機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】 作:王子の犬
《39》コロニー強奪の成功と熱狂(11月11日 12:00〜21:00)
宇宙世紀〇〇八三年十一月十一日。
コンペイトウの観艦式を灰燼に帰せしめた戦術核の閃光の余韻が、未だ宇宙の真空に漂溺する中、デラーズ・フリートの将兵たちを更なる狂熱の坩堝へと叩き落とす一報が、全艦隊の戦術ネットワークを駆け巡った。
別働隊として隠密裏に機動していたシーマ・ガラハウ中佐率いる海兵隊が、移送中であった地球連邦軍のコロニー『アイランド・イーズ』を無傷のまま強奪し、
すなわち、エギーユ・デラーズ中将が企図した壮大なる反攻計画『星の屑』が、ついに後戻りの許されない最終段階――地球への
『ジオン公国軍 デラーズ・フリート 方面司令部』
『前線指揮官による艦内向け全周波数演説(音声記録復元)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月十一日 一二二五時』
『同胞たちよ!
ついに我々は、あの傲慢なる地球の喉元に決定的なる刃を突き立てた!
先刻、別働のシーマ艦隊の果敢なる機動により、目標たるアイランド・イーズは完全に我々の支配下に置かれた!
連邦の無能なる護衛艦隊は為す術もなく宇宙の塵と化し、コロニーは現在、地球の
これより本作戦は、歴史の真理を立証する最終フェーズへと移行する。
地球の重力に魂を縛られ、この広大な宇宙を私物化せんとした連邦の腐敗した大地に、我々の、そして散華した幾多の英霊たちの正義の鉄槌を下すのだ!
三年に及ぶ忍従は、今日この日のためにこそ存在した。
スペースノイドの真の夜明けは目前である。
各員、最後の一滴まで己の血を燃焼させよ!
ジーク・ジオン!』
「ジーク・ジオン!! ジーク・ジオン!!」
艦内放送のスピーカーが破綻せんばかりの指揮官の絶叫に呼応するように、グワデンをはじめとする各艦の通路や兵員食堂、MSデッキに至るまで、地鳴りのごとき狂信的唱和が巻き起こった。
軍服を油脂と汗で汚染させた整備兵たちが落涙しながら抱擁を交わし、若きパイロットたちは勝利の美酒に酩酊するかのように拳を振り上げている。
三年間の日陰者としての屈辱。
恒常的な物資欠乏。
そして「テロリスト」と蔑まれてきた不遇の日々。
その一切が報われたという巨大な集団的陶酔が、彼らの大脳辺縁系を致死量の快楽物質で充填し、目前に迫り来る決戦への『死の恐怖』を完全に麻痺させていた。
今や、自らが歴史の神話にその名を刻印する無敵の英雄であると、一片の疑いもなく確信していた。
午後四時。
しかし、その輝かしい熱狂の裏面――光が強烈であればあるほど色濃く形成される絶対的な暗部において、確実に精神を腐食されている者たちが存在した。
コンペイトウの地獄のごとき乱戦から生還を果たした、実戦部隊の
デラーズ・フリートの旗艦に急造された医療区画、および帰還兵の待機所においては、表向きの華々しい士気とは決定的に乖離した、重く冷徹な空気が滞留していた。
「……よくやった。
貴様らの決死の
十分に休息をとれ。
明後日には、我々の悲願が成就する」
作戦参謀や前線指揮官たちが、硝煙に塗れ、装甲の破片で損傷したノーマルスーツ姿の帰還兵たちの肩を叩き、力強く慰撫の言辞を振りまいて回っていた。
だが、声を掛けられた古参兵たちの反応は、異様なまでに緩慢であった。
彼らの視線は虚空を彷徨い、焦点が全く結像していない。
支給された毛布に包まりながらもその肉体は微細な痙攣を継続し、ある者は己の両掌を凝視したまま、論理的意味を成さない譫言を反復していた。
「駄目だ……。
あいつが、あいつが存在している……。
味方を
「十字の……真っ黒な化物が……コンペイトウに……」
指揮官が訝しげに眉間を寄せると、軍医が静かに接近し、指揮官の耳元で極めて深刻な所見を囁いた。
「……
それも、極めて重篤なレベルの」
「馬鹿な……。
彼らはア・バオア・クーの地獄すら生き延びた歴戦の勇士だぞ。
あの程度の乱戦で精神構造を圧壊させるなど……」
「ええ。
通常の戦闘がもたらす恐怖ではありません。
彼らの大部分に、暗礁宙域での潜伏任務中に植え付けられた強烈なトラウマの『フラッシュバック』の兆候が観測されます。
……どうやら、彼らが極度に恐れていた『十字の傷を刻む喪服の魔女』が、連邦のアルビオン隊に随伴して実戦投入されたようなのです」
軍医の冷徹な報告に、指揮官は絶句した。
「アルビオン隊に、あの魔女が混入している」という絶望的な凶報は、帰還兵たちの口から口へと、熱狂の裏側で致死性ウイルスのように急速に伝播していた。
名誉ある戦死すら許容されず、味方の弾除けにされた上でゼロ距離からコックピットを蒸発させられるという『猟奇的な処刑』。
大義に殉じる覚悟を完了していたはずのジオンの戦士たちの精神を、根底から粉砕する猛毒に他ならなかった。
軍医は、痙攣の止まらない一人のベテランパイロットの傍らに屈み込み、その硬直した肩に静かに手を置いた。
「……よく耐え抜いたな、軍曹。
もう憂慮には及ばん。
ここは安全が担保された艦の中だ。
お前を捕捉するワイヤーは、この座標には飛来しない」
軍医は、恐慌状態の幼児を鎮撫するような、極めて平坦で落ち着いた音声で語りかけた。
「極限の恐怖で交感神経が暴走しているだけだ。
少し、システムを休ませてやろう。
……腕を出してくれ」
「……嫌だ、死にたくない。
あんな、あんな処理のされ方は……!」
「問題ない。
これを投与すれば、少し眠れる。
完全な、安全な睡眠だ」
軍医は、抵抗を試みる兵士を医療スタッフと共に物理的に拘束しながら、その静脈へ向けて鎮静作用が強力な中枢神経抑制剤を容赦なく打ち込んだ。
数秒後、兵士の瞳孔から狂乱の光が明滅を停止し、操り糸を切断された人形のごとくベッドへと崩れ落ちた。
医療区画には、同様に鎮静剤を経口投与され、強制的な睡眠状態へと誘導されている古参パイロットたちが何人も並べられていた。
作戦の根幹を担うべき彼らの精神構造は、『不可視の死神の影』によって内部から深く食い破られていた。
大義の熱狂という脆弱な装甲の下で、デラーズ・フリートの実戦部隊は、確実に内側からの崩壊という致命的危機を孕んでいたのだ。
同一時刻。
デラーズ・フリート本隊との合流を完遂したアクシズ先遣艦隊の旗艦グワンザン、その巨大なハンガーにおいては、歴史の決定的な転換点となるべき厳粛なる儀式が執り行われていた。
ガンダム試作二号機を相撃ちによって喪失しつつも、奇跡的な生還を果たした『ソロモンの悪夢』アナベル・ガトー少佐に対し、アクシズがその軍事技術の総力を結集して建造した超大型モビルアーマー「AMX-002 ノイエ・ジール」が引き渡される瞬間である。
全高七六メートルに達するその流麗かつ暴力的な巨躯は、ジオンの精神構造そのものを物理的に具現化したかのような、圧倒的な威圧感を放っていた。
ガトーは、その緑色に塗装された巨神のコックピットに収まり、アクシズ側のテストパイロットであるエグザベ・オリベ少尉から、直接、機体のシステムと操縦特性に関するブリーフィングを受けていた。
『ジオン公国軍 アクシズ先遣艦隊 旗艦グワンザン』
『ノイエ・ジール・コックピット内音声記録』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月十一日 一六〇一時』
エグザベ:
「……以上が、火器管制システムとIフィールド・ジェネレーターの同期プロトコルとなります。
少佐、本機体はジェネレーター出力および総推力において、現存するいかなる連邦軍の機動兵器をも完全に凌駕しております。
しかし、それゆえの技術的課題や、極めて独特な『癖』も内包しております」
ガトー:
「構わん、具申してみろ。
いかなる暴れ馬であろうとも、我が大義の前に完全に制御してみせる」
エグザベ:
「機体の総質量が規格外であるがゆえに、スラスターの応答性にコンマ数秒のタイムラグが生じます。
慣性モーメントが巨大すぎるのです。
通常のモビルスーツのごとく力任せに機体を振り回すのではなく、大出力の推力ベクトルに『機体を乗せる』ような感覚で操縦してください。
少佐の卓越した技量であれば、問題なくできるはずです」
ガトー:
「承知した。
……両腕部の、この有線クローアームは?」
エグザベ:
「サイコミュの基礎技術を応用した、インコムによるオールレンジ攻撃兵装です。
ただし、射出・稼働させる際、Iフィールド・ジェネレーターの出力配分が一時的に前面へ偏位するという極めてピーキーな特性を有します。
乱戦下での運用は致命的な死角を生むリスクが存在しますが、至近距離での奇襲においては絶大な破壊力を発揮するでしょう。
……少佐。本機体は、我々アクシズの、そしてジオンの希望そのものです。
どうか、大義のために」
ガトー:
「感謝する。
エグザベ少尉、貴官らの献身には頭が下がる思いだ。
このノイエ・ジールと共に、必ずや星の屑を成就させよう」
[録音終了]
コックピットという密室において、二人の武人は固く握手を交わした。
だが、ハッチを開放し退室しようとしたエグザベは、ふと歩みを停止し、振り返ることなく低く静謐な音声で告げた。
「……少佐、最後に一つだけ、忠告があります」
「何だ?」
「我々が暗礁宙域を突破してこの宙域へ進入する際、センサーのノイズ越しに、連邦の正規教範とは思えない異常な機動で跳ね回る『漆黒の機影』を捕捉しました。
スラスターの燃焼光を一切暴露せず、まるで獲物を捕捉せんとする毒蜘蛛のごとく、デブリからデブリへと完全な無音状態で……」
その言辞を耳にした瞬間、ガトーの背筋に、熱く焦げ付くような凄絶な怒りが走った。
エグザベの言う「
何を意味するのか、ガトーの思考は痛いほど正確に特定していた。
「あれは、我々のように誇りや大義を胸に闘争を行う類の存在ではありません。
ノイエ・ジールは無敵の矛ですが、巨体ゆえの死角は物理的に必ず存在します。
背後の死角には、くれぐれも最大限の警戒を」
「……連邦は、またあの外道を放ったというのか」
ガトーは、コンソールを握りしめる掌にギリリと力を込めた。
暗礁の闇で同胞を猟奇的に屠殺し、そして昨日のコンペイトウにおいても残党兵たちを恐慌状態へと陥落させたという『十字の魔女』。
誇り高きジオンの戦士たちを嬲り、軍人としての尊厳を蹂躙するあの卑劣なる外道が、星の屑の最終決戦の舞台にまで這い出てくるというのか。
「……忠告、痛み入る」
ガトーの双眸は、冷徹な殺意と武人としての極めて純度の高い義憤によって細められていた。
「あの暗闇の死神には、次こそ私が直々に引導を渡してくれる」
午後6時。
一方、コンペイトウの暗礁宙域で無意味な待機を命じられていた地球連邦軍の強襲揚陸艦アルビオンにおいては、軍の硬直化しきった官僚主義と、眼前に迫り来る地球規模の絶望的危機との間で、極限の決断が下されようとしていた。
コロニー『アイランド・イーズ』強奪。
その真の企図が「
自らの軍歴と生命を代償とした、明らかな反逆行為ともとれる単独行動に出ることを決断したのである。
『地球連邦軍 強襲揚陸艦アルビオン ブリッジ』
『通信記録および艦内音声ログ』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月十一日 一八三三時』
[通信ログ開始]
コンペイトウ管制:
『アルビオン、聞こえるか! 直ちに所定の宙域へ帰投せよ。
許可なき発進は明らかな命令違反である!
繰り返す、直ちに……!』
シナプス艦長:
「通信を切断しろ」
通信士:
「……は、はい! 通信回線、切断しました」
[通信ログ終了]
ブリッジに、重篤な、しかし熱を帯びた沈黙が滞留した。
シナプス艦長は、メインモニターに投影される暗黒の宇宙を睨み据えながら、全クルーへ向けて静かに、だが鋼鉄のごとき意志を込めて宣言した。
「総員に傾注を命ずる。
我々はこれより、軍の正規命令を黙殺し、単艦にて敵のコロニー強奪部隊を追撃する。
目標は宇宙ドック『ラビアンローズ』。
同施設に係留されている
……本官の決断は、軍法会議にかけられれば極刑を免れ得ない完全なる反逆行為である。
だが、上層部の無策に同調し、あの『星の屑』を地球に落着させるわけにはいかんのだ!」
「艦長……我々も、最期までお供いたします!」
副長のバサロムが厳格な敬礼をもって応える。
コウ・ウラキ中尉をはじめとするパイロットたちやブリッジクルー全員が、一斉にそれに倣った。
ガンダムを喪失し、無二の戦友を喪失した彼らにとって、この状況下で退くことは、自らの信奉する『正義』を完全放棄することと同義であった。
アルビオンの艦内は、軍規に背いてでも地球を死守するという、悲壮なまでの決意と熱量によって真っ赤に燃焼していた。
しかし。
その熱狂と正義の炎が燃え盛るアルビオン艦内において、ただ一人だけ、その温度から完全に隔絶された『絶対零度の領域』に己を置く者が存在した。
特務〇一機の専任パイロット、シイコ・スガイ中尉である。
彼女は、宛てがわれた自室の狭小なベッドの上に浅く腰掛けていた。
膝の上にひどく擦り切れた古い詩集を広げたまま、一切の感情を反射しない硝子玉のごとき瞳で、ただ無機質な虚空を透過し続けていた。
コロニーが地球へ落下しようが、連邦の体制が崩壊しようが、彼女には響かない。
脳髄を占めているのは、ただ次なる『作業環境』の最適化と、いかにして最も効率よく敵の装甲にワイヤーを打ち込み処理するかという、純粋な殺戮の物理演算のみであった。
正義の熱狂に沸き立つ連邦兵たちの中にあって、感情という機能を完全に
午後9時。
アルビオンがラビアンローズへの最短航路を急ぐ中、MSデッキの整備班詰め所では、整備班長モーラ・バシット中尉が、データパッドに表示された「ある要求リスト」を見て、信じられないというように目をひん剥いていた。
特務01機のシイコ・スガイ中尉から提出された、ラビアンローズ到着後に最優先で受領・補充すべきパーツの請求書であった。
『地球連邦軍 強襲揚陸艦アルビオン 整備班詰め所』
『整備班長モーラ・バシットの音声メモ(環境録音)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月十一日 二一一二時』
[録音開始]
モーラ:
「……冗談じゃない。
何だい、この発注書は。
ラビアンローズの備蓄から、『高張力ワイヤーのドラム』を二〇基?
それに『
若い整備兵が、青ざめた顔でモーラの隣からモニターを覗き込んだ。
整備兵:
「スガイ中尉……あの人おかしいですよ。
こんなもの、MSの正規の武装じゃない。
あんな近接用のアンカーばかり大量に溜め込んで……宇宙空間で、ジオン兵を全員串刺しにするつもりですか?」
モーラ:
「口を慎みな!……とはいえ、あんたの言う通りだ。
こんな猟奇的な兵装ばかり大量に消費しようとするなんて、正気の沙汰じゃない」
モーラは、データパッドを机に放り投げ、重いため息をついた。
彼女の脳裏には、特務〇一機の装甲の裏側にびっしりと懸架されることになるであろう、黒光りする十字の楔の山が想像された。
モーラ:
「弾薬庫に並んだ黒い楔の山を見ていると、まるで中世の拷問器具の倉庫みたいじゃないか……」
整備兵:
「僕、あの機体の整備をするたびに、背筋が寒くなるんです。
あの中尉の目……人間を見てないっていうか、ただの肉の塊か何かとしか思ってないみたいで」
モーラ:
「……分かってる。
私も同じ気持ちだよ。
でも、今はあれの力が必要なんだ。
連邦の正規軍がポンコツばかりで、デラーズの連中がコロニーを地球に落とそうとしている以上、あの『狂った機体』に頼らざるを得ないのが、今の私たちの惨めな現状なんだよ……」
[録音終了]