機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《02》黒い魔女の出現と防衛線の崩壊(12月31日 08:00〜10:00)

 

 

 

 宇宙世紀〇〇七九年一二月三一日、〇八〇〇時。

 ア・バオア・クー空域は、すでにロマンティックな星の海などではあり得なかった。

 地球連邦軍のパブリク突撃艇部隊が自らの命と引き換えに散布したビーム撹乱膜。

 ——それは、戦場を、黄色と緑が交錯する、極めて悪趣味な瘴気の海へと変貌させていた。

 その濁った靄の中。

 宇宙世紀における近代戦の 基本教義(ドクトリン)である「メガ粒子砲による遠距離からの精密射撃」は完全に死に絶えていた。

 ビームは空しく拡散して単なるイルミネーションへと成り下がる。

 各種センサー群も濃密なミノフスキー粒子によって、とうの昔に沈黙を余儀なくされている。

 結果、パイロットたちに残されたのは、有視界に頼るのみ。

 先史時代の殴り合いにも等しい泥臭い殺し合いだけであった。

 泥沼の乱戦、という表現すら生温い。

 リック・ドムの重厚な装甲を微細に震わせながら、私はヒート・サーベルを赤熱させて暗黒の中を這い回っていた。

 靄の向こうから唐突に現れる連邦のRGM-79ジム。

 互いに九〇mmマシンガンやジャイアント・バズを至近距離から叩き込む。

 閃光が走るたびに、どちらかの肉体と機体が宇宙の塵と化す。

 そこには戦術的優位も陣形も存在しない。

 ただ目の前の敵を粉砕するか、自らが粉砕されるかの二者択一である。

 肺を満たすのは、コクピット内に充満する恐怖と自身の汗の臭いのみ。

 前日までの「勝利の確信」などという甘美な妄想は、この圧倒的な暴力の渦の中で完全に消し飛んでいた。

 その狂乱の最中、我が軍の戦術データリンクに一通の緊急戦闘詳報がもたらされた。

 発信元はNフィールド防衛の要、ギュンター中尉である。

 泥沼の戦場においても官僚的な冷静さを失わない彼らしい、軍規定に則った無機質なテキストデータであった。

 だが、そこに記述されていた内容は、読んだ者の正気を疑わせるに十分な代物であった。

 

 

『戦闘詳報:Nフィールド防衛大隊第四中隊』

『報告者:ギュンター中尉(MS-14 ゲルググ搭乗)』

『〇八一五時、当小隊はNフィールド第三セクターにて未確認の連邦軍モビルスーツと遭遇せり。

 当該機は、夜間迷彩のごとき漆黒に塗装されたRX-77系と推測される。

 だが、そのシルエットは我々の知る砲撃戦用機体とは根本から異なっていた。

 上半身には艦艇の装甲板を切り出したかのような、極めて規格外の増加装甲を纏う一方で、下半身は内部フレームが剥き出しになるほど装甲が徹底的に排除されている。

 当方は即座に敵機を捕捉し先行射撃を敢行したが、敵機は胸部装甲でビーム・ライフルを完全に弾き返し、減速することなく我が小隊の懐へと突進した。

 その異常な加速は、下半身に増設された規格外の高出力スラスターによるものと推測される。

 敵機の接近に伴い、左翼の僚機(MS-06 ザクⅡ)が格闘戦を忌避し、後方への回避機動をとった。

 その瞬間である。

 敵機は腰部に増設された射出機より「ワイヤー接続式の十字型の楔(アンカー)」を発射。

 ワイヤーは恐るべき精度で空間を這い、僚機のバックパックに深く突き刺さった。

 直後、猛烈なトルクによる巻き取りが行われ、僚機は姿勢制御を奪われたまま敵機の正面へと猛スピードで引き寄せられた。

 敵機は引き寄せたザクを物理的な盾として行使しつつ、両肩の二四〇mmキャノンを僚機の頭部へゼロ距離から指向し、一切の躊躇なく発砲。

 僚機は頭部からコクピットにかけて完全に粉砕され、一撃で大破・轟沈した。

 現在、当方は残存僚機と共に後退しつつ牽制射撃を継続中なるも、敵機を捕捉しきれず。

 各隊に警告する。

 当該の黒いガンキャノンは後方支援機にあらず。

 極端な重装甲と超高機動を併せ持ち、アンカーによる強制的な近接拘束攻撃を主体とする規格外の白兵戦用機体である。

 敵の機動力は、我々の知るキャノンタイプのものでは断じてない。

 交戦の際はドムやゲルググの機動力をもってしても圧倒される危険性大。

 最大級の警戒を要する』

 

 

 無味乾燥な活字の羅列である。

 だが、その行間からは歴戦の勇士たるギュンター中尉が味わったであろう底知れぬ戦慄が滲み出していた。

 彼が駆る最新鋭のゲルググでさえ、手玉に取られたという事実に他ならない。

 

「……喪服を着た大砲」

 

 昨夜、怯える帰還兵が震えながら口にしていた狂気じみた噂が、最悪の現実として我々の防衛線を食い破り始めたのである。

 

 

 

 〇九〇〇時。

 ア・バオア・クーの各フィールドは、連邦軍エース部隊の猛烈な突破攻撃に晒され、防衛線は局地的な崩壊を開始していた。

 死地を求めて前進する彼らの狂気的な気迫。

 実戦経験に乏しいジオンの学徒動員兵たちの脆弱な精神を容赦なく圧砕していった。

 中でも、報告にあった「黒いガンキャノン」が出現した宙域の混乱は、筆舌に尽くしがたいものがあった。

 戦術ネットワークのオープン回線。

 恐慌状態に陥った一般兵たちの悲鳴と怒号が、電子ノイズにまみれて絶え間なく飛び交っていたのである。

 

「なんなんだよあれは! なんだあの黒いのは!? 足がないぞ!」

 

 今日が初陣であろう少年兵の、引き攣った絶叫が鼓膜を打つ。

 

「馬鹿野郎、足じゃない、装甲がないんだ! だからあんなに速いんだよ!」

 

 ベテランらしき下士官の怒号が重なるが、その声もまた恐怖に震え上がっている。

 

「駄目だ、速すぎる、振り切られる! いや、こっちに来るぞ!」

「撃て! バズーカを撃ちまくれ! 近づけさせるな!」

「当たらない! 装甲で弾かれた!? 嘘だろ、あんな距離で……」

「やめろ、来ないでくれ! ワイヤーが、俺の機体に……ぎゃあっ!」

 

 強烈な電子ノイズと共に断末魔が途切れる。

 一つの命が文字通り消し飛んだ瞬間である。

 

「小隊長がやられた! 逃げろ、散開しろ! 捕まったら終わりだ!」

「後ろに回られた! だれかカバーを……!」

「ああああああっ!」

 

 次々と途絶していく友軍の識別信号。

 それはもはや戦闘などではなく、一方的な「狩り」に他ならなかった。

 ジオンの誇るモビルスーツ部隊。

 本来鈍重であるはずの一機のガンキャノンによって、文字通り虫けらのようにすり潰されていく。

 戦術的合理性も数の優位も、あの漆黒の悪魔の前では無意味であった。

 恐怖が伝染病のごとく蔓延する。

 兵士たちの正気を奪い去っていく。

 私は自身のコクピットの中で、奥歯がガチガチと鳴るのを止めることができなかった。

 

 

 

 一〇〇〇時。

 防衛線の崩壊はもはや局地的な事象ではなくなっていた。

 特にNフィールドにおいては、物理法則を嘲笑うかのような理不尽極まりない戦闘機動が確認され、戦線は完全な崩壊の危機に瀕していた。

 後に「魔女の振り子」と畏怖されることになるその脅威の全貌は、Nフィールド遊撃中隊から司令部へ送られたガンカメラ映像の解析によって明らかとなった。

 

 

 『戦闘詳報:Nフィールド遊撃中隊』

 『状況記録:回収されたガンカメラ映像より解析』

 『映像には、Nフィールド暗礁宙域において、漆黒に塗装されたRX-77系(以下、敵機)が我が軍のリック・ドム三機小隊と交戦する様子が記録されている。

 敵機は、ドム小隊からの十字砲火を受ける直前、自機腰部よりアンカー付きワイヤーを発射、これを宙域を漂流中のムサイ級軽巡洋艦の巨大な残骸に向かって打ち込んだ。

 アンカーが残骸の装甲に深く食い込んだ瞬間、敵機はメインスラスターの噴射を完全停止。

 そのまま巻き取られるワイヤーの強烈な張力と、機体自身の巨大な質量が生み出す遠心力のみを利用し、モビルスーツの能動的質量移動による姿勢制御(AMBAC)では原理的に不可能な、極めて鋭角かつ高速な急旋回(スイングバイ)を実行した。

 この慣性の法則を意図的に裏切る「()()()」のごとき異常機動により、敵機はドム小隊の未来予測射撃を完全に回避。

 それどころか、旋回の勢いを殺すことなく、一瞬にしてドム小隊の完全な死角である背後へと回り込んだ。

 背後を取られ対応の遅れたドム小隊に対し、敵機は機体重量を乗せた超近接格闘戦へと移行。

 至近距離からのキャノン砲によるゼロ距離射撃と、ワイヤーを用いた引き寄せによる近接打撃のコンビネーションにより、わずか十五秒という驚異的な短時間の間に、リック・ドム三機全てが撃破・沈められた。

 さらに特筆すべき異常事態が確認されている。

 この一連の殺戮が行われている間、敵機のパイロットは戦域の広域オープン回線を意図的に開き、肉声による通信を発信し続けていた。

 それは軍事通信の類ではない。

 抑揚のない、氷のように冷たく澄んだ女の声で、古い英語の「詩」のようなものを、呪文のごとく淡々と朗読し続けていたのである。

 

【……And Death Shall Have No Dominion(そして死は覇者にあらず)……】

 

 真空の宇宙に、無差別に響き渡るその不気味な詩篇。

 それは死にゆく者への鎮魂歌などではなく、自らが狩る獲物へ宣告する絶対的な死の先触れであった。

 この狂気じみた音声を受信したNフィールドの学徒兵たちは、極限の緊張状態も相まって完全なパニックを引き起こした。

 ある者は通信機を切り裂かんばかりに悲鳴を上げ、ある者は盲滅法にビームを乱射して友軍を危険に晒し、ある者は恐怖に耐えきれずに持ち場を放棄して逃亡を図った。

 結果として、Nフィールド防衛部隊の陣形は、たった一機の黒い悪魔がもたらした物理的・心理的恐怖によって、今まさに瓦解しつつある』

 

 

 報告を読み終えた瞬間、私の全身から完全に血の気が引いた。

 もはや、あれは兵器などというチャチな代物ではない。

 戦争というシステムそのものが産み落とした、純粋なる殺意の権化だ。

 ギュンター中尉のごとき歴戦の勇士が冷徹に報告を残す一方で、現場の兵士たちはただ泣き叫び、理不尽に命を刈り取られていく。

 その圧倒的な落差こそが、あの「魔女」がもたらす恐怖の本質に他ならなかった。

 広域回線を通じて、時折ノイズ混じりにあの声が私のコクピットにも届く。

 

『……And Death Shall Have No Dominion……』

 

 その詩のフレーズが耳を打つたびに、私は自分が巨大な蜘蛛の巣のど真ん中に捕らえられた、無力で惨めな羽虫に過ぎないのだという事実を突きつけられた。

 ア・バオア・クーの泥沼は、今や黒い魔女が支配する絶望の狩場と化していたのである。

 

 

 

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