機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《76》逃避行 (U.C.0087年 3月 3日〜5日) 

 

 

 

 強襲巡洋艦アーガマの独房の中、密航者アマテ・ユズリハは一人、震えていた。

 彼女は自由を渇望し、この(ふね)に潜り込んだ。

 モビルスーツに乗れば、鬱屈とした日常から逃避し、どこまでも自由でいられると盲信していたのだ。

 だが、虚空(宇宙)という環境は、彼女の貧弱な想像力が描くような「煌びやかで自由な場所」などでは断じてなかった。

 

「……うるさい。

 うるさい、うるさい! 何が起きてるの!?」

 

 アマテは、両手で耳を強く塞ぎながら、寝台(ベッド)の上でうずくまっていた。

 物理的な隔壁を透過して、黒く重く、耐え難い「痛みを伴う悲鳴」が脳髄に直接流れ込んでくる。

 彼女の特異な感応力が、外部の「悪意」と「悲哀」を光や音声に変換して知覚させているのだ。

 

(……ねえ、あの振動。誰かが、死んだ?)

 

 その瞬間、ヒルダ・ビダンのカプセルが粉砕される感触と、カミーユ・ビダンの絶叫が、鮮烈な「波」となって彼女の精神を直撃した。

 

(……痛い、苦しい。

 頭の中に、知らない誰かの悲鳴が響いてる。

 これが、宇宙に出るってことなの?

 誰かが誰かを殺して、その痛みが全部、私の中に流れ込んでくるの?

 ……嫌だ、怖い。ここから出して!)

 

 自由を求めて飛び出した少女は、暗い独房の底で、初めて「戦場における死」という抗いがたい恐ろしさを魂に刻み込まれたのである。

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八七年、三月四日。

 

 高速重巡洋艦アレキサンドリアの第二整備区画は、吶喊で機材や部品、人員を集中配置した都合上、専らジオン系の機動兵器(MS)が収容されていた。

 Mk-Ⅱ強奪騒動から、どれほどの時間が経過したであろうか。

 緊急出撃した部隊が帰投しつつあった。

 カクリコン大尉からの報告によれば、エゥーゴの新型――コロニーへ侵入したMSと同型――の待ち伏せ攻撃に遭遇したらしく、帰還した機体の中には肩部防盾(シールド)の各所に焦げ跡を残していた。

 若年兵たちに機体の整備と応急処置を委ね、連絡艇(ランチ)の整備に従事していたゲルハルトは、作業の手を止めた。

 残すは導管(コンジット)一本の接続のみという最終段階であった。

 もっとも、物理的な作業の区切りによるものではない。

 ゲルハルトたち末端の技術者にも、情報が断片的に伝達されていた。

 エマ・シーン中尉が反旗を翻し離反した。

 二機のMk-Ⅱも奪われた。

 そして、追撃部隊として出撃したMS群——ハイザックやガルバルディβ——が続々と帰投したが、スガイ中尉のガルバルディβだけが未だ帰還していない事実。

 カクリコン大尉らと同様、デブリに潜伏していたエゥーゴの新型機と交戦に至ったのか。

 

「……ゲルハルトさん、スガイ中尉は」

 

 と若い技術者が問いかけた。

 「知らん」とゲルハルトは答えた。

 あの女が単なる「凡庸なテストパイロット」などではない事実を、ゲルハルトは熟知している。

 シイコ・スガイが暗礁宙域において為した所業を、彼自身が直接目撃したわけではない。

 とはいえ、機体に刻み込まれた傷痕(スティグマ)と、死地から生還した操縦者たち(歴戦のジオン兵)の瞳の奥に宿る暗い光は、雄弁な言葉よりも彼女の異常性を物語っていたのを、彼は克明に記憶している。

 

(……もう戻ってこない。あの女は、こちら側にいない)

 

「ゲルハルトさん」

 

 別の技術者の音声が微かに震えていた。

 

「もし()()()()()()()()()()()なら、俺たちは」

「黙れ」

 

 短く言い放ち、ゲルハルトは身を起こした。

 

「動作テストをする。乗れ。全員だ。作業着のままでいい」

 

 若い技術者が互いの顔を見合わせた。

 

「今ですか」

「今だ」

 

 ゲルハルトの音声には、他者の反論を許さぬ絶対的な真剣味が帯びていた。

 技術者たちはそれ以上問いただすことができなかった。

 その場に居合わせた元ツィマッドの技術者たちを収容するや否や、主機に火を入れた。

 

「ゲルハルトさん、これは」

 

 若い技術者の一人が言いかけた。

 

「動作テストだ」

 

 その言葉に全員が動きを止めた。

 

「エゥーゴの艦を探せ。アーガマという強襲巡洋艦だ」

「投降するんですか」

 

 三度目は、誰もその理由を問わなかった。

 技術者たちは名状しがたい恐怖に突き動かされるように、エゥーゴの艦艇を求めて虚空へと飛び出していった。

 ()()()()()()()()()()()

 かつてデラーズ艦隊の末端として星の屑作戦(デラーズ紛争)を戦った技術者たちにとって、その事実は、ティターンズという組織を捨てるには十分すぎる根拠であった。

 だが、逃亡を図る連絡艇(ランチ)は、即座にハイザック隊の索敵網に捕捉され、攻撃を受け始める。

 

 

 

 一方、アーガマの艦橋(ブリッジ)

 ヘンケン艦長は、メインモニターに映し出された異常な光景に眉根を寄せていた。

 

「ガルバルディβが外甲板に着艦している? エマ中尉が連れてきたのか」

「着艦したガルバルディはハッチを開けて交戦の意思がないことを示しています」

 

 通信管制員(オペレーター)が応答した。

 「それより艦長」と別の管制員が割り込んだ。

 

「発光信号と音声通信を確認。ランチ一隻、こちらに向かっています。

 『投降する』という意思表示を繰り返しています」

 

 艦橋が深い静寂に包まれ、ヘンケンが席を立った。

 

「ランチが投降? 何の話だ」

「ランチの後方にハイザック二機を確認。追跡しています。

 今、ランチに対して射撃を開始しました」

「撃っているのか……!?」

 

 ヘンケンは即座に決断を下した。

 

「受け入れ体制を整えろ。

 投降の意思があるなら受け入れる。

 ……それで、あのガルバルディはどうする」

「ランチと一緒に受け入れるんじゃないですか」

 

 ヘンケンが甲板の監視映像(モニター)へ視線を向けた。

 ガルバルディβの操縦者は誰か。

 オペレーターが着艦機の搭乗者名簿を更新する。

 シイコ・スガイ。

 階級は中尉。

 

「……スガイ中尉に繋げ」 

 

 

 

 アーガマ外甲板、ガルバルディβのコックピット。

 外甲板に降着したまま、シイコはモニターを凝視していた。

 接近してくるランチに向け、後続のハイザック二機による射撃が開始されていた。

 ランチは発光信号を用い、「投降する」という意思表示を反復している。

 

(……整備区画にあったランチだ。あの人たちが逃げてきた)

 

 彼女の論理回路が結論を弾き出すのに、一秒の猶予も必要としなかった。

 艦橋からの通信回路が開く。

 ヘンケンの音声であった。

 

「スガイ中尉。あのランチを追っているハイザックを、撃退できるか」

「できます」

「わかった。……行ってくれ」

 

 ブレックスの音声が重なった。

 

「スガイ中尉、了解した。行きなさい」

 

 シイコはハッチを閉め、推進器(スラスター)を吹かした。

 甲板を離脱する直前、ヘンケンが向き直る気配が、無線越しに伝わったような錯覚を覚えた。

 

 

 

 アーガマ艦橋。

 シイコのガルバルディβが甲板から離れるのを確認した後、ヘンケンはクワトロへと振り返った。

 

「……クワトロ大尉。よかったか」

 

 事後承諾の求めに、クワトロは短く「構いません」と答えた。

 

(……状況的に同意するしかない。だが)

 

 クワトロはモニターの中で直線軌道を描くガルバルディβを、鋭い眼差しで追った。

 エマが艦内の騒擾に気付いたのは、通路を移動中のことであった。

 乗組員(クルー)が奔走し、無線が飛び交っている。

 

「何があったんですか」とエマは近傍のクルーに尋ねた。

「あとから来たガルバルディが、ランチを迎えに行ったんですよ!」

「ガルバルディ?」

 

 エマは眉根を寄せた。

 ガルバルディβ。先刻まで甲板に立っていた機体だ。

 とはいえ、ランチとはいかなる関係が——。

 

(……まさか)

 

 「シイコさん」と、エマは声に出すことなく呟いた。

 ガルバルディβに搭乗しているのがシイコであるならば。

 では、エゥーゴへと投降してくるランチの正体とは。

 エマには皆目見当がつかなかった。

 

 

 

 最初の射撃が、ランチの外壁を掠めた。

 「撃ってきたぞ!」と若い技術者が叫んだ。

 

「そりゃあそうだ」

 

 ゲルハルトは操縦桿を固く握り締めたまま、前方のみを凝視していた。

 

「逃げ出したんだ、撃ってくるだろう。バスクはそういうやつだ」

「でも、動作テストって——」

「黙れ」

「撃ってきてるんですよ!?」

「わかってる」

 

 ゲルハルトの声は不気味なほどに平静であった。

 精神の内部で何かが完全に焼け焦げた後にのみ訪れる、冷え切った平静さである。

 アーガマの姿はすでに視界に捉えられていた。

 あそこまで到達しさえすれば——。

 無線機にハイザック隊からの警告が届いた。

 

「引き返せ! 戻れ! これ以上進めば撃墜する!」

 

 数拍の猶予ののち、ビームの光条が虚空を通り過ぎていった。

 

(……まだ本気の命令が出ていない)

 

 その戦術的判断が正確であったのは、ごくわずかな時間のみであった。

 ジャマイカン・ダニンガンの怒声が通信回線に割り込んできた。

 

「撃ち落とせ! バスク大佐の命令だ! ランチを撃ち落とすんだ!」

 

 通信回線に不吉な沈黙が流れる。

 直後、ハイザックのビームが、今度は明確な殺意を持った射線でランチへと迫ってきた。

 

「ゲルハルトさん!」

「わかってる」

 

 ゲルハルトは全速力を維持した。

 他に選択し得る手段が存在しない。

 その刹那、若い技術者の一人が前方モニターを指差して絶叫した。

 

「何か来る! アーガマの方向から! 追っ手——!?」

「違う」

 

 ゲルハルトは一瞥したのみで、接近物の正体を理解した。

 最大出力で直線をなぞっている。

 彼には、迷いなく突き進む、あの機動の持ち主に覚えがあった。

 

(……シイコ・スガイ)

 

「全速力だ。アーガマに向けて全速力を維持しろ。

 ……俺たちは助かるぞ」

「助かる?」

 

 若い技術者が信じられないと言わんばかりに叫んだ。

 

「どういうことですか!?

 ハイザックが撃ってきて——あのガルバルディは何ですか! 追っ手じゃないんですか!?」

「スガイ中尉だ」

「え?」

「シイコ・スガイ中尉だ。

 あのガルバルディは彼女が乗っている」

 

 若い技術者たちの間に、一瞬沈黙が訪れた。

 次いで、彼らのパニックの質が劇的に変容する。

 

「スガイ中尉!? あの人が来た!?」

「じゃあ俺たちは助かるのか!?」

「でもスガイ中尉って、暗礁宙域の——」

「怖いのか、助かるのか、どっちだ!!」

 

 ゲルハルトは返答せず、ひたすらに前方のみを注視していた。

 ランチの右側面を、ガルバルディβが最高速で飛び抜けていった。

 

 

 

 推進器(スラスター)出力を、ガルバルディβの構造限界まで踏み込む。

 数値が危険領域(レッドゾーン)へ突入するのを意に介さない。

 この機体がどこまで負荷に耐え得るかは、Mk-Ⅱ評価試験における仮想敵役を務めた折に、完全に掌握していた。

 警報が鳴動しようとも、骨格(フレーム)が悲鳴を上げる限界点までには、まだ僅かな猶予が存在する。

 ランチの右側を飛び抜けた。

 

(……全員無事だ。ランチに損傷はない。後は——)

 

 ビームライフルを後続のハイザック一号機へ向け、牽制射撃する。

 直撃させる意図はない。

 主目的はあくまで撃退である。

 相手の射線を切断し、ランチへの攻撃行動を放棄させるだけで事足りる——。

 その時、ジャマイカンの通信を受信した。

 

「ランチを撃ち落とすんだ!」

 

 シイコは即座に状況の再演算を実行した。

 

(バスク大佐の命令が出た。

 ハイザック隊は本気の撃墜命令を受けた。牽制では止まらない。

 命令に従う人間は、命令が変わらない限り動き続ける)

 

 ハイザック一号機が、ランチへ向けていた射線を修正した。

 シイコは、ガルバルディβを一号機との射線上に割り込ませる。

 スラスター出力を最大に維持したまま、機体を横転(ロール)させて一号機の側面へと回り込む。

 ビームライフルを保持しながら、目標の頭部センサーセンサーへの射線を瞬時に計算した。

 一号機が機体の向きを修正しようと試みた。

 その機動の途上において、シイコはビームライフルをほぼ静止に近い状態で、一号機の頭部が通過する座標へと「置いた」。

 自機を移動させながら、銃口のみを空中のその一点に固定し続ける——旧式機であるガルバルディβの性能諸元(スペック)が許容する極限精度で。

 引き金を引いた直後、高熱のビームが一号機の頭部を正確に撃ち抜いた。

 センサーを喪失した一号機が、その挙動を停止させた。

 直後、二号機が混乱に陥った。

 本来の目標であるランチを撃つべきか、目前の脅威であるガルバルディβへ対処すべきか、その戦術判断が一拍遅延してしまったのだ。

 シイコはその一拍の隙を突き、ビームサーベルを抜いた。

 機能停止した一号機を盾とするように自機を滑らせ、二号機の射線の外へと離脱した。

 二号機が事態に反応した瞬間には、シイコのガルバルディβはすでにその後方斜め死角へと進出していた。

 閃くビームサーベルが、二号機の右腕から肩口にかけてを無慈悲に斬り飛ばした。

 主兵装を喪失した二号機が後退に転じた。

 シイコは追撃を止めた。

 

(……撃退完了)

 

 ガルバルディβのスラスター警報が未だ鳴り響いている。

 シイコは冷静に確認してから、推進器の出力を絞った。

 機体フレームへ蓄積された負荷を計算し、メカニックに対する謝罪の言葉を脳内で組み立てる。

 

「物理的手段によって敵の戦闘能力を剥奪する」という結果のみを、最短距離で出力する作業。

 一切の無駄が存在せず、殺意による力みも皆無である。

 取り残されたハイザック一号機も完全に戦意を喪失し、後退していった。

 

 

 

 この一連の事象は、アーガマの艦内においても複雑な波紋と混乱をもたらしていた。

 アーガマのMSデッキに、連絡艇(ランチ)とガルバルディβが着艦した。

 収容されたガルバルディβの機体を検分した整備長のアストナージは、その装甲の表面を撫でてから、目を疑うような表情で怒鳴り声を上げた。

 

『アストナージ・メドッソの音声メモ(整備記録)』 

 

「……なんだってんだ、このフレームの歪み方は!

 機体が雑巾みたいに捻じ切れる寸前じゃないか。

 外装にはかすり傷一つないのに、内部のフレームのジョイントが悲鳴を上げてる。

 スガイ中尉、あんたティターンズで『基本に忠実な案山子(テストパイロット)』なんて呼ばれてたって聞いたが……冗談キツいぜ。

 どんなバケモノみたいなGをかけたらこうなるんだ。

 慣性制御の限界を完全に無視して、スラスターの暴力だけで機体のベクトルを強制的に捻じ曲げたとしか思えねえ。

 ……一回の出撃でこれか。

 同じことをもう二回やったら、フレームが保たないぞ!

 あの大人しそうな女が、こんなイカれた操縦をしたってのか……」

 

 

 

 三月五日。

 

 Mk−Ⅱの強奪作戦と、ティターンズからの投降者の収容という一連の騒動に、一応の決着がついた。

 ヘンケン艦長とブレックス准将は、独房に拘束したままの少女の存在を忘却していた事実に気付いた。

 

「あの少女だが、このまま入れておく理由もない。出しなさい」

 

 という極めて事務的な釈放命令を下した。

 重々しい電子音を響かせ、独房の扉が開放される。

 アマテは、怯えきった子犬のように肩を縮こまらせながら、恐る恐る薄暗い廊下へと足を踏み出した。

 その時、廊下の奥から軍用靴(ブーツ)の足音が接近してきた。

 

「怪我はない? アマテちゃん」

 

 その穏やかで、かつて聞き馴染んだ音声に、アマテの思考は完全に停止した。

 ゆっくりと顔を上げる。

 そこには、ティターンズの黒い軍服を纏い、飲料水の入ったプラスチックカップを手にしたシイコが立っていた。

 

「シイコおばさん……」

 

 アマテの唇から、掠れたような声が漏れた。

 イズマ・コロニーにおいて、自分にプチ・モビの基礎を教えてくれた、あの温和なシイコが、なぜ軍服を纏い、このような軍艦にいるのか。

 混乱と安堵、本能が警鐘を鳴らす畏怖が複雑に入り混じり、アマテはそれ以上、どんな言葉をも紡ぎ出すことができなかったのである。

 

 

 

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