機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】 作:王子の犬
午後二時。
コンペイトウ宙域を白昼のごとく照らし出した超巨大な核の閃光。
それは、三年間の長きにわたり、暗く冷たい宇宙の果てで耐え、連邦の監視に怯えながら生き延びてきたジオン公国軍残党「デラーズ・フリート」にとって、究極の救済の光であった。
連邦軍がその傲慢な軍事力を誇示するために並べ立てた大艦隊は、ガトー少佐が放ったたった一発の「戦術核」によって、為す術もなく消滅していった。
その圧倒的な破壊を目の当たりにしたジオンの将兵たちは、自分たちが劣勢な「残党軍」であるという現実を完全に忘却していた。
彼らの脳内は致死量のアドレナリンで満たされていた。
自分たちこそが歴史の覇者であり、正義の執行者であるという狂信的な熱狂が、全軍を一つの巨大な生き物のように躍動させていたのである。
彼らに課せられた次なる任務は、歴史的偉業を成し遂げた英雄、アナベル・ガトー少佐の撤退ルートを確保することであった。
核の直撃を免れ、防空圏の外縁でパニックに陥っている連邦軍の哨戒部隊――強襲揚陸艦アルビオンを母艦とするMS隊に対し、歓喜に沸くジオンの援護部隊は、牙を剥き出しにして殺到していった。
『ジオン公国軍 デラーズ・フリート MS援護部隊』
『第三小隊・戦術通信記録(復元データ)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月一〇日 一四一五時』
[通信ログ開始]
第三小隊長:
「見ろ! 連邦のネズミどもは完全に混乱している!
陣形はバラバラだ!
一気に押し込んで少佐の退路を切り開け!
我々の大義の前に、もはや敵はない!
行くぞ!!」
僚機A:
「うおおおおおっ!
ア・バオア・クーの仇だ! 死ねえっ!」
僚機B:
「ジーク・ジオン!!」
[通信ログ終了]
小隊長の絶叫にも似た号令と共に、ザクⅡ後期型やリック・ドムⅡが、推進剤の残量など気にも留めない最大推力で、混乱するアルビオン隊へと突撃を仕掛ける。
指揮系統が麻痺し、互いのカバーもままならない連邦のジム・カスタムやジム・キャノンⅡに対し、士気が最高潮に達したジオンのパイロットたちは、圧倒的な勢いで格闘戦を挑んでいった。
彼らの頭から「死の恐怖」は完全に消え去っていた。
大義のために命を燃やすこと、それが戦士としての最高の誉れであると、心の底から信じて疑わなかった。
狂騒の戦場へ、デラーズ・フリート本隊とは別の方向から、新たな部隊が乱入してきた。
シーマ・ガラハウ中佐率いる「シーマ艦隊」のモビルスーツ隊である。
彼らは、本隊の兵士たちのような悲壮な大義への陶酔とは無縁であった。
海兵隊として汚れ仕事を押し付けられ、宇宙のダニとして生きてきた彼らにとって、この戦いは「連邦の正規軍を痛い目に遭わせる、派手な略奪の延長」でしかなかった。
そして何より、決定的な「情報」を欠落させたまま、戦場に足を踏み入れてしまっていた。
彼らの指揮官であるシーマは、アナハイム・エレクトロニクス社のオサリバン常務との非公式な裏取引により、暗礁宙域で同胞たちを狩り殺していた「喪服の魔女」の狩場を事前に察知し、巧妙な理由をつけて自艦隊をそこから遠ざけていた。
その結果、シーマ艦隊の末端のパイロットたちは、あの「十字のワイヤーによる猟奇的な処刑」を実体験として知らなかったのである。
酒場で怯える本隊の古参兵たちを「幽霊にビビる腑抜け」と冷笑していた彼らにとって、戦場における恐怖とは、圧倒的な物量を持つ正規軍の十字砲火くらいのものであった。
午後三時。
勝利を確信して連邦軍を押し込んでいたジオン部隊の側面に、突如として、戦場のあらゆる常識から逸脱した、異常な機動で迫る「漆黒の機体」が姿を現した。
特務〇一機「ウィッチズ・ブルーム」。
シイコ・スガイの駆る魔改造機である。
連邦軍の正規のフォーメーションから完全に乖離し、まるで重力が狂ったかのような慣性無視の軌道を描きながら、デブリの影から影へと無音で跳躍していた。
その姿を目撃した本隊の古参兵たちは、本能的な悪寒に全身の毛を逆立て、咄嗟に機体を後退へと切り替えた。
しかし、「本物の恐怖」を知らないシーマ艦隊の海兵隊員たちは、愚かにも嘲笑を浮かべたのである。
『ジオン公国軍 シーマ艦隊 MS部隊』
『小隊内通信記録(復元データ)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月一〇日 一五五八時』
[通信ログ開始]
海兵隊員A:
「おいおい、見慣れないジムモドキが飛び出してきたぜ。
なんだあの黒いツギハギの機体は? 装甲は剥き出しだし、デカいポッドを背負ってやがる」
海兵隊員B:
「動きは素早いが、ただのジムのバリエーションだろう。
連邦の奴ら、正規の機体が足りなくてあんなゲテモノまで引っ張り出してきたのか?」
海兵隊員A:
「ははっ、俺たち海兵隊のゲルググ・マリーネの敵じゃないな。
一丁揉んでやるか!
隊長、俺がアレの首を貰いますぜ!」
[通信ログ終了]
大義に燃える本隊の熱狂と、海兵隊の無知ゆえの油断。
それらすべてを「狩るべき標的」として無機質に処理する魔女の視界の中で、後戻りできない猟奇的な惨劇の幕が、静かに開かれる。
午後四時。
宇宙空間を跳ね回る漆黒の機体に向かって、シーマ艦隊のゲルググ・マリーネが、ビーム・マシンガンを連射しながら意気揚々と接近していった。
海兵隊員は、黒い機体が自らの射撃を回避し、デブリの影に隠れたのを見て、「
だが、致命的な誤認であった。
デブリを支点にしてワイヤーを射出し、常人であれば即死するレベルの一五Gという強烈な遠心力を利用して、ゲルググ・マリーネの「完全な死角」である頭上へと、一瞬にして回り込んでいたのである。
気がついた時には、すべてが手遅れであった。
無音で頭上から降下してきた漆黒の機体は、ゲルググ・マリーネの右肩の装甲の隙間に向けて、両腕に内蔵された射出機から「
『……なっ!? 当たった!? なんだこれ、ワイヤー……!?』
楔が深々と食い込んだ瞬間、特務〇一機から致死量に近い高圧電流が流し込まれる。
ゲルググ・マリーネの駆動系は一瞬にしてショートし、機体は完全に制御不能の痙攣状態に陥った。
パイロットがコックピットの中でパニックに陥る間もなく、特務〇一機はワイヤーの巻き取りモーターを全開にして、動けなくなったゲルググ・マリーネを自らの前面へと暴力的に引き寄せた。
「
その異様な光景は、周囲で戦闘を繰り広げていたジオンの将兵たちの目に、スローモーションのように焼き付いた。
『地球連邦軍 方面軍情報部』
『コンペイトウ宙域・ジオン残党軍通信傍受記録(抽出・統合)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月一〇日 一六一〇時』
[通信ログ開始]
海兵隊員B:
「おい、どうした! 隊長が捕まった!?」
海兵隊員C:
「撃つな、隊長に当たる!
なんだあの真っ黒な機体は……!
隊長の機体を盾にしてやがる!」
(その異常な戦術を見た本隊の古参兵たちの通信が、極度の恐慌状態となって割り込んでくる)
本隊古参兵A:
「待て、あの十字の傷跡! あれは……暗礁宙域の……!」
本隊古参兵B:
「嘘だろ、ア・バオア・クーの『魔女』か!?
なんであいつがここにいる!!」
本隊古参兵A:
「逃げろ、盾にされるぞ!!」
海兵隊員A(捕縛された隊長):
「くそっ、動け! 動けえっ!
外れない、こいつ、俺の背後から……やめろ、撃つなァァッ!」
(閃光。
特務〇一機が、盾にしたゲルググ・マリーネの背中越しに、ゼロ距離からビーム・キャノンを発射する。
コックピットは内側から完全に消滅し、機体は無惨な火球となって四散する。
その爆発の煙の中から、漆黒の機体が傷一つなく、無機質なカメラアイを光らせて現れる)
本隊パイロットC:
「来るな! こっちへ来るなァァッ!」
本隊パイロットD:
「誰かあいつを撃ち落とせ! 俺はあんな死に方は嫌だ!!」
[通信ログ終了]
たった一機の狂気的な機動が、ジオン残党軍の熱狂を完全に氷点下へと叩き落とした。
大義のための名誉ある戦死すら許されず、味方の弾除けとして無惨に嬲り殺しにされるという「猟奇的な手段」は、兵士たちの精神を根底からへし折ったのである。
数分前まで「ジーク・ジオン」を叫び、死を恐れぬ狂戦士として突撃していた兵士たちは、今や蜘蛛の巣に落ちた羽虫のように、ただ泣き叫びながら逃げ惑うだけの存在へと成り下がっていた。
彼らはガトー少佐の撤退を援護するという本来の任務も、ジオンの栄光も、誇りすらも完全に忘れ去り、本能的にあの「漆黒の死神」から遠ざかろうと、無秩序にスラスターを吹かした。
指揮系統は麻痺し、防衛陣形は完全に崩壊した。
魔女がもたらした「名誉なき猟奇的な死の恐怖」は、核攻撃成功という巨大な大義と栄光を、いとも容易く、そしてあまりにも無惨に粉砕してしまったのである。
地獄のような恐怖の連鎖の中、残党兵たちはもはや誰と戦っているのかさえ分からなくなっていた。
彼らにとって、コンペイトウの宙域は「勝利の舞台」から、ただ生きて抜け出すことだけを祈る「巨大な処刑場」へと変貌していた。
午後六時。
多大な犠牲を払い、戦線が崩壊の危機に瀕しながらも、デラーズ・フリートの残存部隊は命からがらコンペイトウ宙域からの離脱を果たし、待機していた偽装艦隊への収容を急いでいた。
その撤退する艦隊の中で、アナベル・ガトー少佐は、連邦の
観艦式を核で焼き払い、連邦の驕りを打ち砕くという、星の屑作戦の第二段階を見事に完遂した英雄の帰還。
本来であれば、艦内は割れんばかりの歓声と、涙ながらの「ジーク・ジオン」の唱和で満たされるはずであった。
ガトー自身も、自らの果断な一撃が同胞たちの心を奮い立たせていると信じて疑わなかった。
しかし、彼を出迎えた兵士たちの姿は、ガトーの予想とは全く異なるものであった。
MSデッキで彼に敬礼する兵士たちの顔に、勝利の歓喜は欠片もなかった。
彼らの瞳は虚ろで、顔は蒼白に引きつり、ある者は今もなお細かく震え続けていた。
彼らの魂には、「連邦の艦隊を沈めた」という輝かしい戦果よりも、「あの悪魔が連邦の正規軍として解き放たれた」という、深すぎる絶望とトラウマが深く刻み込まれていたのである。
「……どうした。
なぜ、そのような顔をしている」
ガトーは、血の気の引いた部下の一人に尋ねた。
部下は、歯の根を合わすように震えながら、絞り出すように答えた。
「少佐……。出たのです。
俺たちは勝ったはずなのに……暗礁宙域の『魔女』が、あの連邦の部隊に混ざって……我々の同胞を、また……」
その言葉を聞いた瞬間、ガトーの脳裏に、この数ヶ月間、暗闇の中で不条理な死を強いられてきた部下たちの無惨な報告書がフラッシュバックした。
連邦は、感情を持たない猟奇的な殺戮機械を、正規の戦場にまで引っ張り出してきたというのか。
大義を掲げて堂々と刃を交えるべき決戦の舞台に、味方を盾にするような「外道」を放ち、誇り高きジオンの戦士たちの尊厳を再び蹂躙したというのか。
ガトーは、己の内に、核の炎すらも凌駕するほどの、静かで、しかしどこまでも熱く冷酷な「怒り」が満ちていくのを感じた。
『ジオン公国軍 デラーズ・フリート 方面司令部』
『アナベル・ガトー少佐の独白(帰還後の私的記録)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月一〇日 一八三〇時』
「……星の屑の成就、まずは第一歩を果たした。
連邦の傲慢な艦隊は宇宙の塵となり、我々の三年間の忍従は報われたはずだった。
だが……出迎えた同胞たちの目を見た時、私は己の無力さを呪わずにはいられなかった。
彼らの心に深く刻まれていたのは、勝利の喜びではなく、あの『魔女』によって再び魂を蹂躙されたという、底知れぬ絶望であった。
連邦の腐敗はここまで極まっているのか。
誇り高きジオンの騎士たちを、あのような猟奇的な真似で
兵器とは、大義を為すための剣であるべきだ。
命を弄び、味方すら盾にするような狂気の産物を、平然と正規戦に投入する連邦の所業は、もはや人間の行う戦争ではない。
彼らは、我々の命だけでなく、戦士としての魂すらも『効率』の名の下にすり潰そうとしているのだ。
許さん。
決して許してはおかん。
私は、
だが、連邦という組織そのものは、完全に腐りきっている。
あの暗闇で同胞を泣かせ、そして今日、栄光の戦場を猟奇的な血で汚した『十字の魔女』め。
次こそは私が直々に一刀のもとに叩き斬り、その罪の報いを受けさせてくれる。
ジオンの真の誇りを取り戻すため、私は修羅となる」
アナベル・ガトーの気高き怒りは、来るべき最終決戦――地球へのコロニー落としを巡る死闘に向けて、新たな、そして決定的な火種となった。
コンペイトウの闇に消えた核の閃光。
その残照の中で、大義と誇りに殉じようとする武人の怒りと、一切の感情を持たずただ命をすり潰す魔女の虚無が、避けることのできない「絶対的な衝突」に向けて、静かに、しかし確実にその軌道を交差させようとしていた。
歴史の歯車は、十一月一三日の
U.C.0083.11.10 - アクシズ先遣艦隊視点 - へ続く
※アクシズ先遣艦隊視点を挟んだのち、複合視点に切り替わります。