機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】 作:王子の犬
《31》大義の熱狂と、その裏で冷笑する者たち(前半:08:00〜13:00)
宇宙世紀〇〇八三年十一月九日、〇八〇〇時。
地球連邦軍の巨大な軍事拠点コンペイトウ――旧ジオン公国軍宇宙要塞ソロモン――に向けて、漆黒の宇宙空間を音もなく滑るように進撃するジオン公国軍残党『デラーズ・フリート』の艦隊群。
その旗艦であるグワジン級戦艦グワデンの内部は、三年間という長きにわたる過酷な潜伏生活の鬱屈と絶望を完全に払拭するような、異様なまでの狂熱と高揚感に支配されていた。
エギーユ・デラーズ中将が提唱し、全将兵がその命を代償として準備を推進してきた巨大な反攻計画――『星の屑』作戦。
その戦術的ハイライトがいよいよ明日に迫っていたのである。
地球連邦軍がその傲慢な軍事力をスペースノイドに誇示するために執り行う『
午前八時。
グワデンをはじめとする各艦のブリーフィングルームおよび艦内放送システムを通じて、襲撃部隊の将兵たちに向けた最終ブリーフィングが挙行された。
連邦軍の強大な通信傍受網を回避すべく、極めて指向性の高いレーザー通信と有線接続のみで伝達されたこのブリーフィングの音声記録は、後に連邦軍情報部が接収したデータコアの深淵に、兵士たちの狂信的とも言える『熱量』を保存したままアーカイブされている。
『ジオン公国軍 デラーズ・フリート 方面司令部』
『コンペイトウ襲撃作戦・最終ブリーフィングにおける艦隊司令の訓示』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月九日 〇八〇〇時』
『集え、誇り高きジオンの騎士たちよ。
我々が三年の長きにわたり、暗く冷徹なデブリの海で泥水をすすりながら待ち望んできたその瞬間が、ついに到来した。
連邦の腐敗した愚物どもは、我々の魂がア・バオア・クーの業火と共に完全に焼却されたと信じ切っている。
奴らは今頃、かつて我々の血と涙が染み込んだコンペイトウの宙域に肥え太った艦隊を陳列し、見せ掛けだけの平和の祭典に酩酊していることだろう。
スペースノイドの真の独立と自由という、我々の崇高なる大義を忘却し、地球の重力に魂を縛られたまま、この広大な宇宙を私物化しようと企図しているのだ。
だが、明日、我々の悲願が成就する。
ガトー少佐が、連邦自らが捏造した悪魔の兵器をもって、奴らの鼻を明かしてくれる手はずとなっている。
あの忌まわしきソロモンの宙域に、再びジオンの正義の閃光が明滅するのだ。
少佐の放つ一撃は、単なる物理的破壊に留まらない。
連邦の腐敗体制を根底から粉砕し、宇宙に眠るすべての同胞の魂を励起するための、聖なる弔鐘となるのだ。
我々MS部隊の任務は単一である。
核の閃光が連邦の艦列を焼却した後、混乱と
敵は物理的な数量において我々を凌駕している。
連邦の残存部隊が、蜘蛛の子を散らすがごとく殺到してくるであろう。
だが、恐れるに足らず。
我々の背後には、ジオンの栄光が、そしてデラーズ閣下の見えざる御手が必ずや存在している。
総員、死力を尽くして少佐の撤退を援護せよ! 己が命を肉の盾としてでも、少佐を帰還させるのだ。
この
スピーカーから轟く「ジーク・ジオン!」の咆哮に対し、艦内の至る所において、地鳴りのごとき狂信的な唱和が巻き起こった。
兵士たちの眼球は不気味なほどに充血し、拳は自らの爪が血を滲ませるほどに固く握り締められていた。
彼らはもはや、己が圧倒的に不利な戦況へと向かって突撃しようとしているという事実を、論理的に演算する能力を完全に喪失していた。
『ジオンの栄光』という劇薬にも等しい大義名分。
極限のストレスと屈辱に耐え続けてきた彼らの精神構造を麻薬のごとく
通路を闊歩する者も、ハッチの警備に直立する者も、皆が一様に熱病に浮かされたような面構えで、明日の連邦軍の凄惨な結末を思い描いては暗い歓喜の笑みを漏らしていた。
宇宙世紀〇〇八三年十一月九日、一〇〇〇時。
しかし、デラーズ・フリート本隊が発散する狂気的な熱狂の渦から、まるで水と油のごとく決定的に分離し、冷ややかに、あるいは底知れぬ怯えを抱いて佇む者たちも存在した。
艦内の人気のない薄暗い資材通路。
そこには、熱狂に同調し得ない二つの全く異なる集団が、偶発的にも顔を突き合わせていた。
一方は、暗礁宙域での過酷な潜伏任務を生き延びてきたデラーズ本隊の古参兵たち。
もう一方は、作戦の直前に合流を果たした、シーマ・ガラハウ中佐率いる『
暗礁宙域を生き延びた本隊の古参兵たちの顔色は、明日の決戦を控えた軍人のそれとは決定的に乖離していた。
彼らの瞳の奥底には、連邦の正規艦隊に対する敵愾心とは全く異質の、より根源的で猟奇的な恐怖がこびりついていたのである。
この数ヶ月間、暗礁宙域の絶対的な暗黒の中で、自分たちの同胞がいかに無慈悲に『処理』されてきたかを実体験として知悉していた。
漆黒の機体。
味方を肉の盾とするという、軍人の名誉を根底から嘲笑うかのような狂気的戦術。
そして、装甲に深く食い込む十字のワイヤーの恐怖。
彼らにとって、星の屑という巨大な作戦の発動は、あの『
その震える背中を、通路の反対側から、シーマ艦隊の海兵隊員たちが下品な笑い声を上げながら見下ろしていた。
シーマ艦隊の末端兵士たちは、暗礁宙域の絶対的恐怖を実体験として『
なぜなら、彼らの指揮官であるシーマ・ガラハウは、アナハイム・エレクトロニクス社のオサリバン常務との非公式な裏取引により、魔女のテストエリアである危険宙域の座標データを事前に獲得していた。
自艦隊を極めて巧妙にその『狩場』から遠ざけていたからである。
シーマは「デブリの密度が異常である」「連邦の監視衛星の死角が極端に狭い」といったもっともらしい詭弁を用いて部下を危険宙域に接近させなかった。
結果としてシーマ艦隊は、魔女の犠牲者を一人として供出することなく戦力を温存していたのだ。
無知ゆえの特権的な安全圏に庇護されていた彼らにとって、本隊の古参兵たちが囁き合う「十字の魔女」の噂など、戦意を喪失した臆病者たちの下劣な言い訳、あるいは極限状態が引き起こした幻覚にしか聞こえていなかったのである。
『ジオン公国軍 偽装輸送艦内部 資材通路』
『艦内保安用カメラのマイクが捉えた非公式な会話記録』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月九日 一〇一五時』
本隊古参兵A:
「……おい、聞いたか。
アルビオンがコンペイトウに入港したらしいぞ。
あの艦には、得体の知れない新型が積載されているという噂だ」
本隊古参兵B:
「……ああ。嫌な予感がする。
連邦の奴ら、ガトー少佐を阻止するために、戦力の出し惜しみなどするはずがない。
もし、あの暗礁宙域で俺たちを屠っていた『あの真っ黒な魔女』が、アルビオンに乗り込んでいたとしたら……」
本隊古参兵A:
「(顔面を蒼白に染め)よせ。口に出すな。
……あの十字のワイヤーだけは御免だ。
大義のために正面から撃ち合って散るなら本望だ。
だが、あいつに捕縛され、味方の射線に引きずり出されて肉の盾にされるなど……俺はそんな犬死にをするために三年間耐え忍んできたわけじゃない……!」
(その会話を傍受したシーマ艦隊のパイロットたちが、嘲笑を含んだ大きな足音を立てて接近してくる)
海兵隊員A:
「おいおい、何をゴチャゴチャと湿っぽいツラしてやがる。
明日は待ちに待った血祭りだってのに、葬式の前日みたいな面構えしやがって」
本隊古参兵B:
「……海兵隊の連中か。貴様らには関係ない。
失せろ」
海兵隊員B:
「関係ないたァ冷てえ言い草だな。
同じジオンの残飯を食う仲間じゃねえか。
……何だ、またあの『十字の傷をつける魔女』とかいうおとぎ話にビビッてんのか?
ア・バオア・クーの亡霊に怯えてんのかよ。
これだから温室育ちの正規軍は使い物にならねえ」
本隊古参兵A:
「貴様らは何も分かっていない!
俺は現認したんだ、回収された味方の機体がいかに猟奇的に解体されていたかを!
あいつは人間じゃない、連邦が放った純粋な殺戮機械だ!」
海兵隊員A:
「(大げさに腹を抱えて嘲笑する)
はははっ! 殺戮機械だァ? 幽霊だァ?
寝言は寝てから言えよ。
連邦のネズミが何匹群れようが、俺たちシーマ艦隊のゲルググ・マリーネの機動力の前じゃ、ただの的当ての
そんなに見えない敵が恐ろしいなら、明日は俺たちのケツの裏に隠れて震えてな。
デラーズ閣下の立派な『大義』とやらを喚き散らしながらよォ!」
海兵隊員たちは、背中を向けて去っていく。
彼らの下品な嘲笑は、薄暗い通路にいつまでも不快な反響を残していた。
残された本隊の古参兵たちは、屈辱に唇を噛み破りながらも、反論する気力すら湧き上がらなかった。
いかに言語を尽くそうとも、『死神』の真の絶望は、実際にワイヤーで緊縛され、絶対的虚無の深淵を覗き込んだ者にしか理解し得ないのだと、彼らは骨の髄まで悟っていたからである。
宇宙世紀〇〇八三年十一月九日、十一〇〇時。
デラーズ・フリートの旗艦グワデンの奥深く、最も厳重なセキュリティが敷設された特別ハンガー。
そこには、地球連邦軍が極秘裏に開発し、アナベル・ガトー少佐が自らの手でトリントン基地から奪取した『連邦の驕りの象徴』――
悪魔的な威圧感を放射するその機体の足元で、ガトーは一人、静かに屹立していた。
周囲から整備兵たちの姿はすでに払われており、ハンガーには彼と機体だけが取り残されている。
出撃を翌日に控えた武人が、自らの乗機と魂を共鳴させ、精神の深淵を極限まで研ぎ澄ますための、一種の神聖な儀式の時間であった。
ガトーの鋭利な眼光は、機体の右肩に懸架された巨大なアトミック・バズーカの砲身と、その中枢に格納されたMk-82戦術核弾頭の装填システムへと注がれていた。
明日、彼はこの機体をもってコンペイトウの宙域へ単騎で潜入し、連邦軍の観艦式に集結した艦隊群の頭上へと、この絶対的な業火を解き放つ。
だが、彼の内面に死への恐怖や躊躇いは微塵も存在しなかった。
彼を突き動かしているのは、デラーズ中将が掲揚する『星の屑』という大義への絶対的な忠誠と、そして何より、この数ヶ月間、暗礁宙域の暗黒の中で不条理に散っていった同胞たちへの、熱く焦げ付くような『義憤』に他ならなかった。
彼は、携帯用の暗号化端末を取り出し、自らの遺言ともなるべき独白を、静謐かつ確固たる音声で記録し始めた。
『ジオン公国軍 デラーズ・フリート 所属』
『アナベル・ガトー少佐の私的録音(出撃前夜の独白)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月九日 十一二〇時』
「……機体の最終チェックは完了した。
核弾頭の起爆回路、ならびにアトミック・バズーカの冷却システムに一切の異常は認められない。
明日、この連邦の捏造した悪魔の業火が、彼ら自身の傲慢な心臓部を灰燼に帰すであろう。
三年だ。
ア・バオア・クーの無念の撤退より、我々が屈辱の時間を耐え忍んできた年月。
その間に、我々はどれほどの同胞を喪失したことか。
連邦軍の正規部隊との名誉ある交戦で散華した者であるならば、まだ救済の余地がある。
戦士として大義のために命を捧げ、誇り高く死んでいった彼らの魂は、ヴァルハラにて我々の行く末を見守ってくれているはずだ。
だが……あの暗礁宙域の暗闇の中で、得体の知れない『魔女』によって狩られていった若者たちの死は、どうだ。
私は報告書を精読し、回収された彼らの機体の無残な残骸を直視するたびに、己の無力さと、連邦という組織の底知れぬ卑劣さに腸が煮えくり返る思いであった。
彼らは、正面から撃ち合って死んだのではない。
暗闇から音もなく射出された十字のワイヤーに拘束され、味方の射線に引きずり出され、弾除けの肉の盾として嬲り殺しにされたのだ。
戦場に大義も誇りも介在させず、ただ純粋な殺戮の効率のみを追求する、感情を欠落させた殺戮機械。
あのような外道を平然と野放しにし、我々の同胞を
暗闇で名誉すら剥奪され、
我々が連邦の象徴たるこのガンダムを用い、奴らの驕り高ぶる観艦式を物理的に消滅させること。
そして、スペースノイドの真の解放という大義を、この宇宙に打ち立てることだ。
それこそが、猟奇的な死の淵に突き落とされた彼らの無念を雪ぐ、唯一にして絶対の弔い合戦なのである。
デラーズ閣下。
我が命に代えましてもこの星の屑、必ずや成就させてみせます。
死肉を漁る魔女どもに、我々ジオンの騎士の真の矜持を見せつけてやろう」
録音を終了したガトーの顔貌には、迷いも恐れも皆無であった。
そこに存在するのは、すべての憤怒と悲哀を大義という炎にくべ、己の魂を極限まで純化させた武人の気高さのみであった。
彼は試作二号機の巨大な装甲にそっと掌を触れると、明日の決戦に向けて静かに目を閉じたのである。
宇宙世紀〇〇八三年十一月九日、一二〇〇時。
ガトー少佐が一人、静かなる決意を固めていた頃、グワデンをはじめとするデラーズ・フリート各艦の兵員食堂やMSハンガーでは、それとは完全に対極に位置する狂騒と熱狂が渦巻いていた。
昼食の時間を流用し、下士官や若手パイロットたちが自然発生的に集結し、事実上の『決起集会』を開いていたのだ。
テーブルの上には、連邦の補給艦から強奪した粗末な合成食料と、わずかばかりの配給酒が並べられていたが、兵士たちの精神はすでに「勝利」という美酒にどっぷりと浸りきり、正常な論理的判断力を喪失するほどの集団的陶酔状態へと陥っていた。
しかし、異常なまでの高い士気と狂熱の裏側には、決して直視してはならない深刻な亀裂が隠匿されていた。
彼らの意識の底辺には、連邦軍の圧倒的な戦力差に対する絶望と、暗礁宙域において姿を見せないまま味方を屠っていった『得体の知れない死の恐怖』が、冷たい泥のごとく沈殿していたのである。
彼らは、それを言語化すれば恐怖に完全に圧壊されてしまうことを、本能レベルで悟っていた。
ゆえに、その恐怖を「ジオンの栄光」という大義への狂信的な咆哮によって無理やり被膜し、『
『ジオン公国軍 デラーズ・フリート ムサイ級巡洋艦 ペール・ギュント』
『兵員食堂およびMSデッキにおける環境マイク録音(抽出)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月九日 一二四五時』
整備兵A:
「(インパクトレンチの甲高い駆動音に負けない大声で)よし、ジャイアント・バズの弾薬コンテナ、積載完了だ!
ありったけの徹甲榴弾を充填してやったぞ!
明日は連邦のフネを、マゼランだろうがサラミスだろうが、片っ端から宇宙の塵にしてやる!」
パイロットA:
「恩に着るぜ、親父さん!
俺たちの機体が旧式だろうが関係ねえ。
明日の今頃には、コンペイトウはただのデブリの塊と化すんだ。
連邦の腑抜けどもに、我々の意地を叩き込んでやろう!」
(食堂のテーブルを乱暴に殴打する音と、グラスが破砕する音)
パイロットB:
「そうだ! 三年間、俺たちは耐えてきたんだ。
ア・バオア・クーで散っていった先輩たちの無念を、やっと雪ぐことができるんだ!
もう、暗いデブリの陰に隠れてビクビク怯える必要はねえ!」
パイロットC:
「……ああ、そうだ。
もうビクビクする必要はない。
俺たちは勝利するんだ。
……なあ、連邦の討伐部隊が襲来しても、我々の集中砲火で一瞬で消し飛ぶよな?
暗闇に潜伏していた『あれ』だって、コンペイトウの真っ只中なら隠蔽する死角なんて存在しない。
俺たちの物量で圧倒できるはずだ……!」
パイロットB:
「当たり前だ!
幽霊だろうが化け物だろうが、俺たちの『星の屑』の大義の前に立ちはだかる奴は、まとめてバズーカの餌食にしてやる!
俺たちは歴史の証人になるんだ!
ジーク・ジオン!」
パイロットたち:
「ジーク・ジオン!! ジーク・ジオン!!」
彼らの咆哮は、不自然なまでに肥大化しており、そして過剰であった。
暗礁宙域での不可解極まる未帰還機の報告。
回収された残骸の無惨な有り様。
それらがもたらす『名誉なき死』への本能的恐怖は、彼らの胃の腑を冷酷に締め付けていた。
ふとした瞬間に訪れる静寂の中で、その恐怖が這い上がってこようとするたびに、彼らは声帯が裂けんばかりの音声で「ジーク・ジオン」を叫び、グラスを打ち鳴らし、大義という名の麻薬を致死量まで脳内へと打ち込んでいたのである。
「我々には大義が存在する」
「我々は多数である」
その極めて脆弱な拠り所のみを頼りに、兵士たちは自らを無敵の戦士であると錯覚しようと必死にもがいていた。
狂気的な熱狂によって死の恐怖を強制的に麻痺させたジオン公国軍残党の巨大な群れは、自らの内に潜伏する自己欺瞞の危うさに気づかぬまま、後戻りのできない歴史の転換点へと猛進していた。
明日彼らが投下される戦場が、名誉ある騎士同士の決闘場などではなく、あらゆる大義名分を無機質に解体する地獄であることなど、今はまだ誰一人として知る由もなかったのである。