則を完全に無視した直角の「
モニターの端に表示されるテレメトリーの数値は、最大十五Gという、パイロットの肉体がミンチになりかねない絶望的な数値を叩き出していた。
あの重装甲の上半身が遠心力で振り回され、装甲の隙間からフレームの限界を示す赤い警告光が明滅しているにもかかわらず、彼女は機体の崩壊する「〇.一秒手前」で完璧に制御を立て直し、次の機動へと移行していく。
死と隣り合わせの綱渡りなどという生易しいものではない。
彼女は「死」そのものを自らの推進剤として利用しているように見えた。
私は、恐怖のあまり膝が震え、胃液がせり上がってくるのを抑えきれなかった。
だが、私の隣に立つオサリバン常務は違った。
彼は、狂気に満ちたそのモニターの映像を、まるで極上のオペラでも鑑賞するかのように、薄暗い笑みを浮かべて見つめていたのだ。
「……素晴らしい。実に見事だ」
常務は、高級な葉巻の煙を吐き出しながら、低く、しかし確かな歓喜に満ちた声で呟いた。
「設計部の連中が匙を投げかけたあの巨大なブースト・ポッドを、こうも完璧に制御してみせるとはな。
あの女の空間認識能力とAMBACの入力データは、まさに芸術品だ」
「しかし常務、あの機動は人間の限界を超えています。
パイロットの精神と肉体が、いつまでもつか……」
と恐る恐る進言すると、常務は私を憐れむような目で見下ろした。
「マクミラン君、君は物事の価値というものを分かっていない。
あの女がいつ死ぬかなど、我々にとってはどうでもいいことなのだ。
重要なのは、彼女が死ぬまでに『どれだけの極限データ』を吐き出してくれるか、だ」
常務は再びモニターに視線を戻し、ほくそ笑んだ。
「……軍法務局の連中を黙らせ、連邦の高官どもにくれてやった莫大な賄賂の元は、これだけで十分に取れる。
彼女が叩き出すこの空間格闘戦のデータ群は、我が社が社運を懸けて推進している『ガンダム開発計画』――とりわけ、空間戦仕様であるGP01FbのAMBACプロトコル構築に直結する。
あの黒いキメラは、次世代のスタンダードを産み落とすための、極上の母体なのだよ。
存分に狂い、存分に踊ってもらおうではないか」
私は、その言葉を聞いて背筋が凍りつくのを感じた。
ここにいる人間たちは、誰も彼もが狂っている。
パイロットも、設計者も、そしてこの巨大企業を支配する経営者も。
彼らは、兵器という名の怪物を生み出すために、人間の魂を擦り潰すことを何とも思っていない。
私は、自分がとてつもなく深く、暗い地獄の釜の底を覗き込んでしまったことを悟った』
巨大企業の傲慢な思惑は、狂気のテスト飛行を単なる「開発プロセスの一環」として完全に肯定した。
彼らの底知れぬ強欲は、無機質なデブリを相手にしたテストだけでは飽き足らず、より「純度の高い」データを求め、ついに生身の人間を標的とした
宇宙世紀〇〇八一年八月。
オサリバン常務の視察後、先進開発部門の技術陣は、更なるデータ収集の壁に直面していた。
シイコ・スガイの操縦技術は、単なるプログラム化されたダミー標的や、固定されたデブリを相手にした機動テストでは、もはや
彼女の「聖痕戦術」の真髄である、敵の行動を予測し、死角に潜り込み、相手を物理的に拘束するという極限のストレス下での機動データを取得するためには、回避行動をとり、反撃してくる「生きた標的」が必要不可欠であった。
そこでAE社が導き出した結論は、極めてシンプルかつ非人道的なものであった。
「標的が足りないのなら、そこら辺を飛んでいるジオンの残党を狩ればいい」
彼らは、連邦軍の正規の軍事行動を逸脱し、軍事的暴力の独占という国家の専権事項を平然と侵犯して、一民間企業が自社のテスト機を用いた非合法な殺戮を行うという、越権行為の極みたる「
『AE社 先進開発部門 統括本部 極秘指令書』
『文書番号:AE-OPS-BLACK-0081-08』
『機密指定:レベル五(社長室直轄・閲覧後物理的破棄)』
『宛先:暗礁宙域テスト施設 運用責任者』
『件名:実弾交戦下における限界ストレスデータ収集、および海賊(ジオン残党)討伐作戦の実施について』
『1.作戦目的
本行動は、次世代機動兵器開発プロトコル「クラブ・ワークス」の推進において、欠落している「実弾交戦下におけるパイロットおよび機体の限界ストレスデータ」を収集することを第一義とする。
また、当社の保有する暗礁宙域のテスト航路周辺において、不法に滞在し、当社物資に対する脅威となり得る海賊勢力(ジオン公国軍残党)を排除し、航路の安全を確保する。
2.投入戦力
対象機体:RGC-83 ジム・キャノンII "ウィッチズ・ブルーム"
搭乗パイロット:シイコ・スガイ(特務機関出向)
※本行動は当社における「自衛権の行使」および「新型機の耐久テスト」として偽装される。
連邦軍からの正規の部隊支援、ならびに戦闘記録の軍への提出は行わない。
3.交戦規定〈ROE〉の解除
本行動において、対象パイロット(スガイ中尉)に対する一切の交戦規定(南極条約等を含む)の制限は設けない。
捕虜の獲得、敵の投降勧告、および人道的配慮はデータ収集のノイズとなるため、これを一切不要とする。
対象パイロットには、自身の生存と敵性存在の「完全な物理的破壊」のみを命ずる。
必要なのは、機体のフレームが悲鳴を上げ、パイロットの肉体が限界に至る瞬間の、純度一〇〇パーセントの「死のデータ」である。
敵機が完全に沈黙するまで、あらゆる手段を用いた蹂躙を許可、および推奨する。
4.事後処理
作戦終了後、当社特務回収班を派遣し、対象機体のテレメトリー回収、および敵機残骸の「特異な損傷痕(聖痕)」の隠蔽・回収を行う。
連邦軍の正規パトロール艦隊が接近した場合は、直ちに撤収し、証拠を隠滅すること。
以上、本指令はAE社の企業利益の最大化に直結する最重要事項である。
失敗、および外部への漏洩は決して許されない』
この血の通っていない指令書は、企業という名の怪物が、一人の壊れた女性の殺戮衝動を「データ収集」という免罪符で合法化――少なくとも社内的に――し、宇宙の闇へと解き放つための正式な許可証であった。
交戦規定の制限なし。
すなわち、ア・バオア・クーで連邦軍の将兵すらも恐怖させたあの狂気の「聖痕戦術」を、いかなる躊躇いもなく実行せよという、死神への絶対的な号令であった。
宇宙世紀〇〇八一年九月。
暗礁宙域の暗がりで、息を潜めて生き延びていたジオン残党の一群は、彼らの不運を呪う暇すら与えられなかった。
彼らが物資を求めて展開していたデブリ帯に、連邦軍のパトロール艦隊ではなく、所属不明の漆黒の機体が、ただ一機で姿を現したからである。
それが、彼らにとっての「終わりの始まり」であった。
AE社の観測艦が安全な距離からモニタリングする中、"ウィッチズ・ブルーム" は、まるで地獄の底から這い上がってきた亡霊のように、音もなく残党のザクII部隊へと接近していった。
『AE社 暗礁宙域テスト施設 データ統括室』
『バイタルモニター・データログ(実戦稼働時)』
『記録日時:UC〇〇八一年九月一八日 〇九四五時』
『[戦闘記録およびパイロット生理データ・トランスクリプト]
〇九四五:〇〇――接敵。
対象機体(ウィッチズ・ブルーム)、敵熱源(MS-06 ザクII×三、MS-09R リック・ドム×一)を確認。
パイロット(スガイ中尉)の心拍数:六二bpm(平常値)。
血圧、呼吸数共に変動なし。
精神的ストレスの兆候、あるいは「戦闘に対する高揚感」は一切観測されず。
〇九四五:一二――交戦開始。
敵機からの一二〇mmマシンガンおよびジャイアント・バズの砲火を、対象機体は推進器を使用せず、デブリへのワイヤーアンカー射出による「魔女の振り子」で完全に回避。
機体にかかる横Gは瞬時に八.五Gに達するが、パイロットの心拍数は六四bpm。
交感神経の異常興奮なし。
彼女は、自らに向かってくる死の弾幕を、まるで「通り雨」でも眺めるかのように冷徹に処理している。
〇九四五:二五――第一撃。
対象機体、振り子機動の遠心力を利用し、死角(敵ザクIIの上方)から急降下。
両肩の "スティグマ Mk-II" を射出。
射出された十字の楔は、ザクIIの装甲(右肩部およびバックパック)を貫通し、深く食い込む。
パイロットの脳波に、一瞬だけ微細なスパイク(α波の乱れ)が記録される。
これは恐怖や焦燥ではなく、「標的を捕捉した捕食者」の極めて純粋な殺意の表出と推測される。
〇九四五:三〇――「
対象機体は、アンカーの巻き取りモーターを最大出力で稼働。
ワイヤーを通じて
敵機は完全にコントロールを失い、対象機体の「
〇九四五:三三――残りの敵機からの反撃。
しかし、対象機体は引き寄せたザクIIを盾として利用し、すべての砲火を無効化する。
パイロットの心拍数:六〇bpm(低下傾向)。
彼女は、自らが盾にした機体のコックピット内で、敵兵が感電し、あるいは自軍の砲火を浴びて絶叫している事実に対し、一切の感情的な動揺(罪悪感や憐憫)を抱いていない。
〇九四五:三八――ゼロ距離砲撃。
対象機体は、盾としたザクIIの頭部(モノアイ)に、自機のビーム・キャノンを直接押し当てる。
発射。
敵機の上半身が蒸発し、完全な
〇九四五:四二――対象機体、残骸となった敵機に突き刺さった十字の楔をパージすることなく、そのままワイヤーを引っ張り、残骸を振り回しながら次の標的(リック・ドム)へと肉薄。
(中略)
〇九五二:一〇――戦闘終了。
敵機計四機、すべて大破・完全沈黙。
交戦時間、約七分。
この間、対象機体のフレームには限界値を超える負荷が幾度も加わり、システムログは三四八件のエラーと破損警告を吐き出し続けている。
しかし、パイロットであるスガイ中尉のバイタルデータは、驚くべきことに、交戦開始から終了に至るまで、一度たりとも「警戒域」を示す乱れを見せなかった。
心拍数の平均:六三bpm。
発汗量:微小。
呼吸の乱れ:皆無。
結論。
彼女は戦闘を行っているのではない。
彼女の精神構造において、これは「殺し合い」という生存競争ではなく、極めて機械的で、あらかじめ定められたプログラムを遂行するだけの「日常的な作業」に過ぎないのだ。
敵機の残骸を盾にし、ゼロ距離から人間を消し炭にするという地獄の光景の中心にいながら、彼女の心は、オークリッジの隔離病室で一人壁を見つめていた時と、何一つ変わらない「絶対零度の静寂」に包まれている。
我々は、とてつもないデータの山を手に入れた。
同時に、決して理解してはならない、魂の完全なる「死」の証明を目の当たりにしてしまった』
観測データの記録員が残したこの所見は、AE社が抱え込んだものの異質さを正確に捉えていた。
企業利益という名目で正当化された非合法な殺戮。
その泥沼の中で、シイコ・スガイは微塵も感情を波立たせることなく、己に課せられた「敵を十字架に張り付け、屠る」という儀式を、
それは、連邦軍が恐れ、隠蔽しようとした「喪服の魔女」が、巨大企業の傲慢な思惑によって、より強力な
冷血な企業と、絶対零度の狂気。
二つの怪物が交わった時、宇宙世紀の技術史には、決して公文書には記されることのない、夥しい血と鉄の悲鳴に彩られた「呪われたデータ」が刻み込まれることとなる。
そしてそのデータは、やがて星の屑の狂騒の中で、さらなる