機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】 作:王子の犬
一八:〇〇。
全プログラムを完遂した
灼熱した装甲が放つ熱気と、白濁して立ち上る冷却ガスの蒸気が、無機質な空間を白く染め上げていくコックピットハッチが開放され、自力で降りたドゥー・ムラサメは、出迎える技術陣に一瞥をくれることもなく、無言のまま通路へと歩み去った。
その足取りは、極限の疲労を抱え込んでいるはずの生身の肉体とは思えぬほどに、正確であり、かつ機械的であった。
管制室に隣接するデータ処理作業室では、システムより抽出された膨大なログの解析が、夜を徹して決行されていた。
モニター上に羅列される数値は、技術者たちが抱いた最も野心的な予測すらも凌駕する、完璧なる「成功」を指し示していたのである。
『ガルダ・ツァハ技術員と同僚の環境録音(作業室にて)』
『記録日時:UC〇〇八六年 試験当日 二〇:一五』
(キーボードを叩く乾いた音と、冷却ファンのハム音だけが響いている)
「……全部クリアした。
上限も下限も」
ガルダ・ツァハの声は、本来であれば歓喜に満ちて然るべき技術的達成を口にしながらも、ひどく掠れ、乾ききっていた。
「〇.二七秒、出たんだよ。
STIGMAの〇.三一を下回った。
機体が、設計の根拠になったデータを超えたんだ」
彼は、手元のデータパッドに表示された『〇.二七』なる究極の数値を、親指で強く擦った。
「……でも、なんで嬉しくないんだろうな、俺」
同僚の技術員が、モニターから視線を外すことなく低い声で応じた。
「……お前も感じてたか。俺もだ」
「ドゥーが帰投した時、目が合ったんだよ。
コックピットから降りて、何も言わないで通り過ぎた」
ツァハの脳裏には、あの時のドゥーの瞳が焼き付いて離れなかった。
虚無。
底なしの闇。
光の届かぬ深海の底。
「あの目、見たことがある。
……一年戦争で殺しすぎた人間の目だ」
ツァハは頭を抱え込み、作業机に突っ伏した。
彼らは、サイコミュという最先端システムを構築したと自負していた。
だが、実際に為した所業とは、「生身の少女の魂を削り取り、暗黒の宇宙で一〇〇人以上を殺戮したという『魔女』の精神構造を、無理やり上書きして再現した」に過ぎなかったのではないか。
「俺たち、何を作ったんだろうな」
技術者としての絶対的達成感と、人間として逃れ得ぬ罪悪感。
その板挟みとなる状況下で、若き技術員たちの精神もまた、不可視の刃によって深く削り取られていたと言えよう。
同時刻、自室へ帰還したナナイ・ミゲル技術少尉は、提出用の端末と私用の端末を前に、深く重苦しい葛藤の中に取り残されていた。
『ナナイ・ミゲル技術少尉 個人手記(その夜)』
『記録日時:二一:三〇』
「今日見たことを、そのままムラサメ研に報告する気になれない。
数値は正確に上げる。
〇.二七秒。
全基同時展開、安定確認。
バイタル上限超過一回、中断後に回復。
でも、ドゥーが帰投した後に私と目が合った時のことは書けない。
彼女は私を見て、少し——本当に少しだけ——首を傾けた。
それだけだった。
それが彼女の精一杯の、何かだったと思う」
ナナイの脳裏には、管制室の通信より漏れ聞こえた「シイコ・スガイ」という固有名詞と、フェーズ4においてドゥーが漏らした「
「彼女はこの試験の意味を知らないはずだ。
自分のデータがどこに使われるかも、誰のデータが自分の機体に入っているかも。
私は知っている。
半分だけ。
半分しか知らないまま、今日のことを抱えて帰る。
それが今の私にできることだ」
ナナイは、連邦将校としての義務と一人の人間としての直感の狭間において、ある決断を下した。
『ナナイ・ミゲル技術少尉 ムラサメ研究所向け連絡報告書(公式版/抄録)』
『
被験体ドゥーの適合状況は良好であり、TYPE−B PSYCHO−INTERFACEとの接続での応答精度は設計値を上回った。
彼女は、公式報告書から一切の「不確定な人間的要素」を削ぎ落とす処置に出た。
シイコ・スガイの名も、ドゥーの亡霊めいた独白も記されていない。
そして、何者の目にも触れることのない、個人の暗号化ディレクトリの最奥にのみ、事実を封印した。
『ナナイ・ミゲル技術少尉 ムラサメ研究所向け連絡報告書(削除された草稿断片)』
『……本報告には記載しなかったことが一点ある。
試験最終日、ドゥーがコックピットの中で言った言葉——「私より前に、誰かが同じことをしていた」——この言葉を、私は正式記録に入れなかった。
なぜそうしたのか、自分でもよく分からない。
ただ、彼女の言葉として、ここに残しておく』
ナナイは、無意識のうちに理解していたに違いない。
この狂気に満ちたデータの連鎖上に『個人の名前』を持ち込む行為は、何者を救済するものでもないばかりか、彼女たちをより底なしの政治的泥沼へと引きずり込む結果にしかならないという冷酷な事実を。
深夜の施設内。
ドゥー・ムラサメは、割り当てられたベッドルームへ帰還するため、人影のない静まり返った廊下を歩いていた。
彼女を、薄暗い通路の先で待ち受けていたのは、ハルト・ドレーゼン技術主任であった。
『ドレーゼン技術主任 施設内廊下 ドゥーとの会話(環境録音)』
『記録日時:二三:四五』
「……ドゥー。少しいいか」
ドレーゼンの声は、試験中に見せた冷徹で威圧的なものとは異なり、一人の疲弊しきった中年男そのものに変貌していた。
ドゥー:
『何』
「お疲れ様だった。
本当に。——今日、よく頑張ってくれた」
ドゥーは歩みを止め、何の感情も宿さぬ双眸でドレーゼンを見つめ返した。
ドゥー:
『……終わったら、どうなりますか』
(ドレーゼン主任、長い沈黙)
「……それは、俺の決めることじゃない。
上が決める」
ドゥー:
『そうですか』
ドゥーはそれ以上の問いを発することなく、再び歩行を再開しようとした。
ドレーゼンは思わず一歩を踏み出し、彼女の背に向けて声を絞り出した。
「ただ——俺はお前に、もう一度普通の眠りを、願ってほしいと思っている。
それだけは、本当だ」
彼女の精神を限界点まで削り取り、狂気のデータを抽出せしめた技術責任者としての、あまりにも虫のいい、自己満足に過ぎぬ贖罪の言葉であった。
ドゥーは立ち止まり、振り返ることもなく、暗い廊下の先を見据えたまま応じた。
ドゥー:
『……普通の眠り、といういうものを、少し、忘れました』
(ドレーゼン主任の応答なし。廊下に足音が遠ざかる)
ドレーゼンは立ち尽くし、足音が完全に消えるまで、身じろぎ一つできなかった。
彼は、自分たちが手中に収めた「〇.二七秒」という輝かしきデータの代償として、一人の少女から「人間としての安らぎ」を永遠に収奪してしまったという事実を、重く背負い続けることとなったのである。
数日後。
AE社のデータセンターより、連邦軍およびティターンズ上層部へ向け、最終的な完了報告書が提出された。
『MRX−011最終稼働試験 完了報告書(抄録)』
『試験結果区分:全目標達成(A評価)
一. 射撃解決時間:最良値 〇.二七秒(設計基準値 〇.三一秒を下回る。連続五回の平均:0.二八七秒)
二. 有線デバイス全基同時展開:安定確認。目標一四体への同時捕捉・応答、問題なし
三. 被験体バイタル:フェーズ3にて心拍数上限超過(一六三回/分)を一回記録。中断後に回復。
総評:被験体は機体の応答安定を優先して自身の身体限界への感度が低下する傾向あり。
(注:この傾向はSTIGMAデータとの設計整合性を示すものとして肯定的に評価できる)
四. TYPE−B PSYCHO−INTERFACEの設計妥当性:実証完了。
備考:本試験をもって、MRX−011先行試作型の全稼働試験を終了とする。
機体の次工程については別途指示を待つ。
搭乗被験体の処遇については上位機関の決定に従う』
公式記録には、技術者たちの涙も、ナナイの葛藤も、ドゥーの喪われた眠りも、一切記載されていない。
そこにあるのは、「A評価」という結果と、「〇.二七秒」という絶対的な数値だけが、冷たく刻印されているに過ぎない。
試験より数日後、MRX−011は解体処理へと移行した。
OSに関与する部品は連邦軍へ引き渡され、OSに関与せぬ部品はジャンクとして売却処分された。
「用済み」と判断されたドゥー・ムラサメは、ティターンズへの移管が決定され、施設を去った。
ドレーゼン技術主任は無言で彼女を見送った。
「私より前に、誰かが同じことをしていた」——ドゥーはそれ以上追及することはなかった。
シイコ・スガイという名をドゥーは知らぬ。
シイコ・スガイもまた、ドゥーという名を知ることはない。
両者を繋ぐ『STIGMA』という残酷な事実を認識する者は、この場に居合わせた誰一人として存在しなかった。
人間たちは、その魂を極限まで削り取られ、消費され、傷つき、やがて忘れ去られてゆく。
だが、彼女たちが血と精神を代償として抽出せしめた「〇.二七秒」という異常な『
AE社の巨大なデータベースの最深部に「TYPE−B標準パラメータ」として定着し、今後製造される数多の兵器のサイコミュ設計書へと、永遠に継承されていくのである。
誰の限界値であるかも問われることなく。
誰の苦痛がそこに内在しているかも知られることなく。
ただ、兵器を効率的にかつ冷酷に稼働させるための「完璧なる歯車」として。
宇宙世紀の暗黒の中、静かなる狂気の連鎖は、かくて誰の目に触れることもなく完了したのであった。
次回、U.C.0086年における地球でのニャアンの話です。
少し量が増えてしまい、圧縮中です。