機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《25》狂気の限界値と暗礁宙域の亡霊(U.C.0083年 4月〜6月)

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、四月。

 

 アナハイム・エレクトロニクス(AE)社より提供された空間高機動戦闘データ『File: STIGMA』。

 当初、連邦軍の技術士官たちは、スーパーコンピューターの弾き出した「机上の空論」、あるいはバグに起因する異常数値の羅列であると疑っていた。

 生身の人間が、最大一五Gを超える致死的な機動に耐えられるはずがないという、常識に基づく極めて論理的な反応であった。

 しかし、次世代機動兵器開発プロジェクト「ガンダム開発計画」の根幹を担う技術部門において、データの深層解析(ディープ・アナリシス)が進捗するにつれ、牧歌的な推論は無残に粉砕されることとなる。

 解析チームは、美しく整えられたアルゴリズムの奥底に、理論上の仮想空間では絶対に発生し得ない『()()()()()()』が不規則に混入している事実を突き止めたのである。

 フレームの金属疲労に伴う極めて微小な軋み。

 ジェネレーター出力が臨界点に達した瞬間の瞬断。

 スラスターノズルが熱膨張によってコンマ数ミリ歪んだ際に生じる推力のブレ。

 すなわち、「計算上の予測値」などではなく、実在する機体が、宇宙空間の真空と極低温という過酷な環境下において、文字通り物理的に破壊される寸前まで追い込まれたことによって生じた『()()()()()』に他ならなかったのだ。

 この事実が内包する意味は、技術者たちにとって純粋な恐怖以外の何物でもなかった。

 あの異常な機動を、何者かが実際にやってのけているのである。

 プロジェクトの主任技師であった男は、連日のデータ解析によって摩耗しきった神経を抱えながら、己の私的な電子端末に、技術者としての絶望と戦慄を吐露している。

 

『地球連邦軍 ガンダム開発計画推進委員会 技術局』

『主任技師 ノーマン・レッジの私的な手記(抽出ログ)』

『記録日時:UC〇〇八三年四月一七日 〇二四五時』

 

『解析を終えたモニターの光が、網膜を焼くように痛い。

 私は今日、技術者として最も恐ろしい真実に触れてしまった。

 AE社が提出してきたあの『File: STIGMA』は、バグでも仮想データでもなかった。

 あれは、紛れもない『実測値』だ。

 シミュレーションの仮想空間には、関節部の潤滑油が偏って生じる摩擦係数の微細な変化や、装甲材が限界応力を超えて微かに悲鳴を上げるようなノイズは存在しない。

 だが、このデータにはすべて記録されているのだ。

 フレームが千切れるコンマ一秒前、ジェネレーターが爆発する温度のわずか一度手前。

 機体が完全に崩壊する限界の境界線を、幾度となく綱渡りした痕跡が、データの至る所に生々しく刻み込まれている。

 誰かが、実機でこれをやっている。

 このデータは、機体が悲鳴を上げる限界点を『肌感覚』で熟知している者が、死の淵で踊りながら記録した代物だ。

 計算で導き出したのではない。

 機体の質量。

 推進剤の燃焼速度。

 デブリの空間配置。

 ワイヤーの張力。

 宇宙空間におけるあらゆる物理法則を、本能という名の異常な空間認識能力で瞬時に演算し、機体を限界まで振り回しているのだ。

 少しでも入力が遅延すれば、あるいは急すぎても、機体は自壊しパイロットは単なる肉塊へと変貌する。

 その絶対的な死の恐怖を、完全に黙殺し得る精神構造を持った『何者か』が、AE社の暗部に実在しているのだ。

 私は、このデータから血と死の匂いが立ち昇ってくるのを感知し、嘔吐を催した。

 これほどの極限数値を安定して出力するまでに、AE社は一体何人の人間を消費すれば、このような血の匂いのするデータを取得できるというのだ?

 何人のテストパイロットが、あの異常なGに内臓を破裂させ、眼球を圧壊させ、コックピットの中で絶叫しながら消滅していったのだ?

 いや、もしかすると……死傷者は一人として出ていないのかもしれない。

 たった一人の『()()()()()』が、幾度も死の淵へ跳躍しては、無傷で生還しているのだとしたら。

 我々は、そのような得体の知れない殺戮機械が記録したデータを、新たなるガンダムという希望の象徴に組み込もうと企図している。

 このプロジェクトは、最初から呪われているのだ』

 

 彼の手記は、無機質な数字の羅列が、いかにしておぞましい人間の業と結びついているかを告発するものであった。

 実測値という冷徹な確信は、連邦のエリート技術者たちに、己の理解の及ばない狂気の深淵を覗き込んでしまったという消えないトラウマを植え付けたのである。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、五月。

 

『File: STIGMA』が紛れもない実測値という情報が一部の軍上層部で共有され始めた頃、連邦軍の軍務局監査部や情報部は、AE社による非合法テストの尻尾を掴むべく、極秘裏に内偵を進めていた。

 そのような折、地球軌道上の最も深く危険なデブリ帯――通称『暗礁宙域』を哨戒していた連邦軍の正規哨戒部隊から、一本の奇妙な報告がもたらされた。

 一年戦争の終結から数年が経過したこの時期において、ジオン残党の仕業とは到底思えない、不可解極まる遭遇記録であった。

 暗礁宙域は、破壊された無数の艦艇や機動兵器の残骸、コロニーの破片が密集する、航行不能の死の海である。

 正規軍でさえ接近を忌避するこの宙域の一部には、AE社が資源回収や『環境テスト』の名目で事実上管轄しているエリアが存在していた。

 そこに迷い込んだ哨戒小隊の小隊長は、己の視覚神経が捉えた信じがたい光景を、興奮と恐怖の入り交じった報告書として提出したのである。

 

『地球連邦軍 軌道哨戒第一七大隊 第三小隊』

『小隊長からの異常熱源接触および目撃に関する申し送り事項』

『記録日時:UC〇〇八三年五月二二日 一一二〇時』

 

『[状況報告]

 本小隊は、暗礁宙域セクターE-7付近のパトロール中、所属不明のモビルスーツ一機と目視による接触を行った。

 対象機体は、頭部および胸部の形状から連邦軍のジム・キャノン系に酷似していたが、機体色は完全に漆黒に塗装されており、認識番号等のマーキングは一切確認できなかった。

 

[特記事項:異常な機動について]

 

 本官が特記すべきと判断したのは、当該機体の常軌を逸した空間機動である。

 対象機体は、我々の接近を感知するや否や、即座にデブリ帯の深部へと離脱を図った。

 しかし、その挙動は我々の知るモビルスーツの力学とは全く異なるものであった。

 対象機体の背部スラスターからは、推進剤を燃焼させた閃光が一切確認できなかった。

 熱源反応も極めて微弱であった。

 にもかかわらず、機体は急激なベクトル変化を伴う凄まじい速度で、デブリの隙間を縫うように移動していたのである。

 対象は、両肩あるいはシールドと思われる部位から、何らかのワイヤー状の射出物を連続して放っていた。

 それを巨大な戦艦の残骸や岩塊に突き刺し、その張力と振り子の原理のみを利用して、慣性の法則を黙殺した鋭角のターンを繰り返していたものと推測される。

 信じられない軌道であった。

 スラスターの光も見せずに、残骸から残骸へと跳躍していたのだ。

 ワイヤーの巻き取りによる遠心力のみで、あのような急加速とベクトル変換を強行すれば、機体の各関節には破壊的な負荷がかかるはずであり、何よりパイロットには致死的なGが加わるはずである。

 あれが連邦、あるいはジオンの新型機であるというのなら、搭乗しているパイロットは人間ではない。

 物理法則を無視して空間を跳躍する、文字通りの亡霊(ゴースト)だ。

 

[具申]

 

 本小隊は追撃を試みたが、デブリ群の密度と対象の異常な機動速度により、開始後わずか四〇秒で機影を完全に見失った。

 当該宙域には、軍の把握していない非合法な機動兵器、および極めて危険な操縦技術を有するパイロットが潜伏している公算が高い。

 早急な大規模索敵の実施を要請する』

 この報告書は、提出された直後に連邦軍情報部によって極秘裏に回収され、正規の記録システムからは完全に消去された。

 AE社との強固な癒着構造を持つ軍上層部にとって、この『暗礁宙域の黒い亡霊』の正体が白日の下に晒されることは、ガンダム開発計画の根幹を揺るがす致命的なスキャンダルに直結するからである。

 だが、記録が隠滅されようとも、現場の兵士たちの網膜に焼き付いた恐怖は消え去ることはない。

 『File: STIGMA』の実証機である『喪服の魔女』の存在は、連邦軍の下部組織に、見えざる死神の都市伝説として確実に伝播し始めていたのである。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八三年、六月。

 

 データが実測値であり、実際にそれをやってのけている機体とパイロットが存在する。

 その明白な事実を前にして、連邦軍のエリート主義が沈黙を保てるはずがなかった。

 

「AE社の得体の知れないテストパイロットに完遂できることが、連邦軍の誇るエースパイロットに不可能なはずがない」

 

 その傲慢な自尊心と、次期主力機のポテンシャルを最大限に引き出したいという野心が、最悪の悲劇を招来することとなる。

 六月中旬、月の裏側に位置する極秘のテスト宙域において、開発中のガンダム試作一号機(GP01)用に設計された高出力バーニア・スラスター(後のフルバーニアン用装備の原型)の実機燃焼テストが実施された。

 テストを命じられたのは、数多のシミュレーションで優秀な成績を収め、次期主力機の専属パイロット候補と目されていた連邦軍のエース中尉であった。

 彼は、『File: STIGMA』に記録されていた「ワイヤーの反動とスラスターのパルス噴射を組み合わせた急旋回(いわゆる魔女の振り子)」を実機で模倣し、連邦軍パイロットの優秀性を立証するよう、上層部から暗に指示されていたのである。

 だが、人間の限界を舐めきったその試みは、開始からわずか数分で無残な結末を迎える。

 その顚末は、真実を隠蔽し、自らの失態を官僚的な冷徹さで糊塗した事故調査報告書に、血も涙もない簡潔な言葉で記述されている。

 

『地球連邦軍 ガンダム開発計画推進委員会 事故調査室』

『GPシリーズ空間戦用推進器テストにおける機体大破事故 調査報告書』

『機密指定:レベル四(閲覧制限付)』

 

『[事故の概要]

 UC〇〇八三年六月一四日、ルナツー宙域特別テストセクターにおいて、GP01用空間機動推進器プロトタイプの実装テスト中、テスト機(ジム改・高機動型仕様)が姿勢制御を喪失。

 急激なスピン状態に陥った後、推進器の異常燃焼により機体は大破・爆散した。

 搭乗していたテストパイロット■■■■■■(※氏名黒塗り)は、機体爆散の直前に脱出したが、回収時にはすでに頸椎骨折および重度の脳挫傷により死亡が確認された。

 

[原因究明]

 

 フライトレコーダーおよびテレメトリーデータの解析の結果、機体のハードウェアおよび推進器自体には、事故の直接的要因となる欠陥は認められなかった。

 事故の根本的な原因は、テストパイロットが指定された限界軌道(『File: STIGMA』参照プロトコル第四段階)を実行しようと試みた際、機体の急激なベクトル変化に対して、パイロットの空間認識能力と動体視力が完全に追随できず、致命的な入力遅延(約〇・四秒)を生じさせたことにある。

 ワイヤーによる物理的な拘束力と、高出力スラスターの推力が相反する極限状態において、〇・四秒の入力遅延は機体バランスの致命的な破綻を意味する。

 機体は遠心力と推力のベクトルが矛盾したまま急旋回を強行し、結果として設計限界の二・五倍を超える想定外のGがコックピットを直撃した。

 パイロットはこの時点で即死、あるいは意識を完全に喪失し、制御を失った機体は自壊に至ったものと断定する。

 

[結論および今後の計画への提言]

 

 本事故は、パイロットの技能不足、あるいは人間の生理的限界を無視した過酷なテスト・プロトコルを強行したことに起因する。

 原因はパイロットの空間認識能力のキャパシティ・オーバーに他ならない。

 本機動データ(『File: STIGMA』)の完全な再現は、通常の人類の神経伝達速度では不可能である。

 したがって、本プロトコルの実機での再現は、今後の計画において推奨しない。

 次期主力機(GP01Fb)の火器管制および姿勢制御OSの構築においては、本データの最大限界値から安全係数を大幅に差し引いた、ダウングレード版のプログラムを実装することを強く推奨する。

 なお、本事故に関する一連の記録は、次世代機開発計画の遅滞を回避するため、「隕石との偶発的な衝突事故」として公式記録を修正し、テストの詳細データは特級機密として封印するものとする』

 

 連邦軍という巨大な組織は、自らのエースパイロットを使い潰して得た『人間の限界』という事実を前に、あっさりと敗北を是認した。

 しかし、敗北を恥じるのではなく、官僚的な冷徹さをもって事故を隠蔽し、都合の悪い真実を黒塗りの書類の下へと押し込んだのである。

 だが、軍がいくら蓋をしようとも、データという無機質なものの奥底に潜む『血と死の匂い』は、もはや拭い去ることなど不可能であった。

 人間の限界を超越した機動。

 それを平然と実行し、今も宇宙の暗黒で狂気の舞踏を繰り広げている『魔女』の存在。

 ガンダム開発計画という輝かしい光の裏側。

 決して理解してはならない、決して手を出してはならない深淵が口を開けて待っていた。

 星の屑が舞い上がるその日まで。

 連邦軍のエリートたちは、自分たちが組み込もうとしている『悪魔のレシピ』の真の恐ろしさを、未だ理解しきれてはいなかった……。

 

 

 

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