機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《82》愚かな脱走と残酷な遅延《U.C.0087年 3月9日》

 

 

 

 宇宙世紀〇〇八七年、三月九日。

 

 アーガマの随伴艦であるサラミス改級軽巡洋艦モンブランは、独行艦を装いつつ前衛哨戒艦として機能していた。

 彼らが実践していたのは単なる索敵ではない。

 欺瞞戦術(シグナリング)である。

 哨戒機であるRGM-79R ジムⅡを執拗に発着艦させ、アーガマが構築する防空圏内へと意図的に進出入させていたのだ。

 これは、ティターンズ側に対して「アーガマ単体で多数のモビルスーツを運用している」「強固な直掩部隊が存在する」と誤認させるために他ならなかった。

 事実、モンブラン自体は艦砲および対空火器の使用、ミノフスキー粒子散布を徹底して自重していた。

 ティターンズのアレキサンドリア級重巡洋艦の直属部隊は、モンブランのジムⅡと幾度か交戦しつつも、ことごとく「アーガマの部隊」であると錯覚していた。

 だが、追撃部隊を統括するアレキサンドリアの艦長、ガディ・キンゼー少佐の目は誤魔化しきれなかった。

 彼は哨戒機を幾度となく放ち、アーガマ周辺宙域の熱源分布とMSの稼働実態を冷静で分析し続けていたのだ。

 

「……稼働ローテーションが合わない。

 あれほどの頻度でMSを出し入れすれば、アーガマの整備班はとっくに破綻しているはずだ」

 

 ガディは、メインモニターに明滅する不規則な熱源の軌跡を睨み、ある確信を強めていた。

 アーガマの近傍には、存在を秘匿しつつモビルスーツの母艦として機能する「もう一隻」が存在する。

 情報の非対称性を利用した、エゥーゴのハッタリに過ぎない、と。

 

 

 

 ——二分が経過。

 アレキサンドリアの艦橋に、戦局を決定づける微細な変化がもたらされた。

 

「艦長! アーガマ前方宙域、敵の哨戒網に不自然な空白が生じました。

 当該宙域の敵哨戒機からの定期通信波が途絶……いえ、何らかのトラブルに対処しているような、断片的な異常通信を傍受!」

「やはりな。

 偽装の網に綻びが出たか」

 

 ガディは即座に決断を下した。

 

「MS隊、全速発進!

 ジェリド中尉に出撃を急がせろ。

 この穴が塞がる前に、アーガマの懐に飛び込む!」

 

 下令されるや否や、カタパルト上で待機を命じられていたジェリド・メサ中尉らハイザック隊の射出シークエンスが開始された。

 

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 結果としてティターンズに千載一遇の機をもたらした「防空網の空白」。

 その要因は、アーガマ艦内において一人の男が引き起こした、愚劣な暴走に他ならなかった。

 フランクリン・ビダン技術大尉。

 エゥーゴの擁する最新鋭機リック・ディアスの技術的価値への執着が、彼の理性を奪い去っていた。

 

「私の天才的な頭脳なら、この機体の真価を引き出せる。

 アナハイムの技術など、私の理論の延長線上に過ぎないことを証明してやる……!」

 

 彼の行動は、自己の能力への過大評価に支配されていた。

 アーガマのMSデッキは折悪(おりあし)く、モンブランの哨戒機を収容するため、カタパルトの外側隔壁が開放されたタイミングであった。

 フランクリンはその僅かな隙を突いた。

 リック・ディアスのコックピットに潜り込んだ彼は、機体のマニピュレーターを強引に操作して内側隔壁をこじ開け、宇宙空間へと躍り出たのである。

 漆黒の闇に、リック・ディアスのスラスターが閃光を引く。

 フランクリンの脳内は、アレキサンドリアへの凱旋を果たし、ティターンズ上層部に対して卓越した優秀さを知らしめるという、肥大化した自己愛によって満たされていた。

 だが、幼稚な野望は、わずか数十秒後に頓挫することとなる。

 アーガマへの着艦態勢に入っていたモンブラン所属の哨戒機、ジムⅡが不審な軌道を描いて発進したリック・ディアスの正面に、まるで滑るように立ち塞がった。

 

『所属不明のリック・ディアス。

 こんなタイミングでの発進予定はないはずだが?』

 

 通信回路に響いたのは、事務的で落ち着き払った声であった。

 歴戦の搭乗員特有の、感情の起伏を感じさせない冷やかさがあった。

 

「どけ! 私は極秘のテスト飛行を命じられている!

 貴様のような者が口を挟むことではない!」

 

 フランクリンは最もらしい傲慢さにまみれた虚言でその場を乗り切ろうと試みる。

 だが、そのような安直な修辞(レトリック)が、幾度もの死線を潜り抜けてきた兵士に通用するはずがない。

 アーガマの艦橋からも「機体強奪」を報せる緊急通信がジムⅡへと届けられた。

 

『やれやれ……。

 武器をしまって引き返せ、大尉。

 あんたの操縦じゃ、機体の挙動が安定していない。

 デブリにぶつかって死ぬのがオチだ』

 

 ジムⅡのパイロットが開始したのは、まるで駄々をこねる幼児を宥めるかのような、いっそ残酷なまでの「大人の説得」であった。

 それは、いかなる罵倒よりも苛烈に、フランクリンの脆弱な自尊心(プライド)を根底から粉砕する言葉である。

 

「私を誰だと思っている!

 最新鋭機に乗るこの私を、旧式のガラクタで止められると思うな!」

 

 フランクリンは激昂し、リック・ディアスのスロットルを力任せに押し込んだ。

 強引な機動でジムⅡを振り切らんと試みる。

 カタログスペック上の推力重量比も装甲の材質も、あらゆる要素においてリック・ディアスが優位を占めているのは紛れもない事実であった。

 しかし、現実は彼が思い描く妄想よりも遥かに過酷にできている。

 フランクリンがスラスターを吹かし、機体を力任せにねじ込もうとするより早く、その予測軌道上には必ずジムⅡが行く手を遮っていた。

 熟練(ベテラン)パイロットは、フランクリンの「視線」と「焦燥」を正確に読み取っていたのだ。

 機動における初動の癖、無駄に消費されるバーニアの噴射。

 それらの情報を瞬時に処理し、最小限の姿勢制御で的確に進路を封鎖していく。

 「通さない」というだけの封じ込め戦略が見事に機能していたのである。

 

「チィッ! なぜだ!

 なぜ当たらない! なぜ抜けない!」

 

 フランクリンの苛立ちはいよいよピークに達し、操縦はさらに荒くなった。

 機体のポテンシャルの数分の一すら引き出すことができず、無様に暴れ回るだけの最新鋭機(リック・ディアス)

 この「大人の説得」による足止め劇が、モンブランの構築した哨戒網に風穴を開けているという事実に、当のフランクリンは微塵も気付いていなかった。

 彼が本職のパイロットに子供扱いされ、時間を無為に浪費しているその数分間に――アレキサンドリアから全速で発進したジェリドたちのハイザック隊が、アーガマの喉元とも言うべき戦闘空域へと確実に迫っていたのである。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 暗寂に支配された宇宙空間にあって、カミーユ・ビダンの呼吸音だけが、ヘルメットの中で荒々しく反響していた。

 エマ・シーン中尉のガンダムMk-Ⅱとともにアーガマから射出されたカミーユの視界には、すでに決着を見た盤面が広がっていた。

 アーガマ防空圏の最外縁。

 友軍の哨戒機(ジムⅡ)に進路を阻まれ、見苦しく右往左往する漆黒の機体――フランクリン・ビダン技術大尉が搭乗するリック・ディアスである。

 そこへさらに別の哨戒機(ジムⅡ)が急行し、フランクリンの機体は完全に包囲されていた。

 三次元空間において三機以上のモビルスーツが連携した包囲網。

 戦術的な詰み(チェックメイト)を意味していた。

 

「父さん……!」

 

 カミーユはペダルを踏み込み、ビーム・ライフルを構えさせた。

 銃口を、振り返ったリック・ディアスへと向ける。

 殺意はなかった。

 引き金を引く覚悟という明確な脅威(コスト)を提示し、降伏を強要する戦術に他ならなかった。

 

(これ以上、みっともない真似をしないでくれ。

 大人しく降伏してくれ!)

 

 父親の利己主義に対する怒りと、人間としての尊厳を自ら捨てる姿への強烈な恥辱。

 カミーユが銃口を向けるという行為は、肉親に対する反抗などといったものでは決してなく、(フランクリン)に対する、彼なりの最後通牒であった。

 だが、戦場という名の複雑系システムは、一兵卒が抱くささやかな推論や交渉のテーブルなどを、理不尽な外部要因によっていとも容易く覆された。

 

 

 

 フランクリン脱走から一〇分が経過。

 アーガマの戦闘空域に、突如として高出力の熱源反応が複数突き刺さった。

 

『……敵襲! 敵MS部隊、急速接近!』

 

 通信回線を通じてエマの切迫した声が響くのと同時に、漆黒の虚空から四つの禍々しいスラスターの光芒が急襲をかけてきた。

 アレキサンドリアから全速突入を敢行した、ジェリド・メサ中尉率いるハイザック隊である。

 

「な、なんだって!?」

 

 カミーユの脳内で、状況の認知と情報処理が一瞬追いつかなくなった。

 包囲網による「交渉フェーズ」は暴力的に打ち切られ、事態は瞬く間に、純粋な「乱戦」へと移行したのである。

 ハイザック隊がばら撒く牽制射の猛烈なビームの雨が、幾筋もの閃光となって暗黒を切り裂く。

 カミーユとエマのMk-Ⅱ、周囲を固めていたジムⅡ部隊は即座に回避機動へ移行し、四方への散開を余儀なくされた。

 その混沌(カオス)の中心において、ただ一機、硬直する機体――リック・ディアスがいた。

 実戦経験など皆無に等しいフランクリンにとって、全方位からのビームが飛び交う殺戮空間は、彼のひ弱な自尊心や机上の理論などでは到底処理しきれない情報の奔流であった。

 故に彼は退避機動をとることも、防御姿勢に移行することも適わず、重力なき空間に棒立ちの(てい)を晒していたのだ。

 

「父さん! 動け! 避けろォッ!」

 

 カミーユが血を吐くかのような絶叫を上げた、まさにその瞬間である。

 乱戦の渦中、ジェリド機のハイザックが、ジムⅡを狙って放った一筋のビーム。

 それが、交錯する機動の隙間を縫うようにして、全くの「偶然」の産物としてリック・ディアスへと吸い込まれた。

 炸裂の閃光が咲く。

 狙い澄ましたかのような、完璧な直撃弾であった。

 高出力粒子の束が、リック・ディアスの首元、すなわち、機体駆動の心臓部たる巨大な熱核ジェネレーターの直上に配置されたコクピット・ブロックを貫通した。

 

「——え?」

 

 カミーユの網膜に焼き付いたのは、首部の装甲が赤熱し、一瞬にして気化していく光景であった。

 装甲材をドロドロに融解させ、内部の構造材から計器類に至るまでを等しくプラズマへと変える熱量。

 生身の人間が存在していた事など、物理法則の前では微塵の痕跡すら残さない。

 断末魔の悲鳴を上げるための時間すら与えられない、完全なる「消去」であった。

 だが、操縦者を喪失しはずのリック・ディアスは、スラスターの推進力を残したまま、慣性に従ってカミーユのMk-Ⅱの方へと滑るように直進してきたのだ。

 首に穿たれた大穴に赤々とした融解痕を晒しながら、胴体の大半を占める巨大な胸郭は不気味な沈黙を保ち、Mk-Ⅱのわずか横を音もなく通り過ぎていく。

 その数秒間。

 カミーユの脳は、目前に突きつけられた現実を処理することを拒絶し、破滅的な希望的観測を発動させた。

 

(通り過ぎた……。爆発しなかった)

 

 コクピットが撃ち抜かれたという凄惨な視覚情報を無意識に遮断し、「機体が原型を留めている」という事実だけを抽出したのだ。

 

(助かったのか。

 父さんは、あのまま……逃げ切ったのか……?)

 

 安堵に酷似した、錯覚の息がカミーユの肺を満たしかける。

 だが、それは残酷なまでの「遅延(ディレイ)」に過ぎなかった。

 ジェリドの放ったビームは、コクピットを蒸発させたのみならず、その直下に鎮座する熱核反応炉の制御系と磁気密閉フィールドを焼き切っていたのだ。

 致命傷を負った炉内のプラズマが臨界に達し、装甲を内側から食い破るまでに、ほんの数秒というタイムラグが存在したに過ぎない。

 Mk-Ⅱの後方へと通り過ぎていったリック・ディアスの背面装甲から、チカチカと小さな火花が漏れ出す。

 熱核エネルギーの抑えきれない奔流が、一瞬の安堵ごとカミーユの視界を真っ白に塗り潰し、巨大な第二の太陽を産み落とした。

 

 ——カァァァァンッ!!

 

 宇宙空間に音を伝播する媒質は存在しない。

 しかし、爆発的に膨張するプラズマと融解した金属片のシャワーがMk-Ⅱの背面装甲を激しく打擲した衝撃が、轟音という名の幻聴となってカミーユの鼓膜を容赦なく打ち据える。

 

「あ……ああ……」

 

 機体が木っ端微塵に吹き飛ぶ閃光が、全天周囲モニターを純白に染め上げた。

 カミーユはリニアシートに縛り付けられたまま、激しく揺さぶられるコクピットの中で目を見開いていた。

 やがて爆発の光芒が収束し、融解したデブリ群が宇宙空間へと散らばっていく。

 彼がすがり付いた希望的観測という薄氷は、圧倒的な物理的暴力によって粉々に砕け散っていた。

 カミーユの脳が、今になってようやく事象の因果関係を正しく結合し終えた。

 父は、逃げ切ったのではなかった。

 コクピットを焼かれ、蒸発し、機体もろとも宇宙の塵へと変貌したのだ。

 何が発生したのかを理解するための時間。

 それは、戦場がカミーユに与えた、あまりにも残酷な猶予であった。

 彼自身の手で引き金を引いたわけではない。

 だが、「自分が銃口を突きつけて足止めをしたから、父はあの流れ弾に当たったのではないか?」という、強烈な自責の念が、泥濘(でいねい)のように少年の精神に絡みついてくる。

 涙は流れなかった。

 恐慌状態(パニック)に陥ることもなかった。

 ただ、すべてを理解してしまった少年の心の中で、決定的な何かが「切断」される音がした。

 目の前で親が文字通り()()したというのに、世界が裏返るような悲しみも、絶叫も湧き上がってはこない。

 彼を支配し始めたのは、あらゆる情動のスイッチが強制的に遮断されたかのような、「虚無」に他ならなかった。

 飛び交うビームの閃光も、エマの悲鳴も、今のカミーユ・ビダンにとって見れば、遠い別の宇宙で発生している些事にしか感じられなかったのである。

 

 

 

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