機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】 作:王子の犬
宇宙世紀〇〇七九年一二月三一日、〇六〇〇時。
ア・バオア・クー宙域は、近代的な軍隊が統制を維持し得る「戦場」の定義から既に致命的に逸脱し、剥き出しの狂気と純粋暴力が支配する、文字通りの
連邦軍残存艦隊の先鋒より、無数の小型機が吐き出された。
宇宙突撃艇パブリクである。
彼らに付与された任務は、極めて単純かつ絶望的なものであった。
すなわち、ジオン軍が誇る要塞砲と防衛艦隊の濃密な対空砲火網のただ中へと特攻同然の突撃を敢行。
その命と引き換えにミサイルに積載された特殊粒子を散布することである。
「パブリク隊、散布開始!」
指揮官の絶叫と共に、無数のミサイルが暗黒の虚空へと放たれた。
直後、要塞表面とジオン艦隊から放たれた極彩色のレーザーと実体弾の嵐がパブリク隊を容赦なく薙ぎ払う。
次々と火球となって爆散していく友軍機を後目に、弾頭から放出された特殊粒子は瞬く間に宇宙空間を汚染していった。
ビーム撹乱膜である。
星々の瞬きを黄と緑が交錯する極めて悪趣味な瘴気へと塗り替える。
宇宙世紀における近代戦の
撹乱膜の展開と同時に、両軍艦隊による艦砲射撃の応酬が開始された。
ビームが拡散し威力を減衰させる中、必然的に交戦距離は極限まで短縮される。
マゼラン級戦艦やサラミス級巡洋艦が、ジオンのムサイ級やチベ級と鼻先を突き合わせるほどの至近距離でメガ粒子砲とミサイルを撃ち合う。
戦艦の分厚い装甲が容易く融解。
内部の空気が爆発的に宇宙空間へと噴出する。
無音の真空中において、幾千幾万の将兵たちの命が単なる光と熱のエネルギーへと変換され、次々と虚無の中へと消え去っていった。
戦術的な艦隊戦などではなく、単なる巨大な質量と質量による凄惨な殴り合いに過ぎなかった。
〇七〇〇時。
狂乱の艦砲射撃を盾とするようにして、連邦軍のMS部隊がカタパルトから次々と射出された。
RGM-79ジム、そして「動く棺桶」と揶揄されるRB-79ボールの群れ。
彼らを迎え撃つべく、ジオン軍もまたリック・ドムやザクⅡ、そして最新鋭のゲルググからなる迎撃部隊を繰り出してきた。
ビーム撹乱膜と濃密なミノフスキー粒子によって、各種センサーやレーダーは完全に機能不全に陥っていた。
パイロットたちに残されたのは、有視界のみを頼りとした、先史時代の白兵戦にも等しい原始的な殺し合いだけである。
ビーム兵器の威力が著しく低下したこの宙域においては、実体弾と近接格闘兵器こそが唯一絶対の死神であった。
泥沼の乱戦の最中、連邦軍の戦術データリンクに、前線で死闘を繰り広げていた指揮官からの異常な戦闘詳報がもたらされた。
第四大隊前衛ジム小隊を率いる、ネルソン中尉からの報告である。
彼がそこで目撃したものは、連邦軍のMS運用教義を根底から覆す、あまりにも異端な戦場の現実であった。
『戦闘詳報:第四大隊前衛ジム小隊』
『報告者:小隊長 ネルソン中尉』
『〇七二五時、当小隊はNフィールドにおいて敵MS部隊(リック・ドム三、ザクⅡ五)と接触。
戦闘状態に突入せり。
ビーム撹乱膜の影響により当方のビーム・スプレーガンの火力が著しく減衰する中、乱戦状態へと移行。
その最中、当小隊の後方より、スガイ中尉の搭乗する黒いガンキャノン(以降、対象機と呼称)が突如として突出してきた。
対象機は、本来後方支援機であるはずのガンキャノンでありながら、スラスターを限界まで吹かし、我々前衛部隊を易々と追い抜いて敵陣のど真ん中へと突撃を敢行した。
我々前衛部隊は、完全に「支援機に追い抜かれる」という戦術的異常事態に直面したのである。
敵部隊は対象機の突出に対し、リック・ドムがジャイアント・バズによる集中砲火を指向した。
しかし、対象機はその直撃を胸部に増設された極めて重厚な増加装甲で正面から受け止め、爆炎の中から全く減速することなく飛び出してきた。
対象機は両手に携行した九〇mmマシンガンによる近接掃射を敢行し、回避行動を取ろうとしたザクⅡ一機を瞬く間に粉砕。
その機動力と装甲強度は、我々の知る砲撃戦用機体のそれを完全に逸脱している。
対象機の狂気的な単独突撃により、敵部隊の陣形は崩壊。
当小隊は対象機の「後方」からの援護射撃に回らざるを得ない状況である。
司令部に対し、当該機の作戦行動の意図と、運用
ネルソン中尉の報告は、軍人としての冷徹な観察眼を保とうと努めつつも、その行間からは明らかな困惑と戦慄が滲み出していた。
彼ら前衛を担うジムのパイロットにとって、ガンキャノンとは後方から頼もしい支援砲火を提供する存在であるはずだった。
それが、戦艦の装甲を剥ぎ取って貼り付けたような異形の黒い塊となり、前衛を蹴散らして最前線で実体弾をばら撒く
もはや連邦軍の兵器ではなく、単なる殺意の権化であった。
〇八〇〇時。
ア・バオア・クーの宙域は、完全に彼我の識別すら困難な泥沼の乱戦状態に陥っていた。
この地獄の釜の底のような戦場において、最も脆弱な存在であったのは、急造の戦闘ポッドであるボールの搭乗員たちであった。
薄っぺらな装甲と貧弱な機動力しか持たない彼らにとって、ジオンの重モビルスーツとの遭遇は、すなわち絶対的な「死」を意味していた。
あるボールの搭乗員は、濁った視界の向こうから突如として現れたジオンの最新鋭機、ゲルググの姿を捉え、通信回路に絶望の悲鳴を響かせた。
「うわあっ! ゲルググが来る! 駄目だ、避けられな……えっ?」
死を覚悟した彼の目の前で、信じ難い光景が展開された。
彼のボールに照準を合わせようとしていたゲルググの背後に、漆黒のガンキャノンが音もなく滑り込んできたのである。
「見ろ! 黒いキャノンが……ゲルググの背中にワイヤーを撃ち込んだ!」
黒い魔女の腰部から射出された
ゲルググのパイロットが何事かと機体を翻そうとした瞬間、ワイヤーの巻き取りモーターが猛烈な悲鳴を上げ、巨大な質量を持つ敵機を力任せに引き寄せた。
「そのまま引っ張って……うげぇ、至近距離から頭にキャノン砲をブチ込んだぞ……」
引き寄せられたゲルググは、黒いガンキャノンの前方に物理的な「盾」として固定され、一切の抵抗を許されぬまま、その両肩に装備された二四〇mmキャノン砲のゼロ距離射撃を頭部へと浴びた。
閃光と轟音。
ゲルググの頭部からコックピットブロックにかけてが、まるで熟れた果実が潰れるように完全に吹き飛び、無惨な残骸と化したのである。
助けられたはずのボール搭乗員は、歓喜の声を上げることはなかった。
ただ、極度の悪寒に全身を震わせながら、通信機に向かって吐き捨てるように呟いた。
「……あれが、連邦の戦い方かよ……」
極めて合理的であると同時に、人道という概念を根本から嘲笑う戦術的暴挙であった。
敵の自由を奪い、自らの盾とし、絶対的な死を強制する。
そこに武人としての誇りや、敵に対する最低限の敬意など微塵も存在しない。
単なる屠殺である。
味方であるはずの連邦兵たちでさえ、その漆黒の悪魔がもたらす物理的暴力の凄惨さに、深い戦慄と嫌悪感を抱かずにはいられなかったのである。
〇九〇〇時。
戦況は新たな局面を迎えつつあった。
連邦の誇る第一三独立部隊、すなわちホワイトベース隊の活躍がジオンの防衛線に深刻な打撃を与えつつある中、それに呼応するかのように、シイコ・スガイ中尉の狂気的な機動が、Nフィールドにおける敵の陣形を根本から瓦解させ始めていたのである。
艦隊司令部の戦術管制室では、索敵オペレーターたちがモニターに映し出される信じ難いデータに目を剥いていた。
『戦闘詳報:艦隊司令部 戦術管制室』
『状況記録:索敵オペレーター』
『報告します! Nフィールド第三セクター、敵の防衛線に完全に風穴が開いています! 突破の起点は……スガイ中尉のRX-77Dです!
中尉の機体は、宙域に漂うデブリや敵艦の残骸に次々とワイヤーアンカーを打ち込み、それを
物理法則を根底から覆すかのような異常なベクトル変化に、敵の射撃管制システムが全く追従できていません! 敵機は中尉の機体に照準を合わせることすらできず、次々と背後を取られ、一方的に粉砕されています!
中尉の周辺宙域だけ、敵機の撃破ペースが完全に異常値を示しています。
これはもはや戦闘ではありません。
単独の機体による、敵防衛線そのものの構造的破壊です!』
オペレーターの絶叫じみた報告が司令部に響き渡る中、将官たちはただ無言で戦術モニターを見つめるほかなかった。
そこには、連邦軍が築き上げてきたあらゆる戦術理論を嘲笑うかのような、一つの「死の舞踏」が記録されていた。
黒いガンキャノンは、自重による強烈な遠心力を利用して宇宙空間を縦横無尽に跳ね回り、獲物を見つけては十字の楔を打ち込み、近接射撃で確実にその命を刈り取っていく。
彼女の通った後には、頭部やコックピットを無惨に吹き飛ばされ、十字の「
白兵戦と化した泥沼のア・バオア・クー宙域において、彼女は連邦軍の軍人としてではなく、純粋な殺戮の意思を持った一個の厄災として君臨していたのである。
我々は、自らが生み出したその漆黒の魔女が、ジオン軍の防衛線をズタズタに引き裂きながら、同時に我々自身の人間性をも食い破っていく様を、ただ恐れおののきながら見つめることしかできなかったのだ。