機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《69》見えない履歴と冷徹なる評価者(8月〜10月)

 

 

 

『カラバ極秘文書:人員移管・受け入れ記録』

『記録日時:UC〇〇八六年七月三一日』

『記録者:ハヤト・コバヤシ』

 

 本日一四〇〇、オテック社の正規便にて、カイ・シデンの紹介とされる人員一名(氏名:ニャアン、年齢十八歳)が当拠点に到着した。

 カイからの事前の暗号通信には、「俺の荷物持ちだったが、不要になったのでそっちで引き取れ。機械を多少いじれる」とだけ記されていた。

 当該人員は極度に口数が少なく、素性についての質問にはいっさい答える様子がない。

 しかし、カイが紹介してくる人間だ。

 信頼に値すると断言できよう。

 整備班の末端として、試験的に配置することを決定した。

 ……余談であるが、数日前に暗号回線で直接話した際、奴は取材の進捗については饒舌に語り尽くした後、通信を切る直前になって、どこか投げやりな響きを含む声で、『……ちゃんと飯食わせろよ』と言ったのである。

 奴の性格からして、自らが巻き込んで死なせてしまう恐怖に耐えきれなくなったのだろうということは、容易に想像がつく。

 私はその理由をあえて問うことはしなかった。

 古い仲間としての、私なりの礼儀であるからだ。

 少女の様子を継続して観察するつもりである。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八六年、八月。

 

 北米にある、超大型輸送機ガルダ級アウドムラの陸上格納庫。

 重機が低いうなりを上げ、飛び交う怒声が金属の壁に絶え間なく反響する中で、ニャアンはひっそりと息を潜めていた。

 カイ・シデンという「気を許せる厄介な大人」は、もういない。

 彼女を置き去りにしたまま、遠く危険な世界へと去ってしまった。

 その事実が、ニャアンの心を再び分厚い氷の殻で覆った。

 

(もう、文句を言う相手もいない。

 私はただの、代替可能な部品。

 目立たず、黙って、言われた通りに動く。

 それがここで生き延びるためのルールだ)

 

 ニャアンは今、カラバの整備班の末端として、機体の移動や整備前の準備といった雑用を宛てがわれていた。

 与えられた仕事を黙々とこなすのが、彼女なりの防衛機制であった。

 その日、彼女が点検を命じられたのは、拠点内で「ジムもどき」と揶揄されている一機のモビルスーツであった。

 ジムⅡ系と思われる外装が使われていたが、ニャアンが装甲の隙間に指を差し入れた瞬間、指先が微細な違和感を捉えたのである。

 

(——違う。ジムⅡじゃない)

 

 かつて戦火のコロニーで土木用小型機(プチ・モビ)の操縦桿を握り、生き延びた彼女の身体に刻まれた深い記憶が、目の前にある機体の「本当の姿」を直感的に読み取っていた。

 重心は低く、脚部の出力配分も読み取れる——空を飛ぶための機体ではない。

 低い姿勢で地表近くを這いずり回り、泥と火薬にまみれて戦い抜いた、あの一年戦争における過酷な地上戦の記憶。

 機体の骨格には、「見えない履歴」が色濃く残されていた。

 ニャアンの指先が、外装で覆い隠された腰部補助アームの筐体に触れた。

 指示書には記載のない箇所である。

 微細な歪み。

 彼女は工具を手に取ると、誰に命じられることもなく、黙ってその歪みを最適な位置へと調整していった。

 

(この機体は、無理をしてきた。

 私と同じだ。

 だから、少しでも楽に動けるように)

 

 作業を終えたニャアンは、情報端末を取り出した。

 整備記録の型式欄に、偽装用の名称ではなく、「RX-79[G]と正確な文字を打ち込む。

 ふと、背中越しに鋭い視線を感じた。

 見上げると、はるか頭上のキャットウォークから、オテック社から出向してきている連絡調整役であり、この機体の専任パイロットでもあるチェーン・アギが、見下ろしていたのである。

 

(……見られてる。

 でも、関係ない。

 私は気づいていないふりをするだけだ)

 

 ニャアンは表情をいっさい動かすことなく、静かに端末を閉じると、次の作業へと無言のまま歩き出した。

 

 

 

『地球連邦軍アフリカ方面軍管区:定期治安状況報告書』

『記録日時:UC〇〇八六年九月某日』

『機密区分:一般(情報公開承認済)』

 

 本月における当方面の治安状況は、おおむね安定的に推移している。

 

 旧ジオン系武装残党による散発的な物資収奪事案が引き続き確認されているが、件数は前月比で十二パーセントの減少を見た。

 これは駐留部隊による定期パトロールの強化および地域住民との情報共有体制の整備が奏功したものと分析される。

 

 当該残党組織の構成員については老齢化と装備の劣化が進んでおり、組織的な軍事行動能力は著しく低下していると判断される。

 引き続き監視を継続しつつ、地域の復興支援活動と並行して対処する方針である。

 

 

 

『反地球連邦組織カラバ 内部情報共有回覧(起案:H.K.)』

『作成日時:UC〇〇八六年九月■■日』

『機密区分:取扱注意(構成員外秘)』

 

 アフリカ中部、座標略、旧連邦軍廃棄基地跡周辺における残党の動向について。

 

 確認された機体はザクⅡ系三機。

 うち二機は脚部駆動系に重大な整備不良を抱えており、最大速度は設計値の六割以下と推定。

 残一機は武装を地上用に換装済みで、ヒート・ホークとザク・マシンガンを保持。弾薬の備蓄は限られているとみられる。

 

 本便(アウドムラ)の定期輸送ルートとの競合あり。対処が必要。

 

 対処にあたっては本便の民間輸送業務としての体裁を維持すること。

 交戦記録は整備ログに統合。

 報告の体裁は機材の損耗報告に準じる。

 

 担当:チェーン・アギ

 

 

 

『機密文書:UC〇〇八六年一〇月 整備ログおよび実戦データ統合記録』

『特記事項:チェーン・アギ視点における局地交戦および戦術詳報』

 

 砂漠の乾ききった風が、装甲の表面を削るように激しく叩きつけていた。

 赤褐色の巨大な岩陰に機体を沈めたまま、チェーン・アギは主動力炉を待機状態まで出力を絞り、受動的な探知(パッシブセンサー)へと切り替えてからの四十分間、操縦桿に手をかけたまま動かそうとはしなかった。

 ジムⅡに見せかけた外装の下で、RX-79[G]特有の低い重心が、足裏のセンサーを通じて大地の震えを捉え続けている。

 やがて、砂塵の向こうに霞む廃工場跡から、くすんだ緑色の先頭機が姿を現した。

 光学画面の粗い映像が、その輪郭を継ぎ接ぎだらけのMS-06J後期型だと弾き出す。

 製造から少なくとも七年が経過した、一年戦争の遺物。

 関節部の密閉材が劣化していれば、低温環境下での駆動伝達には必ず遅延が生じるはずだ。

 今朝の砂漠は、ひどく底冷えがしていた。

 先頭機が警戒を怠ったまま前進を続け、後続の二機との間隔をチェーンの計算した致死圏へと広げた。

 チェーンは踏み板を強く踏み込んだ。

 推進器の熱紋を抑え、噴射をごくわずかだけにした。

 その代わり、地上戦に特化した脚部駆動系の強靭な瞬発力だけで大地を激しく蹴り飛ばした。

 極端な前傾のまま、岩陰を這うように滑り出る。

 先頭機の死角へ一瞬で回り込み、ビームスプレーガンの銃口を操縦席の直上へぴたりと合わせた。

 敵機のセンサーがようやくこちらの熱源を捉え、慌てて振り返ろうと軋んだ音を立てる。

 そのわずかな遅延に、チェーンは引き金を絞り切る。

 閃光。

 装甲の融解音とともに、先頭機が糸を切られた操り人形のように、膝から崩れ落ちた。

 後続の二機が恐慌状態に陥り、散発的な射撃を開始する。

 チェーンの思考ににあるのは、「長引かせない」「機動を制限して相手の判断を奪う」という作業手順の実行だけであった。

 低い姿勢のまま砂埃を巻き上げて地表を滑り、腰部補助アームを瞬時に展開して防盾の構えを切り替えながら、的確に相手の脚部と駆動系を削り取ってゆく。

 残り二機は、交戦開始から一〇分以内に完全に沈黙したのである。

 撃墜の確認に固執する必要はない。

 行動不能に陥らせればそれで十分である。

 使用弾数は、ビームスプレーガンによる二射。

 残りは威嚇と牽制。

 帰路。

 チェーンは推進器の出力を極限まで落とした。

 基地の格納庫で、あの寡黙な少女がこの機体の微細な歪みを指先一つで直していた姿が、ふとチェーンの脳裏を掠めた。

 古い機体に余計な負荷はかけられない。

 チェーンは冷却系の計器から目を離すことなく、乾ききった荒野を帰投していった。

 

 

 

 一〇月後半。

 

 出撃前の慌ただしい空気が漂う中、ニャアンがRX-79[G]の補助アームの最終調整を終えようとした時、背後にチェーンが立っていた。

 

「補助アームの調整、毎回やっているのか」

 

 無駄を削ぎ落とした、平坦で冷たい声であった。

 ニャアンは振り返り、短く頷いた。

 

「……はい」

「そうか」

 

 チェーンの評価は、これで完了した。

 彼女は手元の端末から視線を上げ、ニャアンの黒い瞳を真っ直ぐに見据えた。

 

「次の移送、サブに入れる。

 やれる?」

 

 ニャアンの心臓が、微かに跳ねた。

 荷物持ちではなく、初めて確かな「戦力」として、自らの能力が評価され、選ばれた瞬間であった。

 

(……私に、やれるか。

 空へ上がる。

 この人が、私を使えると判断した)

「……はい」

 

 ニャアンの返答はひどく短く、顔の表情は凍りついたままであったが、その奥底では生き延びるための熱が燃え上がっていたのである。

 数日後、ニャアンはパイロットスーツに身を包み、初めてサブフライトシステム(ドダイ改)副操縦士の座席に座っていた。

 上空の激しい強風と、機体が大気を切り裂く轟音。

 通信機越しに聞こえるチェーンの指示は、驚くほど短く、そして正確であった。

 

『高度を下げ、推力三割減』

『左舷、姿勢制御に回せ』

 

 指示が下る前に、ニャアンの手はすでに計器盤へと伸びていた。

 カイとの旅で培われた状況把握能力と、機体の「見えない履歴」から直感的に読み取った駆動の癖。

 それらが噛み合い、チェーンの求める機動を遅れもなく補助してゆく。

 言葉の応酬はない。

 ただ、呼吸を合わせるように、二つの歯車が完璧な精度で回り続けていたのである。

 無事に移送の任務が完了し、アウドムラの甲板に着陸したサブフライトシステム(ドダイ改)から降りる際のことだ。

 ヘルメットを脱いだチェーンが、通りすがりにニャアンへ向かって一言だけ発した。

 

「次もやれるか」

 

 純粋な業務連絡。

 次の指示としての、ただの一言であった。

 だが、昇降段を降りようとしていたニャアンの足が、ほんの一瞬だけ止まった。

 彼女は表情を全く変えなかったが、冷たい手すりを分厚い手袋越しに指が白くなるまで握りしめた。

 

(選ばれた。

 私はもう、いつでも切り捨てられる透明な荷物じゃない。

 この場所に、自分の居場所を……自分の手で作り出したんだ)

 

 手すりから手を離したニャアンは、再び無表情な作業員へと戻り、誰にも気づかれることなく甲板の奥へと歩き出した。

 

 

 

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