―翌日 夕方
斎藤真奈美のアパート
夕焼け色の空の下、ブォゥン!という水平対向エンジンの地鳴りするような低音の不当長サウンドを響かせながらも駐車スペースに自分の86を停める真奈美。
「はぁー、今日の講義もダルかったー...」
ピッとキーロックして自分の部屋まで歩こうとしているとピロピロ!と突然着信音が鳴り始めた。
この時間に来るとは珍しい...
内心そう思いつつも立ち止まり、バッグから取り出して相手を確認。
"黒川あかね"
...まさかの人物だ。
一ヶ月前の自分なら喜んで電話を取っていた事だろう。
だが、今の自分の心境としては真逆と言っても過言ではない状態だ。正直、このままブチッと一方的に通話拒否や居留守でやり過ごしたい気分でもあるが仕方がないから出てやろうと操作しては「...もしもし?」とやや不機嫌そうに出てみる。受話器の向こうで話すあかねは対照的にホッとしたような口調で「―もしもし、真奈美さんですか?」と確認してから早速本題に入ろうとしてきた。
「―少しお願いがあるのですが...よろしいですか?」
話し方からして自分が敵意を持ち始めているということに全く気付いていない様子だ。それもそのハズ、もう数カ月以上も会ってない相手の心境の変化を察せられる方が難しい話だ。
あかねが幾ら心理学に詳しくともそうなる...況してや、今の彼女は五十嵐ハジメの事で一杯一杯なのだ。他人の事を考える余地なんてない。
彼女の状態をやや哀れに思うと込み上げて来る感情を抑えつつもため息混じりに「あかねちゃん」と改めるように呼んでからこう問い掛けた。
「周りの状況、ちゃんと把握してる?」
指摘するような一言に意表を突かれたように「―え...?」と言葉を漏らすあかね。どうやら、コチラが反論をするとはあまり考えてなかったようだ...ナメられたものだ。
内心呆れながらもハァ...と小さくため息をつくとそのまま彼女の真意を確認しようと立て続けに問い掛け始めた。
「私が今、貴女をどう見てるか...分かってる?」
「―どうって....」
「私がどんな心境であのスキャンダルを見たか理解してる?」
「―あ、あれは...私が配慮が足りなかっただけで本気だったとかそういうのじゃ...!」
「そうやって嘘つくんだ。
無駄だよ。星野アクアから裏も取ってる、貴女の方から迫ってきて自分からは何もしてないって」
「―嘘じゃないです!信じてください!!」
受話器越しに訴え掛けるような声...その声は真奈美の心の奥にある物を揺さ振るようなものだ。
だが、それとは別にもう一人の自分がその声を拒絶しようとしていた。
"一度裏切られているから信じ込むな"と....
「....ごめん、ちょっと無理かな」
少し間を空けてから出た答えが拒否するようなものだった。まだ口調を柔らかくしているのは彼女を信じたいという心の奥にある細やかな思いからだろう。
せめて、断るにしてもなるべく傷付かないように...
そして、あかねの方もそんな彼女の思いを察したのかそれ以上のことはしつこく頼まなかった。が、そのうち心変わりするかも知れないと最後に一言だけ言い残すことにした。
「―....わかりました。
無理にやれとは言いませんが内容だけお伝えします。
8月の第一週の日曜日...その日に車を用意して頂けると助かります。もし、貴女が無理の場合は他の方に頼みます...
では...」
8月の第一週の日曜日。
スーパーGT 4戦目の富士スピードウェイの決勝戦の日だ。
つまり、ハジメにとって大事なファーストシーズンの勝負日...それを真奈美が把握していない訳がない。それが故に送迎先が富士スピードウェイだというのも言われてないにも関わらず察しがついた。
内心ため息をつきそうになる彼女だったが、あかねが電話を切ろうとする前に「ねえ」と呼び止めてからこう告げた。
「私は貴女が何しようが興味はない。
ただ、彼が哀しむところを見たくないの。苦しむところを見たくないの...もうトラブルに巻き込んで欲しくない。
自分でハンドルを手にして運転したことがない貴女には尚のこと分からないだろうけど、あの人はサーキットという戦場で孤独に戦ってる。外から下手に搔き回して乱すような真似だけはして欲しくない。
もし、私の言葉を受け止めずに軽弾みな気持ちで観に行こうっていうなら...私はそれを全力で止める。彼を守るために」
あかねの動きを牽制するようにやや強めの口調で告げる真奈美。彼女の言葉が心の奥に突き刺さったのか、反論することもなく数秒ほど黙り込んでから「―...分かりました」と告げて通話を切ってきた。
彼女の性格だ、ここまで強気に出たら下手な真似をしないだろう。
少しばかり可哀想ではあるが、彼の為だ。
そう思いながらも通話を切れたスマホをポケットにしまおうとするも再びピロピロ!と着信音が鳴り響く。
相手を確認するとスパイラルの奥山からだ。すぐにピッと通話に応じた。
「奥山さーん?めずらしいですねー。
86の車検まだ先ですよー?」
先程のあかねとの会話とは打って変わり、やや戯けたような口調で笑い混じりにそう問い掛けるも電話越しに話す奥山は対照的に重苦しい雰囲気を醸し出していた。
「...どうしました?」
「―...いや、今日ハジメの奴が来てたんだが。
なんか浮かないような感じでな...心ここにあらずっていうか、なんていうか。そっちで何か聞いたりしてくれないか?」
この話を聞いて彼の中で今、何か色々と思い詰めて考えているのだと察した真奈美。
こうなっている人間の対応に関しては2つの対応が彼女の中では良しと思われていた。
"遠くから静観する"のと、"傍で寄り添う"の...
両極端ではあるが、本当にこの2つなのだ。
今の状態からすると後者...かな?
そう考えた真奈美は仕方ないなと言わないばかりに小さく笑みを零しながらも受話器越しに話す奥山にこう問い掛けた。
「分かりました、どこに行ったか分かりますか?」
「―さあな...ただ、いつも店から出るのと逆方向に出たのを見掛けた。多分、家には帰ってない」
家とは逆方向...多分、あの辺りに行ったかな?
思考を色々と辿っていくつか候補地を頭の中で絞っていくと「分かりました、ありがとうございます」と電話越しに告げて通話を切るとハァ...とため息混じりに86のキーロックを解除した。
「まったく、世話の掛かる人だねえ。
仕方ない....行こっか」
運転席に乗り込みブゥォンッ!と再びエンジンスタートする86。そのまま公道に出てはゆったりとした速度域で目星をつけた場所に向けて走っていった。
・
―1時間後、とある潰れた旅館の駐車場
山間の辺境地にあるバブル期の名残りとも言える大きな旅館の駐車場。近辺の表通りですらほとんど街灯がついてないような状況下でハジメはNSXのヘッドライトで路面を照らすようにしながらも車から降りた。
ヴォヴォッヴォッ...とアイドリングが木霊するように鳴り響くのを感じながらも車の前方に立つと考え込むようにして路面を見つめる。
黒くいくつも伸びたタイヤ痕、所々に散りばめられたタイヤカス...電気のついていない外灯の近くには割れたバンパーの破片らしきものが少量ながらも散らばっていた。
何か思いに耽るようにしつつも道中買ってきたコーヒーをポケットから取り出し、蓋を開けようとした時に遠くからブゥォンッ!という低く轟くようなエンジンサウンドが聞こえてくる。一旦蓋に伸ばしていた指を止めるようにしつつも音が聞こえてきた方を辿るように見てみると、見覚えのある白い86GTが姿を現した...斎藤真奈美だ。
NSXの隣に車を停めては対照的にエンジンは切るものの、ヘッドライトつけたまま降りてくる彼女...
くぅー!と両手を真上に上げるようにして軽くストレッチしてからハジメの方に歩み寄った。
「ここに居たんだ」
「ここに居たって...別に呼んでもないのにどうして来た?」
「奥山さんが心配だから見てやれって言うから色々と目星つけて探したんだよー」
そう理由を説明しながらもストレッチをやめるとハジメと横並びに立つようにし、駐車場の所々に描かれたタイヤ痕やタイヤカスに目を向ける。そして、しばらく無言で思いに耽るように眺め続けてはこう呟いた。
「久々だねえ、二人でここ来るの...大体2年ぶりぐらい?」
「...そうだな」
「どっかの鬼軍曹みたいな教官に毎晩のようにドラテク扱かれて...懐かしく感じるなぁ」
そう呟きながらも外灯の方を見ると割れたバンパーの破片を少量ながら見つける真奈美。懐かしそうにそっちの方に歩み寄って目線を膝位の位置まで低くするようにしゃがみ込み、よーく見てみると白く伸びたキズの跡が...それを撫でるようにすると更に思い出に浸るようにこう呟いた。
「...ここのキズ、まだ残ってたんだ。
覚えてる?ドリフトかなんかの練習してる時に私がヘマしてここに86のフロント当てたの」
「あったなぁ...そんなことも」
「あの時、二人ともめちゃくちゃ焦ったよねえ。
ハジメくんは顔面蒼白にしながらも割れたバンパーとヘッドライトの破片掻き集めて、外灯側のキズ跡なんとか誤魔化して。私の方は私の方でディーラーで直すと高いからネットオークションで安い同色の純正バンパーとヘッドライト探してきて...モノが来るまでしばらくバンパーレスで過ごしてたっけな」
「まあな。お前が当てた時は割とマジでヤバいと思ったが...ヘッドライトのガワとバンパーだけで済んで良かったよな、ホント。
シャシーとかまで逝かなくてよかった、そこまで逝くとDIYじゃ流石に直せないしな」
「ホント。でも、シャシーならまだいいんじゃない?
ラジエーターや脚まで逝ってたら自走して帰ることすら出来なかった可能性すらあったし。そうなったら、あの遅い時間に奥山さん叩き起こして積車持ってこさせることになってたよ。幾らあの人でもキレちゃうかもね」
そう思い出を互いに振り返ると真奈美の方がゆっくりと立ち上がって戻ってきた...そのまま横並びに立つようにするとポケットからある物を取り出す。缶コーヒーだ、どうやらハジメと同じように道中買ってきたようだ。それを見て内心驚きつつもハジメも自分の缶コーヒーを出し、互いに軽くぶつけるように乾杯。蓋を開けてゴクゴクと一緒に飲んで行くと互いに半分ほど飲み終えた所で最初に会話を振ったのはハジメの方だ。
「どうしてここにいるって分かった?」
「どうしてって...勘だよ。勘。
そう大したモノじゃないよ、ホントに」
そう答えはしたが、実際のところは勘と答えるにしては幾つか確信できるような明確な手応えがあった。だが、それと同時にここだと推測した理由のことを考えると他の候補地に比べてここはあまり来てほしくない場所でもあった。
そして、その理由が正しいかどうか...
それを確認しようと核心を突くように真奈美はこう問い掛けた。
「...まだ考えてるんだね、あかねちゃんのこと」
「...っ、なんでそんなこと」
「なんでって...ハジメくんがここに来た理由が何となくだけど分かるからだよ。
ここに来たのはかつての自分が描いてた未来に踏ん切りをつけるため。その描いてた未来っていうのはあかねちゃんに免許取らせてから、ここで一緒にドライビングの練習する未来。
かつて私とここでマンツーマンで練習したみたいに...」
そう指摘するように言われては図星なのか、黙り込むように俯き気味な姿勢になるハジメ。
だが、これが図星だとある事実が確定的になる...
それはハジメがあかねにまだ未練があるということだ。
裏切ったような女なのに、どうしてだろうか?
内心そう思う真奈美だったが、特に彼女を卑下するようなこともせずにハジメの方に目をチラッと向けながらもこう問い掛けた。
「ねえ、この際だから話してみて。
彼女のこととか、思い出とかさ...」
「話してみてって...」
「いいじゃん、二人しかいないし。勿体振らないでよー」
催促するように真奈美がそう言っては肘で「この、この〜」と言わないばかりにハジメの腕を突くと彼は仕方ないと言わないばかりに色々と語り始めた。
番組での初対面時の印象や、関わるようになったキッカケ、彼女の炎上時の話や今ガチでの星野アクアと奪い合いすることになったこと、カップリング成立時のことやそれからのデート....
そして、今別れる寸前になっていることまで。
互いに距離を取り始めていることが知っていたが、内容を聞くと距離を取り始めた理由は彼女の未来を按じての決断だと聞いて内心驚く真奈美。
あくまで相手を思っての行動...
だが、ハジメ自身はどう思っているのだろうか。
そう思った彼女は「ねえ」と呼んでは少し間を空けるようにして切り出した。
「もし、お互いに今の仕事や周辺環境のしがらみとか何もない状態だったら...ハジメくんは一緒にいたい?
それとも、それでも...彼女と別れたい?」
問い掛けに考え込むようにするハジメ。
そんな彼の顔を真奈美は軽く覗き込んでは意地悪染みた笑みを浮かべて見せてからこう呟いた。
「今ここで答えろとは言わないよ、どの選択をしてもアナタの自由。
その選択によってどうなるかは現状では分からないけど、例え失敗しても後になって理由付けしてそれで良かったと肯定したくなるのが人間。失敗を認めずに成功、あるいはそれに近づいていると捉えたがる...。
それを考えると...一番大事なのは選択時に本心から悔いがないと言えるような選択をすることじゃないかな?
妥協のない本心での選択、それが一番なんじゃない?」
そう言うと共に気付かされるように目を軽く見開くハジメ。真奈美の方は小さく笑みを浮かべながらも残りの缶コーヒーを飲んでは夜空にを仰ぐように眺めては周囲の空気を和らげるようにこう話を切り替えた。
「にしても、ここから観る星空...
相変わらず絶景だよねえ、それだけ空気が澄んでるってことかな?」
「かもな」
「ほら、みてみて!あれ、サソリ座だよ。
くー、なんだか夏って感じするなぁー」
「え、どれだよ。星座詳しくないからわかんねえよ」
「ほら、あれ!あの赤い星を中心に斜め向いたT字みたいに広がってるの!」
互いに盛り上がるように星空を眺める二人。指を差している真奈美は傍から見ると無邪気にはしゃいでいるように見えるが、心境としては複雑だった。
どん底にいる彼を救えるのは...
かつて自分達を裏切った黒川あかねだけかもしれない。
彼女の歩み寄りが必要だ。
・
―3日後、夕方 真奈美の部屋
世間一般的な女子大生と言うような特に変わったものもないような真奈美の部屋。
彼女はベッドに腰掛けると共にピッピッとスマホを操作し、ある人物に掛けた...黒川あかねだ。
「もしもし、あかねちゃん?」
「―ま、真奈美さん...」
やや気不味そうながらも電話に応じたあかね。そんな彼女に真奈美は世間話抜きに単刀直入に本題を投げかけた。
「例の送迎の件、他に宛は見つかったの?」
「―いや、それが...なかなか。
お母さんもその日は出かけるみたいで頼れないし、マネージャーや劇団の人に頼るのも流石に気が引け...」
「やるよ、私」
真奈美のまさかの答えにあかねも「―えっ?」と驚いたような反応だ。
どういう心境の変化があったのだろうか...?
彼女がそう考えている間に真奈美の方は間髪入れずに「でも、条件がある」と前置きしてからその詳細について話した。
「もし、今後彼の口から別れたいって言葉が出たら潔く諦めて。それが条件...それが呑めなかったらやらない」
真奈美の詳細を聞いて少し躊躇うように間を空けるあかね。
その状況になったら自分は潔く身を引けるだろうか...?
でも...やるしかない。
次で全てを決める気で行こう、自分の思いが伝わらなかったら自分は彼に相応しくないということだ。
内心そう自分に言い聞かせると重たい口をゆっくりと動かすように「―...わかりました」と答えた。が、真奈美の方は彼女に勘違いさせないようにと付け足すようにこう告げた。
「言っておくけど、貴女の為に協力するわけじゃないから。
コレは...私の本心の為だから」
そう言う真奈美に対し受話器越しに「―あ、ありがとうございます!」と礼を告げるあかね。そのまま当日の詳細について語り始めたが、真奈美にとっては想定外の内容だった。
「―時間の方はまた後日お伝えしますが、駅前集合でハジメくんを除いた今ガチメンバー7人で....」
「えっ、待って。
送るのってあかねちゃんだけじゃないの!?」
「―はい、既に4人乗りの車は1台確保しているのでもう1台4人乗りの車を確保したくて...どうかしましたか?」
まさかの予想外に声を大きくして反応してしまう真奈美。
助手席は広々してる86だが、後部座席は狭すぎて女性でも長時間乗るのがシンドい悶絶シートだ。
あのシートで富士スピードウェイまでの長い距離を過ごさせるのは流石に自分がドライバーの立場でも気が引ける。
「うーん...」と悩みに悩んだ真奈美は少し間を空けてから渋々ながらも「わかった」と引き受けた。
「じゃあ、また時間決まったら教えて。私はちょっとやっておきたいことがあるから、今のうちに済ませるから電話切るね」
やっておきたいことという単語が引っ掛かるあかね。
だが、せっかく乗せて貰えることになったし深く聞くのはナンセンスだと思えば「―わかりました、ではまた」と伝えて通話を切った。それを確認してすぐにピッピッとスマホを操作して違う番号に掛けた。
「もしもし、ママ?ちょっとお願いがあるんだけど...」
・
―数日後 とあるアパート
四戦目の富士スピードウェイでの戦いも間近になり、遅い時間までトレーニングに打ち込んでいた石神。
疲れきった様子でカンカン...と古びた鉄製の階段を上がり、角の部屋の前に立ってはカギをガチャッと開けて入室...入るや否やタッタッタッと足音を立てながら一人の子供が駆け寄ってきた。彼の5歳の息子だ。奥からは3歳の娘もひょっこりと顔を覗かせていた。
「パパ、おかえりなさい!」
「ああ、ただいま。お母さんは?」
「お出かけに行ったよ!パパにご飯食べてって伝えてって言われた!」
「そうか、そうか」と笑顔で答えては二人の子供を撫でたり軽く抱いたりしつつも靴を脱いでは古びたアパートの部屋に上がる石神。
子供たちが奥の部屋へと移って自分たちの遊びに夢中になる中、夜食を撮ろうとテーブルの方を見る...近くのスーパーで買ったと思われる惣菜と弁当が並べられていた。
何ヶ月か前からずっとこんな感じだ。
電子レンジに入れて温め開始...待っている間、部屋の隅に置かれていた結婚式で撮った写真に目を向ける。
...いつからこんなに寂れただろうな、俺の生活。
そう思っている間にチーンと電子レンジが出来上がりを伝えてきた。弁当を手に取ってテーブルに移そうとした時...突然、腹部に激痛が走った。
「っ...!?」
突然のことに温めたばかりの弁当を落としてしまう石神。
そのまま倒れそうになるも、壁に手を添えるようにしてなんとか身体を支えながらも台所の方へと移る...急いで薬箱を漁り、市販の痛み止めを口に含んでは水道水を直飲みして胃袋に無理矢理薬を流し込んだ。
壁を瀬にしてズリズリと力が抜けるように座り込む...しばらくすると痛みも引いてきてハァハァ...と過呼吸になっている呼吸を整えようとそのまま安静にした。
「(この大事な時期にこうなるとはな....)」
彼の妻が離婚を切り出してきた辺りから出てきた症状...
素人の自分でも何かしらの病だというは察しがついたが、未だに病院には行っていない。今すぐにでも行ったほうが良いのは分かるが、今病院に駆け込んだら次の一戦は欠場になるのが目に見えていた...病で倒れるよりかはそちらの方が屈辱的だ。
何が何でも次の一戦は最後までやり遂げる。
そう心の中で決意しつつもゆっくりと立ち上がった時、奥で遊んでいたはずの息子が恐る恐る顔を出してきた。
「パパ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。ちょっとコケただけだからな」
苦笑いして誤魔化しつつも落とした弁当を拾っていく石神。父の背中を息子は心配そうに見つめていた。