機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】 作:王子の犬
宇宙世紀〇〇八七年、二月。
地球重力圏から隔絶された暗黒の虚空に浮かぶ、グリーン・ノア1。
次期主力機体「ガンダムMk−Ⅱ」の評価試験という、栄誉ある任務を帯びたティターンズの若き将校たちは、その特権階級としての野心と選民意識に陶酔していた。
彼らは皆、自らこそが地球圏の秩序を維持する「選別された人類」であると狂信し、その肥大化した自意識は他者に対する無慈悲な侮蔑として変わっていった。
熱を帯びた驕慢の矛先は、新たに配属されたシイコ・スガイ中尉へと集束しつつあった。
彼女の「
だが、血の気に逸る実戦部隊の
グリーン・ノア1の軍事区画に設けられた将校専用の
薄暗い照明の下、安価なアルコールを煽りながら、彼らは日常的にシイコを嘲笑の対象としていた。
その陰湿な会話は、基地内の情報統制を担う保安部が仕掛けた
『ティターンズ将校 酒保での会話(盗聴録音アーカイブより)』
『記録日時:UC〇〇八七年二月上旬』
カクリコン:
「……あのスガイってオバサン、今日もノロノロと基礎動作の確認だけやってたぜ。
まるで歩く基礎チェッカーだな。
なんであんなのがMk−Ⅱのテスト部隊にいるんだ?」
グラス内の氷を鳴らしながら、カクリコン・カクーラー大尉が鼻先で嘲った。
ジェリド:
「基礎データ収集には、ああいう『遊び』のない
対面に座るジェリド・メサ中尉が、不遜な笑みを浮かべて応じる。
ジェリド:
「俺たちみたいに実戦を意識した機動をやれば、どうしてもデータにブレが出る。
技術屋どもはそれを嫌がるからな。
だが、実戦に出たところで、あんなマニュアル通りの動きじゃ、俺たちの背中を守るどころか、すぐにビビって弾除けになるのがオチさ」
カクリコン:
「違いない。
エリートの自覚もない顔をして、軍隊をピクニックか何かと勘違いしてるんじゃないか?
あの女から漂う生活感が気に入らねえ。
俺たちティターンズの軍服が泣くぜ」
彼らの会話の底流にあるのは、己の粗雑な操縦こそが「実戦的」であり、緻密な機体制御を「素人の遊戯」と断じる、根拠なき過信であった。
彼らは、一年戦争やデラーズ紛争といった地獄を経験していない世代である。
脳内に思い描く「実戦」なるものは、
そのシイコへの侮蔑の念は、野心に駆られた女性
『女性パイロットたちの会話(同・盗聴録音アーカイブより)』
『記録日時:同日』
女性士官A:
「ねえ、聞いた?
スガイ中尉って、地球にお子さんがいらっしゃるんでしょう?」
女性士官B:
「聞いた聞いた。
信じられないわよね。
軍人よりも母親ごっこがしたいなら、とっとと除隊して地球に帰ればいいのに。
こっちは命懸けでティターンズの看板背負ってるってのにさ」
女性士官A:
「あの人、エマ中尉の腰巾着みたいにいつもくっついて回って……みっともないったらありゃしないわ。
エマ中尉もエマ中尉よ。
あんなお荷物の面倒なんて見てないで、もっと自分をアピールすればいいのよ」
彼女たちは、シイコの内に潜む「母性」を軟弱さの証左として見下し、エマとの間に構築されつつある純粋な信頼関係を「腰巾着」と嘲笑った。
ティターンズという権力装置にあっては、「他者を蹴落とし、階級闘争を勝ち抜く」以外の価値観は、徹底的に排斥されていたのである。
もっとも、当のシイコ・スガイは、基地内に蔓延する低劣な侮蔑や陰口の存在を誰よりも知っていながら、感情を波立たせることは一切なかった。
彼女の冷徹な頭脳は、嘲笑を向けられることこそが「自らの仮面が完璧に機能している事実を裏付ける、フィードバック」でしかなかったのだ。
(……ジェリド少尉、カクリコン大尉。女性士官たち。
予想通りの反応だ。
その評価が定着すればするほど、私の仮面は厚く、そして強固になる――平凡で退屈な女、母親ごっこをしているお荷物と呼ばれるに十分だ。
腹を立てる理由など、どこにもない。
……エマ中尉が私を庇おうとして、周囲と対立しそうになっている。
あの人の善意が、私の仮面を守る盾になってしまっている)
シイコは、ロッカーの陰で口さがない同僚たちを、足音を立てることなく通り過ぎた。
その横顔には、慈愛に満ちた母親の穏やかな微笑みが、精巧な仮面のごとく張り付いたままであった。
そして二月中旬。
シイコ・スガイにとって、事実上最後となるガンダムMk−Ⅱへの確認搭乗が行われた。
主目的は、純粋な「機体の
技術部門の要求通りにMk−Ⅱの
それは、運用データを持て余す技術者たちにとっては垂涎の的となる至高の収集作業であった。
とはいえ、周囲でその光景を観察していたパイロットたちからすれば、退屈の極致以外の何物でもなかったのである。
搭乗が終了し、機体が
格納庫の
「……見たか、あれ。
教科書通りの動きをなぞるだけじゃないか」
ジェリドの音声には、明確な落胆と、己より劣等なる者への決定的な見下しが含有されていた。
「テストパイロットって聞いてたから少しは期待したんだが。
あれじゃ、シミュレーターの入門コースと変わらないぞ」
「女だからな。
データを取るだけの仕事なら向いてるんだろうが、戦闘向きじゃない。
ま、前線に出てくる機体じゃないから、あれで十分なんだろうよ」
ジェリドとカクリコンの評価は、シイコが意図的に構築した欺瞞情報に完全に絡め取られていた。
シイコは、「自分がMk−Ⅱをそれなりに操れる」と認識され、不用意な関心を持たれる事態を忌避するため、能力開示を抑制していたのである。
彼らの「つまらない」という評価は、シイコが思い描いた通りの結果であった。
同じ格納庫の片隅で、その光景を全く別の視座から観察し、一人戦慄している女性士官が存在した。
エマ・シーンである。
『エマ・シーン中尉の私的メモ』
『記録日時:同日』
「ジェリド中尉たちが鼻で笑っていた。
……でも、あれは確認搭乗だ。
私は、以前にシイコさんの操縦データを見せてもらったことがある。
彼女がその気になれば、同じ誤差で何十項目にもわたる機動を完璧に再現できる。
確かに、今日の動きは、シミュレーターの入門コースのように見えた。
それは、彼女が『基礎確認という目的に応じて、意図的に動きを
目的に応じて自分の動きを制御し、周囲に『つまらない』と評価させることすら意に介さない人。
表面的な動きだけで笑い飛ばせるジェリド中尉たちが、果たして同じMk−Ⅱという機体に乗った時、何をしでかすか」
エマは、シイコに潜む「底知れない遠さ」と、ジェリドたちの「底の浅い傲慢さ」の間に生じている、致命的な認識の乖離に気付いていた。
とはいえ、具体的にいかなる破局を招くのか、想像が及んでいなかった。
シイコ自身もまた、操縦席から降り立ちジェリドたちの冷笑を浴びた瞬間、ある重大な危険性を導き出していた。
(……ジェリド少尉とカクリコン大尉が笑っている。
あの搭乗は、機体の基礎確認が目的であり、能力の開示ではない。
つまらないと思われた方が、私にとっては都合がいい。
……しかし、あの二人が今の認識のまま、私を『格下』だと判断し続けるなら。
今月下旬に予定されている、私が仮想標的を務める訓練を見た時に、彼らはどう解釈するだろうか。
機体性能の差ではなく、自分の操縦技術と私の技術を同列に置き、『あの女にできるなら俺にもできる』と錯覚するのではないか。
もし彼らが勘違いしたまま、同じような機動をMk−Ⅱでやろうとすれば……必然的に事故が起きる。
報告書に書いておくべきだ)
シイコは、自らの擬態が他者の自己評価を狂わせるというシステム的
『シイコ・スガイの確認搭乗後報告書(提出版)』
「Mk−Ⅱ確認搭乗、異常なし。
なお、本搭乗において戦闘機動の実施は行っていません。
基礎挙動の確認のみです。
【追記】
本搭乗を観察した一部パイロットに、搭乗者の能力に関する誤認が生じている可能性があります。
後日の訓練との比較において、誤った自己評価につながる恐れがあるため、念のため記録します」
彼女は、自分を嘲笑った人間たちを案じたわけではない。
予期せぬ事故によって部隊の
『ティターンズ人事・訓練管理部 処理記録(一枚目)』
『スガイ中尉の報告書、受理。
追記事項については担当将校に転送済み。
——当該パイロット(ジェリド・メサ中尉等)への個別通知が行われた記録は、現時点で存在しない』