機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《83》キルゾーンと濁る光(U.C.0087年 3月9日)

 

 

 

 シイコ・スガイ中尉が駆るガルバルディβが、強襲巡洋艦アーガマから宇宙空間へと射出された時、周辺宙域は暴力的な無秩序(カオス)に支配されていた。

 重巡アレキサンドリアから急襲を敢行したハイザック隊の緑色の機影と、迎撃するモンブランの哨戒部隊。

 網の目のように走るスラスターの閃光が、暗闇を不規則に明滅させていた。

 シイコはコンソールに表示された戦術マップを一瞥し、現在の戦況を瞬時に解析した。

 ティターンズのパイロットたちは、エゥーゴの旗艦アーガマを撃沈するという明確なインセンティブと、過剰分泌されたアドレナリンに突き動かされ、攻撃的かつ直線的な機動を見せていた。

 視野狭窄(トンネルビジョン)に陥りやすい状況である。

 対するシイコが搭乗するガルバルディβは、基本設計は一世代前のものであった。

 また、一度無理をさせているため、フレーム強度を温存して戦う必要がある。

 限界機動を行えば数分と保たずに悲鳴をあげて空中分解を遂げるであろう。

 

「物理的な限界は戦術的な変数で補う……」

 

 彼女は瞬間的な二対一の戦術的優位を構築すべく、友軍の索敵データを走査(スキャン)した。

 視界の端で、無駄を削ぎ落とした姿勢制御によってハイザックの射撃を巧みに(かわ)している一機のジムⅡが目に留まる。

 機体識別信号と推力ベクトルから、先ほどフランクリン・ビダンのリック・ディアスを「大人の説得」によって足止めしてみせた、熟練パイロットの機体だと断定した。

 シイコは直ちに暗号化された狭指向性レーザー通信を、同機へ向けて飛ばした。

 

『こちらスガイ中尉。

 私からは狙いません。

 敵機を右に流すので、あなたがキルゾーンに追い込んでください』

 

 交戦宙域の只中で伝達するには、あまりにも多くの情報を省略した指示である。

 戦術的意図を解せぬ未熟な兵士であれば困惑し、連携に致命的な遅延(ラグ)を生じさせたであろう。

 しかし、幾多の死線を潜り抜けてきたそのパイロットからは、短い承諾の電子音(アック)のみが返信されてきた。

 彼もまた、シイコが構築しようとしている「選択体系(チョイス・アーキテクチャ)」の意図を、即座に理解したのである。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 シイコはメインスラスターを全開にし、ハイザック隊の先陣を切る一機――ジェリド・メサ中尉機へと一直線に突進した。

 

「エゥーゴの新型か!?

 いや、ガルバルディ……寝返った裏切り者か!」

 

 ジェリドは血気盛んにもビーム・サーベルを抜き放ち、シイコのガルバルディβに向かって迎撃軌道に入った。

 彼の認知は「眼前の敵機を叩き斬る」という単一目的に固定(ロックオン)されていた。

 対するシイコはビーム・ライフルによる射撃を試みることなく、ビーム・サーベルを抜き放ってジェリドの懐へ飛び込んだ。

 至近距離の交錯。

 ハイザックが機体の推力に物を言わせ、プラズマの刃を大上段から振り下ろす。

 だがシイコは、大掛かりな回避も迎撃もせず、スラスターを「微小時間(マイクロ・バースト)」だけ噴射した。

 ガルバルディβの躯体が不自然に浮き上がり、ジェリドが描いた刃の軌道から、わずか半歩分だけズレる。

 同時、彼女は自機の左腕に懸架(マウント)されたシールドの周縁部を、振り下ろされるハイザックの右腕関節部に引っ掛けるようにして接触させたのである。

 

「なっ……!?」

 

 ジェリドの全天周囲モニターが激しく明滅し、視界が大きくブレた。

 彼自身の突進ベクトル(運動エネルギー)を、シイコのシールドによって強引に偏向させられたためである。

 姿勢制御を失ったハイザックは体勢を崩し、シイコの眼前を右方向へと流れていった。

 その先は、流された姿勢のままでは──ジェリド機にとっての右後方。MSの構造特性上、完全な死角となる領域だった。

 「右に流す」と指定したのは、正にそこが狙いだ。

 右利きの設計は右腕で武装を振り下ろした直後、右後方域は光学・電子センサーの認知が最も遅れ、死角となる。

 ジェリドが慌てて姿勢制御バーニアを吹かし、体勢の立て直そうとした、その瞬間。

 先にシイコからの暗号通信を受領し、その戦術的意図を完璧に汲み取って指定空域へ先回りしていた熟練のジムⅡが、冷徹にビーム・ライフルの引き金を引いた。

 

「しまっ——!」

 

 ジェリドは咄嗟に身をよじったが、間に合わない。

 熱線(ビーム)がハイザックの左肩からバックパックの一部を掠め、装甲をドロドロに融解させた。

 直撃こそ免れたものの、機体の推力バランスをお大きく崩され、ジェリド機は戦線からの離脱を余儀なくされる。

 

「完璧なタイミングね……」

 

 シイコは微かに口角を上げた。

 乗機を限界まで酷使せずとも、敵の死角と、友軍の技量を組み合わせるだけで、戦場はこれほど容易くコントロールできる。

 そこへ、アーガマから発進したアポリー中尉とロベルト中尉のリック・ディアスが戦域に到着し、その分厚い火力でティターンズの陣形を切り裂き始める。

 だが同時に、アレキサンドリアから射出された後続のハイザック四機が、新たに当該宙域へと突入してくる。

 ここまで局所的な戦術連携でコントロールできていた空間は、無秩序に入り乱れる、完全な乱戦へと雪崩れ込んでいった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 際限なく拡大し、混沌を深めていく戦域の只中にあって、ただ一機、重力に魂を縛り付けられたかのように微動だにしない機体が存在した。

 カミーユ・ビダンが搭乗するガンダムMk-Ⅱである。

 周囲をビームの閃光と赤熱したデブリ群が飛び交う中、Mk-Ⅱは武装を構えることもなく、ただ暗黒の虚空に漂っていた。

 彼の脳裏には、数分前に眼前で起こった事象――父親の乗るリック・ディアスがジェリドの放った流れ弾の直撃によって、わずかに遅れて熱核爆発を起こした光景が、逃れようのない呪いのごとく焼き付いていた。

 

『カミーユ! 何をしているの、カミーユ!!』

 

 通信回線からエマ中尉の悲痛な叫び声が響き渡る。

 だが、極限の心的外傷(トラウマ)から自己を守るため、解離(感情鈍麻)に至った少年の精神は、その声を単なる環境ノイズとして処理していた。

 エマは、ハイザックがばら撒く牽制射撃をシールドで弾きながら、動かないMk-Ⅱの元へと強引に機体を寄せる。

 今のこの乱戦状態は、まさに先刻フランクリンの命を理不尽に奪い去ったのと同じ、確率論的な「流れ弾」がいつ直撃してもおかしくない最悪の環境であった。

 これ以上、この狂気の宙域に少年を留め置くことは、無意味な死を待つに等しい。

 

「カミーユ! アーガマに戻るわよ!

 しっかりしなさい!」

 

 エマは自機であるMk-Ⅱを盾とするようにしてカミーユの機体を庇い、その背中を物理的に押し込むようにして、母艦アーガマのMSハンガーへと向かう強引に進路を取った。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 アレキサンドリアからの急襲部隊との乱戦は、アーガマの周辺宙域を殺戮の空間へと変貌させていた。

 艦内時間が著しく引き延ばされた錯覚を覚えるほどに、アーガマのMSデッキは濃密な焦燥と緊迫感に包まれる。

 赤色灯が神経を逆撫でするかのように明滅し、装甲越しに伝わる微細な振動が、艦外での銃火の交錯を物語る。

 

「カタパルトの冷却急げ!

 Mk-Ⅱが戻ってくるぞ!」

「プロペラントの充填ライン確保!

 アポリー中尉の機体が先だ!」

 

 飛び交う整備員たちの怒号と、金属が激しく打ち付けられる打撃音。

 焼けた推進剤(プロペラント)とオゾンの刺すような異臭が、密閉された艦内の空気を重く、息苦しいものにしていた。

 完全な戦時即応態勢へと移行した艦内にあって、アマテ・ユズリハにできることは何一つなかった。

 やがて、隔壁を震わせる重々しい着艦音とともに、白いモビルスーツ――ガンダムMk-Ⅱがデッキへと滑り込んできた。

 各部装甲の表面に明確な被弾痕こそ認められないものの、スラスター群のノズルは過酷な熱負荷による赤みを帯びており、戦闘の苛烈さを雄弁に物語っていた。

 吐き出される冷却ガスが白い悲鳴のごとく噴出し、躯体を包み込んでいく。

 アマテは、コンテナの陰から身を乗り出した。

 彼女は自分の周囲に「観察者」としての透明な壁を張り、切迫した状況すらも「他人のドラマ」と化す心理構造(フレーム)を維持しようとしていた。

 カミーユ・ビダンという少年に対して、彼女はもっぱら「口うるさい悪友」というスタンスをとり、彼の感情の波を安全な距離からからかうという行為を、一種のコミュニケーション戦略として運用していたのである。

 だからこそ、アマテは今回も同じように構えていた。

 外で何があったかは知らないが、どうせまた何かに腹を立てているに違いない。

 そうしたら、軽口を叩いて、彼を「日常のノリ」という自分の土俵に引きずり下ろしてやろう、と。

 だが。

 リニアシートの固定(ロック)が解除され、コクピット・ハッチがゆっくりと開放された瞬間。

 アマテの視覚野を、これまでの人生でついぞ経験したことのない、深刻なエラーが覆い尽くしたのである。

 

「え……?」

 

 ワイヤーを伝いデッキへと降り立ったカミーユの姿を網膜が捉えた途端、アマテは自分の目、いや、脳そのものが損傷を被ったのではないかと錯覚した。

 見間違いなどではない。

 瞬きを繰り返しても、異常な視覚情報に変化は見られなかった。

 カミーユの全身を覆い包んでいたはずの、あの鮮烈なサファイアの光芒が、完全に消滅していたのだ。

 怒りの赤でもなく、悲哀を帯びた青でもない。

 感情という名の熱量が冷却され、エントロピーが最大化したかのような「意味の真空状態」であった。

 代わりに、彼の周囲にへばりつくようにして纏わりついていたのは、冷たく無機質な、灰色のノイズ群であった。

 断線により一切の信号を受信できなくなったモニターのような、微細にして不規則な明滅の群れ。

 

(光が……ない。色が、完全に死んでいる)

 

 アマテの脳が、異常な視覚情報に対して激しい拒絶反応を引き起こし、胃の奥がせり上がるような軽い吐き気を催させた。

 人間という生物は、他者の内に何らかの感情シグナルを見出すことで、社会的な関係性を構築し、コミュニケーションを成立させる。

 だが、今のカミーユが放っている灰色の砂嵐は、「外部からの入力を拒絶する」という、精神の完全なシステムダウンを意味していた。

 ヘルメットを小脇に抱え、デッキに降り立ったカミーユの足取りは、自分自身の質量さえ正しく認識できていない幽霊のようだった。

 顔面は蒼白を通り越して土気色に濁り、その瞳孔の焦点は、目の前の空間のどこにも合っていない。

 物理的な座標を惰性で移動しているだけで、『生きている人間の志向性』が欠落していたのだ。

 

(外で、何があったの……?)

 

 直感的な恐怖が、アマテの背筋を駆け上がった。

 彼女自身が想定していた「不機嫌」や「怒り」などといった、生易しい次元のドラマではない。

 人間の精神を根底から打砕くような、決定的な異常事態がこの少年を通過したのだと、アマテの中で狂ったように警鐘を鳴らし続けていた。

 気がつけば、アマテはコンテナの陰から飛び出し、無我夢中で駆け出していた。

 今にも崩壊しそうな少年の輪郭を、物理的接触(コンタクト)によってこちらの世界へ引き留めなければならないという、理屈ではない焦燥感に突き動かされていたのである。

 

「カミーユ!」

 

 アマテは半ば強引に正面へ立ち塞がり、細い肩を掴もうと両手を差し出した。

 いつものように乱暴に彼を振り向かせ、その空っぽの瞳の奥に、無理矢理にでも自分の姿を映り込ませようとした。

 

 だが。

 

「邪魔だ。一人にしてくれ」

 

 パシッ、という乾いた打撃音が、ひどく虚ろに響き渡った。

 カミーユの右手が、アマテの差し伸べた両手を払いのけた。

 それは、感情の爆発に任せた拒絶ではなかった。

 もし彼に明確な怒りや敵意があったなら、アマテはそこを突破口として、コミュニケーションの糸口を掴めたかもしれない。

 しかし、弾かれた手から伝わってきたのは、「弱さ」と、それゆえの「冷たさ」に他ならなかった。

 アマテは、カミーユの喉から漏れ出た脆い音声に、彼を支配する異常な恐怖の正体――灰色のノイズの向こう側でうごめく断片を幻視した。

 圧倒的な「死のイメージ」の奔流。

 「自分が銃口を向けて足止めをしたせいで、父親が流れ弾を浴びた」という、因果関係を歪曲した強烈な自責の念。

 そして何よりも、モビルスーツのコックピットが一瞬にして蒸発し、遅れて生じた熱核爆発によって機体そのものが木っ端微塵に粉砕されるという、容赦のない物理法則の暴力。

 矮小な人間の精神論や情動などを一切介在させない、純粋な「消滅」という事実。

 カミーユの精神は今、許容量(キャパシティ)を遥かに超えた死のイメージのフラッシュバックに苛まれ、自我そのものが融解してしまいそうな恐怖に、必死に耐え凌いでいるのだ。

 自分が他者に接触するか、あるいは他者から接触を受けようものなら、わずかな刺激で堰が決壊し、死の奔流が他者までも呑み込んでしまうのではないか。

 だから、誰も近づくな。

 自分に関わるな、と。

 それは、己の抱え込んだ地獄から遠ざけようとする、ひどく歪み、悲惨な自己隔離だった。

 

「カミーユ……?」

 

 弾かれた自分の右手を宙に浮かせたまま、アマテは呆然と立ち尽くす。

 カミーユは彼女の顔を一瞥することなく、そのまま亡霊のような足どりで奥の通路へと消えていく。

 細い背中を覆い尽くす灰色の砂嵐が、いつまでもアマテの網膜に張り付いていた。

 

「……ッ」

 

 アマテは力なく下ろした右手を、強く握りしめた。

 払い除けられた手のひらに残る、微かな冷たさ。

 アマテ・ユズリハは、他者の抱える深淵に初めて触れた戦慄とともに、冷え切った沈黙の中へと置き去りにされていた。

 

 

 

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