機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《22》盾にされた僚機と不自然な戦場(U.C.0083年 7月~8月)

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、七月。

 

 六月に血気盛んな若き残党兵たちが企図した『亡霊狩り』の無惨な結末。

 暗礁宙域に潜伏するジオン公国軍の将兵たちから、最後の一滴の勇気と戦士としての矜持すらも根こそぎ強奪していた。

 彼らは今や、己が「地球連邦軍」という国家の正規軍と交戦状態にあるという認識を完全に喪失しつつあった。

 彼らが直面しているのは、交戦規定(ルール)や政治的大義、軍人の名誉といった人間的な概念が一切通用しない、宇宙空間の真空と同等に冷酷で無機質な『純粋なる殺戮現象』そのものであったからだ。

 各潜伏拠点を重篤な沈黙が支配する中、出撃命令を待機する兵士たちの間には、疑心暗鬼と死への恐怖が致死性の疫病のごとく蔓延していた。

 いつ、いかなる座標で、誰が次なる標的(ターゲット)として選定されるのか。

 暗黒の海から響く、デブリ同士が衝突する微細な音響にすら、彼らは過敏な怯えを示すようになっていた。

 七月のある日、第三潜伏拠点の薄暗い酒保において、一つの決定的な『真実』が暴露されることとなる。

 それは、奇跡的に魔女の襲撃から生還を果たした一人の男の、完全に精神の均衡を失った狂乱の絶叫によってもたらされた。

 その場に居合わせたある兵士が残した手記には、彼らが直面している絶対的絶望の正体が、血を吐くような凄惨な筆致で記録されていた。

 

『ジオン公国軍 残党勢力・第三潜伏拠点』

『機動歩兵小隊 所属兵士の電子手記(後に本人の戦死に伴い回収)』

『記録日時:UC〇〇八三年七月一四日』

『昨日、我々の拠点に命からがら逃げ込んできた男がいた。

 隣接セクターで哨戒任務に就いていた小隊の生還者だという。

 彼は乗機を放棄し、推進剤の枯渇したランチで数日間デブリの海を漂流していたところを回収されたのだ。

 私は非番の折、酒保の片隅で、彼がアルコールの入ったグラスを激しく震える両手で握り締めながら、幼児のように泣き喚いているのを目撃した。

 周囲の者たちは汚物でも見るかのように遠巻きにしていたが、彼の言葉を一言一句、聴覚器官に焼き付けてしまった。

 いや、脳裏に焼き付いて剥がれないのだ。

 

「隊長が……隊長が盾にされたのだ!」

 

 と、彼は涙と鼻水で顔面を崩壊させながら絶叫していた。

 

「あの漆黒の化け物は、唐突に我々の死角から湧き出た。

 隊長が応戦を試みた瞬間、奴の肩部から黒いワイヤーが射出され、隊長のザクの胸部装甲に深々と突き刺さったのだ。

 ……私は、私は援護すべくバズーカを構えた。

 だが、発砲できなかった!」

 

 男はそこで一度言葉を切り、己の頭髪を乱暴に掻き毟った。

 彼の網膜には、その瞬間の光景が未だ鮮明に焼き付いているようであった。

 

「発砲できるはずがないだろう!

 あの悪魔はワイヤーを巻き取り、隊長の機体を己と私との射線上に強引に牽引したのだ!

 隊長は、奴の肉の盾(ミート・シールド)にされたのだよ!

 隊長は通信回線越しに『俺ごと撃て!』と叫んだ。

 だが、私の手は痙攣し、トリガーを引くことができなかった。

 私が逡巡したその僅かな間隙に、奴は……あの漆黒の機体は、盾として保持した隊長のザクの背面越しに、コックピット装甲の隙間へ銃口をねじ込み……ゼロ距離で、隊長を蒸発させた!」

 

 男の絶叫は酒保の淀んだ大気を切り裂き、その場に居合わせた全兵員の心臓に氷の刃を突き立てた。

 私は呼吸を忘却していた。

 戦場において、敵の背後を突き、あるいは間隙を突いて撃墜するのは至極当然の戦術行動だ。

 だが、敵機を拘束し、それを弾除けの装甲として流用し、完全無力化した状態からゼロ距離で屠殺する……そのような所業は、もはや戦闘行為ではない。

 狂気だ。

 いや、狂気という表現すら生温い。

 敵対者への憎悪も、憤怒も、あるいは戦士としての敬意すらも、何一つ介在していないのだ。

 奇跡的に生還した男は、その後も「目が合った」「ガラス玉のような冷徹な眼差しだった」と譫言のように反芻していた。

 彼が極限状態の幻覚を見たのであろうと、最初は現実逃避を試みた。

 だが、違う。

 彼が供述した猟奇的戦術のディティールは、これまでに回収された残骸に刻印されていた『十字の聖痕』や、極めて不自然な破壊痕と完璧な符合を見せている。

 我々は皆、意識の底辺で確信し始めている。

 この暗黒宙域には、連邦軍という国家の正規部隊よりも遥かに悪辣な『純粋なる殺意』が放し飼いにされているのだと。

 相手が連邦の正規軍であれば、投降により捕虜としての待遇を期待できるかもしれない。

 砲火を交えて散るにしても、軍人としての最低限の名誉が担保されている。

 だが、あの漆黒の魔女にとって、我々は人間ではない。

 盾として使い捨てられ、嬲り殺しにされるための、単なる物理的障害物に過ぎない。

 戦士としての尊厳を、根底から否定される絶対的恐怖。

 今日に至るまでジオンの矜持を胸に、過酷な潜伏生活を耐え忍んできた我々の命の価値は、あのような得体の知れない殺戮機械によって、塵芥のごとく蹂躙されようとしている。

 淡々と同胞が処理されていく。

 次なる標的は、私かもしれない。

 私もいずれ、あの冷徹なワイヤーに緊縛され、味方の銃口の前に暴露されながら、暗黒の宇宙で無惨に消滅していくのだろうか。

 政治的大義も、軍人の名誉も、何もかもが空虚に思えてくる』

 

 この手記を残した兵士の絶望は、決して彼個人の独占物ではなかった。

 「隊長が肉の盾にされた」という冷厳たる事実は、残党軍の間に決定的なパラダイムシフトを引き起こした。

 彼らは己が狩る側ではなく完全に『狩られる側』であることを受容せざるを得なかった。

 名誉ある戦死すら許容されず、ただ純粋な殺意の遊戯道具として消費されることへの根源的恐怖は、決起を待機する兵士たちの精神を内側から確実に腐敗させていった。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、八月。

 

 七月の決定的な絶望を経て、八月に入ると、暗礁宙域の残党軍方面司令部もようやく、この異常事態に対する本格的なデータ解析に着手した――あるいは、生存のための必死の足掻きとして、そうせざるを得ない状況に追い込まれたと表現すべきか――。

 作戦参謀部は、あらゆる断片情報を収集し、敵の行動パターンの論理的解析を試みた。

 これまでに報告された未帰還機のロスト座標。

 生還者の供述記録。

 回収残骸の損傷箇所。

 そして僅かに傍受された通信波のノイズに至るまでを。

 当初は、連邦軍特殊部隊によるゲリラ的な拠点制圧作戦を疑っていた。

 しかし、データを並列化すればするほど、軍事行動としての『合理性』が完全に欠落している事実が浮き彫りとなってきたのである。

 敵は単騎で圧倒的戦闘能力を有しながら、何故か残党軍の潜伏拠点を直接強襲しようとはしない。

 常にデブリ帯の外縁部や補給ルートの末端において、単独哨戒機や小規模回収部隊を標的とするのみ。

 さらに不可解なことに、敵は必ず『()()()()()』を強要してくる。

 遠距離からのビーム狙撃であれば安全かつ確実に目標を排除できる状況下にあっても、わざわざ死角から肉薄し、ワイヤーアンカーで対象を物理的に拘束するという、極めてハイリスクかつ冗長なプロセスを踏襲しているのだ。

 この異常行動の背後に潜む真の企図を論理的に解明した瞬間、作戦参謀の一人は、己の背筋を冷たい汗が流れ落ちるのを自覚した。

 彼が司令部に提出した非公式報告書には、自分たちが置かれた状況の真実――あまりにも残酷で、戦争という行為の理不尽さを極限まで濃縮した究極の虚無感が、震える文字で記録されている。

 

『ジオン公国軍 暗礁宙域方面司令部 作戦参謀部』

『正体不明機(通称:亡霊)の交戦パターン解析および状況推論に関する非公式報告書』

『記録日時:UC〇〇八三年八月二二日 〇四〇〇時』

『[交戦パターンの解析結果]

 過去八ヶ月間に及ぶ正体不明機との接触・ロスト事案について、全六四件のデータを照合した結果、敵の行動プロセスには極めて不気味かつ機械的な『規則性』が存在することが判明した。

 

 一.拠点への不干渉:敵は我々の潜伏拠点のおおよその座標を把握している公算が高いにもかかわらず、拠点自体への直接攻撃や、大規模部隊との正面交戦を意図的に回避している。

 

 二.武装の限定的使用:敵は高出力のビーム兵器を実装していると推測されるが、交戦の初期フェーズにおいては意図的にそれを封印し、物理的ワイヤーアンカーや実体剣(鹵獲品を含む)、あるいは機体質量の衝突による格闘戦を優先している。

 

 三.異常な軌道アプローチ:敵の進入ルートは毎回異なり、かつ、デブリ群の密集度や重力勾配が最も複雑な「物理演算が困難な座標」をあえて選択して突入を試みる傾向が顕著である。

 

 四.戦闘時間の短さと非追撃:交戦が開始され、設定目的(対象の拘束・撃破、または一定時間の格闘戦機動)が達成されると、敵は残存する我々の僚機を追撃することなく、直ちに戦域から離脱する。

 

[推論:敵の真の目的について]

 

 以上の分析結果から導き出される論理的帰結は、我々にとって極めて受容し難い、屈辱的現実である。

 敵の最終目的は、我々ジオンの殲滅ではない。

 連邦軍の正規掃討作戦であれば、拠点を強襲し、確実な火力で効率的に敵兵力を漸減させるのが軍事的定石である。

 しかし、敵の行動ベクトルはそれとは対極に位置する。

 敵の機動は、あらかじめ設定された極限環境下において、モビルスーツの限界性能とパイロットの空間認識能力を測定するための、一種の『評価プログラム』に酷似している。

 そう、まるで、限界状態での機動テストの標的(ターゲット・ドローン)として、我々を流用しているかのようである。

 ワイヤーによる拘束も、物理法則を無視した異常軌道での接近も、すべては「実戦環境下における空間制圧データの収集」という目的のために、意図的に課されたテスト項目(タスク)に過ぎないのではないか。

 我々の同胞が肉の盾とされ、無惨に処理されてきたのは、連邦の憎悪からでも戦果への焦燥からでもなく、単に「()()()()()()()()()()」であったからに他ならない。

 

[背後関係の推察と所見]

 

 この異常な機体の背後に、本官は連邦の正規軍ではなく、巨大で冷徹な兵器開発企業――例えばアナハイム・エレクトロニクス社のような、軍産複合体の色濃い影を感知する。

 彼らにとって、我々ジオンは打倒すべき『反乱軍』ですらない。

 自社の次世代機動兵器の性能を極限まで引き上げるための、都合の良い、そして撃墜されても誰からも抗議の出ない「無償の実験動物(モルモット)」に過ぎないのだ。

 我々は今、巨大企業が設営した実験場(テスト・ケース)という名の巨大な鳥籠の中に幽閉されている。

 政治的大義のために命を捨てる覚悟を完了していた我々が、名もなき企業のデータ収集のために、無機質に処理され、消費されていく。

 これほどの屈辱が、これほどの絶対的虚無が存在するだろうか。

 『星の屑』作戦という壮大な計画が進行するその裏面で、我々の命は、すでに企業が発行するデータシート上の単なる数値(エラーログ)へと変換されているのだ。

 この事実を現場の将兵に開示することは、絶対的に回避せねばならない。

 彼らの戦士としての精神構造が、完全に崩壊してしまうからである』

 

 作戦参謀の論理的分析は、事態の核心を恐ろしいほどの精度で捕捉していた。

 彼らはついに理解してしまった――。

 己の闘争が、大義名分に彩られた『戦争』ですらなく、冷酷な資本主義と軍産複合体の論理によって運営される巨大な『性能評価実験』のシステムの一部に組み込まれているという、圧倒的な理不尽さを。

 暗礁宙域の暗黒は、連邦のメガ粒子砲よりも深く、冷徹に残党兵たちを包み込んでいた。

 どれほど「ジオンの栄光」を咆哮しようとも、どれほど復讐の業火に身を焦がそうとも。

 感情を欠落させた漆黒の魔女は、彼らの熱情など一切意に介することなく、プログラムされた手順通りに十字の楔を打ち込み続ける。

 彼らはすでに歴史の表舞台から排斥され、巨大なシステムの歯車にすり潰されるだけの存在であることを、自らの意識の深層で悟り始めていた。

 

 

 

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