機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《81》呪われた妄執と脱走の萌芽《U.C.0087年 3月8日》

 

 

 

 三月八日、九時四七分。

 

 アーガマのMSデッキは、前日から間断なく継続される哨戒任務と、それに伴う機体整備のローテーションにより、疲労と緊張が色濃く蓄積していた。

 その張り詰めた空気の只中にあって、ティターンズの技術大尉フランクリン・ビダンは、ただ一人、自己をとりまく環境や他者の感情から遊離した存在として振る舞い続けていた。

 

「——大尉。

 このリック・ディアスの脚部アクチュエーターの配置ですがね」

 

 点検作業中だった中堅メカニックが、手にしたデータパッドへ視線を落としたまま、何気なくフランクリンに声をかけた。

 

「どう見ても、大尉が設計されたガンダムMk-Ⅱのムーバブル・フレームの基礎構造と、ジョイントの応力分散の考え方がとても似ているのです。

 AE(アナハイム・エレクトロニクス)の技術者が、大尉の理論をベースに独自の装甲材質を組み込んだとしか……」

 しかし、その言葉は最後まで続けることはなかった。

 

「黙れッ!!」

 

 突然のフランクリンの金切り声が、広大なデッキを満たしていたはずの無数の作業音を一瞬にして沈黙させる。

 

「貴様らのような油まみれの連中に、私の理論の何がわかるというのだ!

 アナハイム・エレクトロニクスが私の設計を盗んだとでも言いたいのか!?

 バカなことを言うな!

 私の完璧な設計思想を、アナハイムの三流技術者どもが理解できるはずがないだろうが!!」

 

 顔面を紅潮させ、唾を飛ばしながら絶叫するフランクリンの姿は、明らかな狂気の兆候を呈していた。

 声をかけたメカニックの意図は、単に機械工学的な近似性を指摘したに過ぎず、ことによれば、設計を称賛するニュアンスすら含んでいたのである。

 しかし、フランクリンの脳内は、「致命的な攻撃」として誤処理し、過剰な防衛反応を引き起こしていた。

 その根底にあるのは、彼自身が抱える「背徳感」と「自己欺瞞」に他ならなかった。

 他者から指摘されること、事実の輪郭に触れられることは、権威とアイデンティティを崩壊させる恐怖そのものであった。

 だからこそ、事実の核心に近づく会話を、理不尽な激昂という暴力によって強制的に打ち切ろうとしたのである。

 

「なんなの、あれ……」

 

 アマテ・ユズリハはキャットウォークから見下ろしながら、不快感に顔を歪ませ、両腕を固く抱え込んだ。

 アマテという少女の特異な知覚——他者が放つ強烈なオーラ(プレッシャー)を、光や電気的ノイズとして視覚的に変換・知覚してしまう一種の共感覚——が、眼下で絶叫するフランクリンの情動を鋭敏に受信してしまっていた。

 彼の実子であるカミーユが放っていた、眩いほど純粋な蒼光とは、対極に位置する代物であった。

 際限なく劣化した機械油の如くどろどろとした、底知れぬほど暗く濁ったノイズの奔流。

 自壊しつつある自己愛。

 罪悪感の重みから目を背けるための執着。

 他者を無価値として見下すことによってしか辛うじて保ち得ない、矮小な自尊心。

 そうしたありとあらゆる負の情動が泥濘の如く混ざり合い、アマテの視覚野へとねっとりと、執拗にまとわりついてくる。

 

(気持ち悪い……。

 これが、あのカミーユの親だって言うの?)

 

 アマテは胃袋を掴まれたかのような生理的嫌悪感に打たれ、呪われた空間から背を向ける。

 大人の建前や精緻な論理武装であろうとも、精神の根幹が腐敗しきった人間が醜悪さを、彼女の感受性が容赦なく暴き出していた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 同日、一二時五五分。

 

 フランクリンの狂気は、迷惑行為から逸脱し、暴走(エスカレート)を果たした。

 

「おい! 誰かあいつを止めろ!

 ディアスの中に入ったぞ!」

 

 アストナージの焦燥に満ちた怒号がデッキに反響した。

 機体の調整作業のため、一時的にコックピットハッチが開放状態にあった。

 その間隙を突き、フランクリンが軍規を無視してリック・ディアスのコックピットへ不法侵入を敢行したのである。

 

「フランクリン大尉!

 何をしているんです、降りてください!」

「触るな! 私はこの機体を動かす!」

 

 フランクリンは、彼を制止しようと試みたメカニックの腕を狂犬めいた膂力で振り払うやいなや、メインコンソールの強制起動シークエンスを入力し始めた。

 

「私の理論が、アナハイムの連中の手によってどう汚されたかを確認する権利が私にはあるのだ!

 この機体の真のポテンシャルを引き出せるのは、基礎理論を構築した私だけだ!」

 

 技術者としての探求心などという高尚な響きを持つものでは断じてない。

 「己の手で生み出した技術的胚胎が、他者の手によって孵化し完成を遂げた現実」を咀嚼できないという、幼稚かつ歪曲したエゴイズムの露呈(プロパガンダ)であった。

 

 ズォォォン……!

 

 突如として、リック・ディアスのジェネレーターが低周波の唸りを上げ機体各部のアクチュエーターの末端へ向けて強引に電力が供給された。

 

「馬鹿野郎!

 まだ姿勢制御のロックがかかったままだぞ!」

 

 アストナージが叫んだ直後、リック・ディアスの右腕が、まるで痙攣したかのように不自然に跳ね上がった。

 正規の起動手順を踏まず、数十トンに及ぶ機体の重心バランスを考慮しない乱暴な操作。

 その結果、右腕の装甲ブロックを係留・固定していた整備用ワイヤーが、瞬く間に限界張力を超えて千切れ飛び、金属鞭と化して周囲の空間を薙ぎ払った。

 

「うわぁっ!」

 

 直上のキャットウォークで作業に従事していた数名のメカニックたちが、死神の鎌の如く飛来したそのワイヤーを間一髪で回避し、床に転げ落ちる。

 もし反応が遅れ、直撃を許していれば、人体など真っ二つに両断されていたであろうほどの凄まじい破壊力であった。

 

「何をやっているんだ、あんたは!!」

 

 その時、凄まじい怒気を孕んだ声と共に、一人の少年がコックピットの縁に飛び乗った。

 他ならぬ、カミーユ・ビダンである。

 コックピット内部へと強引に半身を乗り出すや、フランクリンの胸ぐらを両手でわし掴みにし、力任せに操縦席から引きずり出した。

 

「痛い! 何をするカミーユ、親に向かって!」

「親だと……?

 あんたがいつ、親らしいことをしたっていうんだ!

 自分の見栄と興味のためだけに、他人の命を危険に晒して、恥ずかしくないのか!」

 

 カミーユの瞳には、かつてないほどの激しい軽蔑と憎悪の焔が狂おしく渦巻いていた。

 少年の眼前で狼狽する哀れな生物は、すでに「父親」ではなく、肥大した欲望すら制御できない矮小な「怪物(モンスター)」へと成り果てていた。

 

「よせ、カミーユ。そこまでだ」

 

 駆けつけたクワトロ・バジーナ大尉が、激情に駆られる二人の間に割って入った。

 クワトロは冷徹な視線で、床に尻餅をついているフランクリンを見下ろす。

 

「フランクリン・ビダン大尉。

 ティターンズからの亡命者であり、ガンダムMk-Ⅱの技術的価値に免じて、これまでは艦内の自由行動をある程度黙認してきた」

 

 クワトロの声には、怒りや哀れみといった感情の残滓(ノイズ)が含まれていなかった。

 それは、戦略的損益を計算する指揮官としての「最後通告(アルティメイタム)」であった。

 

「だが、軍の装備を無断で起動し、自艦のクルーの命を危険に晒す行為は、もはやスパイ行為やサボタージュと同義だ。

 これ以上の逸脱した行動は、即座に拘束と独房への監禁を伴うものと理解していただきたい」

「な……なんだと!?」

 

 自尊心を引き裂かれたフランクリンは、顔を歪めて足掻いたものの、クワトロの背後に立つエマ・シーン中尉らが浮かべる、険悪な表情を前にして、反論の言葉を飲み込む。

 

「……私の、私の頭脳がなければ、君たちはMk-Ⅱを運用することすら……」

「機体の運用データは、すでにカミーユ君とアストナージが十分に解析している。

 大尉。あなたの頭脳がこれ以上、この艦の生存確率を下げるというのなら、我々は容赦なくあなたを切り捨てる」

 

 クワトロの宣告は、フランクリンが唯一の拠り所としていた「技術者としての価値(サンクコスト)」が、エゥーゴにとってゼロ(無価値)に等しいことを断定していた。

 カミーユは、父親のあまりに惨めな姿から目を背け、逃げるかのように早足で立ち去る。

 周囲を取り囲んでいたメカニックたちが、ゴミでも見るかのような侮蔑の視線を浴びせかけながら、持ち場へ戻っていく。

 しかし、一人取り残されたフランクリンの脳裏には、自身の愚行への「反省」や「後悔」などという道徳感情は一欠片も芽生えなかった。

 自己認識が著しく歪んだ人間は、自らが犯した誤りを客観的に評価する術を持たず、あろうことか他者からの正当な評価や警告を「陰謀」として強弁し、退けてしまうのである。

 

(……嫉妬しているのだ。

 この艦の連中は皆、私の才能と権威を理解できず、嫉妬しているのだ)

 

 フランクリンは、屈辱と怒りで震える手で軍服の皺を伸ばしながら伸ばしながら、自己正当化の論理を肥大化させていった。

 

(クワトロ・バジーナも、あの生意気なアストナージも、そしてカミーユでさえも。

 私の偉大なる頭脳を恐れ、貶めようとしている。

 ……許さん。

 絶対に許さんぞ)

 

 孤立無援となった彼の自己愛と被害妄想とが、「狂気」という名の臨界点(クリティカル・マス)へと到達しようとしていた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 同日、深夜。

 

 艦内の談話室(ラウンジ)区画は、擬似的な夜間照明の薄暗いアンバー(琥珀色)に深く沈み、艦の巡航を支える巨大ジェネレーターの低いハム音のみが静寂を支配していた。

 クルーの大部分が束の間の休息(サイクル)に入る時間帯。

 フランクリン・ビダンは、冷め切った合成コーヒーの水面を凝視しながら、瞳に狂気の(フレア)を揺らめかせていた。

 

「……私の理論を、アナハイムの三流どもが理解できるはずがないのだ」

 

 粘り気を帯びた独白が、沈黙の中にポツリと、不吉な雫のように滴り落ちた。

 日中、クワトロ・バジーナから叩きつけられた最後通告(アルティメイタム)

 カミーユから浴びせられた軽蔑の眼差し。

 フランクリンの脳内では、「私に嫉妬する凡庸な衆愚が、束になって結託している」に都合良く変換・固定化され、後戻りの効かぬパラダイムシフトを惹起(じゃっき)していたのである。

 彼の中ではガンダムMk-Ⅱは用済みのガラクタであり、ティターンズの権威主義によって正当な評価と対価が支払われなかったとして、「不遇の象徴」とすら感じていた。

 ゆえに、彼の欲望は「リック・ディアス」へと固定(ロックオン)されていた。

 

「そうだ……私が直接持ち帰ればいい。

 あのリック・ディアスを、ティターンズへの手土産として」

 

 フランクリンの口元が、まるで神の恩寵でも受けたかのように、三日月の形に釣り上がった。

 行動経済学の「プロスペクト理論」が指し示すように、人間という脆弱な生き物は、莫大な損失を抱え込んだ絶望的状況下においては、その失われた資産を取り戻さんとする渇望により、リスクに対して親和的(選好的)な行動原理をとる。

 自尊心(プライド)を粉砕され、存在価値そのものを全否定されつつある彼は、天才性をティターンズの上層部に再認識させるという、起死回生の一発逆転たる「巨大な利益(リターン)」獲得を画策する。

 いかなる非合法かつ非合理なリスクであろうとも喜んで許容し得る、危険な領域へと足を踏み入れていた。

 彼はテーブル上に指先を這わせながら、翌日に決行すべき大胆不敵な脱走劇に向けた、綿密なシミュレーション——すなわち死のゲームツリーの構築——を開始したのである。

 

「第一MSデッキのロック解除コードは、日中の騒ぎの中で整備班の端末から盗み見た『B-07-AL』……これで内側隔壁のアクセス権はクリアできる。

 機体の配置は、第二カタパルトのラインにリック・ディアスが二機。

 一機はアポリー中尉のものだが、もう一機の予備機には推進剤(プロペラント)が装填されていたはずだ」

 

 彼の頭脳は「狂気」の実現のためだけにフル稼働していた。

 残る最大の問題は、いかにしてアーガマの防空圏を強行突破するか、その一点に絞られていた。

 

「随伴しているサラミス改(モンブラン)のジムⅡ隊は、偽装のために頻繁に発着艦を繰り返している。

 アーガマのカタパルトの外側隔壁が開放されるタイミング……それは、哨戒機を受け入れる瞬間だ。

 その隙に、内側隔壁を機体のマニピュレータで強制解放し、一気に宇宙へ飛び出す」

 

 アーガマのクルーどもは、まさか非戦闘員(しかも軍属の技術将校)が、単独で重武装のMS強奪の上、宇宙へ飛び出すなどという、最悪の選択肢をとるとは想定できているはずがない。

 彼らの希望的観測の死角を突き、逆手に取れば出し抜くことができるのだ。

 フランクリンは、脱走計画の完璧さに酔いしれながら、喉の奥でクックッと、粘膜をすり合わせるかのような低い笑い声を漏らした。

 淀みきった瞳には、もはや「人間」としての感情の熱量など残存してはいなかった。

 戸籍上の妻であったヒルダ・ビダンが、ティターンズの卑劣な作戦によって無惨な死を遂げたばかりである。

 しかし、彼に悲哀や絶望、ましてや喪失感といった感傷(センチメンタリズム)は微塵も存在しない。

 若き愛人の肉体に溺れていたこの不誠実な男にとって、(ヒルダ)という社会的契約者は、とうの昔に「損切り」すべき負債でしかなかったのだから。

 そして同時に、カミーユ・ビダンに対する肉親としての無償の愛情や執着の念というものも彼の魂から消え失せていた。

 カミーユは「優秀な遺伝子を継ぐ存在」などでは断じてなく、自らの権威を脅かし、美しき計画を邪魔する可能性を孕んだ目障りな「有害事象(ノイズ)」へと成り下がっていた。

 さらに言えば、彼が死地を乗り越えてまで帰還を果たそうと目論んでいるティターンズや地球連邦軍への忠誠心すら存在していない。

 彼にとってのティターンズとは、自らの才能を保護し、莫大な予算を提供するための「都合の良いスポンサー(無尽蔵の財布)」でしかなく、それ以上でも以下でもない。

 家族への愛。

 妻への哀悼。

 組織への忠誠。

 他者との共感。

 人間を人間たらしめるあらゆる社会的な楔(シグナル)が、彼の荒廃した精神からは完全に抜け落ちていた。

 

「見ていろ……クワトロ・バジーナ。

 そしてカミーユ。

 私の本当の価値を、私の理論の正しさを、その目に焼き付けてやる……」

 

 フランクリン・ビダンは、冷え切った合成コーヒーを一息に流し込むと、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

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