機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《62》届かない警告と、隠された牙(10月~12月)

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八六年、一〇月。

 

 広大なMSデッキ内部は、重油の()えた異臭とオゾンの焦げた臭気、傲慢なる熱気が充満していた。

 地球連邦、そしてティターンズに、ハイザック等に象徴される、いわゆる『ジオン系技術』を土台として開発された次世代機が矢継ぎ早に配備されつつある。

 純粋たるアースノイド至上主義を教条とするティターンズの組織においては、ジオン系の機動兵器の整備運用を担う技術者たちに向けて、露骨な階級差別が蔓延(はびこ)っていた。

 ティターンズの末端において、ハイザックの整備を強制されている白髪交じりの技術者もまた、被差別層の一員に他ならなかった。

 彼は、かつてジオン公国の名門兵器廠たる「ツィマッド社」において手腕を発揮した。

 デラーズ紛争終結後に連邦へと接収され、エリートを自負するパイロットたちから「残党猿」との下劣な侮蔑を浴びせられながらも、生きるためだけに、油脂に塗れながら黙々とルーチンワークを消化し続けていた。

 いかなる屈辱的状況下にあろうとも、生き延びねばならない。

 それは、〇〇八三年のデラーズ紛争末期に彼自身の瞳に焼き付けられた、凄惨な記憶に起因する。

 

 ある日。

 

 彼は、教導部隊へと新たに配属されたパイロットたちの搭乗機の初期調整を完了させ、コックピット・ハッチから降下せんとしていた。

 ふと、デッキの直下を眺めた折、次期パイロットの集団がブリーフィング・ルームへと向かって歩いていく姿を捉えた。

 屈強な体躯を誇る男たちに混ざって、ひどく大人しげな女性士官が歩調を合わせている。

 彼は、珍しげにその女性士官の顔を凝視した。

 次の瞬間、キャットウォークから足を踏み外しそうになるほどの、凄まじい痙攣に見舞われた。

 指先からスパナが滑落し、デッキの金属床に甲高い打撃音を響かせる。

 硬直のあまり、彼の中枢神経は一切の反応を返すことができず、ただ双眸を見開き、歯の根を激しく打ち鳴らして悪寒に震え続けていた。

 呼吸を忘却し、全身の毛穴から瀑布のごとく冷や汗が噴き出す。

 MSデッキの重油の臭気が、突如としてあの「()()()()()()()()()()()()」へと置き換わっていく。

 

『元ジオン技術者の手記(後に宿舎の端末から発見された遺書めいたメモ)』

『記録日時:UC〇〇八六年 一〇月下旬』

 

「間違いない。

 見間違えるはずがない。

 あの顔、氷のように冷たい、底なしの暗闇のような気配。

 ……あの女だ。

 〇〇八三年の、あの日。

 俺は、アクシズへ向けて逃亡するランチに乗っていた。

 推進剤が切れかけ、死の恐怖に怯えていた俺たちの前に、デブリの影から音もなく現れた真っ黒な機体。

 十字のワイヤーを俺たちのランチに打ち込み、一切の警告も感情も交えず、無言で照準を合わせてきた『魔女の箒(ウィッチズ・ブルーム)』。

 連邦の強襲揚陸艦アルビオンに収容された時……、あの機体から降りてきたパイロットを見たのだ。

 華奢で、物静かで、無表情な東洋系の女性士官。

 同胞を十字架の肉の盾にし、虫けらのようにコックピットを焼き切っていたあの化け物が、この女だったのかという恐怖。

 あの時、目が合った瞬間の、すべてを無に還すような視線を、俺は一日たりとも忘れたことはない。

 俺たちが今生きているのは、あの女が、たまたま気まぐれに引き金を引かなかったからに過ぎないのだ。

 だが……なぜだ。

 なぜ、あのバケモノが、こんな大人しい顔をして、テストパイロット上がりなんていうくだらない経歴を名乗って、ティターンズの軍服を着ている!?

 この部隊の連中は、自分たちがどんな恐ろしい時限爆弾の隣で笑っているのか分かっていない!

 あいつは人間じゃない。

 他人の命を解体するだけの、殺戮機械だ!

 誰か、あの女をこの基地から追い出してくれ……。

 さもなければ、俺たちはいつか必ず、あの十字のワイヤーで縛り上げられ、内側から焼き切られる……!」

 

 この技術者の中で蠢く恐怖は、決して理性に基づくものではなかった。

 シイコ自身は一切の物理的・精神的加害を行っていない。

 廊下でば模範的に会釈し、格納庫においては極めて丁寧に機体の整備を要請し、自機を損耗させて帰投したことすら一度もない。

 だからこそ、彼は絶望と恐怖を抱いたのである。

 あの魔女が「()()()()()()()()()()()()」という事実そのものが、彼の精神を圧壊させる恐怖の源泉に他ならなかった。

 男は、自室のベッドにおいて頭部を抱え込み、発狂した小動物のごとく激しい震え続けるしか術を持たなかった。

 やがて、極限の恐怖は重篤な被害妄想へと膨張を遂げ、ある日、MSデッキにおいて談笑に耽っていたティターンズの男性パイロットたちへと接近し、引き攣った声をもって警告を放ったのである。

 

「……あ、あの、スガイ中尉のことですが。

 彼女を、あまり怒らせないほうがいい……」

 

 男は、脂汗をかきながら、周囲をキョロキョロと見回して言った。

 

「あの女は、あんたたちが思っているような、大人しいテストパイロットじゃない。

 あいつは、暗礁宙域で俺たちジオンの部隊を震え上がらせた、本物の……」

 

 しかし、決死の警告は、最後まで続けることはできなかった。

 パイロットの一人が、抱えていたヘルメットで技術者の肩を小突き、冷笑を浴びせたためである。

 

「おいおい、ジオンの残党猿が何を血迷って怯えているんだ?」

「スガイ中尉が本物の何だって?

 本物のお嬢様か?

 はははっ!

 あんな教科書通りのお遊戯しかできない女に、俺たちがやられるとでも思ってんのか?」

「整備不良の言い訳はやめろ、ツィマッドのジジイ。

 さっさとハイザックのジェネレーターを調整しろ。

 俺たちは忙しいんだ」

 

 エリートを自負するパイロットたちは、技術者の必死の訴えを「ジオン残党の譫言」として一蹴し、嘲笑いながら去っていった。

 「退屈な優等生」というシイコが構築した偽装(カモフラージュ)が完璧に機能していればいるほど、真実を知る者の警告は、より滑稽なノイズとしてしか届かなかった。

 技術者は、遠ざかっていくパイロットたちの後ろ姿を凝視したまま、絶望のあまり、力なく膝からデッキへと崩れ落ちた。

 

 一方、無知なる冷笑と同一の時間軸において。

 エマ・シーン中尉は全く異なる角度から、シイコの隠蔽された『異常性』へと到達しつつあった。

 技術将校から付与された課題の一環として、エマはシイコの操縦データと、自らの機動データとの詳細な比較分析を行なっていたのである。

 自室の端末においてデータファイルを閲覧したエマは、モニターに流転する数値の羅列を捉えた瞬間、思わず呼吸を忘れてしまった。

 

『エマ・シーンの視点(手記・着任三ヶ月後)』

『記録日時:UC〇〇八六年 一〇月後半』

 

「シイコさんのデータを見た。

 同じことが、何度でもできる。

 私は彼女の何分の一も、その域に達していない。

 ペダルの踏み込み、スラスターの出力、機体の重心移動。

 狂いもなく、何十項目にわたって一致している。

 人間の操縦なら必ず生じるはずの微細なブレが、彼女のデータには一切ない。

 ……この人は私とは根本的に違う場所にいる。

 でも不思議なのは、彼女がそれを誇る素振りを一切見せないこと。

 まるで、当然の呼吸であるかのように。

 あの人は一体、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 エマが慎重かつ客観的な分析能力を持つ将校であったという事実は、この局面において大いに幸いした。

 彼女は「自分にも到達可能である」などという浅薄な自己評価を抱かなかった。

 己が庇護すべき脆弱な対象であると誤認していた小柄な女性士官が、その実、底知れぬ技術的特異点に到達した存在であることを、正しく看破していたのである。

 そして、研ぎ澄まされた直感は、十一月のロッカールームにおけるちょっとした会話劇を経て、決定的な『驚愕』へと変質を遂げることとなる。

 訓練後のシャワーを終え、ロッカーの前で髪の水分を拭き取っていたエマは、着替えていたシイコへと声をかけた。

 

 

「ねえ、スガイ中尉。

 今度の長期休暇、何か予定はある?

 もしよかったら、ダカールの街に買い物にでも行かない?

 いつも基地の中にこもってばかりじゃ、息が詰まっちゃうわよ」

 

 シイコは軍服のボタンを留める指先の挙動を静止させ、いささか申し訳なさそうな微笑を浮かべた。

 

「お誘いはとても嬉しいのですが、シーン中尉。

 家に帰らなければならないのです」

「えっ? ご実家?

 それとも、ご結婚されているの?」

「はい。

 夫と……それに、もうすぐ一歳半になる息子が、待っておりますので」

 

 その言葉を聴いた瞬間、持っていたタオルが、無残にも床へと落下した。

 

『エマ・シーンの視点(手紙の草稿)』

『記録日時:UC〇〇八六年 十一月』

 

「……驚きました。

 私がずっと年下だと思って、お姉さんぶって色々教えていたスガイ中尉が、実は私より年上で、しかもあんなに可愛い男の子のお母様だったなんて!

 ……穴があったら入りたい。

 でも、彼女がロッカーから取り出した写真入れを見せてくれた時……息子さんの写真を見る時のあの優しい顔……。

 彼女のような人が守りたいと思う平和のために、将校として立派に戦わねばと、決意を新たにしました

 

 エマの抱いた思いは、彼女の生真面目さと純粋な正義感によって発した、完璧な美談であった。

 しかしながら、シイコ・スガイは「家族の平和を希求する心優しき母」であると同時に、その平和という名の日常を脅かす敵対者を「物理的に解体・処理する」ことに対し、躊躇いすら介在させない、極限の合理性を孕む魔女その人なのだ。

 エマは、己が庇護すべきであると信奉して疑わないシイコが、状況次第では、敵対者を確実に屠殺し得ることに、気づいてすらいなかった。

 真理を知悉する者の必死の警告は体制の傲慢さによって、完膚なきまでに封殺される。

 真理を知らざる者の無垢な善意は滑稽な美談へと変換されていく。

 ティターンズという地球圏最強の巨大組織は、傲慢さと無知に起因して、自らの足元に敷設された時限爆弾の存在から、目を逸らし続けていたのである。

 

 

 

 十二月。

 

 宇宙世紀〇〇八六年もついに年の瀬を迎えた。

 地球圏を覆う大気は、いよいよ氷点下のごとき緊張感によって支配されつつあった。

 ティターンズの各MS部隊は、エゥーゴをはじめとする反連邦組織を弾圧すべく、本格的な実戦配備へと移行していた。

 連日のように緊急出撃を想定したシミュレーションが繰り返され、所属パイロットたちは来るべき闘争へ、アドレナリンを沸騰させていた。

 喧騒と殺意が交錯する熱狂の只中においても、シイコ・スガイは依然として「平凡で退屈なパイロット」という偽装を演じ続けていた。

 血の気に逸る同僚の男性パイロットたちは、実戦の予兆が色濃くなるにつれて、彼女の存在をますます軽んじていった。

 だが、シイコ自身の内面には、「極めて人間的なる揺らぎ」が、微かなエラー信号として明滅を開始していた。

 

『シイコ・スガイの視点』

『記録日時:UC〇〇八六年 一二月後半・個室にて』

 

 割り当てられた個室のデスク。

 シイコは、夫から転送されてきた画像データを眺めていた。

 モニター上の息子は、わずかな期間にまたしても大きくなり、夫の腕に抱かれて無邪気な笑みを浮かべている。

 その表情を瞳に捉えるたび、彼女の胸の奥に熱が灯った。

 同時に、シイコの中で疑念のプログラムが、論理的思考回路を侵食し始めていたのである。

 

(……最近、組織の中で見えてくるものが増えた。

 この組織は「治安維持」を名目に、「治安を乱すもの」を定義する権力を自分たちに集中させようとしている。

 それ自体は知っていた。

 だが、暴力の向かう先が、私が守りたい人々と重なり始めたら)

 

 ティターンズの部隊がスペースノイドの非武装デモ隊を物理的暴力によって鎮圧したという報道。

 基地施設内で恒常的に反響する、極端な地球至上主義を掲揚する狂信的な演説。

 彼女は、自己の家族の平穏を死守するための「絶対防壁()」として、地球圏において最も強大かつ暴力的な権力機構を選択した。

 だが、仮にその傘そのものが、血の雨を降らせるための原始的なシステムであったとすればどうなるか。

 仮にその構造材が、彼女が害意を抱かぬ無辜の市民たちの血と骨によって構築されたものであったとすれば。

 

(……あなた。ぼく。

 私はまだ正しい場所にいますか)

 

 緩慢な動作でデスクの引き出しをあけ、一冊の古びた紙の書物を取り出した。

 

 ディラン・トマスの詩集である。

 

『Do not go gentle into that good night』

(あの快い夜のなかへおとなしく流れてはいけない)

 

 と印字されたページに、小さく折り目がついている。

 いつからそこに折り目ができたのか。

 かつて、自らの感情というバグを物理切断するため、無感情な音声として出力していたそのテキストデータが、今や全く異なる周波数帯のノイズとなって彼女の中枢神経を波打っていた。

 シイコはもはや、入力信号に従って引き金を引くだけの「純粋なる機械」ではない。

 愛する者を守るため、自らの意志で戦場を選択した、血の通った一個の「人間」に他ならない。

 人間である以上、迷い、疑念を抱き、そして選択を強要される。

 シイコの論理回路に発生した微小なエラー(揺らぎ)は、来たるべき破滅的な嵐の到来を予見させる、決定的な前兆であった。

 

 

 

 巨大基地の最下層に位置するMSデッキの片隅において。

 ただ一人、深い絶望と極限の恐怖に神経を押し潰されながらも、シイコ・スガイという存在の「真なる正体」を確信し続けている男が存在した。

 他ならぬ、あの旧ジオン公国出身の技術者である。

 彼は、「残党特有の被害妄想」と嘲笑されながらも、己に割り当てられたタスク――すなわち、シイコが搭乗するハイザックの定期メンテナンス――を、執念のみをもって継続していたのである。

 深夜の無人と化したデッキにおいて、シイコの乗機であるハイザックのメインフレームへと解析用コンソールを接続し、日々のシミュレーションにおいてストレージに刻み込んだ「バイタルログ」と「機体制御ログ」の、深層データを抽出するという暴挙に及んでいた。

 

『元ジオン技術者の独白(個人的に暗号化された音声ログ)』

『記録日時:UC〇〇八六年 一二月三一日・深夜』

 

「……馬鹿どもは、彼女の動きを『教科書通りで実戦向きじゃない』と笑う。

 そうじゃないんだ。

 俺は、このハイザックのログを見た。

 彼女が意図的に手加減している表面上のデータではなく、機体の駆動系と彼女の神経系が交信している、本当のナマのログだ。

 明らかに異常だ。

 人間のデータじゃない。

 彼女のペダルの踏み込み、レバーの入力、スラスターの噴射角。

 すべてが、システムの遅延すらも完全に先読みして行われている。

 反応速度が異常なのではない。

 彼女は、機体が次にどう動くか、敵がどう動くかを、完全に『知っている』。

 実戦で生き残れないからマニュアル通りに動いているわけじゃない。

 『無駄な殺意』を完全にコントロールして、狂気を完璧に隠蔽しているだけだ!

 周りのエリート気取りの馬鹿どもに自分を見下させ、エマ・シーンのようなお人好しに庇護されることで、彼女はティターンズという組織の最も安全な死角に、潜り込んでいる

 あいつは、ただ待っている。

 自分が愛する家族を脅かす、本物の『敵』が目の前に現れるその日を。

 もし、エゥーゴだかジオンの残党だか知らないが、彼女の家族を脅かすような本物の敵が現れて……あの女の、分厚い安全装置(セーフティ)が外れたら――。

 俺には分かる。

 〇〇八三年の暗礁宙域。

 俺たちを屠ろうとした殺意が、このハイザックという機体を通してでも、完全に解き放たれる。

 その時は……すべてが、あの女が打ち込む十字架の墓標に変わる。

 ティターンズも、エゥーゴも関係ない。

 あいつは、ただ家族を守るためだけに、目の前にあるすべての命を解体する、冷酷な作業機械へと戻るんだ」

 

 男の激しく痙攣する音声は、コンソールが発する微弱な電子音とともに暗闇の中へと、吸い込まれるようにして消えていった……。

 

 

 




次回、U.C.0086 "MRX-011" test day. へ続く。
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