―翌日 TKマッハコーポレーション本社
案内役に先導されながらも秘書を引き連れて廊下を颯爽と歩く井手...向かった先は社長室。案内役がコンコンとノックすると中から「―入れ」の声が聞こえてくる...それと共に案内役の「失礼します」という挨拶と共に中に入る三人。
社長室の玉座に座るのは40代後半ほどと思われる見た目の金髪の男...窓に身体を向けて背中をコチラに向けていたが、少し間を空けるようにして椅子から立ち上がるとその場で振り向いた。
彼の名前は高橋啓介。
フォーミュラジャパンでチャンピオン、GT選手権では3度のチャンピオンを獲得したレジェンド的存在。現在は引退したものの、自動車のアフターパーツ販売や不動産業などを手がける商社・TKマッハコーポレーションを立ち上げ、同社の代表取締役社長を勤めている。しかし、その名声からか今だにモータースポーツ業界に強い影響力がある人物として知られている。
「そっちからわざわざ話振って出向いてくるなんて珍しいじゃねえか...なんの用だ?
悪いが、次の会議も控えてる...電話で伝えた通り1時間以内で終わらせろよ」
啓介の言葉に反応するように不敵な笑みを浮かべながらも秘書に「例のものを」と指示を出す井手。
「畏まりました」と返答した秘書はある書類を手にして井手に渡すと、彼はそのままテーブルに軽く投げるように啓介に書類を渡した。
その書類は....五十嵐ハジメの資料だ。
「なんだ、これ?」
「ご覧の通り、ウチに所属しているドライバーの資料です。彼のことはご存知ですよね?」
「...知らねえよ、こんなヤツ」
「嘘をおっしゃい、去年の雨降りのオートポリスでの一戦を忘れたのですか?ウチのGT300車両にボコボコに煽られたGT500車両はどちらのチームのものでしたかねぇ...?しかも、聞いた話だと乗っていたのはどこかの誰かさんが手塩にかけて育てたドライバーの一人って話じゃありませんか」
ンフッと笑みを深くさせながらもどこか煽るような井手の言葉に思わず眉間にシワを寄せる啓介。「喧嘩売りにきたのか?」包み隠さずに問いかけると「いえいえ」とニンマリと笑顔を見せて続けて話した。
「私は何もアナタと喧嘩するつもりはありませんよ、SF(スーパーフォーミュラ)の成績ではウチの方が上ですし。そんな下のチームに喧嘩を売るだなんて...」
「去年は俺らが勝ってる、優勝したの忘れたのか?」
「去年の話じゃありませんか、今の話をされてはいかがですか?」
無意識のウチにも互いにああだこうだと口論を繰り広げそうになる二人。しかし、ほぼ同じタイミングで本来の話から脱線したと思えば、直ぐに互いに身を一歩引いて冷静な口調で話し始めた。
「...で、コイツがどうかしたのか?」
「彼にアナタの"夢"を授けてはいかがでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味です。
10年ほど前、酒の席でアナタが語っていた夢を彼に授けてみようという話です」
井手の言葉に思わずため息をつきそうな表情を浮かべる啓介。そのまま両手をポケットに突っ込んで井手に背中を向けるように外の景色を見ては少し間を空けるようにしてこう答えた。
「...酔った勢いで言った話だ、そんなの覚えてねえ」
「おや?あの天下の高橋啓介ともあろう御方が...
本当に覚えてらっしゃらないのであれば、一字一句忘れていない私がここで大声でお話しましょうか?」
その言葉に思わず言葉を詰まらせて黙り込む啓介。そんな彼に対し、井手は優雅な笑みを浮かべてからこう提案してきた。
「もし、まだその夢を諦めていないようでしたら...彼を差し上げます。実力としては十分かと思いますが、いかがでしょうか?」
「...どうしてだ、お前ん所の看板の一人だろ?」
「ええ、そうです。ですが、元々こうする為に彼をチームに引き入れた部分もあります」
「どうしてそこまでする?」
「簡単な話です、アナタが語る夢に感銘を受けたから。それだけのことです」
真っすぐとした目で伝えてくる井手に対し、再び彼の方を見る啓介。そのままテーブルの上に置かれた資料を凝視するように見て考え込むように顎に手を当てて間を空けると、こう答えてきた。
「...少し時間をくれ。晩飯決めるのとはワケが違う」
「もちろんです、その辺りは重々理解しております...ゆっくりお考え下さい」
そう告げてから話を終えたと思い、背中を向ける井手。秘書に小声で「行きますよ」と告げて颯爽と去ろうと扉の方へ向かうと最後にこう言い残した。
「掴むも捨てるも腐らせるも...アナタ次第ですよ、ミスター高橋。では、また」
そう言って秘書を引き連れて部屋を後にする井手。ガチャッとドアが閉まった音とともにテーブルの上に置かれた資料を手に取って眺めるように見る啓介。
そのままふぅ...と小さく息をつけば、再び玉座に腰を掛けては足を組んで大まかに読み始めた。
静寂が包む中でペラッ、ペラッ...とページを捲る音だけが鳴り響く。そんな中、ピロピロ!と社長室の内線が鳴り響いてきた...一旦資料をテーブルに置き、ガチャッと手に取る。相手は社内で外報部長を勤める上有史浩だ。
「―啓介、自治体との協議についての件だが...」
「悪い、史浩...今はそれどころじゃねえ」
そう言ったタイミングで差し出された資料に大まかながらも全て目を通した啓介。パンッとページを元に戻すと共に資料を引き出しに入れると史浩が落ち着いた声で指摘してきた。
「―それどころじゃないって...かなり重要な話だぞ」
「ああ、分かってる...それも重々承知しての返答だ。
だけど、今...ちょっと別件で頭の中がかなり混乱してる。いつぶりだろうな、こんなこんがらがるのは」
フッ...と若干自嘲染みたような笑みを一瞬浮かべる啓介。
それから少し間を空けて真剣な表情に戻ると「なあ、史浩」と名前を呼んでからこう単刀直入に頼んだ。
「頼みたいことが2つある、2つとも自治体の件とは全く関係ないが」
「―珍しいな、なんだ?言ってくれ」
「ある男について調べて欲しい。
ベリッシモモーターワークス所属、五十嵐ハジメだ。どんな些細な情報でもいい」
「―五十嵐ハジメ...去年のGT300のチャンピオンだろ?何のため...?」
「あまり深いこと聞くな、個人的なことだ」
若干ストレスを感じたのか、頭をかきながらも答える啓介。そんな彼に対して疑問は残るものの、特に深くは聞かずに「―そうか、わかった」と了承した史浩。そのままもう一つについて問いかけた。
「―頼みは2つだよな?もう一つは?」
史浩の言葉を聞きながら目を瞑り、腕を軽く組む啓介...決意するように目をゆっくりと開けるとこう答えた。
「うちのレーシング部門のスクール、ドリームエンジェルス...その特別講師に五十嵐ハジメを呼ぶように手配してくれ」
「―え、どうしてまた...?」
「深いことは聞くな。いいから、進めてくれ。今すぐだ」
その催促に「―わ、分かった」と答えて通話を切る史浩。
ツー、ツー...と切断音が鳴り響く中で啓介は受話器をガシャッと元に戻すと小さく息をついた。
「(いくら井手のオッサンが太鼓判を押したとは言え、実際に実力を試さねえと分からねえ部分もある。それに値する野郎かどうか、まずはじっくりと間近で見定めてやらねえと)」
そう強い思いを抱きながらも引き出しから不動産部門関連のファイルを手にし、部屋から出ていく啓介。そのまま次の会議へと向かって歩く彼の後ろ姿は新たな決意を抱いて一歩一歩を強く踏み締めているようにも見えた。
・
―夜
ベリッシモでの練習を終え、テレビの収録の為に移動しようと吉住の車に乗り込むハジメ。助手席でスマホを手に、メッセージアプリでやり取り...相手はあかねだ。昨日の夜から今朝に掛けて、仕事の関係上でお互いにそれほど会えなかった反動からかメッセージのやり取りがかなり積極的に繰り広げられていた。
『撮影順調?』
『―順調だよ。今、移動してるところ』
『そっか、俺も移動中』
『―奇遇だね。そういえば、昨日かなちゃんと会ったよ』
『元気してた?』
『―うん。でも、ちょっと無理してるようにも見えないこともなかったかな』
『そっか。なんか手助け出来たらいいけど...』
そうやり取りしているうちに駐車場へと入っていく車...予定の収録を行うテレビ局に着いたようだ。窓越しに外の光景を見てそれを察すると直ぐにメッセージを打ち込んだ。
『ゴメン、そろそろ着く』
『―わかった。晩ごはんはどうする?』
『あかねの手料理が食べたいけど、今日も帰り遅くなりそう...』
『―それなら作ったのラップして冷蔵庫の中に置いておくね。帰ったらチンして食べてね』
『ありがとう。じゃあ、また』
やり取りを切り上げてスマホをポケットにしまうと共に車駐車されたのを確認。「ありがと」と吉住に告げ、シートベルトを外して車から降りると、吉住もエンジンを切ってそれに続くように降車。関係者用の出入り口から入り口でパスを見せて中に入ると、吉住のスマホがメッセージをキャッチ。思わず立ち止まる吉住に対し、ハジメも足を止めると振り向くようにして問いかけた。
「どうした?」
「いや、ちょっと気になるようなの受信したみたいなので...先行ってて下さい。後で行くので」
吉住の言葉に首を傾げそうになりながらも「わかった」と答えて背中を見せて歩き始めるハジメ。そんな彼に対し、吉住はスマホをピッピッと操作してメッセージの中身を確認...その内容は仕事の依頼に関することだ。
しかし、内容ではない部分に思わず驚きの表情を見せてしまう...驚くことに差し出し人はTKマッハコーポレーションのレーシング部門担当からだ。
まさかの内容に思わず目をパチクリと何度も大きくわかりやすいような瞬きをさせては「い、五十嵐さん!!」と先に行こうとするハジメを呼び止めた。
「TKマッハのレーシング部門からスクールの特別講師をして欲しいとオファーが来てます!自分がいない間に接触などは...!?」
「え?特にしてないが...」
「そんな...どうして急に?
確かTKマッハと言えば別のレーシングクラスではベリッシモとバチバチのライバルでしたよね?」
「あぁ、特にSF(スーパーフォーミュラ)だとかなりやり合ってる...ちょっと内容見せてくれ」
ハジメに言われて内容を見せる吉住...スマホの画面をまじまじと見ると本物っぽい。更に指定されたスクールはドリームエンジェルス、真奈美が所属してるスクールだ。
「どうしましょうか?」
「流石に俺だけでは判断出来ない内容だな...少し返事待ってもらうように返してくれ。明日、俺の方から井手さんに確認とる」
「分かりました」
そのまま収録を行うためにエレベーターに乗り込んでいく入2人。5月も折り返しを過ぎようとしている中、新しい風が吹こうとしていた。
・
―同時刻 群馬県 渋川市
ドリームエンジェルス駐車場
本日のスクールを終えた真奈美はため息をつきそうな表情を浮かべながらもトボトボ...と自分86の方に向けて歩いていた。手にはスクールの現時点での成績表が...5人中ダントツで最下位。こうなることは察しがついていたが、明確な差に落ち込まずには居られないような状況だ。
車に乗り込んでシートベルトをするも直ぐには動かさない...ルームライトをつけて手にしていた成績表を再度確認。何度見ても最下位であることは変わらない...思わず「ハァ...」とため息をついてしまった。
「(私にはまだまだ遠い夢だったのかな...)」
ため息をつきながらそう思い込んでしまう真奈美。
ドリームエンジェルスは卒業資格とは別に卒業時の成績順位で優秀なチームに斡旋されやすくなる。前回のトップ卒業生は斡旋先に国内チームだけでなく、モータースポーツの本場とも言えるヨーロッパ圏のチームからのオファーもあったとのこと。今はそこでリザーブ兼テストドライバーとして活躍している。数年後にメインドライバーになるような道筋が立てられていると言っても過言ではない立ち位置だ。
それに対し、最下位で卒業した生徒の斡旋先はちゃんとした話を聞かない。が、噂程度であれば知識を活かしてメカニックなどの裏方業務に回ったという話はよく聞く。
それならまだいい方...実力差を感じてモータースポーツから足を洗ったOGの話も時折耳にする。
噂程度だが、現実味がある。
TKマッハを中心に関連企業が事業の復興とも言える投資と活動を行なっているが、国内のモータースポーツ情勢は動く気配どころか衰退状態のまま。いくら火を投げ込んでも着火剤がないとつかない現状は厳しいとも言える...こんな世の中じゃ座れるシートも少ないだろうし、妥当と言えるかもしれない。
このままでは本当に淘汰されかねない。
せっかく掴みかけているものを手放すわけにはいかない...
なんとかしないとという危機感で頭の中が一杯になっている中、車内にピロピロ!という着信音が鳴り響いてきた。
スマホを手にして「はい?」と応じる...相手はケンゴだった。
「―もしもし?」
「なーんだ、ケンちゃんか...」
「―なんだって...どうした、声のトーンからして落ち込んでるように聞こえるが?」
そんな態度で受け答えしたつもりは無かったが、無意識にも出ていたと思わずハハハ...と苦笑いする真奈美。
包み隠すこともなく「そうだよ」と答えて返せばそこから話題を逸らそうとするも、意外にもケンゴにそれを阻止された。
「―珍しいな...お前もそうなる時あるんだ」
「わ、私だって人間だから...無敵じゃないんだよ?」
恐る恐ると言った様子の答え方に対し「―そうか、逆に安心した」と答えてくるケンゴ。
真奈美が訳わからずに「はぁ?」と言っていると彼は続けて答えた。
「―俺、溜め込んで溜め込んで潰れたって奴結構見てきたから。俺でよければ...話ぐらい聞くけど」
ケンゴに言われて話そうか悩むも、彼の優しさに甘えるように話し始める真奈美。
周囲のレベルが高いこと、成績が最下位であること、将来が不安になってきたこと...
全て話して気持ちが若干軽くなったような感覚に見舞われるも、まだ完全に晴れたわけではない。そこから確認するようにこう問いかけた。
「私、本当にこれでよかったのかな?」
不安げな真奈美に対し、電話越しに間を空けるケンゴ...すると、彼はこう確認するように問いかけた。
「―引っ越しの手伝いしてた時、覚えてる?」
「え...?」
「―借り物の軽トラに粗大ゴミ載せてた時、車内で話してた時のお前の目...なんか覚悟がキマってる感じでスゴい好きだった」
「そっか...でも、今の私とは別人だよ。その私は」
自嘲染みた笑みを浮かべながらも答える真奈美に対し、「―そんなわけない」と断言するケンゴ。そのままその理由について語り続ける。
「―お前であることには変わりない。ずっと強い人間なんていないから...たまには弱くなってもいい」
そう言いながらもスマホで何かを送信してきたケンゴ。真奈美が内容を確認...電子マネーだ。3000円は入ってる。
受け取り確認画面の承諾と取り下げボタンの前で指を震わせると再びスマホを耳元に近づけた。
「え、ちょっと...!?こんなの頼んでないよ!?」
「―なら、間違えて送ったってことにしてくれればいい。
それでお前も間違えて受け取って、そのまま何かの手違いでプチ贅沢に美味しいものでも食べて...明日の朝には元の強い斎藤真奈美に戻ってくれればいい。
俺の方は間違えて送ったことを忘れてそのまま過ごすことにするから...あ、間違えてもガソリン代とかに使うなよ?」
ケンゴの優しさに自然とクスッと笑みを溢す真奈美。
少し間を空けて「...ありがと」と答えて承諾ボタンを押しては軽くなった気持ちからこうつい口走った。
「さーて、このお金"大きく"しますかー」
「―お、大きくって...?」
「パチンコの軍資金にしまーす」
「―ちょ、ちょっと待て...!?」
「ジョーダンだよ、ジョーダン。
そもそも私、ギャンブルやったことないし。ケンちゃんの言った通りに美味しいものでも食べてくるよ。ありがとね」
「―...どういたしまして。おやすみ」
「おやすみなさい」
通話を終えてスマホをポケットにしまうと共に86のエンジンスタートボタンをプッシュ。ブォゥンッ!と野太く力強いボクサーサウンドを周囲に鳴り響かせながらも公道に繰り出した車影を...1台の白いレクサスISが尾行するように追い始めた。