機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《21》不可侵の暗闇と凄惨な狩り(U.C.0083年 4月~6月)

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、四月。

 

 暗礁宙域の深淵において、静寂裏に、しかし確実なペースで水増しされていく『未帰還機』のリスト。

 ジオン公国軍残党の現場指揮官たちにとって、もはや看過し得る閾値を完全に突破していた。

 単なる操縦ミスや推進剤の枯渇といった牧歌的な言い訳で前線の将兵を納得させることはとうに不可能であり、回収された残骸に刻み込まれた『十字の聖痕(スティグマ)』や、狂乱した生還者の証言は、部隊の士気を根底から腐食させ始めていた。

 彼らが命脈を保ち、捲土重来を期すための絶対的な庇護領域は、いつしか『得体の知れない連続猟奇殺人鬼が徘徊する広大な処刑場』へと変貌を遂げていたのである。

 だが、エギーユ・デラーズ中将率いる『デラーズ・フリート』をはじめとする残党軍上層部の反応は、現場の切迫した焦燥とは裏腹に、極めて鈍重かつ消極的なものであった。

 彼らの視座は、来るべき決起作戦――『星の屑』という巨大な政治的大義のみに固定されており、正体不明の幽霊相手に貴重な戦力(リソース)を浪費することなど、軍事的合理性の観点から言語道断であったのだ。

 四月中旬。

 各潜伏拠点の方面司令部より、戦術ネットワークを通じて一通の厳命が通達された。

 事実上の『敗北宣言』に他ならない、極めて屈辱的な代物であった。

 

『ジオン公国軍 暗礁宙域方面司令部』

『特定デブリ帯(セクターD-4および隣接宙域)への進入禁止に関する申し送り事項』

『記録日時:UC〇〇八三年四月一二日 〇九〇〇時』

『[状況通達]

 昨今、セクターD-4を中心とする特定宙域において、我が軍の哨戒機および資源回収部隊の通信途絶、並びに未帰還事案が頻発している。

 生還者の証言および回収機体の損傷状況を総合的に分析した結果、当該宙域には地球連邦軍の特務部隊、あるいは我々の予測を凌駕する『正体不明の脅威』が潜伏している公算が極めて高い。

 敵戦力は単機ないしは少数と推測されるが、空間戦闘能力は特筆すべきレベルにあり、通信妨害や奇襲戦術に長けているため、単独ないし少数機での接触は致命的結果を招くものと判断する。

 

[司令部決定事項]

 

 我々の大義は、地球連邦という腐敗体制そのものの打倒にある。

 目前に迫る決起の日に向けて、今は一機でも多くの戦力、一滴でも多くの推進剤を温存すべき時期である。

 局地的な挑発に乗って貴重な戦力を摩耗させることは、連邦軍の企図に嵌る愚行に他ならない。

 よって、方面司令部権限において、セクターD-4およびその周辺のデブリ密集宙域を【()()()()()()()()】に指定する。

 各部隊は、いかなる理由――哨戒、ルート開拓、物資回収、あるいは未帰還機の捜索――であっても、当該宙域への進入を厳に禁ずる。

 万が一、敵機の挑発を受けた場合であっても交戦を徹底して回避し、速やかな撤退と拠点防衛に努めること。

 我々は決して敵に屈したわけではない。

 来るべき大反攻のための戦略的待機である。

 各員、その旨を深く自覚し、血の気にはやって軍律を乱すことのなきよう、部隊内の統制を徹底されたい』

 

 この指令は、建前上は『戦略的待機』などと美辞麗句を並べ立てていた。

 行間からは上層部の隠匿しきれない無力感と、見えざる敵に対する根源的な恐怖が濃厚に滲み出していた。

 連邦軍の大規模討伐艦隊が迫っているわけではない。

 たった一機の、姿すら現さない『漆黒の亡霊』に対して、かつて地球圏を震撼させたジオンの勇士たちが、自ら活動領域を限定し、檻の中に引き籠もることを選択したのである。

 現場の将兵たちの間に充満したのは、安堵などではなく、底知れぬ鬱屈と行き場のない屈辱感であった。

 彼らは誇り高き戦士である。

 正面切っての砲撃戦で散るならば、それは軍人としての本懐だ。

 だが、現在彼らを狩り立てているのは正規軍ではない。

 交戦規定(ルール)も政治的大義も持たず、暗闇の中で無機質に命を刈り取るだけの『純粋な殺意の塊』なのだ。

 軍事組織としてその存在を黙殺。

 逃げ隠れしろという命令は、彼らの戦士としての尊厳を容赦なく蹂躙するものであった。

 しかし、同時に彼らの意識の底辺には、『十字の傷』の恐怖から解放されるという、決して公言できない安堵が微かに混入していたこともまた、否定しがたい事実だった。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、五月。

 

 不可侵宙域の指定により、暗礁宙域の残党軍は表面上の平穏を取り戻したかに見えた。

 しかし、それはあくまで「危険地帯に接近しなければ安全である」という、極めて脆弱な仮定の上に成立する仮初めの安息に過ぎない。

 彼らの潜伏生活は恒常的な物資欠乏に苛まれている。

 安全な指定ルートのみを航行していては、機動兵器を稼働させるための推進剤も、明日を生き長らえるための糧秣も、瞬く間に底をついてしまうのだ。

 ゆえに、上官の監視を潜り抜け、軍律違反を覚悟の上で、禁止宙域の境界線ギリギリまでデブリの回収(サルベージ)に赴く兵士たちは後を絶たなかった。

 そして、『不可視の境界線』を踏み越えてしまった者から順に、再び暗闇へと消去されていった……。

 五月。

 ある残党兵の私物端末から抽出された手記には、軍規を犯して物資調達に向かった戦友を喪失した悲哀と、残された者が抱く底知れぬ疑念と恐怖が、血を吐くような凄惨な筆致で記録されている。

 

『ジオン公国軍 残党勢力・第二潜伏拠点』

『機動歩兵小隊 所属兵士の電子手記(後に本人の戦死に伴い回収)』

『記録日時:UC〇〇八三年五月一八日』

『昨日、アイツが還らなかった。

 部隊の推進剤が枯渇寸前となり、これ以上の哨戒任務は不可能だと判断したアイツは、上官の制止を振り切り、デブリ帯へ物資の回収に向かったきりだ。

 

「不可侵宙域には侵入しない。

 境界のギリギリを掠め、手頃な連邦の残骸からタンクを引っこ抜いてくるだけだ。

 俺の腕なら問題ない」

 

 と、いつものように軽口を叩いて出撃していった。

 だが、帰還予定時刻を過ぎても、アイツのザクは帰投しなかった。

 連邦の哨戒網には捕捉されていない。

 レーダー観測手も、ビームの閃光や爆発による熱源は一切感知していないと証言している。

 ただ、通信のみが唐突に、完全に途絶した。

 酒保では、古参兵たちが顔を突き合わせ、またあの忌まわしい噂を反芻している。

 

「一年戦争の亡霊だ」と。

「漆黒の装甲に身を包んだ女の悪魔が、ア・バオア・クーの泥沼から這い出し、我々を一人ずつ呪い殺しているのだ」と。

 

 十字の傷を刻む黒い魔女の噂。

 シールドを携行せず、脚部を持たず、ワイヤーを用いて味方を肉の盾にするという、反吐が出るような連続殺人鬼の都市伝説。

 平時であれば、オカルトめいた流言飛語など「馬鹿馬鹿しい」と一蹴していただろう。

 戦争の重圧で精神に異常を来した連中の、下らない被害妄想であると。

 だが、今は笑えない。

 アイツの通信が途絶する直前、通信機越しに響いたあの音声が、私の聴覚からどうしても離れないのだ。

 

「……おい、何だあれは。

 デブリの影から……レーダーに反応がないぞ。

 黒い……?」

 

 アイツの音声は、最初は単なる戸惑いを示していた。

 だが、次の瞬間。

 

「来るな! 何だそのワイヤーは! やめろ、俺を牽引するな! 離せ! 離せぇっ!!」

 

 死を覚悟した軍人の発する音声ではなかった。

 理不尽な絶対的暴力に直面し、自我を喪失して恐慌状態(パニック)に陥った、ただの怯えた子供のような、短く引き攣った絶叫であった。

 悲鳴の直後、金属が激しく軋み破断するような不快音響が通信機に轟き……そして、完全な沈黙が支配した。

 私は知っている。

 アイツは、いかなる絶望的戦況にあっても、あのような無様な悲鳴を上げる男ではない。

 連邦のジムの小隊に包囲されようとも、最期の瞬間まで歯を食いしばりトリガーを引き絞る、誇り高きジオンの戦士であったはずだ。

 そのアイツの精神を、一瞬にして圧し折り、あのような無惨な悲鳴を上げさせた『何か』が、あの暗黒の奥底に確実に存在している。

 我々を狩り立てているのは、連邦軍ではない。

 もっと恐ろしく、冷徹で、命という概念を一片の価値もない塵芥のごとく扱う、純粋な殺戮の具現化だ。

 アイツは、己のコックピットの中で、最期にいかなる光景を目撃したのか?

 いかほどの絶望を味わいながら、あの漆黒の宇宙に散っていったのか?

 仇を討ちたい。

 あの愚直な戦友の無念を雪ぎたい。

 だが、私の両足は竦み上がり、一歩も前へ進まない。

 漆黒のデブリの海へ単騎で突入する勇気など、私にはもはや一欠片も残されてはいない』

 

 この手記がシステムに保存された数週間後、筆者である兵士もまた、拠点の外周防衛任務中に『行方不明』として処理された。

 彼らの戦士としての誇り。

 戦友への友情。

 そして復讐心すらも。

 暗礁宙域の絶対的な暗闇は、冷徹な真空の中へ無機質に吸い込んでいく。

 人間のちっぽけな心象風景など、一切の感情を欠落させた魔女の圧倒的な暴力の前には、いかなる意味も持ち得なかったのである。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、六月。

 

 一方的に蹂躙され、ただ沈黙を守り続けるわけにはいかない。

 極限の恐怖は、時として行き場を失った憤怒へと反転する性質を持つ。

 六月。

 血の気の多い若手残党兵たちの間で、司令部の『不可侵』指定に対する不満が沸点に達していた。

 彼らは一年戦争の真の地獄を経験しておらず、『魔女』の圧倒的な恐怖を肌感覚として理解していない。

 古参兵たちの血を吐くような忠告も、単なる臆病風に吹かれた老兵の戯言と一蹴していた。

 

「我々は誇り高きジオンの騎士だ。

 正体不明の幽霊に怯え、塵芥の中に隠れ潜むなど耐え難い屈辱である。

 我々の手で、あのふざけた亡霊の正体を引きずり出し、宇宙の塵にしてやる」

 

 彼らは司令部の厳命を完全に黙殺。

 残党軍が保有する数少ない貴重な戦力である、高機動型の「リック・ドムⅡ」を三機、無断で出撃させた。

 彼らは連携戦術の訓練を反復してきた優秀なパイロットたちである。

 三機のドムによる連携攻撃――いわゆるジェット・ストリーム・アタックの模倣――をもってすれば、相手が連邦の最新鋭機であろうと特務のエースであろうと、確実に撃墜し得るという絶対的な自己過信を抱いていた。

 彼らは意気揚々と不可侵宙域(セクターD-4)へと侵攻し、自らを囮として罠を構築した。

 通信回線をオープンにしたままデブリ帯の中央で挑発的言辞を繰り返し、亡霊が姿を現すのを待ち構えたのである。

 しかし、彼らの血気に逸った浅薄なプライドと自信は、魔女が放つ純粋な物理的暴力と猟奇的戦術の前に、あまりにも無惨に、瞬きする間もなく完全粉砕されることとなる。

 

 出撃から約四十分後。

 

 残党軍の通信回線に轟いたのは、勇ましい勝利の報告などではなく、この世の絶対的な地獄を垣間見た者たちの、言語を絶する断末魔の絶叫であった。

 異常事態を察知した司令部は、直ちに重武装の残骸回収班を現場へと急行させた。

 だが、指定座標に到達した時、『戦闘』と呼べるような痕跡は存在しなかった。

 空間に漂っていたのは、一方的な『蹂躙と屠殺』の事後痕跡のみであった。

 

『ジオン公国軍 残党勢力・第一サルベージ部隊』

『セクターD-4における出撃部隊回収時の音声記録(部隊間通信)』

『記録日時:UC〇〇八三年六月二一日 〇三〇五時』

 

[録音開始]

 

回収班長:

「……こちらアルファ・リーダー。

 ポイント『墓標』に到達した。

 冗談だろう……。レーダーの反応通りだ。

 三機の熱源、完全に沈黙している。

 全滅だ」

 

回収班員A:

「班長、第一目標(リック・ドムⅡ・一号機)に接近します。

 ……凄惨な有様です。

 装甲が徹底的に引き裂かれている。

 ビーム兵器による被弾痕ではない。

 何だこれは……機体の各関節部に、異常なトルクで捻り切られたと推測される極度の負荷痕が存在します。

 腕部が……両腕が、肩の根元から強引に引き千切られている!」

 

回収班長:

「引き千切られただと? 馬鹿な、モビルスーツの腕部構造だぞ。

 一体いかなる物理的圧力を加えればそのような……。

 二号機の状況は?」

 

回収班員B:

「二号機、確認しました。

 ……嘔吐を催します。

 機体自体はほぼ無傷ですが、胸部のコックピット・ハッチのみが、まるで缶詰を開封するかのように、外側から極太のワイヤーか何かで強引に抉り開けられています。

 内部は……正視に耐えません。

 完全に、極めて正確に、パイロットの肉体のみを圧壊させています」

 

回収班長:

「(息を呑む音)……三号機は? リーダー機はどうなった?」

 

回収班員A:

「三号機の残骸、発見しました。

 ……班長、これは……。

 一号機、二号機とは損傷形態が異なります。

 三号機は、機体中央から真っ二つに両断されています」

 

回収班長:

「ビームサーベルか? 連邦の新型の高出力デバイスなら……」

 

回収班員A:

「違います!! 切断面を確認してください!

 この溶着痕の荒々しさ……ビーム兵器によるものではない!

 これは、赤熱した実体剣……ヒート・サーベルによる物理的切断です!」

 

回収班長:

「ヒート・サーベルだと? 馬鹿な、連邦の機体がそのようなアナクロニズムな武装を装備しているはずが……」

 

回収班員A:「(パニックを起こしたような甲高い声で)連邦の兵装ではありません!

 三号機を切断したのは、一号機に装備されていたヒート・サーベルです!

 目視してください、三号機の残骸の直近に、柄の部分のみが残存する一号機のサーベルが漂流しています!

 ……理解できませんか、班長!

 敵は、一号機の腕部を物理的にへし折って武装を強奪し、その奪取した味方の武器をもって、三号機を袈裟懸けに叩き斬ったのです!!」

 

回収班長:

「……何だと……?」

 

回収班員B:

「悪魔の所業だ……。

 三機のドムの連携機動を、たった一機で、しかも自前のビーム兵器すら使用せずに、完全に制圧したというのか……。

 ただ撃破するのではない。

 腕部をもぎ取り、コックピットを抉り開け、味方の武器を強奪して味方を斬り捨てる……。

 このような行為、もはや戦闘では……。。

 奴は我々を、まるで玩具か不快な昆虫のごとく、弄んで破壊した……!」

 

回収班長:

「(震える声で)……写真撮影を実行しろ。

 各部の損傷箇所をデータ化し次第、即刻この宙域から離脱する。

 古参兵の証言は真実であった。

 あの暗黒に潜むのは、連邦軍ではない。

 人間の感情を一切持ち合わせない、純粋な殺戮機械だ。

 あのような化け物に対し、怒りや復讐心といった人間的な感情をぶつけたところで、何の足しにもならない。

 ただ、最も残酷なプロセスで処理されるのみだ……。

 総員、撤退!

 今すぐこの呪われた宙域から離脱しろ!!」

 

[録音終了]

 

 若者たちが己の命を代償に証明しようと試みた「ジオンの騎士としての矜持」。

 魔女の圧倒的な暴力と、悪意すら介在しない無機質で猟奇的な戦術の前に、何一つ意味を成さなかった。

 魔女にとって、彼らは交戦規定に基づく『敵』ですらなく、『処理すべき物理的障害物』、あるいは『自らの極限機動テストの数値を彩るためのデータ・サンプル』に過ぎなかった。

 回収班が持ち帰った音声データ。

 あまりにも無惨に破壊されたドムの映像記録。

 残党軍全体に決定的な絶望を叩きつけた。

 もはや、誰一人として『亡霊狩り』を口にする者は存在しなかった。

 彼らは骨の髄まで理解したのである。

 自分たちが直面しているのは、戦争というルールに乗っ取った国家の軍隊ではなく、宇宙の深淵に口を開けた、絶対的な『虚無』そのものであるという事実を。

 『星の屑』という巨大な歴史のうねりが水面下で進行する中、ジオン残党の兵士たちは、連邦への復讐という大義よりも先に、己の背後に忍び寄る『死の十字架』の恐怖によって、その精神を完全に摩耗させられようとしていた……。

 

 

 

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