機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《78》アマテとカミーユの邂逅、新たな鉄鎖(U.C.0087年 3月5日)

 

 

 

 すれ違う大人たちの視線が、遠慮なくアマテに突き刺さった。

 怪訝、警戒、呆れ。

 間違いなく「どこから迷い込んだ野良猫だ」とでも言わんばかりの、見下した感情であった。

 だが、アマテは特徴的な赤毛を無造作に掻き上げると、彼らの視線を鼻で笑い飛ばしてみせた。

 周囲の大人たちに怯えるなど、彼女の辞書には存在しない。

 管理という名の首輪を受け入れるくらいならば、いっそ宇宙(そら)へ身を投げて死んだ方が遥かにマシである――というのが彼女の幼くも強固な信条(ドグマ)であったのだ。

 だからこそ、宇宙(そら)に真の自由が存在するのだと信じて疑わず、この軍艦に飛び乗ったのである。

 「面白そうだから」というただそれだけの理由で。

 直感の赴くままにリック・ディアスの操縦席(コクピット)へと潜り込み、主機に火を入れた瞬間の、あの胸が爆ぜるような高鳴り。

 結果として、整備服を着た大人たちに引きずり降ろされ、独房へと放り込まれるという無様な結末を迎えたわけだが、後悔の念など欠片も存在しなかった。

 

「さてと、少しはマシな退屈しのぎでも探しますか」

 

 猫のように背伸びをして、談話室(ラウンジ)へと歩き出した、正にその瞬間のことである。

 不意に、アマテの視界の先が眩く発光した。

 

「……っ」

 

 思わず息を呑んで立ち止まる。

 通路の向こうから、青いフライトジャケットを身にまとった一人の少年が歩いてくる。

 その輪郭を包み込むようにして、砕けたサファイアのごとき青白い光の粒子が、凄まじい密度でキラキラと舞い上がっているではないか。

 

(……すごく綺麗。

 なんだか、王子様みたい)

 

 眩い光の中心にいるその少年の顔立ちも整っていた。

 ――彼がガンダムMk-Ⅱのパイロットだ。

 大人たちがこぞって「アムロ・レイの再来だ」と持て囃している、特別な才能。

 アマテは小さく深呼吸を一つし、姿勢を正した。

 相手は一六歳の少年。

 対する自分は一八歳だ。

 ここは一つ、年長者としての余裕とやらを存分に見せつけ、主導権を握ってやろう。

 彼女は念入りに計算された角度で顎を上げ、口角に冷たくて甘い微笑みを浮かべてみせた。

 「背伸びをしたクールなお姉さん」の仮面を被り、すれ違いざまに少年に呼びかける。

 

「あんたがウワサのパイロット?

 ふーん、可愛い顔してるじゃない」

 

 少年——カミーユ・ビダンは、不意に声をかけられて足を止めた。

 キラキラとした光のベールの向こうで、アマテを見つめ返す。

 年上のお姉さんに声をかけられて戸惑うか、それとも照れるか。

 

「私はアマテ。

 ちょっと年上だし、これからはお姉さんって呼んで頼ってもいいわよ?」

 

 アマテは声帯を震わせて甘い声色を構築し、片目をつぶって見せるという古典的な所作(ウインク)まで投げてみせた。

 実に完璧な演戯であった。

 経験の浅い子供であれば、彼女のペースに巻き込まれるはずだった。

 しかし。

 カミーユ・ビダンという少年の顔面に浮かび上がったのは、戸惑いでもなければ照れでもなく、純度百パーセントの「呆れ」の表情であった。

 

「……は? 何言ってんの?」

 

 道端で得体の知れない女から奇妙な絡まれ方をしたことに対する、純粋に面倒くさそうな声色。

 

「リック・ディアスを勝手に動かそうとして、アストナージさんたちに引きずり降ろされたって奴だろ。

 お姉さんどころか、ただのトラブルメーカーじゃないか」

 

 アマテの顔に張り付いていた「クールなお姉さん」の仮面に、亀裂(ヒビ)が入る音がした。

 事実という名のストレート・パンチ。

 カミーユの中には、女子に対する幻想であるとか、遠慮などという概念は一切存在しなかったのである。

 まるで、幼なじみ(ファ・ユイリィ)にでも接するかのような、見事なまでに等身大の対応。

 アマテの視界で輝いていたはずの美しいサファイアの光が、チカチカと明滅し、急速に色褪せていく。

 

「……っ!」

 

 気がつけば、自意識のメッキは吹き飛び、アマテ・ユズリハという人間の素が剥き出しになっていた。

 カチンときた。

 

「ちょっと! せっかく年上の余裕を見せてあげてるのに、なによその言い方!」

 

 もうお姉さんぶるのはやめだ。

 彼女はカミーユに指を突きつけ、大声で噛み付いた。

 

「あんただって、親の顔に泥塗ってMS強奪したんでしょ!

 どっちもどっちじゃない!」

 

 放たれたアマテの暴言に対し、カミーユもまた眉間を険しく寄せ、即座に反撃を試みた。

 

「俺のは正当な理由があったんだ!

 ティターンズの大人たちが間違っているから……ただの思いつきと一緒にするな!」

「思いつきで何が悪いわけ!?

 大人の理屈ばっかり気にしてるから、そんな眉間にシワが寄るのよ、このガキ!」

「ガキって言うな!」

 

 二人の遠慮ない怒鳴り声が響き渡る。

 端的に言えば、子供同士の取っ組み合いのような低次元な口論に過ぎなかった。

 「アムロの再来」なる特別なメッキは、カミーユからも剥がれ落ちていた。

 アマテの視界から、先ほどまで存在していた「キラキラ」は完全に消え去っている。

 目の前で顔を紅潮させて怒っているのは、神経質で、生意気で、理屈っぽさをこじらせた、そこら辺に居そうなただの十六歳の少年に他ならなかった。

 

「だいたい、お姉さんなんて呼ぶわけないだろ。

 あんたみたいな非常識な奴に!」

「上等よ! こっちだって、生意気な奴に呼ばれたくないわね!」

 

 フン、と互いに鼻を鳴らし、同時に顔を背け合う。

 けれど、先ほどまであんなにも息苦しかったアーガマの空気が、ごくわずかではあるが、軽くなったように感じられた。

 大人たちの顔色を窺う必要もないし、つまらない建前を気にする必要もない。

 アマテにとってのカミーユ・ビダンは「気を遣う必要のない、理屈っぽい弟分」になり、彼にとってのアマテもまた、「アムロの再来として祭り上げない、ただの厄介な同年代の女」という認識に落ち着いたのだ。

 

「……アマテ、だっけ」

「そうよ。

 マチュって呼んでもいいわ」

 

 アマテはふいっとカミーユの方へと向き直り、ニヤリと不敵極まりない笑みを浮かべてみせた。

 カミーユもまた、先ほどまでの毒気を完全に抜かれたかのように、小さく呼気を漏らす。

 彼女はようやく一つだけ、等身大の息ができる場所を見つけ出したような気がしていた。

 

 

 

 カミーユとの騒々しい邂逅を終えた後であっても、当然ながら、アマテ・ユズリハという一個人の居場所は、艦内のどこにも用意されていなかった。

 彼女がまず向かったのは、シイコ・スガイのところだ。

 しかし、元ティターンズの中尉という厄介な肩書きを持ったシイコは、現時点において「客分」という待遇すら与えられていない立場にあった。

 

「ちぇ、シイコおばさんも捕まってるんじゃ、本当に暇なんだけど」

 

 結局のところ、アマテは行くあてもなく、先ほど口論を交わしたばかりの少年の後をついていく。

 カミーユは背後から付き纏ってくるアマテの足音に対し、露骨に眉を寄せて不快感を表明していたが、追い払う手間すら惜しいのか、無言のままハッチを抜け、重力区画からMSデッキへと向かった。

 デッキに足を踏み入れた瞬間、アマテの瞳が輝いた。

 サイド6で目にしていたような民間のプチ・モビや、学生用の練習機などとは一線を画す、本物の「戦う機械」たちだ。

 リック・ディアスの光を吸い込むような重装甲、黒いティターンズカラーのガンダムMkーⅡ。

 吸い寄せられるように機体へと歩み寄ろうとした正にその時、カミーユが唐突に歩みを止め、アマテの姿をあからさまに不審視してきた。

 「また勝手にシステムを弄ろうとするのではないだろうな」という、強い警戒心に満ちたものであった。

 

「なによ、その目! 言っとくけど、もう勝手に乗ったりしないわよ。

 ……たぶん」

「たぶん、ってなんだよ。

 ……これ以上アストナージさんたちの仕事を増やすな。迷惑なんだ」

 

 アマテは唇を尖らせて抗議の意を示したが、カミーユの視線が正論であることくらいは曲がりなりにも理解していた。

 「はいはい」と適当に手を振り、視線をデッキの奥へと滑らせる。

 そこでは、張り詰めた空気が漂っていた。

 固定具(ハンガー)に係留された一機のガルバルディβ。

 その周囲に、複数の人影が群がっている。

 主任整備士(チーフメカニック)であるアストナージと、連絡艇(ランチ)でエゥーゴへと投降してきた技術者、ゲルハルト。

 そして、監視付きという条件の下、立ち会うシイコ本人の姿である。

 彼らはガルバルディβのセンサーユニットを解放し、設定変更の真っ最中だった。

 エゥーゴの戦術ネットワークに適合させるための敵味方識別装置(IFF)の書き換え作業、各局地戦術チャンネルの周波数変更。

 ゲルハルトが手際よく通信端末(コンソール)を叩く。

 その作業は通信・センサー周りのみに限定され、火器管制系統へのアクセスは物理的に遮断されていたが、投降したばかりの彼らにとって見れば、組織からの信用を勝ち取るための唯一の「労働」であることに違いはなかった。

 その一方、少し離れた別の区画からは、不快な怒鳴り声が響いていた。

 

「この設定では反応が鈍すぎる!

 MkーⅡのポテンシャルを殺す気か!」

 

 ガンダムMkーⅡの足元において、フランクリン・ビダンが若手の整備兵(メカニック)を怒鳴りつけている。

 自らが主導して設計した機体に対する異常なまでの矜持を持ち、現場の疲弊など一切顧みることなく機体整備に細かな文句を付け続ける姿に、整備兵たちは困り果て、疲弊しきった姿を見せていた。

 その様子を冷めた目で一瞥したカミーユは、吐き捨てるように鼻を鳴らすと、機体の傍らにあるシミュレーターへと向かった。

 実機を動かす許可は出ていなくとも、感覚を維持するためのシミュレートは彼の「特権」であり「義務」でもあった。

 カミーユの背後にひっついてシミュレーターのハッチまで辿り着いたアマテは、Mk-Ⅱを見上げながら素直な感想を口にした。

 

「ねえ……あんまり強そうじゃないね」

「やらないぞ」

 

 カミーユは即座に釘を刺した。

 アマテの無責任な発言は、「この機体が気に入らないから別の機体を寄越せ」という、不穏な予兆にしか聞こえなかったらしい。

 

「とらないわよ! ……疑り深いんだから」

 

 アマテは呆れたように肩をすくめると、カミーユが開けたシミュレーターのコクピットへと、当然のような顔をして一緒に乗り込んだ。

 

「おい、あんたまで乗るのかよ」

「いいじゃない、一人じゃ寂しいでしょ?

 お姉さんが特別に、横でアドバイスしてあげる」

 

 閉鎖空間であるコクピット内で、二人の肩が触れ合う。

 カミーユは不満げに舌打ちの音を響かせたものの、彼女を押し出すことはしなかった。

 外部の喧騒も、大人の理屈も届かない小さな箱の中で、二人は束の間、仮想の宇宙へと没入していったのである。

 

 

 

 狭いシミュレーターのコクピット内には、警報音(アラート)と、擬似的な爆発音が絶え間なく鳴り響いていた。

 カミーユが見せる操縦は、群がる大人たちが「アムロ・レイの再来」と騒ぎ立て、神輿に担ぎ上げるだけのものではあった。

 流れるような視線移動と、機体の慣性挙動を先読みしたかのような滑らかな推力制御(スロットルワーク)

 だが、補助席からその様子を食い入るように見つめ続けていたアマテは、感心するよりも先に持ち前の負けん気と「退屈への反抗」を疼かせていた。

 シミュレーション・プログラムの終了を告げる電子音が響き、モニターに撃墜戦果(スコア)が表示される。

 カミーユが満足げな息を吐くより早く、アマテはシートから身を乗り出した。

 

「次は私」

「は?」

 

 シートから振り返ったカミーユは、今度こそ本気で呆れ果てたような顔をした。

 

「あんた、MSの操縦はできるのか?」

「プチ・モビだけ。

 でも基本は同じでしょ。

 さっき横で見てたからわかる」

「プチ・モビとは違う。

 遊びじゃないんだぞ」

 

 カミーユの語気には反発と苛立ちがあった。

 彼が初めて乗るガンダムMkーⅡをあそこまで自在に操れたのは、決して天性の勘や思いつきではない。

 軍の技術士官を父に持つという特殊な家庭環境ゆえに、フランクリンが自宅に持ち帰っていた各種データマニュアルを、文字通り暗記するほどに読み込む機会に恵まれていたからだ。

 座学の蓄積と、彼自身のニュータイプとしての空間認識能力。

 これら二つの要素が合致して初めて実証された離れ業を、「横で見ていたから自分にもできる」などと豪語してのけるアマテの軽薄さが、カミーユにとっては我慢ならない冒涜のように感じられたのだ。

 

「いいから、ちょっと代わりなさいよ!」

 

 強引にカミーユを補助席(サブシート)へと押し退けると、アマテは勝ち誇ったように主操縦席(メインシート)へと陣取った。

 躊躇いもなく操作盤(コンソール)を叩き、シミュレーションを再起動(リスタート)させる。

 カミーユは、開始数秒で隕石に機体を激突するか、バランスを崩してスピンするだろうと予想していた。

 だが、その予想は見事に裏切られる。

 

「なんだ、これ」

 

 カミーユは絶句した。

 アマテの操縦は、決して洗練された美しいものなどではない。

 セオリーを無視した、実に荒削りな挙動の連続。

 だが、彼女に根付く「基礎」は、恐ろしいほどに完成されていた。

 姿勢制御の勘所、スラスター噴射角度の選択、そして何より、自機の死角に対する異常なまでの警戒心。

 その一挙手一投足のすべてに、実戦に特化した操縦技術の結晶(他ならぬシイコ・スガイという魔女の手によって叩き込まれた呪い同然の基礎技術であるという事実を、この時のカミーユは知る由もない)が息づいている。

 初見であるはずの、MkーⅡ特有の敏感な駆動設定に対しても、アマテは常軌を逸した適応速度で機体特性を掌握していった。

 機体の持つ可動限界(リミット)を直感のみで探り当て、無理矢理に己のペースへと引きずり込んでいく。

 やがて、終了のブザー音が鳴り響いた。

 メインモニターに表示されたスコアは、当然のことながら、先ほどカミーユが叩き出した記録には遠く及ばない値であった。

 

「あーっ、もう!

 最後のもっさりした反応は何! もう一回!」

 

 アマテが操作盤を力任せにバンバンと叩きつけながら、心底悔しそうに声を上げた。

 カミーユは完全に呆気にとられたまま、その横顔を凝視していた。

 「負けた」ことへ悔しさを見せる姿は、彼が頭の中で勝手に想像していた「迷惑な素人」という枠を完全に超えていた。

 

「おい、……どこでそんな操縦を」

「今のなし! カミーユ、もう一回やるわよ!

 次は絶対勝つから!」

「勝つとか負けるとか、そういう問題じゃ……」

 

 二人が騒々しく言い合いをしながらシミュレーターのハッチを開けると、思いがけない二つの人影が待ち構えていた。

 

「楽しそうだな、二人とも」

 

 クワトロ・バジーナ大尉と、レコア・ロンド少尉である。

 彼らの手には、MkーⅡの塗装案が描画された端末が握られていた。

 ティターンズの象徴とも言える黒塗りの装甲を、白を基調としたカラーリングへと塗り替えるにあたり、一応の体裁として、カミーユの意向を確認しに訪れたのであろう。

 だが、レコアの視線はすぐにカミーユの隣で不満げな顔をしている赤毛の少女へと向けられ、険しくなった。

 

「あなた……無断でリック・ディアスに乗り込もうとして拘束された子ね。

 なぜ軍のシミュレーターにまで入っているの。

 ここは遊び場では……」

「待て、レコア少尉」

 

 咎めようとしたレコアを、クワトロが手で制止する

 彼の視線は、開け放たれたハッチの奥、シミュレーターのモニター画面に表示されたスコアに向けられていた。

 

「このスコアは、君が出したものかな?」

「そうだけど。

 それがなに? 赤い服のおじさん」

 

 アマテは悪びれる様子もなく、不敵な態度で言い放った。

 横に立つカミーユが冷や汗をかく思いで息を呑むが、クワトロは気にした素振りも見せず、むしろ面白がるように口角を吊り上げた。

 

「素晴らしい。

 初めての正規MS、それもMk-Ⅱのシミュレーションでこれだけのスコアを出せるとはな。

 基礎の練度と、空間認識能力の高さが窺える」

「大尉……! 彼女は民間人で、しかも密航者ですよ!」

 

 レコアが抗議の声を上げるが、クワトロの態度は揺るがない。

 彼はアマテの真っ直ぐで反抗的な瞳を見据え、相手に否を唱えさせない特有の響きを伴って穏やかに提案した。

 

「どうだろう。

 君さえよければ、この(ふね)でモビルスーツのパイロットを目指してみないか?

 もちろん、初めは訓練生としてだがね」

 

 その突拍子もない言葉に、カミーユが驚愕の叫びを上げ、アマテは呆けたように目を丸くした。

 真の「自由」を求めてアーガマに潜り込んだトラブルメーカーの前に、「戦場」という名の新たなステージへの扉が、不意に開け放たれた瞬間であった。

 

 

 

 「軍人」になり、「戦争」をする。

 そんな将来を、アマテ・ユズリハは生まれてこの方、ただの一度たりとも考えたことがなかった。

 彼女にとって、サイド6のコロニーという閉鎖空間は、あまりにも狭すぎた。

 彼女の瑞々しく、肥大した感性は、規律や常識といった「重力」に縛られた空間では、到底収まりきらなかった。

 宇宙空間(そら)に出さえすれば、無限の自由が待ち受けている――そのように盲信して外の世界へと飛び出した彼女にとって、軍隊という組織は、逃げ出してきたはずの「檻」の再来でしかなかった。

 だが、クワトロ・バジーナという得体の知れない男が放つ独特の威圧感は、アマテの拒絶を、巧みに逸らしていた。

 

「……軍用機を無断で拝借しようとしたことについて、私は『()()』罪に問うつもりはないよ」

 

 クワトロは含みを持たせて言った。

 この「今は」という響きが、アマテに鋭く突き刺さる。

 リスクを度外視する彼女であっても、この言葉に隠された「いつでも罪に問える」というカードの重みを、本能的に理解できた。

 弱みを握られたことに、アマテは不機嫌そうに唇を噛んだ。

 

「……ずるい」

「現実的な提案をしているだけだよ、ユズリハ君。

 君が今後もこの船でモビルスーツを動かしたいのであれば、仮の立場でもいい、訓練生であったほうが何かと都合がいいだろう?

 シミュレーターの使用権も、正当な名目があれば誰にも文句は言わせない」

 

 クワトロの声は優しく、迷子を地獄へと導くような、奇妙な響きを帯びていた。

 アマテは不満を隠そうともせず、チラリとカミーユを見た。

 先ほどまでの喧嘩腰は鳴りを潜め、彼もまた、この「赤い服のおじさん」の放つ言葉の引力に囚われたかのように、食い入るような顔付きで耳を傾けている。

 

「……訓練生、なら。

 ……やるわよ、やってあげてもいい」

 

 アマテが、自分に言い聞かせるように、小さな声で呟いた。

 だが、その言葉を真っ向から遮るように、鋭い声が飛ぶ。

 

「大尉! 本気なのですか? 彼女は密航者なのですよ。

 軍の機密に触れるシミュレーターを、このような身元の怪しい民間人に開放するなど……」

 

 レコア・ロンドが、軍人としての厳しい表情で、即座に反意を表明した。

 彼女の認識において、戦場は決して子供の遊び場などではない。

 アマテのような、感情と「思いつき」のみで動く少女の存在など、厄介な火種でしかなかった。

 しかし、クワトロはレコアの抗議を受け流すかのように、視線をアマテへと戻した。

 

「ところで、ユズリハ君。

 先ほどデッキで作業をしていたスガイ中尉……シイコと知り合いのようだが、君たちはどんな関係なのかな?」

 

 不意の問いに、アマテは拍子抜けして、間の抜けた面立ちになった。

 

「シイコおばさん? 二年前に、母の仕事の付き合いで知り合ったの。

 軍には大学へ進学するために入ったらしくて、腰掛けのつもりだったんだって。

 ……プチ・モビの操縦は、全部彼女に教えてもらったわ」

 

 アマテの答えを耳にした瞬間、クワトロはサングラスの奥で、わずかに目を細めた。

 彼は、先立って行われた事情聴取の際、シイコ本人の口から経歴を聞き出していた。

 地球連邦軍、アナハイム・エレクトロニクス、そしてティターンズ。

 

「なるほど、教え子というわけか。

 ……興味深いな」

 

 クワトロは我が意を得たりとばかりに深く頷くと、レコアを振り返った。

 

「レコア少尉。

 彼女の教導は、スガイ中尉にやってもらうのが一番だろう。

 知らない仲より顔見知りのほうが、教える側も教わる側も都合がいい。

 ……異論はないな?」

 

 レコアは奥歯を噛み締め、不本意ながら口を噤んだ。

 上官たる大尉が、人事に関してここまで具体的な指示を下した以上、これ以上反対を試みたところで、徒労に終わることを悟ったのだ。

 カミーユ・ビダンとの偶然の邂逅。

 暇潰しのシミュレーターへの搭乗。

 そして、「赤い服のおじさん」による悪魔的なスカウト。

 アマテ・ユズリハの無邪気な「自由」への渇望は、本人の自覚とは裏腹に、皮肉にも「エゥーゴの訓練生」という新たな鉄鎖を生み、彼女自身を否応なく巨大な戦火の渦中へと引きずり込んでいった。

 

 

 

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