―翌朝 とある駅
サングラスに野球帽と軽く変装しつつも大きめのバックを手に珍しく電車でこの場所まで移動してきたハジメ。
電車から降りてロータリー近辺でキョロキョロと辺りを見回すと白いホンダ・フィットを発見...そのままスムーズに助手席にスッと乗り込むと運転席から「おはようございます」という声が響いてきた...声の主は吉住だ。
「ああ、おはよう。よろしくな」
挨拶を返しながらもバックを後部座席に置き、シートベルトを締めたところでゆっくりと走り始めるフィット。しばらく外の流れる景色を眺めていたハジメだったが、信号待ちで丁寧に止まったところでチラリと運転する吉住に目を向けて質問を投げ掛けた。
「今日のスケジュールは?」
「えっと、10時から出版社でマッハスポーツ編集部との打ち合わせ。14時からFMラジオの生放送にゲスト出演、19時からはもみじテレビでの収録が2本あります」
「その時間から収録2本かー...キツいな」
「まあ、希望されていたまとまった休暇が取れるようにスケジュールを組んだのでキツいと思います」
「そっか...明日のスケジュールはちゃんとベリッシモでのトレーニングは入ってる?」
「もちろんです、18時にベリッシモを引き上げて21時に深掘れの復帰収録に1本出る予定です」
淡々とした口調でスケジュールを読み上げる吉住に対して無意識にも表情を歪ませるハジメ...
オフシーズンでこの忙しさならシーズン入ったら死ぬんじゃないか?
内心そう思うも、そんな彼にも頑張れる糧のようなものがあった。会話の中にあったまとまった休みのことだ...
三連休の束の間休み、この間にあかねとお泊りで旅行に行こうと考えていたのだ。
彼女と旅行に行くこの日のために...そして、新しく迎え入れたマネージャー吉住の生活のためにも頑張らないと。
色々と頭の中で考えながらも再び走り始めたフィットの車内から外の景色を眺めているとふと吉住の方から「そう言えば...!」と話を振ってきた。
「五十嵐さんが深掘れ!に紹介したレイヤーの娘、いるじゃないですか?」
レイヤーの娘...多分、真奈美のことだろう。そう思いながらも「あぁ」と返していると彼の口から思ってもいなかった一言が放たれた。
「あの娘、先日の放送以来めちゃくちゃバズってますよね!」
バズってる....
予想もしてなかった言葉に思わず「はぁ?」と返してしまいながらも半信半疑でSNSの検索で"#深掘れ"で検索...
確かにレイヤー界隈を中心にあちこちで騒がれているようだ。しかも、トレンドランキングにもしっかりランクインしている。
....なんだこれ?
思わず目をパチクリとさせているハジメに対し、吉住は運転しながらも続けるようにこう語り始めた。
「そこまで話題になると次の深掘れ大賞に出そうですね」
「深掘れ大賞?」
「知りませんか?番組放送何回記念とかで毎度やる企画ですよ、過去の放送で視聴者が気になった人達のその後を番組が深掘りしていくって企画です。
確か、前回の大賞受賞者は田舎の電車で毎回同じ席に座って鼻歌混じりにタップダンス披露してるおじいちゃんでしたね」
「ナニソレ、気になるんだけど...」
そうこうしてる間にETCゲートを潜り抜けるフィット。そのまま本日1件目の仕事になっている出版社に向けて走り続けた。
・
―同時刻 イチゴプロ事務所
PCと向き合って仕事をしていたものの、山積みになった書類と空になったブラックコーヒーの空き缶に埋もれそうになりながらも身体をゆっくりと起こす斎藤ミヤコ。目の下にクマをためながらも「ハァ...」と深く溜息を吐きつつも再びPCとしっかりと向き合おうとするも、ドッと背中から首に伸し掛かるような疲労感からか中々進まない。
そんな中でガチャッとドアを開けて部屋へと誰かが入ってくる音が聞こえてきた...アクアだ。
「...キツそうですね」
「ええ、正直キツいわよ。
アナタの仕事の管理や売れっ子街道を歩み始めたB小町のスケジュール管理...ましてや元々やっていたネット配信事務所の仕事もある。
正直な話、もう一人雇いたいぐらいよ...」
「前に新規で雇ったバイトの子は?」
「ああ、あの大学生の子のこと?
あの子、すぐに辞めたわよ...思ってたのと違うってね。
もう少し業界知ってる物分かりのいい子が来てくれれば良いのだけれど...それこそ元ADとかの子。
まあ、そう都合よく転がり込んでくるとは思えないけど...」
そう呟きながらも疲労感で重たい身体に心の中で鞭を打ち、ゆっくりとタイピングする姿を静かに見ていると彼女はふとこんなことを呟いた。
「ルビー達には申し訳ないけれど、これ以上仕事が増えたら私も捌き切れないわ...ウチの今の体制だとこれが限界よ。
そうなってくると量より一つ一つの仕事の質で勝負になるわね」
「でも、質のいい仕事が転がり込んでくるには量をこなして顔を売る必要もある」
「そう、そうなのよ...はぁー、ホント難しい話ね」
大きく溜息をつきながらもマウスを手にカチカチとクリック操作していくミヤコ。そんな彼女の姿を見ていたのはアクア...しかし、そのやり取りを耳にしていたのは彼だけではない。ドア1枚越しにルビーも耳にしていた。
自分の母親や慕っていた先生を殺した奴に復讐するには、一刻も早く自分が頂点に上り詰める必要がある。
その為にはもっと質の高い仕事を多くこなし、有名になる必要がある。
事務方の人数が少ない?
それなら、それを補えるだけの人材が居ればいい話。
そう考えたルビーの脳裏に浮かび上がるのはある人物の姿....元ADの吉住だ。ADの経験上、業界のことはよく知ってる上に彼がテキパキ動くタイプなのは深掘れ!の収録時からよく知っていた。
しかし、彼は予期せぬことに五十嵐ハジメという男に取られてしまった...
他の人材...探そうと思えば見つかるかもしれないが、今の自分にとってはそんなことしている時間が無駄と言っても過言ではない。
そんな彼女が思い付いたこと...それは吉住を横取りすることだった。
・
―10時 出版社 会議室
マッハスポーツとの打ち合わせに赴いたハジメと吉住。
吉住は初の来訪ということもあり、出版社側の編集長と彼の部下であるライターと名刺交換を済ませる。そこから互いの陣営に分かれて向き合うような形でミーティングスタート。
吉住がメモ帳を開いて議事録に徹する中、ハジメは編集長に軽いジャブ程度の話を持ち掛けた。
「先日もお呼び頂き、ありがとうございました。
いかがでしたか?読者からの反応は」
「いやー、なかなかいい感じだよ。
でも、ちょっと申し訳なかったなぁ...GT300のチャンピオンドライバーにスタッドレスタイヤの比較テストなんて刺激がない企画を振るだなんて」
「いえいえ、そんなことはありません。
なかなかやらないタイプの企画でしたので、逆に新鮮味があっていい勉強になりました」
そうやり取りする中で編集長の目は吉住に向けられる...
彼から「それにしてもだ」と話を切り替えるように告げられるとそのまま続けるようにしてこう語られた。
「キミに専属のマネージャーが出来るとはね...5、6年前のキミからは想像つかなかったなぁ。ジリ貧すぎてウチにご飯強請りに行った時もあったキミがね...」
「そんな時期もありましたね....」
「全く、本当に大きくなったなぁ...スター街道まっしぐらって感じで、僕は本当に...うぐっ....」
急に泣き始めて持ってきたハンカチで目元を拭く編集長。
あまりにも急なことにビクッと吉住が驚くも、それを見ていたハジメやライターは苦笑いの表情。
見慣れているのだろうか...?
内心そう思っている中、涙が収まった編集長が最後に鼻をズッとすすった所で「さて...」と本題に入っていった。
「次は筑波でやる企画に出てもらおうと思ってる、時期としては3月の半ば頃だからスーパーGTのプレ走行や1戦目には被らないはずだよ」
「わかりました、日程まで配慮して頂きありがとうございます。それで、その企画というのは...?」
「新型RZ34vs旧型Z34の対決企画。
最初はノーマル同士で競わせてから次にチューンドしたZ34と競わせて結果がどうなるかを検証する」
「チューンドZ34の仕様は?」
「吸排気はもちろんのこと、フューエルポンプインジェクターを大容量化し、スーパーチャージャー搭載...
フルコン制御で冷却系もバッチリやってる」
「かなり手間かかってますね...」
「ああ。でも、これだけやっても実は今回の比較対象である新型のRZ1台買うより安上がりで済むんだ。
中古になっても高騰していくR35型GT-Rとは違って、旧型Z34はモノによってはベースの車体が100万前後で買えるからね。排気量の関係上、税金が高いっていうデメリットはあるけどかなりオススメ出来る1台だと個人的には思ってる。なんせ、ベースのスペックでも発売当初はポルシェ・ケイマンと比較されていたぐらいだったしね」
次から次に飛び込んでくる専門用語に焦りながらも必死にメモ帳に議事録を書き込んでいく吉住。
これってなんですか?と聞けるような状況もなく、とにかくひたすらザザッとペンを動かして書き込んでいく。
そんなこんなで次の企画の詰めも終わり、ようやく終わったと一息つくようにふぅ...と小さく息を吐く吉住。
だが、そんな気の緩みに追い打ちをかけるように編集長から「そう言えば」と付け足すように話が付け加えられた。
「まだ表に出来ない話だけど...ウチが主催してる今年のチューンドフェスタ、キミを進行役の一人に任せようと思うんだ。どうだい?」
「い、いいんですか!?そんな大役任せて頂いても...!」
チューンドフェスタ...また別の話題が上がってきたことに戸惑いを隠せない吉住。そんな話題が上がるなんて聞いてないと言わないばかりに顔を青ざめさせつつも小声で「い、五十嵐さん...!」と呼んでから耳打ちするように問い掛けた。
「ちゅ、チューンドフェスタってなんですか...!?」
「ああ、マッハスポーツ主催で毎年やってる改造車イベントだよ。サーキットの駐車場貸し切ってやるやつで、同時進行で走行会も開かれるんだ」
そう説明されてもピンと来ない様子の吉住。
しばらく軽くそこから話を軽く詰めてミーティング終了。
外に出て二人で再びフィットに乗り込むも吉住はずっと不安げな顔をしていた。
「...どうした?」
「いや...正直分からないこと一杯あって」
「...そっか。メモ取ってるだろ?ちょっと見せてくれ」
運転の合間にスッと差し出されたメモ帳をパッと手に取ってざっくり読み始めたハジメ。そんな彼に対し、吉住は運転に集中しながらもあることを問い掛けた。
「にしても、今の五十嵐さんにとってはマッハスポーツの仕事って正直そこまでお金にならないですよね。
収録以外の打ち合わせ時間のことも考慮すると減らしてもいい気がしますが...」
吉住の言葉にメモ帳のページを捲る動きピタッと止めるハジメ。すると、溜息をつきそうな表情でパンッとメモ帳を閉じながらも「お前さ...」と切り出してはこう語り始めた。
「...編集長の話、聞かなかったのか?」
「編集長の話って...」
「俺の下積み時代の話。
あれ、大袈裟じゃなくてマジな話だよ...あの時、マジで食うものとか家賃に困るぐらいの生活しててさ。電気とかガスも止められたかけたこと何度もあったな...本業だけじゃ苦しくて、掛け持ちでバイトとかもしてた。そんな苦しい中でもあの編集長は俺に仕事を振ってくれたし、食い物に困ってたら飯奢ってくれたりしてくれた。
俺は今、仕事の大小関係なしにあの時の恩返しがしたいんだ。恩を忘れた人間はいつか足元を掬われると思ってるから」
そう語りながらも再びメモ帳をパッと広げるハジメ。
その考えから現状からの向上心がないんじゃないか?と思考が働いてしまう吉住。上を目指すには牙がない、気を遣って優しすぎると捉えたのだ。
そのままETCゲートを抜けて次の目的地であるラジオ局に向けてフィットを走らせ続けながらも、然りげ無くこんな質問を投げ掛けた。
「五十嵐さんは...チャンピオンになったという現状に満足されてる感じですか?」
吉住の質問を聞くと「いや」と即答するハジメ。静かにメモ帳を閉じるとそのまま外の流れる景色に目を向けてこう答えた。
「満足してない。満足したのはチャンピオンになったあの日だけ...翌日には違う目標が出来た」
「....というと?」
「一つ事を成し遂げたら、また次に次にと欲が出るのが人間だ。今の俺の目標はGT300で三連覇達成すること。三連覇はヴィブルスやMARSでも成し遂げれなかった快挙なんだ」
「も、もしその三連覇が実現出来たら...?」
「その次は上のクラスのGT500でチャンピオンかな。チャンピオンになったらなったで4連覇目指すかもな...あの高橋啓介ですら成し遂げられなかった大記録だし。
もちろん、もっと上の事を目指せるならどんどん目指したい」
ハジメの口調が先程まで大人びていたのにどこか崩れ始めたように感じる吉住...運転しながらもふと彼の方に目をチラッと向けるとその目は無垢な少年のように輝いていた。
成人をとっくに過ぎている男が熱く夢を語るその姿...ブレのないその真っすぐとした眼差しに引き込まれそうになりながらもこんなことを問い掛けた。
「五十嵐さん...アナタが思う自分が本当に満足すると思うラインってどこですか?」
吉住の言葉に考え込むように間を空けるハジメ...
しばらくしてから「そうだな...」と考えを振り絞りに絞って出てきた答えを彼は包み隠さずに語った。
「....歴史や人々の記憶に名を刻むドライバー。それが俺の夢」
・
―翌日、ベリッシモモーターワークス前
ハジメの送迎を終えて自分は一旦自宅に戻ってスポンサー管理等のテレワークをしようと考える吉住。閑静な住宅街で誰もいない中、フィットを停めている駐車場まで歩いて移動しようとすると後ろから「あれれー?」という聞き覚えのある女性の声が聞こえてきた。
振り向くと...そこにはAD時代の時に相手していた星野ルビーの姿が。「吉住さーん!」と手を後ろに回しながらも歩み寄ってくる彼女に吉住もキョトンとしていた。
「る、ルビーさん...?」
「すぐそこでロケやるって話で下見に来たんですよー!
それにしてもー、奇遇ですねー!
こんな所で会うだなんて...!」
....息を吐くように嘘を続けるルビー。
全て吉住という優秀なマネージャーを手に入れるための計画だ。
そして、彼女の計画はただ単に会って終わりというわけではない。ここから彼女の計画は本格的に進行していく...
スキップ気味で歩み寄ったかと思えば近い距離感で低い位置から顔を覗き込むような仕草を見せてきた。思わずドキッとする吉住だったが、そんな彼に対して計画の一部を進め始めた。
「吉住さーん、転職されたんですよね?
五十嵐さんのところのマネージャーやってるって聞きましたが...どうですかー?」
「う、うん....正直難しい単語とか一杯あってよく分からないところとか...」
「あー、ですよねー...難しそうだもんなぁ、車って。
芸能人のマネージャーさんなら今の吉住さんなら大活躍するのに、勿体ないなぁ。
どうして五十嵐さんのマネージャーさんになったんですか?」
一見、無邪気ながらも嘘で塗り固められた笑顔に心の奥を突かれるようにされ、同様の色を隠しきれない吉住。
本当にその通りの話だ...ADという前職の肩書き上、芸能人のマネージャーの方がずっと合っている仕事だ。
業界の裏事情なんかもよく知ってるし、それを活かすことも出来る...だが、転職したてで直ぐに辞めるのも申し訳ない。
そう色々と考えている様子から上手く行っていると察するルビー...心理的な追い込みはここまでにしようと切り上げることにすると満面の笑みを浮かべながらもタダでさえ近い距離感を更に一歩近づけた。
「がんばってくださいね?吉住さん」
「え、あ...あぁ...はい」
慣れない距離感にドキドキしながらも受け答えする吉住。そんな彼を見てチャンスと悟ったルビーは「あれー?」と惚けたように声を出すと共に更に距離感を縮めた。
「吉住さん、髪にゴミ付いちゃってますよー?」
「え、あ...あれ?ホントに?」
「ホントです!ホントホント!!
動かないでくださいねー、今から取りますからー」
そう言って吉住が断りを入れる隙も与えずにゴミを取りに掛かるルビー...しかし、空いている片手は別の方へと伸びていた。彼のズボンのポケットだ...ポケットからスケジュールや打ち合わせの内容が書かれたメモ帳をこっそり盗み取ったのだ。そのまま自分の服の中に隠し入れるようにしてからゴミを取ったという設定で「よしっ」と離れた。
「無事に取れましたー!マネージャーのお仕事、頑張ってくださーい!」
「う、うん...ありがとう。じゃあ...」
メモが盗み取られたことに気付かず、そのまま駐車場まで移動してフィットに乗り込んでいく吉住。車が走り去ったのを確認すると共にルビーは盗み取ったメモ帳を確認。中身をペラペラと見てからパタンッと閉じた。
「(これでよしっと、メモ帳無くしたなんてなったらあの男も流石に怒るでしょ。怒られてナイーブになって落ち込んでる所で誘い掛ければいけるはず...)」
そのままサッとフィットが去った方向とは別方向に歩き始めるルビー。静かに風が吹いて髪を靡かせながらも改めてその決意を強く固めた。
「(私は...こんな所で立ち止まるわけにはいかない。
ママや先生を殺した奴を見つけるため、業界でトップに立たなきゃいけない。
その為にはどんな事だってする...例えそれが汚いと思われるような事でも)」