機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《57》建設現場とプチモビ - 泥に塗れた合法の金(11月)

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八五年、十一月。

 

 サイド6に属するイズマ・コロニーにおいては、戦後の急速な人口の流入と経済の復興に追いつくべく、新たな居住区と生産施設の拡張工事が、昼夜の別なく慌ただしく進められていた。

 剥き出しのままの鉄骨が幾重にも組み上げられ、溶接の火花が、人工の空の下で本物の星のように瞬きを見せている。

 行き交う大型の荷台車(ダンプカー)や重機、土木作業用プチモビが絶えず巻き上げる粉塵と潤滑油の匂いが、空気を泥臭く濁らせていた。

 

「……ったく。

 なんで俺がこんな埃っぽい現場で、土方のおっさんたちの愚痴を聞かなきゃならねえんだ」

 

 カイ・シデンは、愛用している白い背広の肩にうっすらと積もった粉塵を忌々しげに手で払い落とすと、頭のヘルメットを少し斜めに被り直した。

 彼は現在、ティターンズとエゥーゴが繰り広げる見えざる暗闘を追うという「本業」の記者活動の傍ら、別名義での小遣い稼ぎとして、イズマ・コロニーにおける都市基盤や末端の労働者たちの姿を切り取る記録記事を執筆している。

 そしてその後ろには、機材鞄や録音機用の予備電池を抱え込んだ、黒髪の少女が影のように付き従っていた。

 

「文句を言うなら、仕事を受けなければいいじゃないですか」

 

 ニャアンは、自分の体よりも二回りほど大きな背嚢を背負いながら、淡々と呟いた。

 

「バカ言え。

 フリーの物書きってのはな、こういう地道なドブさらいみたいな取材が、いざって時の太いコネクションに化けるんだよ。

 お前のその無駄に燃費のいい胃袋を満たすためにも、稼げる時に稼いでおく必要があるだろうが」

「……私のサラダ代なんて、たかが知れてます」

 

 二人がそのような軽口を交わしつつ、無造作に積まれた資材置き場の脇を通り抜けようとした時のことである。

 不意に、太くしゃがれた怒声が飛んできた。

 

「おい、そこの記者(ブンヤ)さんよ!

 邪魔だ邪魔だ、そこを退きな!」

 

 声の主は、この工区を束ねている現場監督の親方であった。

 厳しい日差しに焼かれた赤銅色の肌に、汗の染み込んだ作業着を身に纏う、いかにも荒っぽいが気風の良さそうな初老の男である。

 

「ああ、悪いね親方。

 少し現場の写真を撮らせてもらってる」

「写真は後だ!

 今はコンクリートパネルの搬入で手が離せねえんだよ!

 ……って、おい」

 

 親方は、カイの背後に隠れるようにして佇んでいたニャアンへと、鋭い視線を向けた。

 ひどく痩せぎすな体躯に、この場にはそぐわない黒い衣服。

 しかし、その細い背中に担いでいる機材鞄は、屈強な作業員でさえ音を上げそうなほどに重い。

 それを、彼女は息一つ乱すことなく軽々と支えてみせていたのだ。

 親方はにやりと口元を歪め、泥にまみれた太い指でニャアンを指差した。

 

「おい、そこのひょろ長い黒髪のねーちゃん。

 見学してる暇があったら資材運ぶの手伝え!

 こっちは人手不足で猫の手も借りたいくらいなんだよ!」

「……え?」

 

 ニャアンは驚いたように目を丸くし、カイと親方の顔を交互に見比べた。

 これまでは、カイの取材に同行したとしても「お前はそこで荷物の番をしてろ」と命じられるのが常であった。

 彼女が大人の仕事の領域へと巻き込まれるようなことなど、ただの一度もなかったのである。

 

「ちょ、ちょっと待て親方。

 こいつは俺の助手でね、現場のドカタをやらせるために連れてきたわけじゃ……」

 

 カイが慌てた様子で制止に入ろうとしたが、親方はまったく聞く耳を持とうとはしなかった。

 

「助手だろうが何だろうが、現場に入ったからには働いてもらうぜ!

 その細腕でどこまでやれるか見物だがな。

 ほれ、あそこのボルト箱、二〇キロある。

 三番足場まで運んでみな!」

 

 ニャアンは、少しばかり戸惑いの色を見せてカイを見上げた。

 

「……どうする? 嫌なら俺が断ってやるが」

 

 カイの言葉に、ニャアンは小さく首を横に振ってみせた。

 

「やります」

 

 彼女は荷物を足元へと下ろす。

 迷いのない足取りで、重い鉄の部品が積まれた荷役台の方へと向かっていった。

 

(……二〇キロ。

 デリバリーで運んでいた非合法バッテリーの束より、ずっと軽い)

 

 ニャアンは、腰のバネとしなやかな筋肉の動きを連動させて、重い鉄の箱をひょいと持ち上げた。

 そのまま、鉄管が複雑に組まれた足場の段差を、重力を感じさせない、獣のような身軽さで駆け上がっていく。

 

「おおっ!?」

 

 と、ニャアンの背中に向けた視線が一瞬だけ揺れた

 

「おいおい、すげえバランス感覚じゃねえか。

 あんな細い体のどこにそんな筋力が隠れてやがるんだ。

 しかも足元がまったくブレてねえ。

 まるで見えない足場を知ってる野良猫みたいだ」

「……まあ、色々と修羅場を潜ってきたガキなんでね」

 

 カイは、呆れたように小さくため息をつきながらも、どこか誇らしげに鼻を鳴らしてみせた。

 それから数時間が経過した。

 ニャアンは、完全に現場の荒々しい空気に巻き込まれていた。

 次々と指示される資材の運搬や、足場の固定の補助。

 彼女の、無口なまま黙々と作業をこなしていく姿勢と、荒くれ者ばかりの作業員たちの間で、瞬く間に一目置かれるようになっていた。

 だが、夕刻が近づき始めた頃合いに、現場でちょっとした問題が発生した。

 資材を吊り上げる手はずであった土木用プチモビの専任操縦士が、急な体調不良で倒れてしまったのである。

 

「馬鹿野郎!

 今日中に組み上げなきゃ、明日の工程に響くんだぞ!

 誰か、プチモビの免許持ってる奴はいねえのか!」

 

 親方が怒声を張り上げるが、残っている作業員たちは皆一様に、首を横に振るばかり。

 特殊な重機である小型機(プチモビ)の操縦は、決して誰にでも扱えるような代物ではなかった。

 現場に焦燥を含んだ重い空気が流れ込んだ、その時のことだった。

 

「……あの」

 

 作業用の安全帽を深く被ったニャアンが、そっと小さな手を挙げた。

 

「プチモビなら、昔ちょっと……動かしたことがあります」

 

 親方とカイが、弾かれたように同時にニャアンの顔を振り返った。

 

「本当か、ねーちゃん!?」

 

「はい……。

 少しですけど」

 

 ニャアンの脳裏に、遠い過去の記憶が鮮烈に蘇ってくる。

 あの一年戦争の初期。

 故郷であったサイド2のコロニーが戦場と化し、ジオン軍の苛烈な攻撃を受けたあの日のこと。

 炎と爆発に呑み込まれていく街の中で、まだ幼かった彼女は、家族の安否を確認するいとますら与えられず、港湾施設に打ち捨てられていた作業用の小型機に身を潜め、たった一人で暗い宇宙空間へと逃れ出たのだ。

 死の恐怖と深い絶望のただなかで、必死に操縦桿を握りしめ続けた極限の経験が、彼女の体に最も基礎的な操作感覚を、骨の髄にまで叩き込んでいた。

 

「よし、なら頼む!

 壊さない程度に慎重にやってくれ!」

 

 親方の指示を受け、ニャアンは無骨な黄色い塗料が施された、起重機(クレーン)兼掘削用機の操縦席へと乗り込んだ。

 座席に深く身を沈め、静かに操縦桿を握る。

 

(……懐かしい)

 

 主動力炉に火を入れると、低く重い駆動音を響かせて立ち上がった。

 ニャアンは、自らの呼吸を整えるかのように足元の踏み板を踏み込み、機械の腕の出力を細やかに調整していく。

 ガシャン、と小気味良い金属音が鳴り響く。

 機体の巨大な腕が、地面に横たわる重い鋼鉄の柱を寸分の狂いもなく掴み上げた。

 

「おおっ……いい手付きじゃねえか!」

 

 眼下で見守っていた親方が、感嘆の声を張り上げる。

 ニャアンは、機体の感知器を通して確かに伝わってくる重力と慣性の手応えを感じ取りながら、資材を指示された場所へとゆっくりと運んでゆく。

 そこには、かつて経験したような「命が理不尽に狙われる恐怖」は存在しなかった。

 軍警の影に怯え、息を潜める必要もない。

 いっさいの武装を持たず、殺し合いの戦闘もない。

 重い資材を決められた場所へと運ぶだけの反復作業だ。

 右の機械腕で鉄骨をしっかりと支え、左の機械腕で継ぎ手を固定していく。

 その機械的な動きの連続の中に、ニャアンは不思議なほどの深い安らぎを見出していた。

 

(……ああ、そうか。

 私は今、手を汚さずに仕事をしているんだ)

 

 誰かの命や尊厳を奪うためではなく、新たな何かを形作るために、この機械を動かしている。

 しごく当たり前の事実が、彼女の乾ききっていた心に、一滴の温かい水を落としてくれたかのようであった。

 一方、少し離れた場所からその一部始終をカメラの覗き窓越しに観察していたカイは、わずかに目を丸くしていた。

 

「……お前、動かせるのか」

 

 カイの唇から漏れた呟きは、誰に聞かせるためでもない、ただの独り言であった。

 彼の長年の経験に照らし合わせる限り、十代の子供が――たとえ作業用の小型機であったとしても――あそこまで滑らかに操れる理由は、ただ一つしか存在しない。

 大人の始めた理不尽な戦争が、子供を無理やりに操縦席へと押し込んだからに他ならない。

 かつてアムロやハヤト、そしてカイがそうであったように。

 カイは、それ以上の深い詮索はいっさいしなかった。

 

 「昔ちょっと」と語ったニャアンの短い言葉の裏側に、どれほどの夥しい血と涙、そして取り返しのつかない喪失が隠されているかなど、容易に想像がついた。

 あえて他者の古い傷跡をほじくり返さないこと。

 それこそが、戦争で深く傷ついた子供たちを幾人も見送ってきたカイなりの、大人としての不器用な距離感の測り方であった。

 人工の太陽がゆっくりと光量を落とし、コロニーの空に橙色に染まった夕暮れが訪れる頃合いである。

 今日のすべての工程が終了し、疲労した作業員たちが次々と現場を後にしていく中、ニャアンは操縦席から降り立ち、ヘルメットを脱いで額に滲んだ汗を手の甲で拭った。

 

「おう、ねーちゃん。

 ご苦労だったな」

 

 親方が、冷たい缶入りの珈琲を二つ手にして近づいてきた。

 一つを無造作にカイへと投げ渡し、もう一つをニャアンの前へと差し出す。

 

「助かったぜ。

 お前さんのおかげで、今日のノルマは完璧にクリアだ」

 

「……いえ。

 私、ちょっと手伝っただけですから」

 

「謙遜すんな。

 あんなに器用にプチモビを動かせる奴は、うちの若い連中にもそういねえよ」

 

 親方はからからと笑いながらそう言うと、汚れた作業着の隠しから茶色い封筒を取り出し、ニャアンの胸元へぽんと押し付けた。

 

「ほれ、今日の飯代だ」

 

 ニャアンは、手渡されたその封筒の思いがけない厚みに驚き、慌てた様子で押し返そうとした。

 

「えっ……こんな、もらえません。

 私、カイさんの助手で来てるだけで、正式な作業員じゃ……」

 

「馬鹿野郎、汗水流して働いた奴に金を出さねえほど、こちとら落ちぶれちゃいねえよ。

 受け取っとけ。

 ……また気が向いたら、いつでも手伝いに来な。

 飯代くらいは、きっちり払ってやるからよ」

 

 親方はにかっと白い歯を見せて笑い、その無骨で大きな手でニャアンの頭を乱暴に撫で回すと、背を向けて事務所の方へと去っていった。

 残されたニャアンは、手の中にあるその茶色い封筒を、両手で壊れ物でも扱うかのようにしっかりと握りしめていた。

 封筒の紙越しに確かに伝わってくる、紙幣の微かな重み。

 

(……お金だ)

 

 これまでの彼女の過酷な人生において、常に拭い去れない「罪悪感」や「命の恐怖」と引き換えにして、ようやく手に入れてきたものであった。

 軍警に見つかればすべてが終わるという恐怖に震えながら、いかがわしい薬物や非合法な部品を運んだ対価として与えられる、ひどく冷たい札束。

 今、彼女の手の中にあるお金は、根本的に性質が違っていた。

 いっさいの武装を持たず、誰の命も理不尽に狙わず、誰かの尊厳を奪うこともなく。

 ただ重い鉄骨を運び、額に汗を流したという真っ当な労働の対価として、大人から直接手渡された「手を汚すことのない金」。

 ニャアンは、封筒の端を親指の腹でゆっくりと撫でるように擦った。

 その確かな重みを、初めて自分自身の手のひらで、魂の最も深い奥底で、静かに時間をかけて咀嚼していた。

 

(……これが、真っ当に生きるってことなんだ)

 

 戦災孤児として宇宙の片隅に放り出され、非合法な手段でしか生き長らえる術を知らなかったニャアンが、真っ当な大人たちとの交流を通して、初めて「普通に生きる」ということの輪郭に、その細い指先でそっと触れた瞬間であった。

 

「……おい、いつまで突っ立ってんだ。

 帰るぞ」

 

 数歩先を歩いていたカイが、立ち止まってこちらを振り返った。

 橙色の夕日に照らし出された彼の白い背広は、現場の粉塵をすっかり吸い込んで、みすぼらしい灰色に薄汚れてしまっていた。

 

「……カイさん」

 

 ニャアンは、少しだけ赤く上気した顔でカイを見上げた。

 

「カイさんの分も、私が奢ります」

 

「はっ。

 日当もらったからって急に生意気になりやがって。

 一丁前に大人の真似事か?」

 

 カイは憎まれ口を叩きながらも、優しく、不器用な笑みが口元に浮かんでいた。

 

「まあいい。

 高いステーキでも食いに行くか」

 

「……無理です。

 そんなに入ってません」

 

 二人の並んだ影が、夕暮れの資材置き場に長く、寄り添うように伸びていく。

 冷たく暗い宇宙の片隅で、息を潜めて生き延びることだけを目的としていた少女の心に、消えることのない「体温」が宿り始めた、十一月の終わりのことであった。

 

 

 

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