機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《80》前哨戦の喧騒と傲慢な技術者(U.C.0087年3月7日)

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八七年 三月七日、一〇時三五分。

 

 エゥーゴの旗艦たる強襲巡洋艦アーガマのMSデッキは、潤滑油(オイル)の悪臭が充満する、戦時特有の喧噪に支配されていた。

 

「そこ、ラインのバイパスを急げ!

 プロペラント(推進剤)の充填が追いつかないぞ!」

 

 チーフメカニックのアストナージ・メドッソの怒声が、広大なハンガーに轟いた。

 その下で狂奔する整備兵たちは皆、額に脂汗を滲ませながら作業への没入を余儀なくされていた。

 殺気を孕んだ空間の片隅。

 特例的措置によって訓練生の身分となったばかりのアマテ・ユズリハは、邪魔になることを恐れて壁際に立っていた。

 彼女の生硬なる瞳には、眼前で繰り広げられる異常なまでの忙しさが、いささか不可解に映っていた。

 アーガマそのものは現在、ティターンズのアレキサンドリア級重巡と直接的な砲火を交わす事態には至っていないからだ。

 たまらず、手の空いたタイミングを見計らってアストナージに声をかけた。

 

「ねえ、アストナージさん。

 なんでこんなにバタバタしてるの?

 敵と撃ち合ってるわけじゃないんでしょ?」

 

 アストナージは額の汗を手の甲で粗雑に拭いながら、苛立たしげに応じた。

 

「うちが直接やってるわけじゃないさ。

 だが、随伴してるモンブラン(サラミス改級軽巡)のジムⅡ隊が、さっきから前衛で哨戒と小競り合いを繰り返してるんだ。

 いつこっちに火の粉が飛んでくるか分からねえ」

 

 アストナージの視線は、アマテの服装——戦場にそぐわぬ軽装——を非難するかのように睨みつけた。

 

「いいか、アマテ。

 今はいつ警報が鳴ってもおかしくない『戦闘空域』なんだ。

 見学するのは勝手だが、せめてノーマルスーツを着てくれ。

 空気が抜けてからじゃ遅いんだぞ」

「あ……うん、ごめん。すぐ着てくる」

 

 アマテは己の無知を恥じるように、所在なげに肩をすくめてみせた。

 本来ならば狂気の大文字で記されるべき非日常たる戦場が、艦内では日常のルーティンとして扱われている。

 その厳然たる事実に、彼女は改めて自分が置かれた状況の深刻さを突きつけられていた。

 だが、組織としての最低限の「戦場の合理性」すらも無視して、我が物顔でデッキへと姿を現した男がいた。

 ティターンズの技術大尉、フランクリン・ビダン、その人である。

 

「……なに、あのおっさん」

 

 ノーマルスーツを取りに向かおうとしていたアマテの足が止まった。

 フランクリンは、周囲の慌ただしさを気にしない様子で、ティターンズの制服のまま、覚束ない足取りでデッキの中央へと歩み出てきた。

 ノーマルスーツすら着用しないという安全管理上の非合理もさることながら、彼の行動の異常さが、アマテの特異な感覚を不快に刺激した。

 フランクリンは、自らが主査を務めたガンダムMk-Ⅱの横を、まるで鉄屑であるかのように素通りした。

 男が一直線に目指した先は、エゥーゴの最新鋭機であり、死の商人たるアナハイム・エレクトロニクス社が開発を手掛けた機体、リック・ディアスの重厚な足元であった。

 リック・ディアスの装甲の隙間から覗くブロック・ビルドアップ構造に対し、異常とも言える執着を見せつけた。

 

「おい、そこの君。

 この脚部の外装ブロックを外したまえ。

 内部のアクチュエーターの配置を確認したい」

 

 整備兵の背後から横柄な命令を下すフランクリン。

 

「は? あんた、ティターンズの……何言ってんだ、今は出撃の待機中だぞ!」

「いいから開けろと言っている!

 私は技術大尉だぞ。

 エゥーゴの連中が、私の理論をどう模倣したのか、この目で確かめる権利がある!」

 

 事態を察知して駆けつけたアストナージが間へと割って入り、力づくでフランクリンを制止しようと試みるものの、彼の態度は傲岸不遜そのものであった。

 行動経済学における「サンクコスト(埋没費用)の錯誤」とは少し異なり、フランクリンの心理構造は、より救いがたい形で歪曲していた。

 彼はUC〇〇八六年の段階で、Mk-Ⅱのムーバブル・フレーム技術が、ティターンズからAE社へ向けて流出するのを、故意に「()()」していたのだ。

 自らの天才的理論が、ティターンズという組織内において正当に評価されないというルサンチマンこそが、情報漏洩(リーク)を許容させた根源である。

 結果として、本来抱くべき「技術的な探求心」は、手元に残されたガンダムMk-Ⅱから完全に失われている。

 彼が今、狂気じみた執着を見せているのは、「AE社の無能な技術屋どもが、恵んだ『種』をいかに料理し、いかなる兵器として完成せしめたのか」という、歪んだ答え合わせへの渇望であった。

 自らの手で完成させた我が子(Mk-Ⅱ)には一切の関心を払わず、他人の家で育った私生児《リック・ディアス》の構造を覗き見ようとするその姿は、技術者の探求心などと呼べる代物ではなく、肥大化した自己愛の暴走に他ならなかった。

 アマテの視覚野の端で、フランクリンの放つ「どろどろとした不快なノイズ」が明滅を繰り返している。

 

(うわぁ……気持ち悪い……)

 

 アマテは思わず後ずさった。

 純粋な怒りや悲しみといった感情などではない。

 腐臭を放つ狂的な執着と、自己顕示欲とが泥濘の如く入り混じり、濁った情念の塊であった。

 それこそが、カミーユという少年の血脈を分けた、実の父親の真実の姿であった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 同日、午後。

 モンブランからの哨戒機(ジムⅡ)が慌ただしく帰艦し、整備班の疲労が頂点に達しつつある中。

 フランクリン・ビダンの狂態は一向に収まる気配を見せなかった。

 

「大尉、お願いですから少しデッキから離れてください。

 作業の邪魔になります!」

 

 状況を見かねたクルーの一人が、ついに声を荒げて注意する。

 リック・ディアスの傍ら一歩も離れようとせず、あまつさえ無断で外部データ端末を接続しようと試みるフランクリンの行動は、もはやスパイ行為と紙一重の領域へと足を踏み入れていたからだ。

 しかし、正当な抗議に対するフランクリンの反応は、周囲をさらに呆れさせるものであった。

 

「私を誰だと思っている!?」

 

 フランクリンは唐突に、不釣り合いなほど大きな声で激昂し、背後に屹立する白い機体——彼自身が午前中に見向きもしなかったガンダムMk-Ⅱを、傲然と指差した。

 

「この画期的な機体がなければ、君たちはティターンズに抗う術すらなかったはずだ!

 誰がこのMk-Ⅱを産み出したと思っている?

 私だ!

 私の天才的な頭脳が、君たちエゥーゴに勝利の可能性をもたらしてやったのだ!

 その恩人に対して、なんという態度だ!」

 

 浅ましく、虫唾が走るほどに滑稽な、権威主義への逃避に他ならなかった。

 彼は現在に至り、この機体に対する技術的興味など一ミリも抱いていない。

 彼にとってのガンダムMk-Ⅱは、対人関係の力学において「他者を平伏させるための道具(マウント)」でしかあり得なかった。

 自身の錯誤と非礼を指摘されたその刹那、彼は最も手っ取り早い「権威」の象徴として、これ見よがしに引き合いに出したのだ。

 

「……父さん」

 

 騒動の輪の少し外から、低く、およそ人間的温度を欠いた氷のごとき声が、不意に木霊した。

 いつの間にかデッキに姿を現していたカミーユ・ビダンであった。

 カミーユの視線は、父親への軽蔑と、深い絶望に彩られていた。

 彼自身が命懸けで操縦し、つい数日前には実母を喪うという惨劇の引き金ともなったガンダムMk-Ⅱ。

 カミーユにとってこの機体は、背負わざるを得なくなった過酷な運命の象徴であり、同時に自らの存在証明でもある。

 その血塗られた機体を、父親が「他者を見下すための階級的装飾(ステータス)」としか扱っていない。

 コックピットに座る息子の命の心配など、彼の自己愛に満ちた脳内には、欠片としてすら存在していなかったのだ。

 

「なんてみっともないんだ……。

 自分の作ったものが、ただの人を威圧する道具だとしか思えないのか……!」

 

 カミーユの硬く握りしめた拳が、小刻みに震えている。

 親に対する反逆などという甘いものではない。

 これは、本来備えているべき人間としての最低限の尊厳や倫理観を、ためらうことなくドブに捨てた父親に対する失望であった。

 生命の根源であるはずの父親が、これほどまでに醜悪な不純物であった事実。

 カミーユの心は、フランクリンが放つ空虚な権威主義の刃によって、深く無残に切り裂かれていた。

 アマテは、その背中を離れた位置から見つめていた。

 カミーユの放つオーラは、悲壮な青色に染まり、激しく揺らぎ、ささくれ立っていた。

 フランクリンの「どろどろとしたノイズ」が、美しい光を侵食し、汚染していく。

 その修復不可能な断絶の光景を前に、アマテはただ唇を噛み、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 

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