機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《79》速成教育と魔女の間合い (U.C.0087年 3月6日)

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八七年、三月六日――。

 エゥーゴの強襲巡洋艦(アーガマ)は、グリーン・ノア宙域を脱し、月への策源地到達を目指していた。

 彼らの背後には、未だティターンズのアレキサンドリアと、ルナツー艦隊に所属する軽巡ボスニアによる追撃の気配が、ねっとりとした死の匂いとともに張り付いている。

 だが、艦内のモビルスーツデッキの一角に限って言えば、戦局特有の重苦しい緊張からは程遠い、ある種奇妙な空気に支配されていた。

 真紅に彩られたガルバルディβ。

 その重厚な装甲の足元で、クワトロ・バジーナ大尉に引率された少女――アマテ・ユズリハは、居心地の悪そうな顔で、床面の鋼板の継ぎ目に視線を泳がせていた。

 

「紹介しよう。

 彼女が今日からパイロットの訓練生となる、アマテ・ユズリハだ」

 

 クワトロの落ち着き払った声に応じたのは、データ端末(コンソール)調整記録(ログ)を閲覧していたシイコ・スガイ中尉である。

 彼女は端末から顔を上げ、静かに瞬きをした。

 

「……訓練生、ですか」

 

 シイコの声には、感情の起伏が欠落していた。

 眼前の型破りな少女がリック・ディアスに無断搭乗した一件。

 単なる好奇心か若気の至りに過ぎず、独房から釈放されたのは密航の罪が不問に付された結果だと思っていた。

 まさか、正規の戦闘員候補として軍理(システム)に組み込まれるなど、想定の埒外(らちがい)であったのだ。

 

「ちょっと、直感に従ってみようかなって……ね、あはは……」

 

 アマテは引き攣った愛想笑いを浮かべ、頭を掻いた。

 いかにもな誤魔化しであったが、シイコがそれを許容するはずもなかった。

 

「アマテちゃん」

 

 静かで、有無を言わさぬ叱責の響き。

 コロニーで作業用小型機(プチ・モビ)の操縦を学んでいた頃から、アマテはこの「シイコおばさん」の、決して声を荒らげない怒りを何よりも恐れていた。

 少女は狼狽えて口を噤み、その身を縮こまらせる。

 

「スガイ中尉、あまり彼女を責めないでやってくれ」

 

 見かねたクワトロが助け舟を出した。

 

「彼女の空間認識能力は素晴らしい。

 シミュレーターとはいえ、初めての正規MSで、ガンダムMk-Ⅱを見事に動かしてみせた。

 君が彼女に基礎を教えたと聞いている。

 彼女には、才能がある」

「基礎の基礎だけです。

 モビルスーツの動かし方の、ほんの入り口に過ぎません」

 

 シイコは一歩下がり、軍人らしい所作で首を垂れた。

 だが、一連のやり取りを横目に観察していたアマテの背筋を、名伏しがたい悪寒が駆け抜けた。

 

(……目が、笑ってない)

 

 シイコの口元は、模範的な淑女のそれであった。

 だが、大尉に向かって謙譲の辞を述べる瞳の奥底には、「温度」という概念が欠落していたのである。

 アマテがコロニーで親しんだ「心優しい主婦」の視座ではない。

 人間が有する才能や生命という不確定要素を、単なる「生存確率」と「戦術的変数」に還元し、最適解を弾き出す冷徹なる目――否、絶望的な血の海を泳ぎ切り、なお生き延びてしまった者の目であった。

 クワトロが「では、彼女の教導をよろしく頼む」と言い残してその場を去った後も、アマテの心臓は不自然な早鐘を鳴らし続けていた。

 彼女は、努めて軽薄な調子でシイコに詰め寄った。

 

「な、なんでティターンズの軍服なんか着てるのさ!

 だって、シイコおばさん……じゃない、シイコさんは、前に会ったときは普通の主婦だったじゃない!

 もしかして、あんなに優しそうだった旦那さんと、ついに離婚でもしたの!?」

 

 沈黙。

 シイコは再び端末へと視線を落とし、事実のみを告げた。

 

「離婚はしていません。夫は地球にいます」

「な、なんだってぇええっ!?」

 

 その直後、彼らの背後から、場違いなまでに悲壮な叫び声が艦内を震わせた。

 驚愕のあまり大声を張り上げてしまったのは、整備班長(チーフ・メカニック)のアストナージ・メドッソをはじめとするアーガマの整備兵たちであった。

 微小重力(マイクロ・グラヴィティ)下で、アストナージは手にしていた電動工具(パワー・レンチ)を反射的に手放してしまっていた。

 緩慢に漂い始めた金属塊は、質量(マス)に任せて作業服に結びつけられた安全ケーブル(リーシュ・コード)を極限まで引き伸ばす。

 工具の制動(ブレーキ)の反動でアストナージの身体まで不器用に揺さぶった。

 姿勢を崩された彼は、慌てて宙を舞うコードを引っ張り、手繰り寄せてどうにか甲板の足場にしがみつく。

 周囲の血気盛んな若い整備兵たちも、一様に眼球を見開いたまま、思考停止の硬直状態に陥っていた。

 

「人妻だったのか!?」

「しかも、地球に旦那と子供がいるって……マジかよ……」

 

 一方で、ティターンズから投降したゲルハルトらは、「いまさら何を驚いているのだ」とでも言いたげな大げさな溜め息を漏らす。

 

「現在進行形で、この艦は追撃を受けています。

 悠長に訓練をしている時間はありません」

 

 周囲の喧騒を切り捨て、シイコはアマテに向き直った。

 

「基礎の基礎は体得しているようですが、実戦は別です。

 まずはシミュレーターで、あなたのベースラインの実力を確かめます」

「やったー!」

 

 重苦しい空気から解放された安堵からか、アマテは年相応の無邪気さで両手を突き上げた。

 そして、瞳を輝かせてでシイコを見上げる。

 

「じゃあ、実機は? いつ外に出て、本物のモビルスーツに乗れるの!?」

「——私が、合格だと感じたら」

 

 声の重圧に、アマテの笑顔が凍りつく。

 この時になって初めて、少女はとある事実に思い至った。

 プチ・モビルスーツの操縦を教わったとはいえ、シイコ・スガイという女が、実戦でモビルスーツで駆る姿をただの一度たりとも目にしたことがなかったのだと。

 

「……あ、あれ?」

 

 気まずい沈黙を打ち破るべく周囲を見回したアマテは、見知った少年の姿を発見した。

 青いフライト・ジャケットを着込み、頭上の足場(キャット・ウォーク)の下を通り抜けようとしていたカミーユ・ビダンである。

 

「あっ! カミーユ!」

 

 アマテは弾かれたように駆け出し、カミーユの腕に、遠慮ない動きでがっちりと抱きついた。

 

「ちょっ……! な、なんだよお前!」

「友だち! カミーユって言うの!

 ね、あたしもパイロットの訓練生になったんだよ!」

 

 突然の強襲に、カミーユは目を白黒させるほかなかった。

 しがみつくアマテの豊満な胸部の感触が、ジャケット越しに容赦なく伝わってくる。

 

「は、離せよっ!」

 

 思春期特有の潔癖的羞恥心から顔を朱に染め、カミーユは視線を逸らしながら慌てて腕を解こうともがいた。

 

「誰が友だちだ! 勝手にくっつくな!」

 

 乱暴に言い捨てようと面を上げたカミーユの視界の端に、アマテの背後で静寂を保つシイコ・スガイの姿が映りこんだ。

 

 ——ドクン。

 

 心臓が、殴打されたかのように跳躍する。

 少年の顔面から急速に血の気が失せ、瞳孔が収縮した。

 彼の超感覚が捉えたのは、童顔の東洋系の女性などではなかった。

 かつて一年戦争という名の煉獄において、命を刈り取り、ついには自らの感情さえも焼き尽くした『事象の地平線』そのものであった。

 

「……ッ」

 

 アマテの胸の感触に対する、少年らしい戸惑いなどというものは、たちまち宇宙の塵となって吹き飛んだ。

 カミーユは、唇をわなわなと震わせながら、後ずさる。

 

「……あなたは、怖い人だ」

 

 無自覚であった。

 気づけばカミーユの口から、そんな言葉が零れ落ちていたのである。

 間に挟まれたアマテが「え?」と間抜けな声を漏らし、不思議そうにカミーユとシイコを交互に見比べる。

 だが、血濡れた死地を生き抜いた魔女(シイコ・スガイ)は、類稀なるニュータイプの少年が放った鋭利な真実を浴びせられてなお、表情を動かすことはなかった。

 

「……ふふっ」

 

 ただ、静かに。

 まるで名画の中に描かれた聖母のごとく、微笑みを浮かべてみせただけである。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 カミーユ・ビダンはシミュレーターの前まで来たが、早々に待機を余儀なくされた。

 二基設置されている全天周囲モニター対応型の訓練用筐体は、両者ともに稼働中を告げる赤色のインジケーターを明滅させていた。

 

「カミーユ。

 あなたもトレーニング?」

 

 背後から掛けられた声に視線を巡らせる。

 そこにはエマ・シーン中尉の姿があった。

 彼女もまた、非番という名の貴重な休息時間を削ってまで、シミュレーションによる練度向上を図りに来たのであろう。

 

「ええ。

 でも、先客がいるみたいですね」

 

 カミーユが(いささ)かうんざりしたように肩を竦めるのを横目に、エマは稼働中の筐体が接続されたコンソールパネルへと視線を落とした。

 

「使っているのは……アマテという子と、スガイ中尉みたいね」

「アマテ……あの赤い髪の」

 

 カミーユは大げさに息を吐き出した。

 このアーガマの艦内で遭遇したばかりの素性知れぬ密航者である。

 出会い頭からして、どうにも的外れな「頼れる年長者」を気取った態度で絡んできた少女だった。

 

(……直感だけで動く、騒がしくて鬱陶しい奴だ)

 

「昨夜、レコア少尉の隣で書類を書かされていたわね。

 クワトロ大尉が今朝、彼女を訓練生としてスカウトしたと報告していたけれど……どうしてスガイ中尉が教導を?」

 

 エマの表情には、隠しきれぬ困惑の念が浮かび上がっていた。

 

「カミーユ、彼女は私と同じ部隊の同僚だったわ。

 私がアーガマに投降した、わずか数時間後に彼女も寝返ってきたのだけれど……」

 

 エマはモニターのさらに奥、シイコなる女が収まっている筐体を凝視しながら言葉を継いだ。

 

「ティターンズの技術将校が、彼女の操縦技術を絶賛していたわ。

 でも、そのせいで、来る日も来る日もベースラインテストばかりをやらされていた。

 仮想敵(アグレッサー)を務める時も、普通のパイロットなら墜落しかねないような危険な機動を容易く繰り返してみせるものだから、無茶なテストばかりを押し付けられていたのよ」

 

 カミーユの脳裏に、先ほどのシイコの姿がフラッシュバックする。

 

(危険な機動を、容易く……)

 

 そのような経歴を持つ彼女が、昨日出会ったばかりの一介の民間人(素人)を相手取って、いかなる教導を施すというのか。

 一方、外界から閉ざされた筐体の内部では、シイコが、いっそ不気味なほどの整然さを保ち、情動を排した声でインカム越しに指示していた。

 

『アマテちゃん。

 機体選択はRGM-79R、ジムⅡを指定しなさい』

『えーっ! リック・ディアスとかじゃないの?

 ジムって、なんか古くさいんだけど……』

 

 アマテの子供じみた不満の声が返ってきたが、シイコが戯言を顧慮するはずもなかった。

 

『今日の機体です。

 あなたにはまず、これを完璧に動かしてもらいます』

 

 シイコは自席のコンソールを淀みなく操作し、基準値(ベースライン)確認用の仮想空間(ステージ)を構築した。

 障害物はおろか地形効果すら存在しない、幾何学的な三次元グリッド線のみが無限の深淵へと続く無重力空間。

 そこに、シイコ自身も同型のジムⅡを選択した上で、教導相手(アグレッサー)として現れた。

 

『よく聞きなさい。

 ジムⅡは、一年戦争時のジムをベースにアビオニクス(電子機器)とジェネレーターを改修した機体です。

 リニアシートの採用により、操作性は極めて素直。

 中距離から近距離まで、そつなくこなせる汎用性を持っています』

『なんだ、結構すごいじゃん!』

『ただし——』

 

 続くシイコの研ぎ澄まされた氷槍のごとき声が、アマテという少女が抱いていた無邪気な楽観(オプティミズム・バイアス)を切り裂いた。

 

『装甲材はガンダムMk-Ⅱと同じチタン・セラミック複合材へと更新されていますが、その脆弱さは否めません。

 現在の主力ビーム兵器の直撃を受ければ、防御姿勢をとろうがコクピットごと一瞬で蒸発します』

『じょう……はつ』

『ええ。

 だからこそ、あなたには「相対距離」の概念を徹底的に叩き込みます。

 相手の有効射程と自分の回避限界、その境界線を把握し、常に死地から半歩外れた位置をキープする。

 それができなければ、装甲の薄いこの機体では生き残れません』

 

 シイコは、アマテが天賦の才とも云うべき空間認識能力を秘めている事を、イズマ・コロニーでプチ・モビの操縦を教えた時に把握していた。

 それゆえ、教条的な操縦理論などを詰め込むより先に、「空間と間合いの把握」という生来の優位性(アドバンテージ)を引き出す教導方針を選択したのである。

 

 

 

 時を同じくして、チーフメカニックのアストナージ・メドッソと、先日連絡艇(ランチ)で投降してきた技術士官ゲルハルトの両名が姿を現した。

 彼らの後ろには、若い技術者の姿も見える。

 

「おや、エマ中尉とカミーユくんか。

 邪魔するぞ」

 

 ゲルハルトは無造作に片手を上げてみせると、手首に抱えていた携帯端末と極太のケーブルを取り出し、迷うことなくシミュレーターの外部コンソールへと結線し始めた。

 

「ゲルハルトさん、何をしているんです?」

 

 カミーユのいささか間の抜けた問い掛けに対し、ゲルハルトは口角を上げた。

 

「ティターンズで使っていたシミュレーターと同型筐体だからな。

 もしかしてと思って、外部確認用モニターのパッチを当ててみたらビンゴだった。

 これで、中のデータをリアルタイムで視覚化できる」

 

 アストナージが手際よく大型モニターに命を吹き込むと、そこには無機質なグリッド空間に浮かび、対峙する二機のジムⅡの映像が投影された。

 だが、表示されているのは、地味かつ反復的な基本動作の光景であった。

 歩行、スラスターによるごく短距離の跳躍、姿勢制御バーニアの噴射タイミングの厳密な同調。

 シイコが駆る機体の運動指向(ベクトル)と速度に従属する形で、アマテの機体がわずかに遅れて追従を試みる。

 

「ベースラインテストって……こういうのなんですね。

 なんだか、退屈だ」

 

 カミーユの口を突いて出たのは、落胆の色を隠さない一言であった。

 実戦さながらの華々しい火線の交錯や、重力を嘲笑うかのような曲技機動を想像していた少年からすれば、あまりにも機械的で単調な光景だったのだ。

 

「ええ。

 でも、彼女はティターンズでこの指定された動きばかりを来る日も来る日も強いられていたのよ」

 

 エマが、先刻の言辞を裏付けるかのように静かに呟く。

 だが。

 彼らの素朴な評価は、テストが次の段階——すなわち、「実戦形式(武装の使用)」へと移行した瞬間に、呆気なく粉砕されることとなる。

 モニターから漏れ伝わってくる空間の質が異質なものへと変容する。

 

『いいわ、アマテちゃん。

 ここからは武器のロックを解除します。

 私に一発でもビームを当ててみなさい』

 

 底冷えするシイコの声とともに、彼女のジムⅡが無造作に、それでいて自然の(ことわり)に従うかのごとく、ビーム・ライフルと装甲盾(シールド)を備えた構えをとった。

 カミーユ・ビダンは、鋼鉄の巨人がとった姿勢を一瞥した刹那、悪寒が駆け抜ける。

 

(……なんだ、あの隙のなさは)

 

 シミュレーター上のジムⅡは、バイタルエリアたる胴体部を装甲盾(シールド)の陰に隠し、その(ふち)からのみ、銃口を覗かせていた。

 なるほど、軍事教範に記されたままの堅実な構えである。

 しかし、問題はその精度だった。

 各関節の緻密な角度、寸分違わぬ重心の統制、スラスター群の微細な待機状態の維持——機体を構成するあらゆる要素が最適化されており、付け入る余地など見出せなかった。

 一切の装飾を削ぎ落とし切った、「純粋なる殺戮の構文(シンタックス)」と呼ぶべき完成度であった。

 アマテの乗機がバーニアを火吹かせ、果敢にも虚空を蹴って肉薄を試みる。

 少女の空間認識は確かに傑出したものであり、予測困難な不規則軌道を描くことで、死に至る射線から逃れようと奮闘を続けていた。

 しかし、だ。

 シイコ・スガイの操る機体は、最小限の機動に留まりながら、それでいてなお、アマテの全運動域を完全支配(コントロール)していたのである。

 

「同じ状況ばかりだ」

 

 カミーユは戸惑いの声とともに首を振った。

 モニターの片隅の、両者の相対距離を算出した数表。

 それが、常に一定の誤差の範疇でしか推移していないのである。

 一歩近付けば被弾は免れず、一歩退けば即座に同距離を埋め合わされる。

 アマテは、不可視の檻に封じられた哀れな実験動物の如く、シイコが形作った盤上の上で否応なく踊らされ続けていた。

 

「スガイ中尉は、何をさせたいんだ……?」

「……間合いを教えているんだよ」

 

 横手より、ゲルハルトがひどく乾いた声で呟いた。

 彼の視線は、魔に魅入られたかのようにモニターへと釘付けにされており、蒼白な()には畏怖が刻み込まれていた。

 

「装甲の薄い機体で生き残るための、境界線。

 あの『()()』は、殺しの間合いをわかっているからな」

 

 ——魔女。

 

 忌まわしい二文字がその場の空気を凍り付かせる。

 信じがたいものを耳にしたとばかりに、エマが弾かれたように振り返った。

 

「ゲルハルト技師長……今、なんと言いました?」

 

 傍らの若い技術者に脇腹を小突かれ、ゲルハルトはハッと我に返った。

 しまったとばかりに、手で口を覆う仕草をしてみせる。

 だが、遅かった。

 一度としてこぼれ落ちた言葉が孕む質量は、どのような詭弁をもってしたとしても、回収不可能な領域に達していた。

 カミーユの脳髄のさらに奥底——先刻、MSデッキにてシイコ・スガイと視線が交錯した刹那の、底知れぬ恐怖の記憶が、強烈なフラッシュバックとなって蘇った。

 

(あなたは、怖い人だ)

 

 思わず口走ってしまった直感。

 いま、目前のモニター内で繰り広げられている光景が、断じて平凡なテストパイロットによる地味な基本演習などではなかった。

 生存と死滅の確率論を小数点以下の桁に至るまで演算し尽くした果ての――死神が舞う、舞踏に他ならない。

 シイコ・スガイの教導自体は、極めて合理的であり、淡々としたものであった。

 しかし、その合理性の裏側には、血肉と硝煙の悪臭に泥濘(なず)んだ「魔女」の片鱗と云うべき本性が、隠しおおせぬ鋭利な刃となって薄ら笑いを浮かべていた。

 カミーユ・ビダンは、自分の直感が、事実としていかに正確であったかを思い知らされ、細い腕を抱きすくめることしかできなかった。

 

『アマテちゃん、右のバーニアの吹かしが〇・五秒遅い。

 それだと、左胸にビームをもらうわよ』

『わ、わかってるってば! もう一回!』

 

 インカムから漏れ伝わるシイコの平坦な声と、縋りつくようにして反復を試みるアマテの熱を帯びた呼気。

 アマテの内に眠る潜在能力は、確かに瞠目すべき次元のものであったろう。

 彼女はシイコが冷徹に構築してみせた「死と隣り合わせの間合い」において、直感と空間認識能力のすべてを動員し、まさに針の穴を通すような薄皮一枚の領域で、致死の火線を辛うじて躱し続けているのだから。

 それを平然と引きずり出そうと試みるシイコ・スガイという女の深淵ぶりは、傍観を強いられたカミーユたちに対し、拭いようのない違和感と恐怖を深々と刻み込んでいた。

 

 

 

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