機動戦士Gundam 喪服の魔女【第三部進行中】   作:王子の犬

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《86》仲直りとシミュレータ(U.C.0087年 3月12日)

 

 

 

━━━

優先度 :至急(FLASH)

分類 :機密(CONFIDENTIAL)/ティターンズ限定回線

識別符号 :TF-SW-0312-001

発信日時 :U.C.0087.03.12 0417

発 信 :ティターンズ サラミス改級軽巡洋艦 サチワヌ

受 信 :ティターンズ サラミス改級軽巡洋艦 ブルネイ

━━━

 

件名:主機関重大トラブル発生に伴う緊急支援要請

 

1.状況

本日0403、当艦主機関第一冷却循環系に重大異常を検知。

緊急警報多重点灯により当直士官が即時機関停止処置を実施。

現在、メインスラスター出力を最大値の12%に制限した

緊急低速航行状態にあり。

 

2.損傷状況

艦内技術班の現地診断によれば、第一冷却ループ

循環ポンプ駆動部に構造的損傷を確認。

艦内予備部品による現地修復は不可能であり、

ドック設備及び専用交換部品の調達なくしては

主機関の復旧は困難と判断す。

 

3.現在地及び自力航行能力

現在位置:TF-Grid XXXX/SW-32

グラナダ整備廠までの推定所要時間(通常出力時):

約■時間

現状推進力による自力到達:不可能

 

4.要請事項

貴艦による曳航支援を要請す。

目的地はグラナダ整備廠とす。

支援可否及び到着予定時刻を至急折返し送信されたし。

 

━━━

サチワヌ艦長 アンドリュー・ヨハンソン少佐

認証コード:TF-SW-AUTH-031201

━━━

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 談話室へと続く通路を、カミーユ・ビダンは俯きながら歩いていた。

 ふと、前方の角を曲がろうとする見慣れた人影が目に入る。

 鮮やかな赤毛――アマテ・ユズリハであった。

 

「……っ」

 

 カミーユの足が反射的に停止する。

 声をかけなければ。

 ひどい態度をとってしまったことを謝りたい。

 でも、なんと言えばいいのか。

 

『すまなかった。

 あの時はどうかしてたんだ』

 

 もし彼女がまだ怯えていて、避けられたらどうしよう。

 身勝手な不安が、少年の喉をギュッと締め付けた。

 それでも。

 カミーユは、震えそうになる手をポケットに突っ込み、ぎこちない声を絞り出した。

 

「アマテ……」

 

 自嘲したくなるほどに弱々しい声。

 ピタリと、アマテの足が止まった。

 彼女がゆっくりと振り返り、瞳がわずかに見開かれる。

 カミーユの輪郭(アウトライン)から目元、そして頬へと、素早く視線が動いた。

 触れる者すべてが凍りつくような、あの『虚無のノイズ』が消え去っていること。

 土気色だった顔に、人間らしい生気がいくらか戻っていること。

 それを確認した瞬間、アマテの瞳の奥に、隠しきれないほどの安堵がフワッと広がった。

 しかし、柔らかい感情が表に出たのは、ほんの一瞬だった。

 アマテはすぐさま、いつもの仮面(ペルソナ)を被り直す。

 

「なーに? カミーユったら。

 こんなとこで立ち止まって、急に私に会えなくて寂しくなっちゃったの?」

 

 わざとらしいほど明るい声。

 不敵な笑みを浮かべながら、大げさな身振りでカミーユの方へと歩み寄ってきた。

 だが、カミーユの目を覗き込む彼女の視線が、一瞬だけわずかに泳ぐ。

 

(こいつも、怖いんじゃないか?)

 

 彼女の過剰なまでの無邪気さは、身を守るための不器用な盾に他ならないのだ。

 

「違うだろ! 僕は……っ」

 

 カミーユが言い訳を探して言葉を濁した、その時である。

 

「あーあ、相変わらず暗い顔して。

 ほら、行くよ!」

 

 アマテが、いきなりカミーユの右腕に、自分の両腕をギュッと絡めてきた。

 

「なっ……!?」

 

 カミーユの身体が、ビクンと大きく跳ねる。

 二日前の記憶がフラッシュバックする。

 あの時は、彼女の手を無下に振り払ってしまった。

 だが、今は違う。

 腕に伝わってくる、アマテの重み。

 ジャケット越しの柔らかな感触。

 カミーユは驚きと戸惑いで石のように硬直する。

 心臓が跳ね上がり、呼吸が止まりそうになった。

 だが、カミーユは、ポケットに突っ込んだままの左手を固く握りしめる。

 ——温もりを不器用に受け入れ、絡められた右腕を振り払わなかった。

 アマテの体温が制服の生地越しであっても嫌というほど鮮明にカミーユの肌へと伝わってきた。

 柔らかい感触。

 微かに鼻をかすめる、シャンプーの甘い匂い。

 それらの情報群(データ)がカミーユの脳の処理能力を、戦場とはまったく異なる向きでショートさせにかかる。

 

(なんなんだよ、これ……っ!)

 

 カミーユの顔が、一瞬にしてカッと熱を帯びた。

 首から耳の裏まで、一気に血が上っていくのが自分でもわかる。

 親が死んだばかりだというのに。

 自分が化け物じゃなかったと知って、泣きじゃくったばかりだというのに。

 こんな風に、女の子の体温や柔らかさに過剰に反応してしまう自分が酷く場違いで、情けなくて、カミーユは必死に顔を背けた。

 

「何なんだよ、急に……っ」

 

 声が上ずりそうになるのを、奥歯を噛み締めて必死に堪える。

 アマテは、顔を背けるカミーユの横顔をジッと見上げていた。

 その時だった。

 カミーユの右腕に絡められた彼女の指先が、微かに小刻みに震えている。

 布地一枚を隔てて、カミーユの腕がそれを感じ取った。

 

「……あ」

 

 次の瞬間、アマテの口元から、短い吐息のような声が漏れた。

 そっぽを向いているカミーユの耳たぶが、あり得ないくらい真っ赤に染まっていることに、彼女は気づいてしまったのだ。

 先程までのピンと張り詰めていた気配が、ふっと軽くなった。

 

 アマテの瞳にいたずらっぽい光が戻る。

 彼女はカミーユの腕にさらに体重をかけ、下から覗き込むように顔を近づけた。

 

「あ、カミーユ、意識しちゃった?」

「なっ……!?」

「うわー、顔真っ赤!

 意識してる、絶対意識してる!」

「い、意識なんかしてるもんか!

 バカなこと言うな!」

 

 カミーユは慌てて彼女から引き剥がそうとするが、アマテはキャハハと笑いながら、尻尾を掴まれた猫の如く軽やかに身を翻した。

 

「図星だー! エマ中尉に言いつけてやろーっと。

 カミーユがいやらしい目で私を見てきますって!」

「お前が勝手にひっついてきたんだろうが!

 いつもそうやって、人の気も知らないで……!」

「あははは! 怒った怒った!」

 

 冷たい金属の壁に囲まれたアーガマの通路に、アマテの無邪気な笑い声と、カミーユのむきになった怒声が響き渡る。

 

「待てよ!

 誰がそんな目でお前なんかのことを見るもんか!」

「こっちだよーだ!」

 

 アマテが通路の先へと駆け出し、カミーユがそれを追いかけていった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

『本艦はこれより、ラグランジュ5ポイントへ向け最短経路を取る。

 総員、暗礁宙域の通過に備えよ』

 

 笛の音が奏でられたあと、艦内放送がアーガマの隔壁の奥へと吸い込まれていく。

 宇宙世紀〇〇八七年三月一二日。

 前衛哨戒艦であるモンブランが、アーガマとの相対距離を可能な限り詰めていた。

 暗礁宙域(デブリ・ゾーン)において、予期せぬ強襲からアーガマを守るための「見えざる盾(デコイ)」としての役割を担っているのだ。

 当然のことながら、見えない緊張の糸が乗組員たちの神経を削っていた。

 加えて、艦内には数日前に散ったフランクリン・ビダンの生々しい死の気配が、換気システムでも吸い出せない淀みとなってこびりついている。

 いつ自分が「理不尽な死」の順番に当たるか分からない。

 その重圧は、ベテランの兵士たちにとっても決して軽いものではなかったのである。

 だからこそ——人は逃げ道を作る。

 

「――で、だ。

 暗礁宙域といえば、八一年と八三年に、ジオン残党の捕虜から気味の悪い話を聞いたことがあってな」

 

 食堂兼談話室。

 合成コーヒー(代用品)の入ったマグカップを弄りながら、ロベルトは声をひそめて向かいのアポリーに語りかけていた。

 

「八三年ってのはデラーズ紛争か?」

 

 とアポリーが相槌を打つ。

 

「ああ。

 だが、デラーズ・フリートが決起する前の話だ。

 ある暗礁宙域を通りかかると、捕虜たちが一斉に怯え出すんだ。

 不審に思って締め上げたら、ポツリポツリと喋り出してな……」

 

 ロベルトが顔をしかめ、小声に凄みを持たせようとした、まさにその時である。

 自動ドアが開き、カミーユ・ビダンが談話室へ姿を現した。

 手持ち無沙汰に歩く彼の姿を認めるなり、アポリーはニヤリと人の悪い笑みを浮かべて立ち上がり、長い腕でカミーユの肩をガッチリと拘束した。

 

「おっ、カミーユじゃないか。

 聞いたぜ! アマテの嬢ちゃんと仲直りしたんだって?

 通路で腕なんか絡められちゃって、いやあ、青春だな!」

「……っ! な、何言ってるんですか!

 そんなんじゃありませんよ!」

 

 突如としてパーソナルスペースを侵犯され、しかも一番触れられたくない——しかし心底では安堵していた——思春期の動揺を突かれたカミーユは、顔を真っ赤にして身をよじった。

 だが、アポリーの腕力から逃れることはできない。

 ジタバタと抵抗するカミーユを心底面白がりながら、アポリーは強引に彼をテーブルの空き席へと押し込んだ。

 

「まあ座れよ。ロベルトの怪談の途中だ」

「怪談……?」

 

 カミーユは露骨に嫌な顔をする。

 死をネタにした怪談話で盛り上がろうとする大人たちの無神経さに、耐え難い嫌悪感がこみ上げたのだ。

 だが、ロベルトはカミーユの刺すような視線を意に介さず、口元を歪めて話を続ける。

 

「暗礁宙域で補給物資の残骸を漁っていたジオン兵がな、一人、また一人と消えていくんだ。

 通信も途絶し、機体ごと忽然と姿を消す。

 助かった奴らの証言に共通するのは……そこに『女の死神』がいるってことだ。

 暗礁宙域の魔女って呼ばれてるらしい」

「……馬鹿馬鹿しいですよ」

 

 カミーユは、テーブルに視線を落としたまま、冷たく言い放った。

 その右手の爪が、無意識に左手の甲を掻いている。

 カリ、カリ、と。

 皮膚が白く筋を描き、やがて薄く赤みを帯びる。

 

「宇宙空間には音がないじゃないですか。

 それに、どうして『女』なんですか?

 幽霊といえば女って、ただのステレオタイプな作り話でしょう」

「すーっと、現れるんだ」

 

 ロベルトの瞳に宿る光が、一瞬だけ怪談の語り部のそれから、戦場の生々しい死神を思い浮かべる兵士の目になった。

 

「音なんてない。

 だが、相対した瞬間、あり得ない速さで後ろに回り込まれるんだ。

 自分の背後に、気配だけが張り付くのさ……」

「ははっ……言うねえ!」

 

 アポリーが腹を抱えて笑い声を上げる。

 彼にとっては、理屈で幽霊話を否定しようと躍起になる生真面目な少年の反応すら、重苦しい空気を紛らわすための格好の酒の肴(エンターテイメント)にすぎない。今はそれが、水っぽい合成コーヒーであったとしても、だ。

 

「なんだよカミーユ。

 まさかお前……本当は怖いのか!?」

「くだらない話で盛り上がっているアポリーさんたちに呆れてるんですよ」

 

 カミーユは不機嫌そうに唇を尖らせ、プイと顔を背けた。

 図星を突かれた怒りではない。

 彼の脳裏には、数日前に見たばかりの、虚空で無惨に蒸発していく父親(フランクリン)の凄惨な光景が未だへばりついている。

 その左手の甲には、さっき自分でつけた三本の爪痕が、薄く血を滲ませていた。

 カミーユはそれに気づいて、一瞬だけ息を呑む。

 そして、何事もなかったかのように、手をポケットの奥へと押し込んだ。

 その時、再び自動ドアが開き、元ティターンズの技術者であるゲルハルトが姿を現した。

 彼は手にしたマグカップを合成コーヒーのディスペンサーにセットしながら、疲弊した顔を見せていた。

 無理からぬことである。

 ゲルハルトはつい先ほどまで、シイコ・スガイと共にガルバルディβのフレーム寿命について検証を行っていたのだ。

 

「おい、ゲルハルト」

 

 ロベルトが、真面目腐った顔を作って声をかけた。

 

「お前、八三年のデラーズ紛争の時にも現場にいただろ。

 暗礁宙域の死神の噂、何か聞いてないか?」

 

 ディスペンサーのボタンを押そうとしていたゲルハルトの指が、ビクッと不自然に硬直した。

 

「……暗礁宙域の話か。

 俺は詳しくは知らない。知らないが……」

 

 ゲルハルトはカップを満たしていく黒い液体を見つめたまま、ゆっくりと顔を上げた。

 そして、つい先ほどまでシイコが座っていたテーブルの片隅――今は誰もいない虚空――を、恐る恐る一瞥した。

 

「魔女は、案外近くにいるかもしれないな……」

 

 ぽつり、と。

 ロベルトたちの芝居がかった怪談とは一線を画す、腹の底から絞り出された、真に迫った呟きであった。

 

「――っ」

 

 その場にいた誰よりも、カミーユのニュータイプとしての鋭敏な感覚が、ゲルハルトの言葉に孕まれた「本物の毒」を嗅ぎ取った。

 背筋を氷の刃で撫でられたような悪寒。

 

「ゲルハルトさんまで乗っかるんですか」

 

 カミーユは、震えそうになる声帯を必死にコントロールし、これ以上ないほど大袈裟なため息をついて立ち上がった。

 

「大人が揃いも揃って幽霊なんか怖がって、なんなんですか。

 ……僕はもう行きますよ。

 シミュレーターの時間がありますから」

 

 逃げるように背を向け、足早に談話室を飛び出していくカミーユ。

 こわばった背中を見送った後、ゲルハルトは動揺を誤魔化すようにわざとらしく肩をすくめ、合成コーヒーに口をつけた。

 

「ははっ、今の結構良かったぜ」

 

 とアポリーが能天気に笑い声を上げる。

 

「ああ、なかなかの名演技だ。

 雰囲気が出てたぞ、ゲルハルト」

 

 ロベルトもまた、冗談めかしてマグカップを掲げた。

 大人たちは再び、自分たちの心を慰めるための、薄っぺらで騒がしい「娯楽としての怪談話」へと沈んでいった。

 アーガマのすぐ外側に、本物の死と冷え切った暗礁宙域が広がっていることすら忘れたように。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「スガイ中尉、カミーユの訓練に付き合ってもらえないだろうか」

 

 クワトロ・バジーナは上官としての――かつて赤い彗星と呼ばれた男特有の――抗弁を許容せぬ圧力を孕んだトーンで切り出した。

 

「シミュレーターで構わない。

 君の持つ卓越した基礎技術を、あの少年に体で覚えさせたいのだ」

 

 クワトロの要請(リクエスト)に対し、シイコはほんの数秒だけ視線を落として思考を巡らせた後、無言のまま頷いた。

 仮想空間(シミュレーター)のコンソールで、クワトロは機体選択(セットアップ)画面を表示させる。

 

「機体は何を使用されるのかな」

「何でも構いません」

 

 シイコの返答は淀みがなかった。

 クワトロはあえて、彼女がグリーン・ノアやランチの護衛時に使用していた機体(モビルスーツ)を指定したのである。

 

「ならば、ガルバルディβを指定しよう」

「……了解しました」

 

 シイコの口元が微かに引き締まる。

 クワトロはサングラスの奥で目を細め、僅かな変化を見逃さなかった。

 彼女はたった今、機体スペックへのこだわりを見せなかった。

 いや、拘泥しないというポーズを選択することで、「自分が何をできなくなるか」を逆算したに違いない。

 グリーン・ノアでロベルトを翻弄した局面でも、ランチを護衛した局面でも、彼女はこの機体を駆っていた。

 だが、ランチ護衛時の常軌を逸した機動は、明らかに本機のフレーム許容応力を超過するものであった。

 仮想空間《シミュレーター》上であれば、フレームの自壊を恐れることなく限界機動を再現できる。

 それにもかかわらず、彼女は「一般的なスペック設定のまま」で戦うことを不自然なほど容易く受け入れた。

 我々(エゥーゴ)に――あのカミーユという少年に、一年戦争の「魔女」としての牙を見せないために。

 恐ろしいほどに狡猾な女だと、クワトロは改めて再認識させられることになった。

 シミュレーターの周囲には、噂を聞きつけたアポリーやロベルト、ヘンケン艦長、そして数名のクルーたちが野次馬として集まり、人工的な熱気を生み出していた。

 カミーユは腕を固く組み、不満げな表情を取り繕おうともせずにコンソールの前に立っていた。

 

「スガイ中尉がどのくらい強いか、クワトロ大尉が確かめたいんでしょ。

 わかってますよ」

 

 前々日にシイコの抱擁によって感情を溶かされたばかりのカミーユは、脆さを抱えながらも、必死に「生意気なパイロット」の仮面を被らざるを得なかったのだ。

 

「そうですね」

 

 とシイコは淡々と、どこか包み込むような静けさで言った。

 

「始めましょうか」

 

 選択された作戦宙域(ステージ)は、コロニー廃棄区画。

 解体途中の巨大な居住ブロックと、大小さまざまな質量兵器の残骸(デブリ)が不規則に散乱する、視界劣悪かつ複雑な宇宙の墓場であった。

 カミーユの乗るガンダムMk-Ⅱが、スラスターを激しく吹かして擬似空間(マップ)へと躍り出た。

 開始(スタート)からわずか三十秒、カミーユはシイコのガルバルディβを光学センサーの端に捉えた。

 崩壊した廃ブロックの陰に隠れるのを見て、直感に従って追撃へと移る。

 だが、スラスターを吹かしてブロックの裏に回り込んだ瞬間、メインモニターに映し出されたのは、ただの虚空(スペース)でしかなかった。

 

「っ——!」

 

 カミーユの視界の死角、まったく予期せぬ射角から鋭い光条が飛来する。

 けたたましい被弾判定のアラート

 シールドで辛うじて弾いたものの、カミーユは奥歯を噛み締めて機体を後退させた。

 今度は熱くならず、相手が動くのを待とうと警戒に回る。

 しかし、シイコは動かない。

 廃材の陰に取りついたまま、息を潜めている。

 焦れ始めたカミーユが、わずかにスラスターを吹かして相対位置を変えようと試みた、その刹那だった。

 またしても、予想外の方向から単発のビームが飛来し、Mk-Ⅱの右腕部を正確無比に深く撃ち抜いた。

 

「どこから……どこから撃ってるんだ!」

 

 シイコは、デブリ群の死角から死角へと、無音で滑るように移動していた。

 彼女の脳内には、会敵直後の数秒でこの複雑な廃棄区画の三次元マップが構築されていたのである。

 わずかな間隙(クリアランス)敵機カメラの死角(デッド・アングル)、そして自機の熱源を隠す質量塊(デコイ)の配置。

 それらすべてを演算し尽くし、カミーユが動くタイミングに同期して相対位置を更新していく。

 カミーユは「追いかけている」つもりであったが、実際にはシイコが張り巡らせた、見えない照準網の上で踊らされていたに過ぎなかった。

 彼女は遮蔽物から身を晒すことなく、一方的にカミーユの機体を削り続けた。

 三分後、カミーユの眼前に、「撃墜」の赤文字が表示された。

 カミーユは悔しさのあまり、コンソールを力任せに殴りつけた。

 直後、子供のように感情を爆発させたことに気づき、わずかに拳を引く。

 しかし、歪んだ表情をシイコへ向けるのを止められなかった。

 

「くそっ……!

 障害物ばっかり使って、正面から来ないじゃないですか!」

 

 シイコはモニターの電源を落としながら、天候を読み上げるのと同質の、感情の起伏のない声で淡々と答えた。

 

「正面から来る理由がありませんでした」

「位置が分かっていれば、僕だって——」

「カミーユ君。

 戦場に、正々堂々と戦う義務はありません。

 生きて帰る義務だけがあります。

 あの地形で私が正面に出たら、あなたの射程と速度に負けていました。

 だから出なかったのです」

 

 カミーユは言葉を失い、口をつぐんだ。

 反論の言葉など、宇宙のどこにも転がっていなかった。

 彼女の論理(ロジック)は戦場における徹底した生存則であり、ゆえに、正しかったからだ。

 

(完全に負けた……)

 

 カミーユは手のひらをじっと見つめ、胸の内で激しい自己嫌悪を反芻していた。

『正面から来なかった』などという言葉は、敗者の詭弁に他ならない。

 自分が地形を読めていなかっただけだ。

 彼女は廃材の配置を、開始数秒で頭に叩き込んだ。

 だが、カミーユは戦闘中、場当たり的に処理しようとした。

 その認識の差が、この敗北を招いたのである。

 屈辱に震える少年の背中を見つめながら、壁際からクワトロが落ち着いた声をかけた。

 

「もう一度やるかい、カミーユ」

「——やります。絶対に、次は」

 

 少年の瞳に再び光が宿った瞬間、人垣の後ろから、室内を満たす緊迫感を完全に無視した甲高い声が響き渡った。

 

「やりたい! やりたい! 次、私にやらせて!」

 

 全員が、弾かれたように振り返った。

 そこに立っていたのは、特例で訓練生になったばかりの赤毛の少女、アマテ・ユズリハだった。

 彼女の瞳は、ゲームの新作を見つけた子供のごとく、異常なまでに輝いている。

 

「あの障害物の使い方、すごくない?!

 私、あれやってみたい。

 ねえ、私も入れてよ!」

 

 カミーユが露骨に眉を吊り上げた。

 

「今、俺の話をしてるんだけど」

「わかってる! でもやりたいんだもん!」

 

 艦長のヘンケンが頭痛を堪えるように額を押さえ、アポリーが懸命に吹き出すのを耐える中、シイコは感情を削ぎ落とした眼差しでアマテを見つめた。

 彼女が「障害物の使い方をやってみたい」と言ったのは、戦術の本質に対する正しい嗅覚だった。

 カミーユの「正面から来ない」という感情的な苛立ちより、ずっと兵器運用の核心を見ている。

 コロニーで自分にプチ・モビの操縦をねだってきた時と同じ、純粋な好奇心の目だ。

 しかし、この少女にあの戦術を教導を施すには、段階を踏まねばならない。

 第一に「なぜ隠れるのか」の前提となる死の恐怖を理解させぬまま、ただ「遮蔽物を利用して射撃する」という戦術記号(シンボル)の表層だけを与えてしまえばどうなるか。

 形だけを覚えた子供が、戦場でどれほど残酷で無軌道な手段の選択に至るか。

 かつての一年戦争の地獄で骨の髄まで理解させられていた。

 シイコはクワトロの方をちらりと一瞥した。

 クワトロは肩をすくめ、「それはスガイ中尉の裁量で」と目配せでその権限移譲を示す。

 シイコはアマテに向き直り、威圧感とともに告げた。

 

「アマテちゃん。

 これは、今日の機体での戦い方です。

 あなたがやるのは、カミーユ君が終わってからです。

 それまで、静かに見ていなさい」

 

 ――《今日の機体での戦い方》。

 

 その言葉に含まれた奇妙なニュアンス(修辞の意図)を感知したのは、大人の誰でもなくアマテだけであった。

 

 「やったー!」と無邪気に歓声を上げてカミーユを小突く一方で、アマテの脳裏には小さな引っ掛かりが生まれていた。

 

(また今日の機体、って言い方をするんだ。

 じゃあ、明日の機体なら、全然違う戦い方をするってこと……?)

 

 

 

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