機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】 作:王子の犬
《44》時限爆弾の帰還と隠蔽工作(11月23日~11月28日)
宇宙世紀〇〇八三年十一月二三日。
北米大陸の穀倉地帯に修復不能な巨大な爪痕を刻み込んだ『星の屑』作戦――いわゆるデラーズ紛争の終結から、わずか数日が経過した地球連邦の首都ダカール。
その堅牢極まる軍事施設群の最深部に隠匿された地下法廷において、歴史の真実を永遠に闇へと葬り去るための極めて陰鬱な儀式が、極秘裏に開廷の時を迎えようとしていた。
表向き、地球圏を未曾有の危機的状況へと陥落させたジオン残党軍によるテロリズムと、物理的に阻止し得なかった連邦軍の責任の所在を明確化するための特別軍事裁判であると呼称されていた。
しかし、法廷の雛壇に列席する将官たちの顔貌に、真理を追求せんとする熱意などは微塵も存在しなかった。
彼らが企図する目的はただ一つである。
コロニー落着という最悪の破局を招来した軍上層部の致命的な無策と失態を隠蔽すべく、極めて手頃な『
『地球連邦軍 法務局・特別軍事法廷』
『星の屑作戦事後処理に関する第一回公判議事録(極秘指定・一部黒塗り)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月二三日 一〇〇〇時』
[議事録抜粋]
検察官:
「……以上の物証および通信記録が明確に立証する通り、地球連邦軍所属・強襲揚陸艦アルビオンのエイパー・シナプス大佐は、コンペイトウ司令部より幾度となく発令された待機命令を完全に黙殺し、独断専行によって艦を発進せしめた。
のみならず、宇宙ドック『ラビアンローズ』においては、軍の正規たる引き渡しプロトコルを完全に踏みにじり、物理的武力を行使してガンダム試作三号機を不法に強奪・接収している。
これは明白なる軍法違反であり、かつ国家に対する叛逆行為に他ならない」
裁判長:
「被告人シナプス大佐。
検察側の起訴事実に対し、何らかの申し立ては存在するか」
シナプス:
「……本官の決断および行動が、軍規に抵触するものであった事実は是認する。
だが、それは硬直化しきった官僚的命令系統の隷下にあっては、地球へのコロニー落着という未曾有の危機を絶対的に阻止し得ないと論理的に判断したためである。
我々は、地球連邦の軍人として果たすべき『正義』に従い、行動を完遂したに過ぎない」
検察官:
「被告の主張は、個人の極めて主観的な感情を根拠とした命令違反の
軍隊という暴力装置において、命令の黙殺はすなわち組織機能の完全なる崩壊を意味するのだ。
結果としてコロニーの地球落着を阻止し得なかった以上、その独断専行は無価値なる叛逆でしかなかったと断じざるを得ない。
よって検察側は、エイパー・シナプス大佐に対し極刑を求刑する。
併せて、不法接収された機体に搭乗し非正規の戦闘行為を敢行したコウ・ウラキ少尉に対し、懲役一年を求刑する」
法廷の空気は氷点下のごとく冷え切っていた。
シナプス艦長の悲壮なる『正義』への訴求は、分厚く冷徹な官僚主義の壁面に虚しく吸い込まれ、誰一人の良心をも目覚めさせることはなかった。
だが、この歴史的議事録において最も戦慄すべき事象は、シナプスやウラキが不条理な裁きを受けているという事実そのものではない。
彼らが文字通り命を懸けて闘争したコロニー追撃戦において、最大の戦果を叩き出したはずの『ある特務機体』と『あるパイロット』に関する言及が、極めて不自然なまでに完全に欠落している事実であった。
デラーズ・フリートが構築した絶対防衛網を紙屑のごとく切り裂き、単機で数十機にも及ぶ敵機を猟奇的かつ無機質に屠殺した特務〇一機『ウィッチズ・ブルーム』。
そして、専任パイロットたるシイコ・スガイ中尉。
彼らを断罪する検察側は言うに及ばず、正当性を擁護すべき弁護側でさえ、彼女の存在についてはいかなる音声信号も発することはなかった。
アルビオン隊の戦術的軌跡を検証する上で、絶対的に避けては通れぬ巨大な特異点であるはずの特務〇一機の存在は、まるで見えざる巨大な権力の手によって、最初から歴史の記述そのものから完璧に『
その『見えざる手』を行使した張本人は、法廷の傍聴席の最上段において、極めて冷徹な眼差しでこの茶番劇の推移を俯瞰していた。
連邦軍の予算、装備、人事を暗部から巧妙に操作し、『
彼にとって、アルビオン隊を「軍規に背いた叛逆者」として祭壇に上げることは、彼自身が深く関与した
だが、鉄壁のポーカーフェイスの裏側において、バウアーの強靭な官僚的精神は、これまでの長きにわたる一度として味わったことのない、じっとりと粘りつくような冷たい焦燥感によって確実に腐食されつつあった。
『地球連邦政府 国防省 ジョン・バウアー執務室』
『私的音声メモ(後に暗号化ファイルとして発見されたもの)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月二三日 二二三〇時』
[録音開始]
バウアー:
「(氷の入ったグラスを机に置く音。
微かな苛立ちを含んだ深い溜息)
……アルビオンの連中の事後処理は、概ね予定されたプロセス通りに推移している。
シナプスには同情を禁じ得ないが、彼らに叛逆者の烙印を刻印し、その証言能力を制度的に封殺しなければ、GP計画の杜撰な管理体制に対する議会からの執拗な追及は免れ得ないからな。
人類という生き物は、巨大な罪を被せられれば物理的にも社会的にも身動きが取れなくなる。
極めて扱いやすい部品だ。
……だが。
あの機体が。
あの『特務〇一機』が、
私は、コロニー『アイランド・イーズ』を巡る交戦が事実上終結したその時点で、アナハイム・エレクトロニクス社の担当窓口に対し、機体ごと戦闘データを完全に消去するよう、絶対的な『廃棄命令』を通達したはずだ。
誰がそのプロセスを阻害した?
AE社のオサリバンか?
いや、あの死の商人どもとて、自身の保身と証拠隠滅で手一杯のはずだ。
……致命的な誤算であった。
あのア・バオア・クーの泥沼から拾い上げ、暗礁宙域の非合法作戦へと投棄したあの女……シイコ・スガイ。
『死人の側に属する人間』は、政治的な野心も感情も一切保持していないがゆえに、最も管理・統制が容易い部品であると、私は自らの論理的演算を過信していた。
彼女にGPシリーズの試作推進ユニットを供与し、極限の機動データを収集させるというスキームは、私自身の『手を一切汚すことのない』極めて完璧なシステムのはずであったのだ。
だが、感情という機能単位を持たない人間には、恐怖による脅迫も、資本による懐柔も全く意味を成さない。
彼女は私が精緻に設計した枠組みを平然と逸脱し、ただ純粋な『作業』の継続としてこのデラーズ紛争を生き延び、あの禍々しい機体と共に、最大の『
あの機体の稼働ログと、GPシリーズから流用された試作推進器の損耗パターンを軍の正規の技術将校に解析されれば、七二時間以内に私への非合法な調達ルートが完全に特定される。
私の政治的生命は、その瞬間に完全なる終焉を迎える。
人間の記憶や証言はいかようにも改竄可能だ。
だが、記録と機体という『物理的証拠』だけは、いかなる詭弁をもってしても隠滅できない。
一刻も早く、あの機体を私以外の勢力……とりわけ、軍内部で台頭しつつあるジャミトフやバスクといった急進派の連中の手が届かぬ座標において、完全に物理的処分を下さねばならない。
私の設計した完璧な構造が、あの『何も感じない時限爆弾』によって内側から自壊しようとしている……」
[録音終了]
自らの手を『無菌状態』に保全するため、あらゆる非合法手段を感情の存在しない人間に外部委託し続けてきたバウアー。
しかし、官僚としての絶対的自信は現在、彼自身が捏造した「意志を持たざる凶器」の帰還によって、その根底から激しく揺さぶられていた。
彼はようやく、ひとつの冷徹な真理に到達しつつあった。
明確な政治的意図を持った政敵からの攻撃よりも、いかなる意図も悪意も持たず、無機質に存在し続ける『純粋な物証』の方が、権力者にとって遥かに恐ろしく、かつ論理的対処が困難であるという絶対的な事実に。
特別軍事法廷におけるアルビオン隊への苛烈なる処断と並行し、地球連邦軍の上層部は『歴史の改竄』という次なるシステム的ステップへと粛々と移行していた。
すなわち、星の屑作戦における
十一月二八日、ダカールの軍統合本部において非公開裏に開催された「星の屑作戦・戦術検証査問委員会」。
同委員会に重要参考人として召喚されたジョン・バウアーは、居並ぶ議員や軍高官たちからの執拗な追及に対し、一切の論理的破綻を許さない、完璧極まる『官僚答弁』を展開していた。
『地球連邦軍 統合本部』
『星の屑作戦・戦術検証査問委員会 議事録』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月二八日 一四〇〇時』
委員長:
「バウアー局長。
本委員会の主たる論点となっているのは、アルビオン隊に配備されていたと記録される『GPシリーズ』、ならびにAE社がテスト運用を実施していたとされる特務機体の性能諸元に関する問題である。
我々の調査機関が算出した結果によれば、当該機体のスペックは、当初連邦議会に対して提出された予算要求および仕様書の枠組みを、著しく逸脱しているという極めて濃厚な疑いが存在する。
貴官は、兵站および開発承認のプロセスにおいて、この事実をいかなる水準まで把握していたのか」
バウアーは、表情筋をコンマ数ミリも動かすことなく、手元のペーパー資料を冷徹な指先で軽く叩いた。
バウアー:
「委員長のご指摘は真摯に受け止めますが、GPシリーズ等の具体的な性能諸元および技術的パラメーターにつきましては、本官の職務管轄の関知するところではございません。
国防省とアナハイム・エレクトロニクス社との間に交わされた開発契約は、すべて適正かつ厳密な官僚手続きに則って処理されております。
我々連邦軍が発注したのは、あくまで『次世代モビルスーツの技術的実証』という抽象的枠組みであり、その具体的な機体設計とシステム的実装については、受注側であるAE社の裁量と技術的判断に全面的に委ねられております。
仮に、完成した機体が発注仕様の枠組みを逸脱し、軍の要求を凌駕する過剰な性能を内包していたという技術的問題が存在するとすれば、それは我々連邦軍側の管理責任ではなく、独自の経営判断をもってそれを実装したAE社側の責に帰するべき事案であると、本官は論理的に判断いたします」
「制度」と「承認手続き」という、何者にも貫通不可能な強固なる盾。
バウアーは、その冷徹極まる論理の防壁を構築することにより、自らの政治的関与を仕様書という『紙切れの外側』へと完全に放逐し、一切の責任を巨大企業たるAE社の暴走というフィクションへとなすりつけることに成功したのである。
追及を試みる側は、それらを覆す決定的な「物証」を提示し得ない限り、
だが、この表舞台における極めて整然とした官僚的手続きの裏面において。
連邦軍情報部の地下深層に幽閉されたある一人の下級士官が、「物証」そのものとなるべきあまりにも生々しい戦闘記録データを直視し、文字通り内臓を裏返さんばかりの激しい生理的嫌悪を催していた……。
『地球連邦軍 情報部 記録編纂課』
『担当士官の個人的な手記(パスワードロック解除済)』
『記録日時:UC〇〇八三年十一月二八日 一八三〇時』
『本日、アルビオン隊より提出された「特務〇一機」の未加工の戦闘ログと、ガンカメラが捉えた視覚映像の解析を実行。
そして……強烈な悪寒に襲われた。
現在に至っても、胃液が喉元までせり上がってくるのを抑制しきれない。
あのシイコ・スガイ中尉という女が展開した戦術ドクトリンは、軍人としてのそれとは対極に位置する、ただの純粋な狂気だ。
デンドロビウムの巨大なコンテナの死角から無音で這い出し、対象となるザクやドムに十字のワイヤーを正確無比に打ち込む。
致死量の高圧電流で機体の自由を完全に剥奪し、自らを防衛するための『
味方の砲火ごと敵をゼロ距離から撃ち貫き、残骸の装甲に『
映像のノイズの向こう側にいるジオン兵たちは、皆一様に、狂乱して泣き叫んでいた。
大義に自らの命を殉じようと決意していた彼らが、まるでただの虫けらのように無機質に解体され、戦士としての尊厳を微塵も残さず蹂躙されていく。
これは戦闘行為ではない。
極めて猟奇的な連続殺人だ。
あのような狂信的かつ冷血な殺戮を、連邦の正規軍が展開する戦場において、我々と同じ軍服を纏った人間が平然と遂行していたというのか?
だが、私が直面している最もおぞましい現実は、あの女の狂気そのものではない。
我々情報部の上層部が、この極めて重要な記録を徹底的に『黒塗り』へと改竄し、彼女という存在そのものと、忌まわしい戦術の事実を、歴史から完全に『なかったこと』にしようと企図しているという事実である。
彼女の機体には、連邦の正規の安全基準を完全に無視した違法な試作推進器――十中八九、GPシリーズの開発リソースからの横流し品であろう――が搭載されている。
その政治的腐敗を隠蔽するためだけに、上層部は彼女の叩き出した異常なまでの撃墜スコアをすべて他の正規部隊の戦果として分散・偽装し、この地獄の映像データを永久凍結のアーカイブへと投棄したのだ。
エイパー・シナプスという、自らの信奉する正義に従ってコロニー落着を阻止せんとした立派な軍人を極刑で断罪しておきながら、その足元ではこのような猟奇的な化け物を制度の闇へと隠蔽し、組織の腐敗した体面だけを取り繕おうとしている。
これが、我々地球連邦軍という組織の真の正体なのか。
このような隠蔽工作には、激しい嫌悪を禁じ得ない。
正義も大義も、所詮は権力の座に寄生する官僚たちが、自らの保身を正当化するための陳腐な装飾品でしかなかったのだ』
連邦軍の真っ当な倫理観を根底から粉砕し得る『十字の魔女』の凄惨な記録は、巨大な組織の自己保存という力学によって、こうして闇から闇へと完全に葬り去られた。
しかし、データコアから記録を消去したからといって、魔女という一切の熱を持たぬ虚無そのものが物理的に宇宙から消滅したわけでは断じてない。
ジョン・バウアーを筆頭とする連邦軍の暗部たちは、自らが捏造し、制御不能となった『爆発寸前の時限爆弾』の次なる処理方法を巡って、さらなる底なしの権力闘争の泥沼へと歩みを進めていくこととなる。