機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《64》狂気の高負荷と自我の拡大(試験当日 13:00~15:00)

 

 

 

 一三:〇〇。

 

 僅かなる休息を挟み、非公式テスト施設の暗黒宙域において、MRX−011先行試作機の稼働試験は午後のプログラムへ移行した。

 

「フェーズ3:高負荷連続稼働試験(限界接近フェーズ)

 

 午前中の試験プログラムが、機体ならびにシステムの純粋たる性能証明であったとするならば、午後の試験は、搭乗する「生体部品(ドゥー・ムラサメ)」の耐久限界を計測し、可能であればその限界点すらも人為的に突破せしめようと企図する、極めて非人道的かつ冷酷なるプロセスであったと言えよう。

 

『ハルト・ドレーゼン技術主任 管制室 音声記録(フェーズ3開始前)』

『記録日時:一三:〇二』

 

「ここからが本当のデータ収集だ」

 

 ドレーゼンは、管制室のメインモニターを凝視したまま、低く押し殺した声で呟いた。

 彼の周囲に控える技術員たちは、これから決行される残酷なる負荷実験の重圧を前に、皆一様に固く口を閉ざしている。

 ドレーゼンはマイクのスイッチを投入した。

 

「ドゥー、これから負荷を段階的に上げていく。

 

 機体のサイコミュ・フィードバックゲインを上昇させ、お前の脳波とシステムとの同期レベルを強制的に引き上げる。

 これは、脳神経への直接的な負荷を伴う」

 

 彼は一呼吸置き、努めて事務的で、感情を交えぬ音声を作ろうと試みた。

 

「限界と感じたら、コードワードを言ってくれ」

 

ドゥー:

『要らない』

 

 スピーカーより返ってきたのは、コードワードを冷徹に拒絶する、平坦な音声であった。

 ドレーゼンは言葉を失い、絶句した。

 

「……何?」

 

ドゥー:

『コードワードは要らない。

 限界になる前に主任が止めるか、機体が止まる。

 どちらかだ』

 

(沈黙四秒)

 

 自らの命に対する執着を完全に放棄した者のみが発し得る、究極の諦念に他ならない。

 ドゥーは自分自身に「限界を訴える権利」が備わっていることすら認識していないのである。

 自らは単なる計測機器に過ぎず、破壊に至るか否かを判断するのは観測者(ドレーゼン)の役目であるという、絶対的な自己の放棄。

 ドレーゼンの胸の奥底において、人間としての良心が鈍い痛みを上げたが、彼はそれを技術者としての冷徹なる目的意識によって力任せに押し潰した。

 

「……そうだな。その通りだ。

 じゃあ、始めよう」

 

『ドゥー・ムラサメ フライトレコーダー(フェーズ3・負荷段階的上昇中)』

『記録日時:一三:一五~一四:三〇』

 

「レベル三——確認。

 有線デバイス全基、目標追尾中」

 

 ドゥーの声は、暗き宇宙空間の真空に溶解していくが如く静かであった。

 

(バイタル記録:心拍数一二四、体温三七.八度、脳波β波増大)

 

 サイコミュのフィードバックレベルが上昇するのに伴い、機体側の膨大なる情報が、彼女の脆弱な脳神経回路へと直接的に流入してくる。

 視神経を経由せぬ、直接的な「空間の知覚」。

 それは、人間の許容量を遥かに凌駕する情報の濁流であった。

 

「レベル五——機体応答、遅延なし」

(バイタル記録:心拍数一三八)

 

 彼女の肉体は確実に警鐘を鳴らし始めていた。

 脈拍は跳ね上がり、体温は微熱の域を超過せんとしている。

 だが、その意識は肉体的苦痛から完全に遊離しつつあった。

 ——機体と同期する。

 ——システムと融合する。

 かつて『STIGMA』なる異常なデータを残した魔女(シイコ・スガイ)の機動を支えし、底知れぬ深淵へ到達せんがため、ドゥーの自我はシステムの中へと溶解し、際限なく拡張されてゆく。

 

「レベル七——」

(沈黙三秒)

 

 ドゥーの意識の中において、肉体の境界線が曖昧なものとなっていく。

 手足の感覚が消失し、代わって巨大な鋼鉄の装甲と、四方へ展開した有線デバイスが「自身の身体の一部」として認識され始める。

 

「……頭の中に、(キラキラ)がある——」

 

 その呟きは、システムを通じた自我拡大による、静かなる恐怖、狂気じみた静謐の発露であった。

 

「サイコミュが、外の空間を読んでいる。

 私の目ではなく、デバイスが見ている。

 これは——どこまで、広がるんだ」

(バイタル記録:心拍数一五一、β波最大域)

 

 彼女の意識は、有線デバイスのケーブルを伝い暗黒の宙域へと拡大し、数百メートルも離れた空間の塵の微細な挙動すらも感知し始めていた。

 自我が宇宙そのものと一体化していくかのような、甘美にして恐るべき感覚。

 だが、その認識の拡大は、観測しているナナイに恐怖をもたらしていた。

 

『ナナイ・ミゲル技術少尉 観測記録(フェーズ3)』

『記録日時:一四:四〇』

 

 ナナイは、観測機たるアクト・ザクのコックピット内において、周囲のモニターに映し出される光景に息を呑んでいた。

 MRX−011(サイコ・ガンダム)から射出された八基の有線サイコミュ・デバイスが、まるで独自の意思を具備した深海の生物の如く、アクト・ザクを包囲するように展開していたためである。

 

「MRX−011の有線デバイス、全八基が私の周囲に展開している。

 距離は最短で約四〇〇メートル。

 ……これは、怖い」

 

 ナナイの声は、微かに震えを帯びていた。

 

「ドゥーの意識がここまで広がっているということだ。

 私のアクト・ザクは観測機だが、彼女(ドゥー)の認識の中では——おそらく——標的の一つとして捉えられている」

 

 デバイスのレンズが、まるでドゥーの冷酷な瞳を映し出す鏡の如く、アクト・ザクを凝視している。

 

「デバイスの動きに迷いはない。

 狙われている感覚だけがある」

 

 仮に今、ストッパーが解除され、『STIGMA』ベースたる〇.三一秒以下の射撃解決アルゴリズムが作動したならば、一瞬にして宇宙の塵と化すであろう。

 ナナイは、サイコミュ兵器という存在の恐ろしさを、肌で、魂の奥底で理解させられていた。

 

「これがフォウに引き継がれるのか。

 MRX−009(サイコ・ガンダム)に行くのか。

 ……いや、違う。

 ()()()()()と言っていた。

 ではこのデータは、()()()()()?」

 

 

 

『ガルダ・ツァハ技術員 管制室 音声記録(フェーズ3末期)』

『記録日時:一四:五五』

 

 管制室においては、パニックが静かに拡大しつつあった。

 モニターに表示されるドゥーのバイタルサインが、人間の生存限界を明示するレッドゾーンへと突入したためである。

 

「主任! ドゥーのβ波が設計上限に近づいています!

 このまま続けますか!?」

 

 ガルダ・ツァハ技術員は、モニターに張り付いたまま、悲鳴の如き声を上げた。

 

「バイタルは——心拍一五一、体温上昇……機体制御は完全に安定しています!」

 

 それこそが、この状況における最も異常で、狂気に満ちた側面であったと言えよう。

 通常のパイロットであれば、心拍数が一五〇を超過し、極度の緊張と身体的負荷に曝されれば、必ず機体の操縦に震えや遅延が生じる。

 ペダルの踏み込みが甘くなり、レバーの入力が乱れるはず。

 だが、ドゥーの操縦ログには、そのブレが一切存在しない。

 機体は、まるで何事も発生していないかの如く、スムーズに、かつ完璧な精度で高負荷機動をこなし続けている。

 

「制御安定してるのにバイタルだけが限界に近い、こんなデータ、見たことない……」

 

 ツァハは、信じられぬものを目撃する眼差しでモニターを凝視した。

 

「彼女、機体と一体化している。

 機体が安定しているから、自分の体が壊れていくのに気づいていないんじゃないか——」

 

 人間の肉体が悲鳴を上げているにもかかわらず、機械のシステムが「正常」と上書きし、パイロットから苦痛の認識すらも収奪している。

 『STIGMA』という異常なる床(限界値)へ人間を立たせるための代償。

 パイロット自身の肉体と精神が破壊されていくことすら自覚させぬという、強化人間とサイコミュシステムがもたらす最も残酷なる「呪い」の完成であった。

 

 

 一四:五八:三二。

 管制室のメインモニターに、致命的警告の赤い光が明滅した。

 

警告記録:被験体バイタル 心拍数一六三 閾値超過(設計上限一六〇)

 

『ドレーゼン技術主任 管制室(中断直後)』

 

 ドレーゼンは、コンソールに叩きつけるようにして強制中断のスイッチを投入した。

 

「ドゥー、中断だ。機体を静止させろ」

 

 その声には、技術者としての冷徹さを超越した、隠しきれぬ焦燥が混入していた。

 

ドゥー:

『……なぜ』

 

 スピーカーより返ってきたドゥーの声は、心拍数一六三という限界状態にある人間のものとは到底信じ難いほど、平坦で、不思議なほどに落ち着き払っていた。

 

「心拍が一六三だ。

 機体は正常でも、お前の体が限界だ」

 

ドゥー:

『……感じていなかった』

 

 心臓が破裂寸前であることすら、彼女はシステムによって覆い隠され、知覚できていなかった。

 

「だから危険なんだ。休憩を取る。水を飲め」

 

 ドレーゼンは荒い息を吐きながら、ツァハへ振り向き、誰にも聞こえぬような小声で命じた。

 

「……今の『感じていなかった』をログに入れておいてくれ。

 これはSTIGMAのパラメータとは別の、貴重なデータだ」

 

 機体が人間の感覚を喰い殺すという恐るべき事実すらも、彼らは次なる兵器開発のためのデータとして貪欲に吸収しようと目論んでいたのだ。

 

『ドゥー・ムラサメ フライトレコーダー(中断中・静止状態)』

『記録日時:一五:〇〇~一五:一五』

 

 システムの一部が休止状態へと移行し、MRX−011のコックピットは静けさに包まれた。

 

(約一五分間の沈黙。機体の冷却音だけが微かに響き続けている)

 

 ドゥーは、暗いモニターを凝視し、胸の奥で微かに脈打つ名残惜しさのような感覚を持て余していた。

 機体と一体化し、宇宙まで拡大する意識は、自分が「ただの部品」ではなく、巨大で全能たるシステムの一部であるという錯覚だった。

 その感覚は強制的に切断され、彼女は再び矮小で脆い、孤独な肉体へと押し戻されてしまったのだ。

 

「……あと、どのくらい?」

 

 彼女の呟きに対し、管制室からの応答は存在しない。

 

「試験が終わったら——」

 

(沈黙八秒)

 

「終わったら、私は()()()()()

 

 その独白は、管制室では受信されていなかった。

 ドゥーの孤独な魂の叫びは、フライトレコーダーのメモリーの奥底にのみ、ひっそりと記録されたにすぎない。

 用済みとなった自分が何処(どこ)へ廃棄されるのかという、根源的問いのみが、真空の闇の中をあてもなく漂っていた。

 

 

 

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