機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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U.C.0083/01〜10 - ジオン軍残党視点 - 暗礁宙域の深遠
《20》暗礁宙域の消失と十字の傷(U.C.0083年 1月〜3月)


 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、一月。

 

 一年戦争の終結から三年という歳月が経過しようとしていたが、地球圏の片隅には未だ『終戦』という政治的妥協を拒絶し、雌伏の時を過ごす者たちが存在した。

 ジオン公国軍の残党である。

 彼らの多くは、地球軌道上に帯状に広がる巨大な残骸の海――通称『暗礁宙域』を潜伏地としていた。

 かつての激戦で破壊された艦艇の残骸。

 コロニーの破片。

 そして無数の機動兵器の死骸が漂流するこの宙域は、強力なミノフスキー粒子の干渉と複雑極まるデブリの配置により、地球連邦軍の哨戒網を欺くには絶好の隠れ家であったからだ。

 エギーユ・デラーズ中将率いる『デラーズ・フリート』をはじめとする大規模な残党勢力へ合流すべく、あるいは独自の再起を図るべく、彼らは息を潜めた。

 枯渇しつつある物資をやりくりしながら、来るべき決起の日に備えていた。

 しかし、暗礁宙域の絶対的な闇の中で、静かに、確実に、何かが狂い始めていた。

 発端は、極めて些細な異常に過ぎなかった。

 各部隊が定期的に放っている単独の哨戒機《パトロール》が、相次いで未帰還となる事案が発生し始めたのである。

 暗礁宙域における通信環境は劣悪を極め、些細なトラブルで連絡が途絶することは珍しくない。

 デブリとの衝突、老朽化した機体のジェネレータートラブル、あるいは推進剤の枯渇。

 残党軍の装備はいずれも一年戦争時の旧式を騙し騙し運用している状態であり、機体の喪失自体は日常的な損耗の範疇であった。

 だが、その『喪失(ロスト)』の頻度は、一月に入ってから明らかに異常な数値を弾き出していた。

 交戦の報告はおろか、救難信号すら発せられないまま、まるで暗闇に飲み込まれるようにフッと機影が消失する――。

 その不可解な喪失の連鎖は、兵士たちの心に、目に見えない真綿で首を絞められるような漠然とした恐怖を植え付けた。

 ある残党軍拠点で記録された下士官の愚痴は、見えざる脅威に対する現場の苛立ちと恐怖をありのままに伝えている。

 

『ジオン公国軍 残党勢力・第四潜伏拠点』

『下士官の非公式な愚痴(兵員食堂での隠し録音より抽出)』

『記録日時:UC〇〇八三年一月一八日 二〇四〇時』

『……まただ。

 またCセクターで哨戒機が消滅した。

 今週で三機目だぞ。

 通信兵の報告によれば、今回もノイズ一つ残さずに、唐突にテレメトリーが途絶したらしい。

 直前まで一切の異常はなかったというのに、まるで電源を落としたかのように消失したのだ。

 上層部の連中は「デブリとの衝突事故だ、推進剤をケチるから回避が遅れるのだ」などと牧歌的な推論を弄しているが、冗談ではない。

 未帰還となったのは我が小隊の部下だ。

 奴はルウムの地獄を生き延びたベテランである。

 いくら機体が旧式であろうと、ただの岩塊に激突して犬死にするような三流ではない。

 かといって、連邦軍の哨戒部隊と接触したという線も極めて薄い。

 連邦のネズミ捕りにしては、あまりにも手際が良すぎる。

 もし正規軍が網を張っているのなら、戦闘の痕跡が残るはずであり、ビームの閃光くらいは観測できるはずだ。

 それに、奴らなら通信が遮断される前に、一言くらい「()()」と喚く時間はあるだろう。

 それらが一切存在しない。

 何の音も、何の光も無く、ただ静かに消去されていく。

 我々の隠れ家は、連邦の監視から逃れるための完璧な暗闇であったはずだ。

 だが、今はその暗闇こそが恐ろしい。

 誰かが、いや『何か』が、我々の見えない死角に潜伏し、一人、また一人とつまみ食いしているような気がしてならない。

 明日の哨戒当番は私なのだ。

 あの漆黒のデブリの海に単騎で進出し、もし『それ』と遭遇したら……私は誰にも知られることなく、この宇宙から物理的に消し去られるのではないのか?』

 

 彼の言葉には、正規軍との名誉ある交戦ではなく、得体の知れない連続猟奇殺人鬼(シリアルキラー)に暗闇で一人ずつ狩られていくような、極度の閉塞感が漂っていた。

 戦士としての矜持を胸に、決起を待つ彼らにとって、理由も分からず、抵抗する間もなく処理されるという死は、連邦のビームに撃ち抜かれることよりも遥かに絶対的な恐怖であった。

 暗礁宙域は、彼らを庇護する隠れ家から、逃げ場のない巨大な密室の処刑場へと変貌しつつあった。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、二月。

 

 単独哨戒機の連続ロストは、二月に入っても一向に収束する気配を見せなかった。

 事態を重く見た一部の部隊は、原因究明と貴重なパーツの回収を企図し、武装した複数機編成の資源回収(サルベージ)部隊を、機体が消息を絶った宙域へと派遣した。

 彼らは数日間の念入りな捜索の末、巨大なコロニーの残骸の陰に漂流する、一機のザクⅡを発見する。

 それは間違いなく、先月消息を絶った味方の哨戒機であった。

 しかし、牽引されて拠点へと持ち込まれたその残骸の有り様は、回収部隊の兵士たちのみならず、検証にあたった熟練の整備兵たちの顔色を一瞬にして蒼白にする。

 ザクⅡは、モビルスーツ同士の戦闘における一般的な「ビーム兵器による溶解」や「実体弾による爆散」の痕跡を、ただの一箇所も留めていなかった。

 残党軍の整備班長が上官に宛てて提出した非公式な申し送り事項には、その異常な破壊痕と、部隊内の深刻な恐慌が、生々しい筆致で記録されている。

 

『ジオン公国軍 残党勢力・第四潜伏拠点 整備班』

『回収されたMS(ザクⅡ)の損傷状態に関する特記事項および具申』

『記録日時:UC〇〇八三年二月一四日 一〇三〇時』

『[対象機体の損傷状況]

 昨日回収されたザクⅡの残骸について、初期検証の結果を報告する。

 結論から言えば、本機は連邦軍の正規哨戒部隊との交戦によって撃破されたものではないと断定せざるを得ない。

 機体各部にビーム兵器による焼損痕は一切確認されず、大口径実体弾を被弾した形跡も皆無である。

 致命傷となったのは、コックピットブロックへの直接的な『物理破壊』であった。

 胸部の重装甲が、極めて鋭利かつ硬質な物体によって、外側から内側へと強引に「抉り開けられて」いた。

 装甲材はまるで紙の如く引き裂かれ、内部のパイロットは原形を留めていない。

 だが、最も不可解かつ戦慄すべきは、その破壊されたコックピット周辺の装甲に刻み込まれていた無数の『傷跡』である。

 敵は、機体の機動を完全に封殺すべく、巨大な楔のようなものを装甲の継ぎ目に幾発も打ち込んでいる。

 その楔が引き抜かれた痕跡が、明確な『十字型の凹み』として、右肩と胸部にくっきりと残されていたのだ。

 

[部隊内の動揺について]

 

 この『()()()()()()』を現認した瞬間、検証に立ち会っていた整備兵たち――とりわけ、あのア・バオア・クーの地獄を生き延びた古参兵たちが、一様に顔色を失い後ずさった。

 彼らは震える声で、ある都市伝説を口走っている。

 一年戦争末期、暗礁宙域やア・バオア・クーの戦場に出没したという、味方を盾にし、敵を十字のアンカーで串刺しにして嬲り殺しにした連邦の狂気のパイロット。

 通称『喪服の魔女』の噂である。

 

「この傷は間違いない。あの女の『聖痕』だ。

 あの悪魔が、まだこの暗闇の中で生存しているのだ」

 

 と、普段は死を恐れぬ古参兵が、まるで亡霊に直面したかのように怯えきっている。

 この機体は遠距離から撃破されたのではない。

 超至近距離まで肉薄され、何らかのワイヤー状兵器で拘束された上で、生きたままコックピットを抉り開けられたのだ。

 パイロットが通信を発する暇すら与えられず沈黙した理由も、これで完璧に説明がつく。

 敵は音もなく死角に潜り込み、一瞬にして機体の自由を剥奪したのだ。

 

[具申]

 

 この破壊の痕跡は、単なる戦闘の記録ではない。

 明確な『猟奇殺人』の現場に他ならない。

 連邦軍は、正規の討伐部隊を差し向ける代わりに、あのような狂気を孕んだ殺戮機械を、この暗礁宙域に放し飼いにしているのではないか。

 兵員たちの動揺は看過できぬ閾値に達している。

 本機の損傷状態については最高機密扱いとし、徹底した情報統制を敷くことを強く具申する。

 さもなくば、見えざる『魔女』への恐怖が、決起を待つ部隊の士気を根底から瓦解させかねない』

 

 整備班長の必死の具申も空しく、『十字の聖痕(スティグマ)』の噂はまたたく間に残党軍のネットワークを駆け巡った。

 ア・バオア・クーを生き延びた者たちにとって、その傷跡は単なる物理的損壊ではなく、精神の奥底に封印していた極限の恐怖を励起する致命的な引き金(トリガー)であった。

 彼らは、連邦軍という国家組織と交戦する準備は完了していたが、人間の感情を欠落させ、ただ機械的に命を刈り取る『連続猟奇殺人鬼』と対峙する覚悟など、いささかも持ち合わせてはいなかったのである。

 暗礁宙域の暗闇は、今や彼らにとって、いつどこから死角を突かれるか全く予測不能な、逃げ場のない処刑場としての輪郭を明確に帯び始めていた。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、三月。

 

 見えざる敵への恐怖が臨界点に達しつつあった暗礁宙域の残党軍において、ついに『生存者』が現れた。

 二機編成でデブリ帯の哨戒に進出していた小隊のうち、一機が辛うじて拠点への帰還を果たしたのである。

 しかし、それは決して彼らに福音をもたらすものではなかった。

 帰還した機体は推進剤を完全に消費し尽くし、装甲の随所がデブリとの衝突による陥没……。。

 文字通り命からがら逃げ帰ってきた有様であった。

 そして、コックピットから回収されたパイロットの精神は、すでに完全に崩壊していた。

 彼は、同行した僚機がいかなる手段で撃墜されたのか、己がいかにして生還を果たしたのかを論理的に説明する能力を喪失。

 虚空を凝視し、激しく身震いしながら、理解不能な絶叫を繰り返すばかりであった。

 軍医が鎮静剤を投与し、辛うじて聴取に成功した彼の証言は、残党兵たちの間で囁かれていた都市伝説が、最も残酷な形で現実のものとなったことを証明する、狂気に満ちた音声記録としてアーカイブされている。

 

『ジオン公国軍 残党勢力・医療ブロック』

『帰還パイロット(生存者)の聴取記録(音声データ)』

『記録日時:UC〇〇八三年三月五日 一四二〇時』

 

[録音開始]

 

軍医:

「……落ち着け。深呼吸をするのだ。

 貴様は安全な場所にいる。

 ここで何があったのか、話せる範囲で構わん、報告しろ。

 僚機のザクはどうなった? 連邦の部隊と接触したのか?」

 

生存者:

「……違う……部隊じゃない。

 連邦じゃない……あれは、人間ではないのだ……!」

 

軍医:

「人間ではない?

 新型のモビルアーマーでも出現したというのか?

 落ち着いて、敵のシルエットを思い出せ。

 塗装は? 武装は何だ?」

 

生存者:

「真っ黒だった!

 宇宙の闇よりも黒い、泥のような墨を塗りたくったごとき色だった!

 レーダーには一切の反応がなかった。

 熱源も皆無だ。

 ただ、デブリの影から唐突に、全くの無音で湧き出たのだ!

 あいつ、脚部が存在しなかった!

 いや、脚部の代わりに巨大な推進器(バーニア)の塊が接続されていて……ビーム・ライフルも、シールドも携行していなかった!

 完全な丸腰で、ただ我々に向かって直線的に突撃してきたのだ!」

 

軍医:

「シールドも持たずに突撃しただと?

 馬鹿な、そのような自殺行為を……。

 それで、僚機は被弾したのか?」

 

生存者:

「撃たれていない! 撃たれてなどいない!

 あいつの両肩から、漆黒の蛇のごときワイヤーが射出され……隊長のザクの胸部装甲に、深々と突き刺さったのだ!

 十字の形状をした、赤い楔だった!

 隊長は退避すべくスラスターを吹かしたが、ワイヤーに牽引され、あいつの正面へと強制的に引き寄せられた!

 まるで、肉の盾にされるがごとく……!

 そして、隊長が何か叫ぶ間すら与えず、あいつはゼロ距離で、自らの胸部から極太のメガ粒子砲を放ったのだ。

 隊長のザクごと、己ごと吹き飛ばすかのように! 隊長のコックピットが蒸発し……血と冷却液が宇宙空間に撒き散らされて……!」

 

軍医:

「……ゼロ距離で、味方を盾にして……だと?」

 

生存者:

「俺は撃った! バズーカを何発も撃ち込んだ!

 だが命中しない!

 あいつ、隊長の残骸を盾として保持したまま、ワイヤーの反動のみでデブリを蹴り、物理法則を無視した角度で跳ね回るのだ!

 目が……目が合ったのだ! 機体のメインカメラではない。

 あの漆黒の装甲の奥底に潜む、一切の感情を持たないガラス玉のごとき女の目と!

 真実だ!

 かつてア・バオア・クーの地獄で死に損なった先輩の言った通りだ!

 あの魔女は未だに生存している!

 あの悪魔は、一年戦争の戦場から今日に至るまで、我々を虐殺するためだけにこの暗闇を徘徊し続けていたのだ!

 来る! ここにも必ず来るぞ!

 我々全員、あの十字のワイヤーで拘束され、串刺しにされるのだ!

 嫌だ、俺は実験動物(モルモット)ではない!

 殺されるのであれば、せめて真っ当なビームで撃ち抜いてくれぇっ!!」

 

 生存者の絶叫は、鎮静剤が効果を発揮し彼が意識を喪失するまで、医療ブロックの冷徹な壁面に反響し続けた。

 彼の証言は、部隊内の情報統制などという小細工を容易く粉砕し、瞬く間に全潜伏拠点へと伝播していった。

 

『漆黒の機体』

『脚部のない異形』

『シールドを持たず、ワイヤーで敵を拘束する猟奇的戦術』

 

 それらのディティールは、かつての『喪服の魔女』の噂と完璧な符合を見せていた。

 否、魔女は一年戦争当時よりもさらに洗練され、より純粋な殺戮機械へと進化を遂げていたのである。

 ジオン軍残党の兵士たちは、もはや「連邦軍」という国家組織と戦争を行っているという認識を完全に喪失していた。

 彼らが直面しているのは、戦争という最低限のルールすら通用しない、純粋にして無機質な『殺意』の権化であった。

 いつ己の死角から漆黒のワイヤーが飛来するのか。

 いつ自分が僚機の盾にされ、絶望の淵でコックピットを抉り開けられるのか。

 いずれ来たる大義を前にして、彼らの精神はすでに、暗礁宙域という巨大な密室の中で、一人、また一人と姿なき切り裂き魔に狩られていくような、極限の閉塞感によって圧壊しようとしていた……。

 

 

 

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