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―アンタレス
夜空に君臨する赤き巨獣、サソリ座の心臓部に輝くアルファ星。明るさは太陽の1万倍以上、約550光年の彼方から届く炎の叫び。
その存在は古来より神話の炎に包まれ、数多の文明で畏敬と物語を紡いできた。
時にはギリシャ神話に、時には古代エジプト神話に....
様々な神話に登場し、古代の戦士たちが畏れ、詩人たちが賛美したこの星。
その言葉の意味は....
"火星に対抗する者"
―数分後 富士スピードウェイ
長い100周のレースも残るところ20周を切ろうとしていた。
そんな状況下で熾烈な雨の中で疾走する赤いGT-R...ドライバーの火原はいつも通りに走らせていたが、時折後ろから伝わってくる気迫にチラチラとサイドミラーを確認してその存在を目で追う...自分が巻き上げる水飛沫に紛れるようにしている白い跳ね馬、フェラーリ296GT3。
ジリジリと詰まり始めているその感覚に自分の勘違いかどうか確認しようと、無線越しに「菊正」とピットにいる監督に話しかけた。
「今の後続とのギャップは何秒だ?」
「―1.5秒です」
「...詰められている、何故報告しない?
それからピットインのタイムが知りたい、ウチのピットと奴らのピットの作業時間のギャップは?」
「―や、約2秒です。コチラの方が長く掛かりました」
この状況にチッと思わず舌打ちをする火原。しかし、それと共にあることを感じ取った。
相手のドライバーは個ではなく、チームごと束になって自分に襲い掛かろうとしていると。
「(おもしろい奴らだ...纏めて刀の錆にしてくれる)」
不敵な笑みを浮かべながらもグイッとアクセルを踏み込んで突き放そうと試みる。ブォワンッ!と野太い咆哮を響かせながらも疾走するその姿を後ろについていたハジメは睨むような目で見ていた。
「(難しい、今までで一番難易度が高い。針の穴を通すようなライン取りが要求される...!
でも、全員でここまでバトンを繋げてきた...それに報いたい。絶対に前に出る!!)」
前を走る巨影に向けて駆け抜けて行く白い跳ね馬。
濡れている地面を掴み、そして蹴る。
舞い上がる水飛沫、ブレーキダストやオイルによって汚れきった車体ですら美しさを感じさせるその姿。
ステアリングを握るドライバーの脳裏に浮かび上がるはチームメイトや支えてくれる人達の顔...そして、愛する人の笑顔。
勝ちたい。
これほど強くそれを思ったことはない。
ブォゥゥンッ!!と咆哮を上げる白い跳ね馬。
一方、その姿を見ていた実況席のサーシャはあることに気づいて隣にいる池田にこう疑問を投げ掛けた。
「―ここに来てベリッシモの周回タイムがMARSよりも若干速くなっています...!今まで逆に突き放すような形だったにも関わらず、これは何があったのでしょうか?」
「―考えられる要因はいくつかあります。
一番大きい要因は互いに新しいタイヤに変えたことでしょうが、私は別の要因も絡んでいると考えます。
一つは走行ライン、現状のようなウェットコンディションだと路面の水捌けの関係でレコードラインが微妙に変わってきたりします。そのベストなラインに近いラインをベリッシモが通していると思われます。
もう一つはペダルワーク、路面のμ(摩擦係数)が低いウェットコンディションではタイヤのグリップに頼り切るようなゴリ押しのペダル操作では乗り越えられません。より繊細なペダルワークが求められます...それが速さを競うとなれば更に求められるものは大きくなります」
一方、グラウンドスタンドから見ていた一行もジリジリと距離間を詰めているのに注目していた。全員の声援が強くなる。
「頑張れぇー!」
「いけぇー!いけぇぇー!!」
それに応えるように速くなっていた周回タイムを更に上げていく296GT3。いつの間にかその差は1秒以内に収まっている...流石の火原も少しずつ焦りのような何かが芽生え始めていた。しかし、迫ってくる後続の速さに対してよりも別のものに対しての焦りだ...
「(集中力が...切れ始めてる...!)」
より繊細なペダルワークとライン取りが求められる状況下でのドライビングにより、想定よりも自分の神経を擦り減らして集中力が切れ始めていたのだ。その上、予定よりもかなり早めての出走をしたため、体力的にも追い込まれ始めていた。
一方、ハジメの方も簡単に事を運んでいるわけではない。
彼は彼で後追いからの繊細な操作が求められる状況に苦しんでいる様子だ。
「(綱渡りしてる気分だ...!
ちょっとでも操作ミスったら離される...!)」
ここに来て少し迷いが出始めた...また開幕戦の岡山のときみたいに自爆しないだろうか?
その迷いはタイムにも出始める...少しずつ詰めていた距離が離れ始めたのだ。
迷ってる...
これまでの数々の失敗の恐怖から。
だが、そんな中で無線越しに「―五十嵐!!」と怒声のように呼び掛けてきた人物が。監督の秋山だ。
「―失敗した時のことなんて考えんな!
全力でやれ!ミスしても俺がケツを持ってやる!!
踏め!五十嵐!!お前にしか出来ねえ!!」
その力強い激励に心の底から勇気を貰ったハジメ。
「...ありがとうございます」とステアリングを握る手にグッと力を入れると再びコース路面を見据えるようにしていく。
再び綱渡りのようなドライビングに挑む...
矢のように振り注ぐ雨を押し退け、先へ...先へ...!
そして、遂に赤い巨影...MARSの赤いGT-Rを射程内に捉えた。
「(っ...そこまで来たか、だが。
そう簡単に抜かれるほどこの老いぼれも甘くない...!)」
後ろにつかれてからペースを無理矢理引き上げてきたGT-R。
自分を振り落とそうとするようなペースの上げ具合に驚くも、必死に食らいつく白い跳ね馬。
保て、この射程距離を...!
そして、そのタイミングが出るまで耐えろ...一瞬しかでないそのタイミングが来るまで!
「(仕掛けるポイントはあそこだ...あそこしかない。
早すぎても、遅すぎてもダメ。ほんの一瞬しかないあのタイミングで通す...!)」
迎えた最終コーナーを立ち上がって次の周回に入ろうとする2台。残り10周を切ったそのタイミングのホームストレートで296GT3が遂に動き始める。
先行するGT-Rを風除けに使い、スリップストリームで速度を乗せてから一気に左側に飛び出したのだ。
「―ベリッシモ、アウトサイドに飛び出したッ!!」
木霊するサーシャの実況、グラウンドスタンドから見ていたあかねも目の前で動いた白い跳ね馬を見て胸の前で合わせていた手にグッと力を入れた。
お願い、行って...!!
命を燃やすように駆け抜けて行く白い跳ね馬。
水飛沫で視界が制限される中、サイドミラー越しにそれを見た火原...Bellissimoの赤いデカールがギラリと光ったように見えた。
このクルマは生きている。
そう錯覚させるような感覚に見舞われていると並走してきた296GT3。スリップストリームの効果で車半分ほどアドバンテージが向こうに出来ている状態だ。
だが、ここで終わりではない。
本当の勝負は次の1コーナー手前のブレーキング勝負。
互いにそれを重々理解していた。
「(いくぞ、小僧...!)」
「(絶対に抜いてやる...!!)」
互いの背負っているものやプライドをぶつけ合うようにブレーキング。
雨が振り注ぐ状況下でキィィィ!!と鳴り響くブレーキスキール...
赤熱したローターは...まるで命そのもののように輝いていた。
そして、迎えた右コーナー。
全神経をペダルとステア操作に集中させるハジメ。
滑るか滑らないかの絶妙なライン...まるで足を痙攣させるようにタイヤのグリップが1番使えるそのラインでのペダル操作を行い、ヴァァッ!ヴァッ!ヴァヴァッ!!とエンジンの咆哮を響かせながらもコーナーをクリアしていく。
セオリー通りにインアウトと通した296GT3...
あの火原がコーナリングで明確な負けを見せた瞬間だった。
しかし、GT-Rはワンテンポ遅れたものの立ち上がりでインを取ってはそれを許さないと言わないばかりに次の右高速コーナーで最短距離を通し、再びサイドバイサイドの横並びの状態。
その際にカンッ!と互いの車体側面をぶつける接触が発生。
まさに削り合うような戦いに実況のサーシャも興奮しっぱなしの状態だ。
「―再びサイドバイサイドッ!あぁっと!?
軽い接触がありました!審議はありませんが、凄まじいレース光景だ!!」
「―火原選手もそれだけ本気になってるってことでしょう...
今、我々は...GT史に残るようなスゴいものを観ているのかもしれません」
・
―同時刻、レーシングチームカタギリ
アメリカから帰国してきた小柏は喫煙所でパイプ椅子に座りながらも横向きにしたスマホを眺めていた。彼が見ていたのは他でもない、自分の一番弟子が出走しているスーパーGTの生配信だ。
競り合う白い296GT3と赤いGT-Rの姿を見て思わずフッと不敵な笑みを浮かべた。
「レースっていうか、ガチでど突き合いだぜ。これは」
そんな中でコツコツと革靴特有の足音を鳴らして歩み寄ってくる足音が...その方向に目を向けると社長代行の皆川の姿が。
「面白そうなものを見てるな、小柏」
「ええ、実際面白いですよ。
他所のチームに移った弟子がどんな成長遂げてんのか見るのは」
そう答える彼に対し、パイプ椅子を並べて座る皆川。
タバコをくわえてライターで火を更かし、スゥー...とゆっくりと吐いていくと「なあ」と話し掛けた。
「お前は...どう思った?アイツがこのチームを抜けると聞いた時は」
「正直、複雑な心境でしたが...
成長するなら必須とも言えます。
口で教えることはもう充分すぎるほど身についてますからね、アイツ。あとは...実戦を積んでどれだけ高みに立てるか、それは俺らが教える云々ではどうにもならない話ですから」
そう答えてから再びスマホと向き合う小柏。白い296GT3に目を向けながらも心の中で激励の言葉を飛ばした。
「(老いぼれのジジイなんかに負けんじゃねえぞ、馬鹿弟子)」
・
―富士スピードウェイ
サイドバイサイドの状態で迎えた左の90度コーナー。
白い跳ね馬と巨影は再びブレーキング勝負に差し掛かる。
互いの命を削りに削れ合う中...ここで勝敗がついた。
外側にいたGT-Rのラインが外にズルズルと引っ張られるように膨らんだのだ...どうやら踏んでいた路面に対してオーバースピードだったようだ。
膨らみ始めてようやく自分がどれだけ周りが見えないほど抜こうと必死になっていたか気づく火原。
ブレーキだけではどうしようもないとサイドブレーキを上げるも、綺麗に収まる気配はない。
芝生や泥のようになりかけている砂を巻き上げるようにそのままコースアウトした巨影。リアタイヤを外壁にカンッ!とぶつけて停車すると共にグラウンドスタンドから「ワァァァ!!」と歓声が一気に上がった。
「―MARS、まさかのコースアウトォッ!!
ベリッシモ、トップに立ちましたー!!」
コースアウトしたGT-Rに対し、次のコーナーに飛び込む296GT3。
力強くも颯爽と駆け抜けて行く白い跳ね馬の姿...Bellissimoの赤いデカールが輝いてすら見える。停車した車内からその光景を見ていた火原。そんな彼の元に「―大丈夫ですか!?」と監督の菊正から心配するような無線が飛び込んできた。
しかし...
彼はガハハハ!!と今まで聞いたことがないほどの大声で笑い散らかした。
無線越しに疑問を抱く菊正だったが、深くは聞かない彼に対して火原は少しずつ落ち着いてくると彼にこう指示を出した。
「ぶつけた衝撃でリアの足回りをヤッたようだ、十何年ぶりだな。こんな無様なクラッシュを自分でやるのは...それほど熱くなってたってことだ。オフィシャルに回収要請してくれ」
一方、衝撃を受けていたのはMARS陣営だけではない。
他の陣営もだ...その中でも、ディープスター陣営の監督はモニターに映し出される白い跳ね馬。Bellissimoの赤いデカールを雨という状況下で輝かせながらも力強く走る姿を眺めてこう呟いた。
「...アンタレス」
近くにいたスタッフが疑問に思いながらもそちらを見ると監督はモニターに目を向けたまま腕を軽く組みながらもこう話した。
「火星に対抗する者って意味の星だ。
不墜の火星と言われた火原を墜としたアイツに相応しい名だろう」
そう言ってから間もなくして、残りの周回を終えてホームストレートに飛び込んできたベリッシモ296GT3。
そのタイムは2位を追随させない圧倒的なものだ。
周回を終えた白い跳ね馬に歓声を上げるのは一行だけでない、グラウンドスタンド全体が歓喜に満ちあふれていた。
もちろん、ベリッシモのピット陣営もだ。
ピット陣営では「よっしゃあああ!!」と全員が全員雄叫びをあげ、中には仲間同士で抱き合う者もいた。そんな中でレースを終えた296GT3がゆっくりと走ってある物の前に停まった。
"GT300 1st"の楯の前だ。
頂点に立った者のみが停車を許されるこの位置に遂に停める事が出来たのだ。
跳ね馬から降りたハジメを待っていたのはグラウンドスタンドからの歓声の嵐...今までのように自分を卑下するような声は一切聞こえない。
温かい、自分達が今一番の主役になっている。
そう染み染みと感じ取っていると後ろから誰かが歩み寄ってくる足音が聞こえてきた...石神だ。
「石神さん、身体の方は...?」
「大丈夫だ。それにしても...よくやったな、お前。
同じチームとして本当に誇りに思う」
そう会話を進めている中、インタビュワーが近づいてきた。
初めて受ける勝者インタビュー...まずは石神の方のインタビューから始まった。
「石神さん、デビュー後初の1位になりますが...今のお気持ちは?」
「ここまで連れて来てくれた仲間に感謝しかありません」
「非常にお身体がツラい中でのドライビングだったと思うのですが、その時の心境は...」
石神のインタビューを横目に優勝した余韻に浸るハジメ...しかし、そんな彼の方にも遂にインタビューが回ってきた。
「参戦表明時の会見で目標に掲げていた表彰台の一番上、その座に立てた感想をお願いします」
「開幕戦から非常に苦しい状況が続きましたが...
チームメンバーやファンの皆様方に支えられて、ようやくこの場に立てた事は本当に感謝しかありません。自分一人では絶対に立てなかったと思います、本当にありがとうございます」
まだ正直地に足がつかないような状況下で咄嗟に聞かれて即席で答えを作るハジメ。そんな彼にインタビュワーはこんなことを投げかけてきた。
「このレースを見ているかも知れない、恋人の黒川あかねさんに一言お願いします」
唐突の質問に顔を赤らめるハジメ。
こそばゆいような感覚に見舞われながらも人差し指で鼻の頭を軽く擦るようにすると少し間を空けてからこう答えた。
「あかね...取ったよ」
恥ずかしそうにしている素振りも相まってか、「ワァー!」と盛り上がるグラウンドスタンド。距離からかハジメの方からはあかねの姿が見えないものの、その言葉に応じるようにあかねは大きく手を振った。
それからしばらくすると、表彰式が開催。
彼らの優勝を祝福するように空から日が差し込み、夕焼け色に染まり始めたその下で一番高い位置に立つハジメと石神。
二人でトロフィーや記念品を受け取り、高らかに掲げてからハジメが内心楽しみにしていたある行事が行われる...
シャンパンファイトだ。
表彰台に立った選手全員がそれぞれのチームの隔てなどを関係なく、勝利の美酒を勢いよく掛け合う。
シャンパンの炭酸にまみれ、顔を真っ白にさせながらも達成感からか「フォー!!」と雄叫びを上げていると後ろから石神にシャンパンの炭酸で襲撃を受けた。
それをやり返すように残りのシャンパンをぶち撒けようとやり取りする様子をその場を見ていた全員が微笑ましく見守っていた。
・
―表彰式終了後
既に夕焼け色もピークを終え、あとは日が没むだけというような時間帯。
観客のほとんどが帰り支度し、一行も帰ろうとする中であかねは急に立ち止まってある物を見ていた。
ベリッシモ陣営のピットだ。
その様子に気づいた真奈美が色々と察するとクスッと小さく笑ってから彼女の背中を押した。
「行ってきなよ、会えるかどうかは分かんないけど」
そう背中を押すのは彼女だけではない、あかねの隣でずっと観戦していたゆきもだ。そっと肩に手を添えるようにしては耳元でこう囁いた。
「...今度は絶対に離さないでね?」
そう言われてから確認するように後ろを見るとアクアだけが目を背けているものの、他の全員は支えるように暖かい目を送っていた。その中でもMEMちょは意地悪染みた笑みを浮かべては彼女の背中を更に押してやるようにこう告げた。
「あかねー!早く行かないと帰りの車置いてっちゃうよー!」
その言葉に押されて力強く頷いて駆け出していく...
ピットに近付くと案の定、警備員に「ちょっと待って!」と止められた。もどかしい感覚になってる中、誰かが近づくや否や「その娘はウチの関係者だ、通してやれ」と一言。
そう告げたのはチーム監督の秋山だった。
「アイツなら奥にいる」
それだけ告げて立ち去っていく秋山...
あとは二人の時間だから邪魔するわけにはいかないと身を引いたのだろう。
彼に入れるまま駆け抜けるように中に入り、奥を目指すとちょうど更衣室に入ろうとする間際のハジメを発見。
ハァハァ...と息を切らすあかね。
キョトンとした表情で「え、えっと...」と固まっている彼をなりふり構わずその場で抱き締めた。
ギュッと力強くも暖かい感覚...シャンパンで濡れてた服に顔を埋めるようにする彼女を恐る恐る抱き返しつつもハジメはあることを問い掛けた。
「...酒臭くない?」
「クサくないよ、このニオイもキミの努力の結晶だから」
「...そっか」
「本音を言うとね...怖かったんだ。
また、キミが遠くに行くんじゃないかって。でも、戻って来てくれたんだね...」
誰もいない通路で抱き合う二人...
しばらくして少しだけ離れるとハジメは小さく微笑みながらもあかねに一言伝えた。
「...ただいま」
「おかえりなさい」
・
―1時間後 ベリッシモ側ピット
既に暗くなろうとしてる時間帯。
チーム側も機材やマシンを引き上げ、後は帰るだけという状態。
私服に着替えたハジメは帰りコーヒーでも買おうと近場にある自販機のところまで移動すると、後ろから「そこのお前」と急に話し掛けられた。振り向くと...そこには火原幸也の姿が。
「五十嵐ハジメで合ってるな?こうして会うのは初めてだな」
「....何か用でしょうか?」
「チームメンバーにも伝えてないことをお前の打ち明けようと思ってな、まあ...簡潔に纏めて話す。半分は老いぼれの戯言だと思って聞いてくれればいい」
そう言われて互いに近くにあったベンチに座ると火原が打ち明けてきた話の内容にハジメは思わず驚愕してしまった。
「い、引退....!?どうして!?」
「どうしてもこうしてもない、もう俺の役目は終わったからだ」
そう語りながらもその場で軽く腕を組み火原。すると、彼は色々なことの経緯を淡々とした口調で語り始めた。
「10年前、なんで俺が引退したか分かるか?
コイツなら後のモータースポーツ界を背負っていけると思うやつらと出会えたからだ。だが、そいつらの大半は今は現役から足を洗った。それからというもの衰退の一途を辿っていた国内のモータースポーツ事情は更に衰退...
メーカーがいくら頑張って良いものを生み出そうとしたところでそれを広める発火剤みたいな奴らがいない今の状況じゃ、腐るのも当然だよな」
「それを見るのが嫌で復帰したと?」
「そういうことだ。
お陰でどうだ、全盛期の頃よりもパフォーマンスが衰えてる俺ですら余裕で勝てるような雑魚ばかりだ。さっさとボコボコにしてGT500にステップアップしようと思ってる最中...お前が現れた。
復帰から3年経とうとしているが、そのどの時間よりも夢中になれるようなレースが出来た。
それと共に思ったんだ、コイツなら未来のモータースポーツを任せられるってな」
そう言いながらもベンチから立ち上がる火原。数歩歩いたところで立ち止まって振り返るとこんなことを告げた。
「俺が40年近く走ってきて...コイツは出来ると思わせるようなドライバーは片手で数えるほどしかいなかった。
お前の師匠、小柏カイもその一人だ。
だが、今日でもう一人増えた。
...光栄に思え、この老いぼれを唸らせたのだからな」
そう言って帰路を歩くように歩を進める火原。
老いを感じさせないような真っすぐとした姿勢で歩く彼は最後にこう言い残してきた。
「あとは頼んだぞ、若僧。
ここからは先は...お前たちの時代だ」