機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《73》安全圏の狂舞(U.C.0087年 2月下旬)

 

 

 

 グリーン・ノア2の軍事区画と隣接する広大な訓練空域。

 人口の地表とコロニーの壁面が湾曲して交わる空間で、次期主力機「ガンダムMk−Ⅱ」の性能限界値を突破するための、特殊な訓練が行われていた。

 この日、技術部門が要求した訓練工程表は、通常の内容ではなかった。

 彼らが欲していたのは、「Mk−Ⅱの追尾を振り切るような、()()()()()()()()()における仮想標的の機動」である。

 その仮想標的として指名されたのが、シイコ・スガイ中尉が搭乗するRMS−117 ガルバルディβであった。

 この旧式機は軽量で運動性能に優れる反面、装甲が薄く、優れた操縦技量を要求される。

 技術将校は通信回路を介して、シイコに向けて非人間的とも言える要求を突きつけた。

 

『……スガイ中尉。

 地面すれすれまで降下し、背面飛行を維持したまま通常姿勢に戻る動作を繰り返してほしい。

 高度は最低限、地表の障害物と接触するラインを狙ってくれ』

 

 失敗すれば、機体はそのまま地表に激突し、爆散する。

 見学区画からモニターを見上げていたティターンズの若い操縦者たちの間に、微かな動揺が走った。

 もっとも、通信用の拡声器(スピーカー)から返ってきたシイコの音声は、普段と変わらぬ事務的なものであった。

 

『……了解しました。

 進入経路に入ります』

 

 直後、シールドとビームライフルを装備した真紅のガルバルディβが、空域の上方から徹甲弾の如き速度で降下する。

 機体は地表激突の寸前で機首を引き起こすのではなく、そのまま空中で鮮やかに反転し、背部を地面に向けた「背面飛行」の体勢へと移行した。

 コロニーの人工土壌と、ガルバルディの背部推進器(スラスター)との間隔は、わずか数メートル。

 巻き上げられた土煙が視界を遮断する中、機体は恐るべき速度で水平を維持し、そして次の瞬間、推力の偏向(ベクタリング)と機体が持つ慣性を精密に相殺させながら、独楽のようにくるりと反転し、通常姿勢(直立状態)へと復帰してみせた。

 それも、一度ではない。

 二回、三回、四回、五回。

 ガルバルディβは、毎回ほぼ同一の高度、ほぼ同一の所要時間、まったく同じ推進器の噴射音を響かせながら、死と隣り合わせの超絶機動を、恐るべき正確さで実行したのである。

 

『技術将校のテストログ:データ記録・暗号化ファイル』

『記録日時:UC〇〇八七年二月下旬』

 

「仮想標的:ガルバルディβ、パイロット:スガイ中尉。

 指定機動(超低空背面飛行からの姿勢復帰)を五回連続で実施。

 機動精度の誤差は、最大でも〇.三メートル以内。

 パイロットのバイタルに異常なし(心拍数の変動は誤差範囲内)。

 ……信じ難い。

 目の前で起きている光景と、入力データのログが一致していることが恐ろしい。

 背面飛行から通常姿勢への移行時、スラスターの噴射角と機体の重心移動が、環境の重力ベクトルと完全に調和している。

 人間の反射神経による姿勢の『事後補正』が全く行われていない。

 彼女は機体がどう動き、どう重力を受けるかを、入力直前に『先読み』して操作を完了させているのだ。

 ……参考として記録するが、この機動を『再現可能』と判断するパイロットが他に存在した場合、重大な事故につながる恐れがある。

 スガイ中尉の実施があまりにも『容易に見える』点について、訓練参加者への強い注意喚起が必要と考える」

 

 技術将校のこの警告は、科学的知見に基づいた妥当な直感であった。

 シイコの操縦は、あまりに洗練され、無駄な力が削ぎ落とされているがゆえに、素人の目には「誰にでも実行できそうな、簡単で滑らかな動き」に見えてしまう。

 訓練空域の片隅で、油脂(オイル)に塗れ、薄汚れた作業着姿のまま、絶望に身を震わせている男がいた。

 旧ツィマッド社出身の、ジオン系技術者である。

 

『元ジオン技術者の音声メモ』

『記録日時:同日深夜』

 

(グラスに安い合成酒が注がれる音と、男の重い溜息が録音されている)

 

「……今日、あの女が、また『簡単そうに』やってみせた。

 見学エリアにいた連邦の馬鹿どもが、目を輝かせてモニターに張り付いていた。

 あのジェリドという鼻持ちならない中尉もだ。

 あいつらは皆、『俺にもできる』という顔をしている。

 違う。

 あれは、ただの曲芸飛行じゃない。

 温室育ちの坊ちゃん連中が真似をすれば、必ず死ぬ。

 一瞬で地面に激突して、肉片も残らない。

 ……止めるべきか?

 いや、無理だ。

 私が何を言っても、あの『ジオンの残党猿の妄言(たわごと)』として笑われるだけだ。

 誰も私の声など聞かない。

 あの女自身は、自分がどれだけ異常なことをしているか気付いているはずだ。

 だが……」

 

(グラスが叩きつけられる鈍い音)

 

「……ここは、誰も本当の恐怖を見ようとしない、傲慢な馬鹿どもの墓場だ」

 

 元ジオン技術者の絶望的な予感は、この日の訓練終了後、パイロットのロッカールームにおいて、最悪の形で結実することになる。

 訓練を終え、汗にまみれたパイロットスーツを脱ぎ捨てていたジェリド・メサ中尉の脳内では、シイコに対する「二つの誤認」が結実しようとしていた。

 第一の誤認は、二月中旬のMk−Ⅱ確認搭乗時にシイコが意図的に見せた「戦闘機動を行わない、ベースライン測定のための操縦」による「大したことのない、退屈な女」という評価。

 第二の誤認は、本日の訓練で見せた限界機動が「あまりにも容易に見えた」ことだ。

 

『ジェリド・メサ:ロッカールーム・同僚との会話』

『記録日時:同日夕刻』

 

「……なぁ、カクリコン。

 今日のあれ、見たか?

 あの女が乗ってたの、ガルバルディβだろ。

 ロートルじゃないか」

 

 ジェリドは、ロッカーの扉を乱暴に閉めながら、興奮を隠しきれない声で言った。

 

「それで、地面スレスレの背面飛行をあんな何度もやってのける?

 教科書通りの操縦しかできない女でも旧式機であれだけ簡単にやってのけたんだ。

 じゃあ、俺がMk−Ⅱで同じことをやれば、もっと余裕なはずだ。

 そうだろ?

 最新鋭機に乗ってるエリートの俺が、あの地味な女以下なわけがない」

 

 彼の瞳には、野心と、他者の技術に対する無理解が燃え上がっていた。

 

 『最新鋭機のMk−Ⅱに乗る俺ならもっと余裕なはずだ』と、ジェリド・メサの中で、根拠なき過信はついに肥大化するに達した。

 それは、彼の命と、ティターンズの運命を狂わせる錯覚が完成した瞬間であった。

 ジェリドの燃え上がるような野心の輝きを、保管室の廊下の死角から静かに観察している者がいた。

 訓練を終え、無事に機体を格納庫(ハンガー)に収容したシイコ・スガイその人である。

 

 

 

『シイコ・スガイ:訓練後、格納庫からロッカールーム前への移動中』

『記録日時:同日夕刻』

 

(……ジェリド少尉が、興奮した様子でカクリコン大尉と話している。

 あの目だ。

 技術将校がデータを見て喜んでいた時とは違う、もっと危険な目。

 「自分にもできる」と計算している人間の目だ)

 

 シイコがジェリドの行動予測を弾き出す。

 彼は、機体性能(ハードウェア)の優位性と、操縦技術(ソフトウェア)の差異を混同している。

 シイコの技術と自分の技術を同列に置き、機体がMk−Ⅱになれば、あの機動がさらに容易になると錯覚しているのだ。

 

(私はあれを「簡単だから」やったのではない。

 あれを「簡単に見せる」ために、私がこれまでの人生で何千時間を費やし、いくつの命の灯が消える瞬間をその目で見てきたか。

 ……だが、もし勘違いしたまま、鋭敏な出力バランスを持つMk−Ⅱで同じことをやろうとすれば、必ず制御を喪失し、墜落事故を起こす)

 

 シイコに、ジェリドへの同情や哀れみは微塵も存在しなかった。

 彼女が懸念したのはただ一点。

 墜落事故を起こすことによって、部隊の予定表(スケジュール)が混乱し、彼女が望む「日常」と「家族を守るための透明な防波堤」という立場が脅かされることだけである。

 

(無益な事故は、私の仮面を維持する上で不利益だ。

 ……ただ、事故への懸念は報告しておく)

 

 彼女は自室に戻るや否や、専用端末を開き、二枚目となる報告書を作成した。

 それは、彼女なりの誠実な「警告」であった。

 

 

 

『スガイ中尉の報告書末尾:二枚目・訓練後提出』

 

「【特記事項】

 本日の仮想標的機動の実施に関し、訓練参加者の一部に、本機動の難易度に関する重大な誤認が生じている可能性があります。

 Mk−Ⅱの出力特性上、十分な練度を伴わない類似機動の模倣は墜落事故に直結する危険性があるため、Mk−Ⅱパイロットへの個別注意喚起を推奨します。」

 

 

 

 




次回、U.C.0087年3月です。
※当初U.C.0087年1〜2月は4回の予定でしたが、作者判断により3話に短縮いたしました。
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