IF 〜もしもあの時〜   作:マグウェル

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第三幕 ANTARES act.13

 

 

 

ー富士スピードウェイ

 

 

目の前を疾走し始めた28台のレーシングカーにあかね達は驚愕のあまり固まってしまった。先程のGT500よりも車両数が多いため、1コーナーに入るまでの車両の密度がギチギチの状態。大気を裂くような咆哮と言えるエンジンサウンドと共に目の前を通り過ぎた時に感じたそれは雷鳴のようにすら感じられ、あまりの密度からか通り過ぎた時に感じる風圧は束になった一つの塊のような形で一行に押し寄せてきた。

 

 

 

 

 

「うわっ、すげえ!?」

 

 

 

 

 

「生で見ると凄い迫力だな...!!」

 

 

 

 

 

 

ノブユキとケンゴが驚いたように呟く中で迎えた第一コーナー、我こそはとコーナーに飛び込む28台...ひしめき合うような接戦の中、最後尾にいた車両が前の車両を突くようにした接触が早くも発生した。

 

 

 

 

 

 

「―あぁっと、BOLT AMG GT3とグスタボGRスープラが接触!!開幕から激しい混戦!!」

 

 

 

 

 

サーシャの実況を耳に入れながらも不安そうにレースを見守るあかね。そんな彼女の不安を無意識にも更に煽ってしまうようにスマホで実況画面を見ていたMEMちょが「ね...ねーねー!」とある質問を皆に投げ掛けた。

 

 

 

 

 

「8番の車...後ろのハネ、取れかけてない?」

 

 

 

 

MEMちょに言われて皆がそれぞれのスマホに注目...すると、ゼッケン8番のシビックのGTウィングが片側のステーが完全に外れて取れかけているという異様な光景を目の当たりにした。

 

 

 

 

 

「―GT500のモータルCIVIC、コレは様子がおかしいぞ...!

どうやらどこかのタイミングで接触があったようです!

流石にピットインして直さないとコレはマズイですね」

 

 

 

 

 

スマホから木霊するサーシャの実況、しかし...コレだけでは終わらない。すぐに別の画面に切り替わったかと思いきや、左コーナーを迎えて減速しきれなかった車両がコースアウトして芝を踏んでいた。

 

 

 

 

 

「―アクシル、ポルシェ911が曲がり切れずコースアウトッ!!」

 

 

 

 

 

「―恐らく、オーバースピードで濡れている路面を踏んだのでしょう。選手たちにとってはかなり走らせづらい状況だと思われます」

 

 

 

 

実況席に座るサーシャと池田を経由して次々と舞い込んでくる情報に不安が募りに募るあかね。そんな彼女の表情を見た真奈美はその心境を察しつつも神妙な面持ちでこう諭すように伝えた。

 

 

 

 

 

「...コレでなんとなくわかったでしょ、彼がどんな世界で戦っているか。

 

0.01秒でも速く走りたい者たちの集まり、GT300だと28チーム...全員が全員国内から選び抜かれた才能のその集団が1位という一つしかない王座を求めて我こそは前にと競い合う。そこで接触やトラブルが起きるのはほぼ必然的な話。

 

その上、実際に走ってるドライバーはもっと孤独な上にカラダに負荷がかかる。

 

ガチガチホールドされたシート、加速や減速...旋回時にカラダに襲い掛かるG、快適装備を無くした密室の車内...そんな限界状態で我こそは前にと王座を競った熾烈な戦いに臨む。

 

そして、自分以外の者と繋ぐ術がチームとやり取りするたった一本の無線のみ。ひたすら自分を鼓舞させるような応援メッセージを送ってくれるほど甘くない。

 

 

...そんな限界状態で走るのよ。

そんな中でも彼は、簡単に弱音を吐かなかった。

 

 

どう、彼がどんな過酷で孤独な世界で走ってるか分かった?」

 

 

 

 

 

真奈美の言葉に今まで仕事だからと彼から目を逸らしていた自分に自責の念が募りに募るあかね。

 

東京ブレイドの舞台の時にもっと彼に気配りしていれば...

 

 

もっと寄り添ってあげれば...

 

 

もっと、もっと傍にいてあげれば...

 

 

彼は今以上に凄い地位に居たのかもしれない。

 

前にすれ違った男達から馬鹿にされることもなかったかもしれない。

 

 

 

私が....彼の才能を潰した。

 

 

 

込み上げてくる思いから手を震わせて声を詰まらせ、俯き気味になりながらも目元を手で隠すようにして倒れかけるとその思い汲み取るようにゆきが支えに入った。彼女は真奈美とは対照的に穏やかなトーンで囁くようにしてこう告げた。

 

 

 

 

 

「起きてしまった過去は変えられない。

この先どうするか...それが重要だよ、一緒に頑張ろ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

              ・

 

 

 

 

 

 

 

 

―ベリッシモ296GT3 車内

 

 

 

所々で微妙に濡れている路面に苦戦を強いられる石神。しかし、条件は全員同じ。その上、自分が長くは保たないことは察しがついていた。1台でも多く抜いて次のバトンを五十嵐ハジメに繋げる...彼の頭の中はそれでいっぱいになっていたのだ。

 

 

 

 

 

「(とにかく前に出ることを考えろ、上っ面の情報だが数周でなんとなくは掴めた。前の奴らが戸惑ってる間にぶち抜く!)」

 

 

 

 

 

まずはADVANの看板がある左コーナーから。前方にいる黄色いGR86をロックオン。真後ろにつけた状態からほぼ同時にブレーキング立ち上がりで右に避けて一気にオーバーテイクしていく。

 

 

 

 

 

「―倉山興業GR86、アウトサイドから抜かれたー!」

 

 

 

 

 

盛り上がるサーシャの実況だが、石神の攻勢はここで終わらない。そこから数周後に白のLC500hをロックオン、真後ろにつけて同時にブレーキングしたかと思えば素早くインサイドを取ってオーバーテイク。これには実況のサーシャも興奮を隠しきれない。

 

 

 

 

 

「―スペッツLC500、インサイドから抜かれたぁッ!!

綺麗なオーバーテイク、ベリッシモが魅せてくれます!

池田さん、今日の石神選手かなりアグレッシブな攻め方ですねえ!!」

 

 

 

 

 

「―ええ、ですが...どこか焦りの色も見えますね。このまま何もなく順調なら良いのですが」

 

 

 

 

 

そう実況が進んだ数周後、石神は次の車両を捕らえようとしていた。自分がいた古巣のディープスターの青いポルシェ911だ。

 

古巣だろうが関係ない、コイツを墜とさねば...!

 

 

そう思いながらもアクセルを踏んだ時だ...腹の内側から込み上げてくるような激痛が急に襲いかかってきた。

 

朝服用した痛み止めが切れたのだ。

 

 

 

 

「っ....!?」

 

 

 

 

 

激しい腹痛に見舞われながらも必死にドライビングするも、車影は少しずつ離れていく。その異変に気づいたのは石神だけでない、周回記録データを見ていたベリッシモ陣営からも気づかれつつある...

その中でも一番最初に指摘したのはチーム監督の秋山だ。

 

 

 

 

 

「...周回タイムが落ちてる、マシントラブルか?

 

テレメトリー、どうだ?」

 

 

 

 

秋山の近くでPCと睨み合いしていたメカに問い掛けるも彼からは「異常ありません」の一言が返ってきた。

そうなると、残る要因は...そう考えている間に誰かが歩み寄ってくる気配を感じ取り振り向く。

 

そこにはハジメの姿が...

 

 

 

 

 

「恐らく、石神さん自身に何かあったかと」

 

 

 

 

 

あまり受け入れたくなかったが、一番その可能性が高いと秋山も察しがついていた。スーパーGTのルールだと1人のドライバーが2/3以上の距離を走ってはいけないことになっている。二人しかいないドライバー情勢で石神の現在の周回数は1/3を満たしていない...ここでハジメに代わるわけにはいかない。

だが、今何かが起きてる石神にまだ走らせるのは酷な話である上、残り2/3をハジメに全部委ねなければならない。

監督としての判断に困る中、無口だった石神が自分から無線を繋いで「―監督」と声を掛けてはこう告げてきた。

 

 

 

 

 

「―...やらせてください、最期まで」

 

 

 

 

 

その言葉に判断を更に悩んでいると石神の言葉に応えてやるようにハジメも自身の答えを述べた。

 

 

 

 

 

「やりますよ、石神さんが走るなら俺も残りを走ります」

 

 

 

 

 

「おい、待て...!残り300km近くを1人で走るのか!?」

 

 

 

 

 

「もちろん。300kmだろうが、500kmだろうが...キッチリ走ります」

 

 

 

 

 

二人の思いに押されて頭を抱える秋山...時折掻き毟るようにして悩みに悩んだ彼はその熱意に押されたのか、「わかった」と返事してからこう指示を出した。

 

 

 

 

 

「作戦変更だ、プランBで行く。

35周目でドライバー交代と給油、状況次第でタイヤも変える。2回目の給油は75周目を予定、これでいく」

 

 

 

 

 

「了解!」

 

 

 

 

そう言って一気に慌ただしく動き始める各員。そんな中、広報担当の1人の女性スタッフが「監督!」と慌てた様子で秋山に駆け寄ってはある事を耳打ちで伝える...彼は若干驚いた様子で「本当か?」と確認を取るも広報は力強く頷いた。

顎に手を当ててその場で考え込む秋山...

それから少し間を空けると広報担当にこう伝えた。

 

 

 

 

「この事は本人に伝えるな、俺からタイミングを見計らって伝える。いいな?」

 

 

 

 

 

 

 

              ・

 

 

 

 

 

 

 

 

―グラウンドスタンド

 

 

快進撃を続けるも、ペースが落ち始めたベリッシモの296GT3を見て不安を抱き始める一行。

その中でも不安からかあかねの自責の念はより一層強くなるばかりだった。ゆきの支えだけではもう支えきれない状況になってる中、オジサンが後ろの席から「なあ」と彼女に声を掛けた。

 

 

 

 

 

「アンタ、五十嵐ハジメの彼女だろ?」

 

 

 

 

 

いきなりの言葉に少し動揺するあかね。だが、オジサンの方からは帽子を軽く整えて芸能人ということをあまり気にしていない様子を見せると「大丈夫、騒がねえから安心しろ」と一言告げられて安堵したようにすると彼はそこから掘り下げるようにこう問い掛けた。

 

 

 

 

 

 

「さっきから後ろで見ててなんか不安抱え込んでるみたいで気になったからな...

よかったら、何があったか話してくれないか?

この中だと確実に俺が最年長者だから人生経験は豊富だぞ」

 

 

 

 

 

オジサンの促しで話す気になったあかね。

全て話した...五十嵐ハジメとの近況から彼が自分から距離を取り始めたことまで全て。すると、オジサンは意外にもフッと小さく笑ってきた。小馬鹿にしてるのかと不安に思っているあかねだったが、「悪い悪い」と告げてからその理由について話し始めた。

 

 

 

 

 

「なんていうか、昔の自分そっくりでさ」

 

 

 

 

 

「そっくり?」

 

 

 

 

 

「そう、そっくり。

ちょうど俺がアイツぐらいの頃だったかな?

スポーツカー全盛期で峠で走り屋みたいな事して遊んでる時期、すごい美人な女性と出会ったんだ。

出会い方も運命的でさ...釜飯屋の駐車場で彼女の車が故障してるのを見た俺が助けてあげるってところから始まったんだ。向こうも車好きでさ、お互いに話もスゴいあって...」

 

 

 

 

 

「そうなんですか、それでその人とは...?」

 

 

 

 

 

「付き合うこともなく終わったよ」

 

 

 

 

 

意外な一言に「えっ...」と言葉を詰まらせるあかね。オジサンの方はそこから自嘲染みた笑みを浮かべては更に掘り下げるようにして語り続けた。

 

 

 

 

 

「告白のチャンスは2回あったんだ...2回とも俺が溝に捨てた。

 

全て大元を辿ると自分で勝手に彼女の幸せのためだと思ってやったことなんだ。

そういうところ、なんか俺に似てるなーってさ。

 

お陰で俺はあの恋が忘れられなくて今だに独り身だよ。後輩はもうとっくの昔に結婚したっていうのにな」

 

 

 

 

 

フッと鼻で小さく笑いながらもそう話すオジサン。

しかし、一気に神妙な面持ちになったかと思えば熱い思いを力強くぶつけるようにあかねに対してこう告げた。

 

 

 

 

 

「いいか、第二の俺を作るなよ。本人が自覚してない以上、止められるのはアンタだけだ。

 

それから...長いレースでペースが多少落ちようが関係ねえ、今回のレースは100周ある。100年生きる人生で100年ずっと好調なわけがないだろ、偶に躓きそうになったりするのも人生だ。そうだろ?」

 

 

 

 

 

励ましの言葉と共に徐々にに上向きになってきた一行。

あかねが力強く頷いて理解した時、ベリッシモの296GT3が最終コーナーを立ち上がって次のラップに入ろうとしていた。

その車内で石神は短期決戦の為に一気にある賭けに出た。

 

 

 

 

 

 

「(射程圏内にいる間に墜としてやる...!)」

 

 

 

 

 

ディープスターの青い911に対し、真後ろにピッタリとつけるようにして走行...スリップストリーム、先頭の車両を風除けに使うことで高速域での伸びをスムーズにする技法だ。

ジリジリと詰まる車間...そして、一気に左から出て並走するように仕掛けた。

 

 

 

 

 

「―ベリッシモ、サイドバイサイド!インサイドを取った!!」

 

 

 

 

 

サーシャの実況も盛り上がる中、ディープスターのドライバーであるジョズは驚きの表情を隠せずにいた。

 

 

 

 

 

「(石神、去年までこの車に乗ってたなら分かるはずだ!

コイツは世界が認めた最強の車、ブレーキング勝負で負けるわけがないだろ!!)」

 

 

 

 

 

ほぼ同時にブレーキングし、右コーナーに進入。性能を見せつけるように減速態勢から旋回姿勢に入る911...しかし、ジョズにとって想定外の出来事が発生した。インサイドから上手いこと旋回した296GT3が自分のラインを綺麗にブロックしていたのだ。

 

 

 

 

 

「What's...!!?」

 

 

 

 

思わず驚きの表情を浮かべるジョズ。しかし、痛みを堪えながらもレースに挑む石神は容赦なくレコードラインを走って突き放した。

 

 

 

 

 

「(俺が見ていたのはマシンの性能ではなく、お前の傲慢さから来る油断だ。

腹痛めてる俺を相手にライン潰されるようじゃまだまだだな)」

 

 

 

 

 

「―インサイドから綺麗なオーバーテイク!今日のベリッシモは魅せてくれます!!」

 

 

 

 

そのまま突き放しに掛かる296GT3...しかし、そこから何周か周回を重ね、いよいよハジメにバトンを渡す間近になった時だ。ジグザグと左右に揺れるコーナーを立ち上がった時、今までとは明らかに違う痛みが彼を襲い掛かった。

 

まるで内側から切り裂かれるような痛み...

 

流石の石神も顔を歪めてしまうと共に立ち上がり時のアクセルコントロールをミス...キィィィ!!というスキール音と共に296GT3の車体がスライドし始めた。

 

 

 

 

 

 

「(っ、そっちじゃない...!!)」

 

 

 

 

必死にステアリングを抉るようにして操作...アクセルのオンオフを繰り返し、グリップ力の回復をひたすら祈った。

とてつもなくゆっくりと流れる時間...走馬灯のように今まで自分と会ってきた人物達の顔が浮かび上がる。

 

 

ああ、終わった。

 

 

内心そう思った...その時だ。

 

 

 

 

"パパ"

 

 

 

 

そこにいないはずの声が聞こえた。

自分を呼ぶ声...そうだ、まだ帰る場所がある。

 

そこに帰るまでは..."死んでも終われない!"

 

 

 

 

 

「(戻れぇぇ!!この野郎がぁぁぁ!!)」

 

 

 

 

普段、冷静沈着な彼からは想像もできないような心の叫び。

それに応じるように296GT3は路面ギリギリのところでスライドを止め、ヴァァンッ!!と再び咆哮のようなサウンドを響かせてサーキットを駆け抜けていく。奇跡的な復活に一時はヒヤッとしたピット陣営やグラウンドスタンドで見守っていた一行もホッとした様子だ。

 

 

そのまま指名を果たし、ピットインしてきた296GT3。

急いで給油が行われる中で降りてきた彼はその場で倒れ込みそうになり、スタッフ達に肩を支えられる。

意識も若干と朦朧してきてる中、コツコツと誰かが近づくような足音が聞こえてきた...ハジメだ。

 

 

 

 

 

「....ありがとうございます」

 

 

 

 

そう礼を言って乗り込もうとした彼を石神は息を切らしながらも「...なあ」と呼び止めるとこう問い掛けた。

 

 

 

 

 

「どうだった...俺の走り」

 

 

 

 

 

「サイコーでした」

 

 

 

 

 

「そうか...あとは頼んだ」

 

 

 

 

今まで自分を卑下するような目で見てきた男からの一言にようやく報われたような感覚に見舞われる石神。そのままスタッフに支えられてチームガレージへと戻る彼とは対照的にハジメはシートに座って5点式シートベルトを締めた。

 

 

 

一方、グラウンドスタンドの一行にも石神がスタッフに支えられてガレージの奥へと移動する所は認識されていた。生で見ると豆粒ほどで見えないが、その姿はサーシャが実況で取り上げていた。

 

 

 

 

「―力尽きるようになりながらも車というバトンを渡しました、石神風神。2ndの五十嵐ハジメはそれに応えられるか!?」

 

 

 

 

しっかりと乗り込んだ所をスマホと生で確認するあかね。

いよいよ、彼が出走する番だ。

 

 

もし事故を起こしたらどうしよう、無理しないで欲しい

 

 

 

そんな思いから持っていたスマホを胸に抱き寄せるようにしてひたすら祈り続けた。

 

 

 

 

 

お願い....

 

 

どうか、無事に終わりますように。

 

 

 

 

そう思ってる最中、実況のサーシャが別のものにカメラを移して注目し始めた...1台の青いRCFが芝を踏んで動けなくなっていたのだ。

 

 

 

 

「―おぉっと、ガスフォントRCF!

どうした?コースアウトの状態から動けません!」

 

 

 

 

「―恐らく、どこかのタイミングで足回りがイッたのかもしれません。これは"FCY"が出そうです」

 

 

 

 

 

サーシャと池田のやり取りから出たFCYの単語に疑問を抱くノブユキ。「FCYって...?」とオジサンに問い掛けると彼は腕を組みながらも淡々とした口調で答えた。

 

 

 

 

 

「FCYっていうのは、ちょっとした不具合が起きた時に出る安全措置のことだ。通常、大きな規模のクラッシュや異変があった時はセーフティーカーが出走したりするんだが...コースを整理する必要はあるけど、そこまで大袈裟な対応が必要ない軽微な異常の時に発動されるんだ。

発動中の特徴としては制限速度が80km/hに制限され、追い越しが禁止になる。」

 

 

 

 

オジサンの説明に「へー」と返すノブユキ。そんな彼に対して掲げられたFCYボードを真剣な眼差しで見つめていた真奈美。「...チャンスね」と呟いた彼女の前でケンゴが不思議そうに「チャンス?」と復唱するように問い掛けると彼女はその理由を話し始めた。

 

 

 

 

 

「FCYの発動中は原則、ピットインが出来ないのよ。

低速走行を強いられてるタイミングで入るのが一番全体の走行ロスとしても少なくなるだろうし、そんなので皆がこぞってピットに入ったらまた事故を起こす可能性もあるし...

何よりもレースとしての面白みも薄れてしまう。

 

だけど、このピットインが許される例外があるのよ」

 

 

 

 

 

「例外って...?」

 

 

 

 

 

 

「FCY発動前にピットインし、その間に発動してしまったパターン。今のベリッシモがそれに当たるのよ」

 

 

 

 

 

そう言いながらも心配そうに見守っていたあかねに目を向ける真奈美。「あかねちゃん」と穏やかなトーンの声で呼び掛けて顔をこちらに向けさせては微笑みながらもこう伝えた。

 

 

 

 

 

「風向き、変わってきたよ...いい方向に」

 

 

 

 

 

 

 

 

              ・

 

 

 

 

 

 

 

 

―ベリッシモ296GT3 車内

 

 

 

 

神妙な面持ちでステアリングを握り、ピット作業が終わるのを待つハジメ。サイドミラーで給油ノズルが給油口に入れられている光景を眺めながらも心の整理をつけていく。

 

石神が命掛けで繋げてくれたバトン...その重みこそはあるものの、このシートに座ると改めて自分が孤独だということを思い知らされる。

快適装備を外した周囲には何もない...いや、外にも何もない。

 

石神には心の支えがあったからあそこまで出来たのだろう。

 

 

それに対して俺は....考えれば考えるほど惨めになった。

 

 

自分はどれだけ孤独で哀れで惨めな男なんだろうと。

 

 

 

 

そう思っている時に秋山から無線チェックが飛んできた。

 

 

 

 

 

「―無線チェック」

 

 

 

 

 

「良好です、そちらは聞こえますか?」

 

 

 

 

 

「―ああ、聞こえる。出る前にいくつか伝えることがある。

一つは今回、リアタイヤのみ変えること。もう一つはFCYが出てる、本線合流後は解除まで制限速度で走れ」

 

 

 

 

 

いつもの状況整理するような説明にほぼ無表情で聞いていたハジメ。

外からピットクルー達の給油が終わって「上げろッ!!」という声が響き、ジャッキアップされると共に秋山の方から「―それから...」と最後に一つ付け加えられた。

 

 

 

 

 

「―....お前の彼女が来てる。グラウンドスタンドの前の方の席だ」

 

 

 

 

最後の一言で思わず驚きの表情を浮かべるハジメ。

驚きのあまり、素早くタイヤ交換するピットクルーの動きがとてつもなくゆっくり動くような錯覚に見舞われる。

 

 

 

どうして、なんで....

 

 

今まで一回も観に来てくれてなかったのに。なんで今更。

 

 

 

今の時期ならエアコンに当たって家に居たほうが余程快適だろうが...

 

内心色々と考え込んでいると、彼女と最後に夜のデートに繰り出した日の言葉を思い出した。一緒に海ほたるの夜景を観たあの日の言葉だ。

 

 

 

 

 

"私...ずっとアナタのこと見てるよ。

例え、別れることになっても。何を言われても...アナタのことが好きだから"

 

 

 

 

その言葉が脳裏に浮かび上がると共にタイヤ交換が終わった。ストップバーが振り上げられたのを確認し、ピットからゆっくりと本線に合流。

 

FCYはまだ発動中、80km/hの速度域を守ってクルージングする中...シートも無いはずの助手席から声が聞こえてきた。

 

 

 

 

"ハジメくん"

 

 

 

 

繊細ながらも暖かみのある声を辿るようにふと目を向けるとそこには青みを帯びた黒髪の綺麗な女性がいた。彼女は視線に気付くようにクスッと小さく笑ったかと思えばそのまま微笑みを浮かべながらもこう告げてきた。

 

 

 

 

"ずっと見てるよ、頑張って"

 

 

 

 

 

その言葉と共にフェードアウトするように隣から姿を消した女性...しかし、その姿はハジメの心の内にしっかりと刻み込まれていた。

 

 

孤独なんじゃない。

 

自分のことを支えてくれる人がいる、傍にいてくれる人がいる。

 

 

 

 

前を向け、しっかりと踏み出せ...!

 

 

 

 

ステアリングにグッ...と力を入れながらも集中力を一気に引き上げていく。

 

 

 

 

 

「(あかね...よく見ておけ。これが俺の舞台だ)」

 

 

 

 

 

 

 

「―FCY解除!踏め踏め!!GOGOGO!!!」

 

 

 

 

 

秋山の無線と共にアクセルをグイッ!と一気に踏み込むハジメ。

 

富士スピードウェイのホームストレートで彼の思いに応えるように296GT3のエンジンサウンドが力強く響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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