機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《03》要塞表面の殺戮と内部への侵入(12月31日 11:00〜14:00)

 

 

 

 宇宙世紀〇〇七九年一二月三一日、一一〇〇時。

 

 ア・バオア・クー空域は、すでに近代軍隊が統制を維持し得る「戦場」の定義から致命的に逸脱した。

 単なる無秩序な大量殺戮の現像槽(タンク)と化していたのだ。

 黄色と緑が交錯する不気味なビーム撹乱膜が宇宙空間を腐敗した泥沼のごとく濁らせる。

 メガ粒子砲の光条と実体弾の炸裂光が、その濁りを極めて悪趣味に照らし出していた。

 そのような極限の混乱と絶望の只中。

 我々ジオン軍兵士のヘルメット内蔵レシーバーに、一筋の光明とも呼べる力強い音声が響き渡った。

 ジオン公国総帥ギレン・ザビその人による、全軍へ向けた激励の演説である。

 

『ア・バオア・クーの防衛線は鉄壁である! 我が忠勇なるジオンの将兵よ、連邦の脆弱な寄せ集め艦隊など恐れるに足らず! 勝利は我が手にある!』

 

 確信に満ちた言葉。

 絶望的な疲労と恐怖に神経をすり減らしていた兵士たちの心に、特効薬のような熱と火を確かに灯した……。

 我々にはこの難攻不落たる巨大要塞が存在し、何より絶対的な指導者が健在である。

 連邦軍の攻勢がいかに狂気を帯びていようと、最終的な勝利は我々の側にあるはずなのだ。

 私は、自らのリック・ドムのコクピット内で、汗ばんだ掌で操縦桿を強く握り直し、モニター越しの泥沼を睨みつける。

 だが、その儚い希望の火は、文字通り瞬く間に、そしてあまりにも喜劇的かつ残酷な形で吹き消されることとなる。

 総帥の演説終了から、わずか数分後のことであった。

 要塞司令部からの通信回線が突如として大混乱に陥った。

 意味をなさない怒号と悲鳴が飛び交い始めたのである。

 

『総帥が! ギレン総帥が戦死された!』

『馬鹿なことを言うな! さっきまで演説を……!』

『キシリア少将閣下が指揮を引き継がれる! 各部隊は直ちに少将閣下の命令に従え!』

 

 唐突すぎる指揮系統の変更。

 そして総帥の死という信じ難い事実。

 最前線で己の命を削り合っている末端の兵士たちにとって、脊髄を無慈悲にへし折られるに等しい、戦略的かつ精神的な致命傷であった。

 

「……嘘だろ。総帥が死んだ? こんな鉄壁の要塞の中でどうやって!?」

 

 恐慌(パニック)は、物理的な波紋のごとく戦場全体へと瞬時に伝播した。

 指揮系統の突然死は、各フィールドにおける部隊間の有機的な連携を完全に崩壊せしめたのである。

 補給の要請は空しく宙を舞った。

 砲撃支援は届かず、各部隊は泥沼の中で完全に孤立し始めた。

 事態はさらに悪化する。

 我が軍の防衛の要、不沈の象徴であった超大型空母ドロス。

 かの空母が連邦軍の凄まじい集中砲火の前に力尽き、炎を噴いて轟沈したという、絶望的な報告が飛び込んできたのである。

 

『ドロスが沈んだ! 予備部隊はどこだ! 誰か、増援を寄越してくれ!』

 

 通信回線からは、泣き叫ぶような友軍の悲鳴が途切れることなく聞こえてくる。

 だが、その悲鳴に応える予備部隊など、もはやこの宙域のどこにも存在しなかった。

 ドロスの沈没により、数千機に及ぶモビルスーツが帰るべき母艦を喪失。

 無慈悲な宙域に取り残されたのだ。

 そして、統制を完全に喪失した戦場の隙間を縫うようにして、あの漆黒の悪魔が、()()()()()()()()()()()、かつ嬉々として命の収穫を継続していた。

 

『来るな! 黒いのが来る!』

 

 ノイズにまみれたオープン回線から、誰かの引き攣った絶叫が響く。

 

『やめろ、やめてくれ! 俺を『盾』にする気だ!!』

 

 その言葉の真意を理解した瞬間、私の背筋を氷塊が滑り落ちていくような悪寒が走った。

 あの「喪服を着た大砲」は、ワイヤーアンカーで味方機を強引に引き寄せ、至近距離から二四〇mmキャノンを叩き込むのみならず、引き寄せた味方機の残骸を物理的な「盾」として再利用しているのである。

 友軍の放つ濃密な弾幕を、かつて友軍だった者の肉と鉄の残骸で受け止めながら、悠然と間合いを詰めてくるのだ。

 

「狂っている……連邦の奴らは、悪魔に魂を売ったのか!」

 

 死の恐怖よりも深い、名状しがたい吐き気がこみ上げてきた。

 戦術の合理性などという生易しい言葉では到底片付けられない、純粋な悪意と狂気。

 ジオンの誇り高き戦士たちが、死してなお泥を塗られ、単なる防御力材(デッド・ウェイト)として弄ばれているのである。

 

 

 

 一二〇〇時。

 

 防衛線の一部が完全に瓦解した結果、連邦軍の強襲揚陸艦ホワイトベースが要塞表面に不時着、強行着底を果たした。

 それを契機として、連邦軍の陸戦部隊やモビルスーツ部隊が次々とア・バオア・クーの地表に取り付く。

 要塞表面での凄惨な局地戦が開始された。

 私は残存する僚機と共に要塞内部へと一時後退。

 補給を受けようとしていたが、その最中に要塞防衛の戦術データリンクから、耳を疑うような戦闘詳報を傍受することとなる。

 要塞表面の防空を担っていた「第六対空砲台」の防衛隊から発信された、彼らの末期の記録であった。

 

『戦闘詳報:要塞表面・第六対空砲台防衛隊』

『報告者:不明(通信途絶により最期となる報告)』

『……対空砲火、最大出力で展開中! だが駄目だ、敵の数が多すぎる!

 おい、上を見ろ! 敵の黒いキャノンが、要塞表面に降下してくるぞ! なんだあの機体は……こちらの対空砲火の弾幕を、全く避けようとしない!』

 

 激しい爆発音とレーザーの破裂音に掻き消されそうになりながらも、報告者の声は異様なほどの切迫感を帯びていた。

 

『馬鹿な……あいつの機体の前に浮かんでいるのは……! 撃墜したはずの第三小隊のゲルググだ! ワイヤーで引きずって、『盾』にして突っ込んできやがる!!』

 

 通信機から漏れ聞こえるその状況描写。

 私はその光景を脳裏に幻視し、呼吸が止まりそうになった。

 要塞表面から撃ち上げられる濃密な対空砲火の嵐。

 並のパイロットであれば、回避行動を取るか、シールドを構えて身を縮めるのが道理。

 しかし、その漆黒のガンキャノンは違った。

 自らの機体の前面に、撃ち殺したばかりのジオン軍最新鋭機たるゲルググの巨大な残骸をワイヤーで縛り付け、それを物理的な防壁として展開しながら、一直線に降下してくるのだ。

 

『ゲルググのコックピットの横に、十字架の傷が……あいつ、殺した味方を装甲代わりに……ッ!』

 

 十字架の傷。

 ワイヤーアンカーの楔が突き刺さり、引き抜かれた後に残る、磔刑の痕跡。

 「()()」である。

 そのゲルググに搭乗していたパイロットは、死の瞬間にどれほどの絶望を味わったことだろうか。

 そして今、自らの機体が仲間の放つ対空砲火でズタズタに削られていく様を、死してなお晒されているのである。

 

『ふざけるな……ふざけるなァアァッ! 撃て! 撃てェェェ!』

 

 防衛隊員の絶叫が響き渡った。

 それはもはや軍人の発する命令ではなく、理不尽な怪物に対する純粋な恐怖と憎悪の咆哮に他ならなかった。

 直後、鼓膜を突き破るような轟音と共に、凄まじい爆発音が通信回線を覆い尽くした。

 ……そして、完全な静寂が訪れる。

 第六対空砲台は沈黙した。

 あの狂気に満ちた報告が、彼らの遺言となったのである。

 

「……信じられない。あれが、人間のやることか」

 

 私は操縦席で顔を覆い、激しく震える肩を抱え込んだ。

 連邦軍の「白い悪魔」が放つ絶望が、純粋な圧倒的武力によるものであるならば、この「黒い魔女」が放つ絶望は、我々の人間性そのものを徹底的に蹂躙し、冒涜することへの恐怖であった。

 

 

 

 一三〇〇時。

 

 ア・バオア・クーの内部は、外部の宇宙空間以上に凄惨な死地と化していた。

 我々の間では、連邦の「白いヤツ(ガンダム)」と、シャア大佐が搭乗する未知の大型モビルアーマー「ジオング」が、要塞内部のどこかで死闘を繰り広げているという噂が駆け巡っていた。

 二つの巨大な力がぶつかり合う余波で、要塞の至る所で壁が崩落し、隔壁が吹き飛ばされていたのである。

 だが、その英雄同士の神話的な死闘の裏側で、我々一般兵士を地獄の底へと突き落とすもう一つの惨劇が、静かに進行していた。

 あの漆黒のガンキャノンが、ガンダムとは別のゲートを強引にこじ開け、要塞内部のドックや通路区画への侵入を果たしていたのだ。

 宇宙空間という広大な戦場から、入り組んだ人工構造物である要塞内部へと舞台を移したことで、彼女の乗機の異常性はさらに恐るべき形で開花することとなる。

 狭い通路内においては、大型兵器であるモビルスーツは身動きが取りづらく、必然的にお互いの動きが制限される。

 我々リック・ドムの誇るホバー機動力も、この閉鎖空間では全くの宝の持ち腐れであった。

 しかし、あの黒いガンキャノンは違った。

 彼女の機体には、下半身の装甲が剥き出しにされた異常なスラスター群と、腰部に増設されたワイヤーアンカーが装備されている。

 無重力の狭所空間において、この二つの機構が悪魔的な相乗効果を生み出したのである。

 通路の壁、天井、あるいは放棄された機材の山に次々と十字型の楔を打ち込んでは、スラスターの噴射ではなくワイヤーの巻き取り力と張力のみを利用。

 上下左右の概念を完全に無視した「立体機動」を展開し始めた。

 まるで巨大な黒い蜘蛛であった。

 重装甲の塊が、音もなく天井に張り付き、予測不能な軌道で跳弾のごとく壁を蹴って死角から襲い掛かってくるのだ。

 

『うわあっ! 上だ、上から来るぞ!』

『馬鹿な、こんな狭い通路でどうやって……!』

『キャノン砲が来る! 回避しろ!』

 

 だが、回避など物理的に不可能。

 逃げ場のない一直線の通路で、天井から落下しながら放たれる二四〇mmキャノンの直撃を受け、前衛のザクが上半身を完全に吹き飛ばされた。

 飛び散る装甲の破片と推進剤の爆発が、通路を灼熱のオーブンへと変貌させる。

 私は後方からその光景をモニター越しに目撃し、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 本来であれば、重装甲機体は機動力で劣り、高機動機体は装甲が薄いというのがモビルスーツ開発における常識である。

 だが、あの魔女は、戦艦並みの装甲で我々の攻撃を弾き返しつつ、ワイヤーを使った異常な機動で我々の背後を易々と取ってくるのだ。

 戦術的セオリーなど、魔女の前ではただの紙切れに過ぎなかった。

 狭い通路の奥から、ワイヤーが巻き取られる甲高いモーター音と、楔が金属の壁に突き刺さる鋭い音が、死へのカウントダウンのように無慈悲に響き渡り続けていた。

 

 

 

 一四〇〇時。

 

 ア・バオア・クーの防衛線は、もはや「線」としての体を全くなしていなかった。

 総帥を失ったことによる混乱は収束するどころか、さらに深刻な事態を引き起こしていた。

 指揮権を掌握したはずのキシリア少将が、密かに要塞の放棄と自らの脱出を準備しているという噂が、まことしやかに兵士たちの間に広まり始めたのである。

 そして、それは単なる噂に留まらなかった。

 正規の指揮系統を通さない非公式な回線から、「各部隊は速やかに戦線を離脱し、撤退せよ」という命令が、まるで逃亡を促すかのように伝わり始めたのである。

 

『撤退だと!? 冗談じゃない、どこへ逃げろって言うんだ!』

『司令部は俺たちを見捨てる気か!』

 

 最後まで要塞を死守しようとしていた将兵たちの心は、この官僚的で無責任な撤退命令によって完全に折れた。

 組織的な抵抗はついに限界を迎えた。

 ただ己の生存のみを目的として逃げ惑う、パニックに陥った群衆へと成り下がったのである。

 私もまた、生き残った数名の僚機と共に、要塞の奥深く、脱出用ランチが繋留されているであろう区画を目指して、入り組んだ通路を後退していた。

 だが、あの死神は、逃げ惑う我々の背中をどこまでも執拗に追いかけてきた。

 

『逃げろ! 通路の奥から真っ黒な鬼が来る!』

 

 殿(しんがり)を務めていた別の小隊の兵士が、絶望に満ちた声を上げた。

 モニターを背後に切り替える。

 暗い通路の向こう側から、あの十字の「聖痕」を刻み込み続ける黒いガンキャノンが、巨大な影となって這い寄ってくるのが見えた。

 機体の両肩に装備された二四〇mmキャノン砲は、すでに砲身が熱で焼け焦げ、弾薬を撃ち尽くしていることは明白であった。

 両手のマシンガンもとうに放り捨てられている。

 

「……弾切れだ。奴はもう撃てない!」

 

 私は一瞬だけ、愚かにも安堵の息を漏らした。

 弾薬のない砲撃機など、ただの鉄の塊に過ぎない。

 しかし、その安堵は次の瞬間、さらなる底知れぬ恐怖へと反転した。

 

『キャノンの弾はもう切れてるはずなのに、倒したザクのヒート・ホークを拾って突っ込んでくるぞ!』

 

 信じられない光景であった。

 あの漆黒の悪魔は、自身が先ほど惨殺した味方のザクの残骸から赤熱したヒート・ホークをむしり取り、それを右手にしっかりと握りしめていたのである。

 支援機であるガンキャノンのマニピュレーターが、白兵戦用の無骨な斧を握りしめているというその歪な姿は、悪夢以外の何物でもなかった。

 魔女の目的は、拠点の制圧でも、戦術目標の達成でもなかった。

 目の前に存在するジオンの命を、一つ残らず刈り取ること。

 その純粋な殺意の塊が、巨大な鉄の斧を振りかざし、天井にアンカーを打ち込みながら、無重力の空間を跳躍して迫ってくるのである。

 

「ああ……あああッ!」

 

 味方の誰かが、発狂したように叫び声を上げながらバズーカを乱射した。

 しかし、重装甲を纏った黒い機体は、その直撃を胸部で受け止めながらも全く勢いを殺さず、一瞬で距離を詰めた。

 ヒート・ホークが閃き、味方のリック・ドムの胴体が、溶断されるような甲高い音と共に真っ二つに引き裂かれた。

 弾が尽きようが、機体が限界を迎えようが、あの魔女は絶対に狩りをやめない。

 私たちは、要塞という巨大な密室の中で、絶対に逃れることのできない殺戮のシステムに組み込まれてしまったのだ。

 血と焦げた金属の臭いが充満する通路。

 迫り来る黒い死神の足音に怯えながら、私はただ無様に機体を後退させ続けることしかできなかったのである。

 

 

 

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