機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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U.C.0087/01〜02 - グリーン・ノア
《71》完璧なる「退屈」の完成(U.C.0087年 1月)


 

 

 

 宇宙世紀〇〇八七年、一月。

 

 地球の重力井戸から遠く隔絶されたサイド7、グリーン・ノア1。

 このスペースコロニー群は、地球連邦軍の特殊部隊『ティターンズ』の管理体制下に置かれ、不穏な政治的・軍事的緊張を内包していた。

 コロニーの軍事区画の最深部においては、ティターンズが極秘裏に開発を推進せしめていた次期主力モビルスーツ「RX−178 ガンダムMk−Ⅱ」のテスト運用が、いよいよ本格的なフェーズへと移行しつつある。

 選び抜かれた精鋭部隊に、二名の女性士官が配属された。

 一人は、連邦の正規軍からティターンズへと編入され、生真面目な資質と優秀な成績評価からテストパイロットに内定したエマ・シーン中尉。

 そしてもう一人は、『予備パイロットの末席』として異動の辞令を受領した、シイコ・スガイ中尉である。

 彼女がこの最新鋭機のテスト部隊に選抜された論拠は、いかなる状況下にあっても「マニュアルに忠実な機体制御」を徹底する操縦特性が、新型機の基礎データ収集(ベースライン測定)において、純粋な性能を抽出・演算するために最適という判断であった。

 皮肉と言うべきか、彼女の構築した『完璧なる偽装(カモフラージュ)』そのものが、巨大な権力機構において、最高の適性評価として機能してしまったのである。

 

 

 

 グリーン・ノア1の広大なるMSデッキ。

 最新鋭の設備が整えられた空間において、シイコは連日、仮想敵を随伴させない純粋な機動テストを黙々と行っていた。

 配属からわずか数週間が経過した後。

 彼女の搭乗した機体――ジム・クゥエルやハイザック、ガルバルディβなど――の整備を担当するメカニックたちの間において、彼女に対する評価は異常なまでの高騰を見せていた。

 

『ティターンズ整備中隊 班長の評価報告書(月次定例報告より抜粋)』

『記録日時:UC〇〇八七年一月下旬』

 

「今月より当部隊に配属されたスガイ中尉の機体運用状況について、整備班を代表して特筆すべき所見を報告する。

 結論から言って、スガイ中尉の洗練された操縦は、士官学校の教科書に動画で掲載したくなるほど美しい。

 通常、どれほど優秀なパイロットであっても、宇宙空間での機体制御においては、知覚の遅れや迷いによる『スラスターの無駄吹き』が必ず生じる。

 姿勢制御用のバーニアが不規則に点火し、プロペラントを余分に消費し、関節部にはパイロットの癖による偏った応力(ストレス)が蓄積される。

 これが我々整備士を悩ませる金属疲労の主な原因である。

 しかし、スガイ中尉が搭乗した後の機体には、『無駄』が一切存在しない。

 彼女の機動ログを解析すると、スラスターの噴射タイミングはシステムが要求する最適解と完全に同期しており、関節駆動系への負荷が極小に抑えられている。

 まるで機体が自らの意志で、最も負担のかからない軌道を描いているかのようだ。

 正直なところ、彼女が乗った後は消耗部品の交換が規定の半分以下で済むため、整備が楽すぎて、うちの若い連中の腕が鈍るのではないかと心配になるほどである。

 ガンダムMk−Ⅱのベースライン測定において、彼女の極めて澄んだ操縦技術は、得難い財産となるだろう。

 次期テストパイロットの正規枠へ、彼女を強く推挙したい」

 

 整備班長が提出した報告書は、純粋な技術的感嘆に満ちていた。

 機械を愛好し、その物理的悲鳴を五感で捕捉する彼らにとって、機体を損傷させないパイロットは無条件に『善』である。

 彼らはシイコの操縦が描く「表層的な美しさ」だけで評価をし、手放しで絶賛した。

 

 

 

 同じMSデッキの片隅にて。

 ジオン系の技術を土台とする機体の整備を押し付けられ、アースノイドたるエリート層から「残党猿」と見下されている白髪交じりの男だけは、整備班長の快哉を耳にするたびに、全身を激しく震わせていた。

 

『元ジオン技術者の手記(暗号化されたローカル・ドライブより)』

『記録日時:UC〇〇八七年 一月末・深夜』

 

「……連邦の馬鹿どもは何も分かっていない。

 整備班長が、あのスガイという女の操縦を『美しい』と褒めちぎっていた。

 機体への負荷が極限まで減殺され、スラスターの無駄吹きがないだと?

 そんなものは当たり前だ。

 あの女こそが、あの魔女であることを、俺は知っている。

 自分がどこまでペダルを踏み込めば機体が壊れるか、どの角度でスラスターを吹かせば機能を失うか。

 死の境界線を、体で理解している。

 だからこそ今、臨界点から遠ざかった『安全圏のど真ん中』を、計算尽くで、狂いもなく歩いてみせているだけなのだ。

 無駄がないのは、基礎に忠実だからじゃない。

 殺戮の最短距離を知り尽くしているからだ。

 そうだ、巧すぎるのだ……。

 あの、息を呑むほど『美しい』と評される操縦は、俺だけが嗅ぎ取れる、血と鉄と、かつての仲間たち(ジオン)の墓標の匂いが染み付いている。

 連邦の整備士たちは、自分たちが磨き上げている機体が、究極の殺戮機械によって『手加減』されていることすら気づいていない。

 あの女がその気になれば、今あるすべての機体を自壊するように過負荷をかけることなど造作もないはずだ。

 彼女はMSを熟知しすぎている。

 人間を装った死神が紛れ込んでいることに誰も気づいていない……」

 

 男は薄暗き自室において、激しく痙攣する手で安価な合成酒のグラスを煽った。

 彼が噛み締めている恐怖は、他者の理解と共感を得る手段がない、という孤独によって、時間経過と共に研ぎ澄まされていく。

 シイコ・スガイの提示する「無駄のない完璧な機動」は、彼にとっては、断頭台のギロチンがいかに完璧に研磨されているかを証明するだけの、絶望的な光景に他ならなかった。

 当のシイコ・スガイ自身は、周囲が向ける絶賛の嵐も、一介の技術者が抱く狂気じみた恐怖の念も、何ら気にかける素振りを見せなかった。

 彼女は「ティターンズのシステム最深部に潜伏し、家族の平穏を脅かすテロリストが接近した折に、それを物理的に排除する」という目的のためだけに、稼働し続けている。

 

 

 

『シイコ・スガイの内的独白』

『記録日時:UC〇〇八七年 一月某日、格納庫から自室への帰路』

 

(……新しい部隊。

 ガンダムMk−Ⅱのテスト運用。

 上官からの要求はシンプルだ。

 『マニュアル通りの、ノイズのない基礎機動』。

 簡単だ。

 私がずっとやってきたことだから)

 

 シイコは、コロニーの通路を、足音を全く生じさせることなく歩行する。

 歩幅は常に一定であり、他者の視覚の隙間をすり抜けるように、無意識に死角を選んで移動していた。

 この安全が担保された宙域での基礎確認など、シイコにとっては呼吸の繰り返しよりも容易い作業であった。

 

(機体の関節に負荷をかけない。

 スラスターを最適角で吹かす。

 敵の死角に無音で滑り込み、存在を悟られる前に十字のアンカーを打ち込むための、初期段階に過ぎない。

 準備動作だけを抽出し、反復再生しているだけだ。

 それを連邦の整備士たちは喜んでいる。

 「平凡で退屈なテストパイロット」という仮面は、この部隊でも完璧に機能している)

 

 だが、彼女には、ただ一点、気がかりなことがあった。

 エマ・シーン中尉の存在である。

 

(……この部隊の空気は少し違う。

 地球至上主義。

 選民意識。

 自分たちが連邦軍の中で特別な存在であるという、傲慢な熱気。

 ジェリド少尉やカクリコン大尉といった若い士官たちは、力こそが正義であると信じて疑っていない。

 彼らには他者への想像力が欠落している。

 だからこそ、エマ中尉が気になる。

 中尉は、ティターンズの理念を純粋に信じ、正義感に従って行動しようとしている。

 あの純粋さは、いずれ致命的な亀裂を生む。

 彼女は私を、守るべき「頼りない同僚」として気遣ってくれている。

 私には、彼女を守る必要などないはず。

 私は家族を守るためにここにいるのだから。

 ……それでも。

 この息苦しい環境で、あの人の純粋さが傷つかなければよいのだけれど)

 

 自室の鍵を開け、シイコは微かな吐息を漏らした。

 机には、地球に残っている夫と、もうすぐ二歳を迎える息子の写真が飾られている。

 写真立てをそっと指先で触れ、彼らの温かい笑顔を確かめることによって、奥底に潜む『冷徹なる魔女』に封をする。

 

(私は待ち続ける。

 退屈なテストパイロットのまま。

 彼らの日常を守るために)

 

 

 

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