機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】 作:王子の犬
宇宙世紀〇〇八七年、三月三日。
ティターンズ所属の高速重巡洋艦アレキサンドリア。
そのカタパルトデッキより、円筒形の無骨なカプセルが真空の宇宙へと射出された。
推進機関を持たないその質量物は、母艦の有する慣性ベクトルを継承し、冷たい宇宙を無音で滑っていく。
メインブリッジの中央に据えられた巨大なモニターには、遠ざかりゆくカプセルの熱紋が、緑色のワイヤーフレームによって投影されていた。
ジャマイカン・ダニンガン少佐は、指揮官席の硬いクッションに浅く腰掛けながら右脚で貧乏ゆすりを続けていた。
厚底の軍用ブーツが床材を叩く振動が、彼自身の焦燥をブリッジの空間全体へと波及させている。
「対象物、指定座標へ向け巡航中。
ジェリド中尉のハイザックが射撃ポイントに到達しました」
オペレーターの事務的な報告が響いた。
ジャマイカンは手元のデータパッドへと視線を落とす。
そこには、バスク・オム大佐より直接下達された、極秘作戦の指示が印字されていた。
『カプセルをアーガマの眼前で破壊せよ』
バスク・オム大佐は命令の根拠となる明確な理由を語ることはなかった。
だが、ジャマイカンの軍人としての経験則による推論だと、出撃直前に搬入された『荷物』の物理的サイズから、あの円筒形の内部に何が封入されているかは、薄々――いや、確信に近いレベルで察しがついていた。
(……大佐も、ひどく悪趣味な盤面を描かれる)
ジャマイカンは右手の親指と人差し指で眉間を揉みほぐした。
人質を交渉の盾とするのであればまだ論理的だが、最も心理効果の高いタイミングを見計らい、交渉のカードごと焼き捨てる。
軍事的な合理性の追求などではなく、純粋な悪意と恐怖による支配そのものであった。
何よりもジャマイカン恐れさせているのは、この「戦争犯罪と同義である非道極まる作戦」の現場最高責任者として、彼自身の名が記録されてしまうことであった。
ジャマイカンは貧乏ゆすりをやめ、背筋を伸ばして「威厳に満ちた指揮官」としての
彼は通信マイクのスイッチを乱暴に弾き、声帯の筋肉を意図的に収縮させ、一段階低く、太い声を発した。
『ジェリド中尉。聞こえるか』
重巡アレキサンドリアより数キロメートル離れた宙域。
ハイザックのコックピットを満たしているのは、ジェネレーターの駆動音と、ジェリド・メサ中尉自身の、ひどく荒々しく熱を帯びた呼気であった。
『はっ。こちらジェリド。スタンバイしています』
ジェリドは、耐G仕様のパイロットグローブに包まれた右手を操縦桿に押し付け、赤いトリガーに親指を密着させていた。
彼は交渉の端役に置かれたことへの焦りがあった。
先日の墜落事故。
エゥーゴのコロニー侵入への即応が遅れ、ガンダムMk-Ⅱの強奪に繋がった。
同僚であるエマ・シーン中尉が親書を渡す軍使として抜擢され、さらにはガンダムMk-Ⅱのパイロットも彼女になっている。
『よく聞け、中尉。
貴様の目の前を流れているカプセル……あれは、エゥーゴの反乱分子を誘び出すための罠だ。
中には、極秘裏に開発された新型爆弾が搭載されている』
ジャマイカンの声が、電磁ノイズ越しにコックピットへ響く。
ジェリドの視線が、メインモニターの中央に描かれたオブジェクトへと向けられた。
(……新型爆弾?)
ジェリドは光学カメラの映像を凝視する。
どう見ても、旧式の資材搬送用カプセル以外の何物でもなかった。
弾頭を思わせるような流線型でもなければ、推進器や信管の類も外部からは一切観測できない。
爆発物をあのような脆いコンテナに入れる理由が理解できない。
彼の軍人としての直感が、「違和感」という名の警鐘を鳴らしていた。
だが、ジェリドは無意識のうちに、頭を激しく振って違和感を無理やり追い出した。
上官が『新型爆弾である』と断言している。
ならば、それは爆弾でなければならない。
『バスク大佐からの直接の命令だ。
アーガマから飛び出してきた
エゥーゴの機体を、爆発に巻き込んで吹き飛ばすのだ』
ジャマイカンは、手元の電子ペンを神経質に回転させながら、官僚的な『嘘』を紡ぎ出した。
「……了解しました。ジャマイカン少佐。
この任務、必ず遂行してみせます」
ジェリドは、声が上擦らないよう必死に腹筋に力を込め、いかにも歴戦の勇士hであるかのように返答した。
通信回線の向こう側で、ジャマイカン・ダニンガンが、自らの手を汚さずに済んだという安堵から、ふうっ、と微かな呼気を漏らす。
だが、極度の緊張下で自分を保つことに精一杯なジェリドの耳に、そのノイズが届くことはなかった。
ハイザックの密閉されたコックピットでは、カクリコン・カクーラー大尉の苛立ちを反響させるかのように、ジェネレーターの低い唸り声と冷却用ファンの耳障りな駆動音に満ちていた。
「異常なし。ミノフスキー粒子の散布濃度、安定している」
カクリコンは通信マイクに向かって、事務的な定例報告を行なった。
その声帯の震えは、ティターンズのエリート将校に相応しい、任務への強固な忠誠心と
だが、通信回線を切断した直後、彼の右脚は乱暴にフットペダルを蹴り飛ばしていた。
ドンッ、という鈍重な衝撃がシートベルトを介して鎖骨へと伝播するが、彼の内奥で煮えたぎる熱を散らすには至らなかった。
(なぜ、俺がこんな後方の「お留守番」をさせられなきゃならんのだ……!)
メインモニターの縁で明滅を繰り返すレーダー波紋を睨みつけながら、カクリコンは分厚いパイロットグローブに包まれた両掌で、操縦桿をギリギリと力任せに握り潰さんばかりの圧力をかけた。
エマ・シーン中尉は今頃、バスク・オム大佐の特命という華々しい名目の下、エゥーゴの旗艦アーガマへと堂々と乗り込んでいるはずである。
ブレックス・フォーラ准将への親書の手渡しと、それに伴う政治交渉。
ティターンズという組織の命運を左右し得る大役は、本来であれば、己のような優秀な人間にこそ割り当てられるべきである。
そして、同期の将校たるジェリド・メサ中尉。
あの大雑把で直情的な男に対してすら、バスク大佐からの『特命』が下達されているという事実。
ジェリドは今頃、己の功名心を満たすための特別任務に胸を躍らせているに違いない。
「……ふん。
女の細腕で敵将との交渉など、所詮はご機嫌取りの使者だ。
ジェリドの奴も、大方、大佐の思いつきの実験台にでもされたのだろう」
カクリコンは、ヘルメットのバイザーの奥で双眸を細め、誰も聞いていないコックピットで独り言を吐き捨てた。
自らの優秀さと正当性を確かめるように、大仰なため息を一つ吐く。
だが、彼の視線がサブモニターに固定された『僚機』の表示を捉えた瞬間、その薄っぺらな自己正当化は、あっさりとひび割れた。
紅い装甲を纏うガルバルディβの機影。
搭乗者は、シイコ・スガイ中尉。
カクリコンの顔面が、屈辱によって朱に染め上げられる。
仮にジャマイカン少佐がカクリコンの操縦技術を高く評価し、最重要任務として防衛を任せたのであれば、なぜこの『
実戦経験も乏しく、上官から命令された数値をなぞるだけの女。
彼女のガルバルディβと自分のハイザックが、同じ「念のための哨戒」という名の
(俺が、あのお飾りと同格だとでも言うのか……!
ジャマイカンの野郎、俺の器を全く理解していない!)
カクリコンはコンソールの縁を左拳で殴りつける。
無重力空間に飛散した微細な埃が、計器のバックライトに照らされて緩慢な速さで視界を横切っていく。
彼は不満を押し殺し、荒い呼気を吐き出しながら、局地戦術チャンネルを繋げた。
『……おい、スガイ中尉。聞こえているか』
彼の音声は、再び「歴戦の先輩将校」としての威圧感を分厚く纏っていた。
『お前は実戦の空気に慣れていないだろうが、ここは演習場ではない。
レーダーのノイズ一つ見逃すな。
俺の足を引っ張るような真似だけはするなよ』
通信の向こう側からは、環境ノイズが除去された沈黙のみが返ってくる。
カクリコンのヘルメットの中で、生温い汗がこめかみを伝い落ちた。
カクリコン・カクーラー大尉からの威圧的な通信が途絶した後、シイコ・スガイの搭乗するガルバルディβのコックピットには、再び静寂が訪れた。
『……お前は実戦の空気に慣れていないだろうが、ここは演習場ではない。
俺の足を引っ張るような真似だけはするなよ』
数秒前に空間へ叩きつけられたカクリコンの怒声。
シイコはその音声信号を、言語としての意味ではなく、単なる『音響データ』として脳内で処理していた。
声帯の過剰な緊張、語尾における不自然な力み、そして背後に微かに混入している、フットペダルを蹴りつける振動音。
シイコにとって、カクリコンに同調する義理もなければ、それに反発する感情も持ち合わせていない。
「私は命令に忠実なテストパイロットである」——その言葉は、表向きの哨戒任務にすぎない。
アレキサンドリアから転送された戦術情報群へ注意を向ける。
彼我の戦力配置の座標。
艦艇部から射出されたオブジェクトの現在位置。
敵艦の周囲にエゥーゴのMS部隊が潜伏しているはずだが、デブリ群の影に隠れているのか、正確な座標は取得できていなかった。
『――やめろぉぉぉっ!!』
突如として、オープンチャンネルの電磁ノイズを切り裂いて、ひどく甲高い、少年の悲痛な絶叫が叩きつけられた。
数秒の遅延の後、遠方の宙域において、ビームが「何らかの物体」を貫通する音なき閃光が、光の波としてガルバルディβの光学センサーへと到達した。
推進剤の誘爆はない。
小規模な装甲材が破断し、生命維持用の冷却液が霧散する。
残された微弱な熱紋が、すぐに消滅した。
◇ ◇ ◇
「アーガマからモビルスーツ発進を確認。
ガンダムMk-Ⅱ三号機!」
アレキサンドリアのブリッジに、オペレーターの張り詰めた音声が響き渡る。
指揮官席のジャマイカン・ダニンガン少佐は、右脚の小刻みな貧乏ゆすりをピタリと止め、メインモニターへと目を向けた。
ワイヤーフレームで表示された緑色の空間図で、アーガマの甲板から飛び出した熱源が、一直線にカプセルへと向かっていく。
(来たか。エゥーゴに与した反乱分子どもめ。
その甘さが命取りだ)
ジャマイカンは、薄い口唇を歪めて冷笑する。
「敵の心理的間隙を突く有能な戦術家」という仮面をすることで、これから自軍が引き起こそうとしている「人質の虐殺」というおぞましい事実から、己の良心を切り離す。
彼は手元のコンソールへと指先を這わせ、通信チャンネルを解放した。
『ジェリド中尉。目標が
……やれ。新型爆弾を起爆させろ』
事務的な「作業手順」として処理する。
ジャマイカンはわざと緩慢な呼気を吐き出しながら、言語を紡ぎ出した。
その司令が到達したハイザックのコックピットでは、ジェリド・メサ中尉の心臓は、ノーマルスーツを内側から突き破らんばかりの異常な早鐘を打っていた。
『――やめろぉぉぉっ!!』
突如として、オープンチャンネルのノイズを切り裂いて、ひどく甲高い、少年の獣のごとき絶叫がコックピットに叩きつけられた。
その声に聞き覚えがあった。
ガンダムMk-Ⅱを奪った、あの少年だ。
『母さぁぁぁん!!』
ジェリドの呼吸が、一瞬完全停止に陥った。
「……は?」
ヘルメットのバイザーの奥で、ジェリドの瞳孔が限界まで拡がる。
母さん、と聞こえた。
新型爆弾であるはずのカプセルに向かって、敵のパイロットが「母さん」と絶叫しながらMk-Ⅱの
(どういうことだ? あれは爆弾じゃないのか?
何故、敵がそんな悲鳴を……)
ジェリドの脳内で、ジャマイカンの「新型爆弾」という言葉と、眼前の「少年の絶叫」という生々しい音声とが激しく衝突して、火花を散らした。
カプセルはどう見ても、爆発物には見えなかった。
あの脆い外殻の中にいるのは、まさか……。
『ジェリド中尉! 何をしている、撃て!!』
ジャマイカンの怒声が、戦術チャンネルに強引に割り込んでくる。
「……ッ!!」
ジェリドの右手の親指が、赤いトリガーの上で硬直した。
トリガーを引けば、自分が「爆弾処理」ではなく「人殺し」になるかもしれない。その恐怖が胃の底からせり上がってくる。
だが、ここで引き金を引くことを拒絶すれば、自分は命令不服従という烙印が押され、ティターンズから追放されるか、カクリコンたちの終わりのない嘲笑の標的となる。
「……ええいっ!
俺は、俺はティターンズのエリートだ!
命令通りにやるだけだ!!」
ジェリドは、「
これ以上「少年の悲鳴」というノイズを受信したくないがために、彼は双眸を固く閉ざし、親指をトリガーへと押し込んだ。
ハイザックの右手から、一筋のエネルギービームが放たれた。
宇宙空間は音を伝達しない。
ビームの光条は、ガンダムMk-Ⅱが伸ばしたマニピュレーターの数メートル先を無慈悲にすり抜け、カプセルへと吸い込まれた。
次の瞬間、虚空に閃光が膨れ上がる。
だが、「新型爆弾の起爆」と呼ぶにはあまりにも小規模であり、残酷極まる爆発であった。
推進剤や火薬が連鎖燃焼するような熱波を伴わなかった。
薄い外殻が四散し、内部の生命維持装置から冷却液が白く霧散する。
そして……不規則な回転を伴いながら四方八方へと飛散していく、「赤黒い破片」。
ジェリドは薄く目蓋を開け、モニターの光学映像を直視してしまった。
「……あ……」
喉の奥底から、空気が漏れ出るような奇妙な音が鳴った。
それが爆弾の破片でないことなど、誰の目にも明らかだった。
彼が撃ち抜いたのは、人間の血と肉の塊であった。
『……目標の破壊を、確認』
アレキサンドリアのブリッジで、オペレーターが抑揚を排した声で報告する。
ジャマイカンは、メインモニターの爆発の光が収束する前に、スッと視線をデータパッドへ沈めた。
右手の親指と人差し指で眉間を揉みほぐしながら、彼は努めて事務的に伝えた。
「……作戦は成功だ。
エゥーゴの機体は爆発に巻き込まれ、行動不能に陥ったと記録しろ」
彼はジェリド・メサがいかなる対象を射撃させられたのか、目を背け続けた。
一方、ハイザックのコックピット内。
ジェリドの肉体は、まるで氷水の中に沈められたかのように激しい痙攣に支配されていた。
『……ジェリド中尉! あなた、何をしたか分かっているの!?』
オープンチャンネルの帯域から、エマ・シーンの激しくひび割れた音声が響く。
「……ち、違う!」
ジェリドは、誰もいないコックピットで、モニターへ向かって唾を飛ばしながら狂犬のごとく吠えた。
「俺は命令通りにやったんだ! あれは爆弾だった!
ジャマイカン少佐がそう言ったんだ!」
必死に張り上げるその声は、ひどく上ずり、涙声に近かった。
自分が卑劣な殺人装置として上官に利用されたという事実。
そして、「エリートとしての功名心」が、少年から母親を奪い去る引き金を引かせてしまったという、取り返しのつかない罪悪感の重圧。
ジェリドは、激しく震える右手でコンソールを乱暴に叩き、光学モニターの出力を強制的にワイヤーフレーム表示へと切り替えた。
血肉の破片を視覚から遮断し、緑色の線図だけを見つめながら、彼は荒い呼吸を繰り返す。
「俺は……ティターンズの将校だ……大局を見たんだ……」
自らの手を血に染めた瞬間から、ジェリド・メサの精神は、終わりない自己欺瞞と他責の螺旋へと、転がり落ちていくのであった。
◇ ◇ ◇
シイコ・スガイは、連絡通路の薄暗い隔壁パネルに背を預けていた。
片手には薄型のデータパッド。
視線は発光ディスプレイの表面へと固定され、次回の出撃シフトや機材の損耗率を確認している。
眼前を通過した整備兵の片割れが、あの破壊されたカプセルの中身は
「やめろ」と同僚を制止する彼らを見送った。
シイコはそのまま意識を、接近しつつある「気配」へと移した。
足音が角を曲がる。
アーガマへの「軍使」としての任務を完遂し、たった今帰艦したばかりのエマ・シーン中尉の姿が、視界の端に現れた。
シイコは顔を上げた。
エマの顔面からは完全に血の気が失せ、まるで青白い光を吸い込んだかのようだった。
ジェリドの焦燥に満ちた報告。
少年の悲痛な絶叫。
エマが、シイコを一瞥することなく通り過ぎる。
互いの肩が触れ合うほどの距離だ。
本来であれば、同じの部隊に属する将校として、最低限の会釈や視線の交錯が行われて然るべきである。
だが、エマは他者の存在を認識する余裕が失われていた。
「自分が卑劣な人殺しの運び屋として利用された」という、己の存在意義と信念を根底から破壊する出来事への論理的処理に食いつぶされていたのだ。
シイコはエマに声を掛けるのを躊躇われた。
特命を与えたバスク・オム大佐は、射線上に味方が大勢いたとしても迷いなくコロニー・レーザーを射つ男である。
子の眼前で母を殺す――、一児の母であるシイコにとって許容しがたいことであった。
エマはシイコを一瞥することなく、通路奥へと消えていった。
シイコはデータパッドの電源を静かに落とす。
黒く沈んだ画面に、感情を排した自分の顔が、一瞬だけ亡霊のように映り込んだ。
『アレキサンドリアMSデッキ 整備班録音』
『記録日:UC〇〇八七年 三月四日』
アレックス・マイヤー伍長は、頭部に装着した防音インカムのイヤーパッドを押し込みながら、手元のデジタル・チェックボードの液晶画面を険しい表情で睨みつけていた。
「……バイパスの圧力値が規定ラインに達していない。やり直せ」
彼は部下の新米整備兵へ視線を向けることもなく、規則を盾に叱りつけた。
頭上では、ガンダムMk-Ⅱの巨体が、幾本もの整備用ケーブルとハンガー・アームによって拘束され、沈黙の眠りについている。
エマ・シーン中尉らの部隊の帰還後、機体各所の再調整が行われている最中であった。
その時だ。
デッキの搬入ゲートの隔壁が、重々しい駆動音を伴いながら開放された。
マイヤー伍長はチェックボードから視線を逸らすことなく、「おい、資材の搬入なら隣のゲートに回れと言って……」と口を開きかけたが、網膜に映った光景に言葉を飲み込んだ。
現出したのは、他ならぬエマ・シーン中尉であった。
彼女は漆黒のノーマルスーツを着込んでいた。
ヘルメットを小脇に抱えているが、その歩みは「出撃前」のそれではない。
随伴するパイロットもいなければ、出撃のブザーも鳴っていない。
そして何より異様なのは、彼女の後ろをフランクリン・ビダン技術大尉が、小走りで付き従っているという異常事態であった。
「……中尉? エマ・シーン中尉」
マイヤー伍長はチェックボードを小脇に抱え、インカムの通信スイッチを切り替えて声をかけた。
「現在、Mk-Ⅱは調整中です。ジェネレーターの出力制限も解除していません。
無断での立ち入りは……」
エマは、マイヤー伍長の声が聞こえなかったかにょうに、歩みを止めようとはしなかった。
彼女の視線は、ガンダムMk-Ⅱのコックピットハッチ、ただ一点のみに固定されている。
「お待ちください、中尉!」
マイヤー伍長の心臓が、非常事態の警鐘のごとく激しく打ち鳴らし始めた。
管理下の機体に対し、規定外の接触が起ころうとしている。
それは後刻、「何故制止しなかったのか!」と管理責任を追及される未来を意味する。
彼は早歩きでタラップの前面へと立ち塞がった。
「出撃命令書を見せてください!
ブリッジからの承認コードは!
技術大尉、あなたもです!」
マイヤー伍長は、彼女の進行を物理的気に阻止する挙には出なかった。
万が一にも将校の身体に接触し反撃の口実を与えれば、軍法会議において不利な立場に立たされるのは自分である。
「本官が規則に則った制止手順をとった」という既成事実こそが最優先であった。
だが、エマは歩みを止めない。
マイヤー伍長は思わず本能的にたじろぎ、彼女に道を譲ってしまう。
「ちゅ、中尉! 手順が違います!
コックピットを開けるな!」
マイヤー伍長の声が裏返った。
チェックボードを握る指先が震え、樹脂フレームが軋む。
エマは躊躇なく、強制解放の外部レバーを乱暴に引いた。
高圧ガスが噴き出し、Mk-Ⅱのハッチが重々しい動作で開いた。
彼女はフランクリン・ビダンをコックピット内に押し込むと、自らも隣接するMk-Ⅱのハッチを開放し、滑り込むような動作で搭乗席へと身を沈めた。
「やめろ! 俺の責任になるんだぞ!!」
ズゴンッ、という地鳴りのごとき重低音が、デッキの床を揺らす。
Mk-Ⅱのメインジェネレーターが強制起動を果たしたのである。
排熱ダクトから、皮膚を焦がすほどの熱風がデッキへと叩きつけられる。
装甲の隙間から漏れる駆動系の青白い明滅が、マイヤー伍長の引き攣った顔面を不気味な色彩へと染め上げた。
「……おい、誰か! 警備を呼べ!」
彼は後退りしながら、インカムのスイッチを狂ったように何度もカチャカチャと叩く。
指先が滑り、思うようにチャンネルが合わない。
機体を拘束していたハンガー・アームが、ガンダムMk-Ⅱの強引な姿勢制御によって悲鳴を上げ、結合部のボルトが千切れて宙を舞った。
「ブリッジ! 第一デッキだ!
エマ中尉がMk-Ⅱを奪うぞ!」
マイヤー伍長は喉が裂けるほどの声で絶叫した。
◇ ◇ ◇
『……スガイ中尉、発進どうぞ!』
オペレーターからの通信後、ブザーが鳴った。
重巡洋艦アレキサンドリアのカタパルトが、シイコの搭乗するガルバルディβを宇宙空間へと射出する。
強烈なGの圧力が全身の筋繊維をシートへと叩きつけるが、彼女の呼吸サイクルにいかなる乱れも生じさせなかった。
意識はすでに、空間に散在する無数の
『なぜエマ中尉の裏切りの尻拭いを、俺がやらなきゃならねえんだ!』
局地戦術チャンネルから、先行したカクリコン・カクーラー大尉の怒号が流れてきた。
彼のハイザックは、スラスターの推進剤を消費しながら、苛立ちを露わにした乱暴な軌道でエマ中尉の逃走ルートを追尾していた。
機体の挙動から、彼が「己の不遇な扱いに対する感情的苛立ち」を優先してペダルを踏み込んでいるのは明らかであった。
シイコは戦術ネットワークの現状を再確認する。
事前の予測通り、交戦宙域は急速に「ノイズ」によって飽和しつつあった。
『そこを退きな! エリート気取りのティターンズに、モビルスーツの機動戦闘は無理だ!』
『なんだと!? 田舎者が、俺たちに口出しするな!』
カクリコンが衝突している相手は、連邦軍のサラミス改級軽巡洋艦ボスニアから発艦した、ライラ・ミラ・ライラの部隊である。
アーガマの艦影を捕捉し、戦果の独占を求めて過剰に接近してきたのだ。
ティターンズと
本来の軍事的論理であれば連携行動をとるべき二つの部隊が、索敵レーダーの有効範囲内において無意味な縄張り争いを繰り広げている。
カクリコンの怒号とライラの冷笑が、戦術回線のデータ帯域を凄まじい速度で食いつぶしていった。
(……人間は感情的になると、驚くほど盲目になる)
二つの部隊が己の意地とプライドが衝突を繰り返すことによって、互いの機影がセンサー上で複雑に重なり合い、誰がどこに向かっているのか、正確な相対座標の演算が麻痺し始めている。
それはシイコにとって、見慣れた「開かれた扉」に他ならなかった。
他者の陥るパニックや焦燥は、己が行動を秘匿するための
シイコは操縦桿の傾斜角を細やかに調整した。
メインスラスターの出力を最低限まで絞り込み、四肢の姿勢制御バーニアを不規則に明滅させる。
彼女のガルバルディβは、カクリコンとライラが構築している、センサーの死角が複雑に重なり合う座標へと、まるで氷上を滑るかのように侵入していく。
『いい加減にしろ! 俺の射線を塞ぐなと言っているのが分からねえのか!』
カクリコンの怒号が響く。
彼は眼前に存在する「
シイコは左手の指先でコンソールを操作し、通信の音量を最低レベルへと引き下げた。
喧騒が遠ざかり、コックピットに再びジェネレーターの低い駆動音のみが残った。
彼女の瞳孔が、メインモニターの中央にとらえた巨大な白い艦影――アーガマの姿を捕捉した。
その手前で、二機のガンダムMk-Ⅱが、まるで逃げ込むかのように甲板へと着艦するのが見えた。
「……着艦軌道、計算完了。
推力制御、オートからマニュアルへ移行」
シイコの搭乗するガルバルディβは、友軍の熱狂と喧騒から背を向け、一筋の暗影のごとく、アーガマの懐へと滑り込んでいったのである。