―数日後
TKマッハコーポレーション広報部 オフィス
あちこちで社内電話が鳴り響き、社員達が応対する中で30代前半の主任クラスの男が立ち上がる。
社会に揉まれてやや窶れた顔の彼は端の方に座っていた初々しい新入社員に「なあ」と声を掛けた。
「タバコ休憩付き合えよ」
ボソッとした誘いに対して「あ、はい」と受け答えしながらも立ち上がる新入社員。
そのまま二人でオフィスを出ていく...時折すれ違う携帯で応対する社員やファイルを持ち歩くOLも気に留めずに廊下を歩き、6畳ほどの喫煙スペースへ。
疎らに先客が居る中、最も空いている一番奥の角の位置を陣取ると主任がスーツの内ポケットからタバコ手にし、火をつけたのに続き、新入社員も恐る恐るタバコを手にして火をつけた。
スゥー...と上がる二本の副流煙。ぼーっと眺める主任に対し、新入社員が恐る恐る話を持ち掛けた。
「主任、珍しいですね...こんな時間にタバコ休憩だなんて」
「まあな、色々と物思いにふけたくてな」
「例の出向の件ですか?MFG実行委員会広報部への」
「ああ、俺からしてみれば左遷だよ。あんなもん」
少し長めにスゥー...とタバコを吸ってはフゥー...とため息混じりに副流煙を吐き捨てる主任。一気にタバコの芯が灰に変わっていくのが見え、一旦口から離して目の前の灰皿にトントンと静かに灰を落とす。その目線は天井に...何を考えているのか見当もつかないような冴えない目付きだ。
そんな彼に対し、新入社員は「で、でも...!」とフォローを入れるようにこう告げた。
「向こうに行ったら係長に昇進なんですよね?
給料体制や勤務体制なんかもうちと変わらないから良いことなんじゃ...」
「俺が言ってるのは先行きの話だよ」
「先行き...ですか?」
「そうだ。社長の趣味で採算も取れないようなイベントの実施、この御時世でモータースポーツの国内イベントなんて保って5年ってとこでしょ。
国内最大のレースとされてるスーパーGTやスーパーフォーミュラだって昔と比べてあの体たらくだ。今さら新規のレースイベント立ち上げた所で、最初だけ盛り上がってその後は廃れて自然消滅するのがオチだ。もう少しで子供出来るって時期にこれだ、これからだって時に人件費削減でクビ切られたりなんてしたら洒落にならない」
「その、主任は...モータースポーツがお嫌いなのですか?」
新入社員の恐る恐ると言った問い...
しかし、それに対して主任から出てきた言葉は彼が思っていたものとは違うものだった。
「いや、好きだ。好きだからダラダラ続いて欲しくないんだ、縮小ばかりされてつまらないが続くぐらいならいっそのことスパッと終わってほしい。それが俺の望みだ」
そう言いながらの背中を壁に預けるようにする主任。
フゥー...と自分の口から吐かれた副流煙を眺めていると隣にいた新入社員が若干嬉しそうにしながらもこう問いかけた。
「昔は好きだった...そんな感じですか?」
「まあ、そんな所だ」
「そうですか。自分はそれほど知ってるって感じじゃありませんが、先輩が観ていた時に活躍してたのってアイルトン・セナとかですか?」
「いや、俺が物心ついた頃には事故で亡くなってたよ。あの人は...1994年、5月1日。年齢は34歳、場所はイタリアのイモラ・サーキット」
「よ、よくご存知ですね」
「まあ、好きだったからな。生年月日も分かるぞ、1960年3月21日。俺は世代的にシューマッハとかの世代だ、アロンソのデビュー戦とかも観てた」
「そんな主任でもセナには感心があったんですね」
「まあな、何年経ってもレジェンドと称される人だ。それこそ、あの頃のモータースポーツの盛り上がり方ってのはスゴいモンだった。日本人初のF1ドライバーがセナと一緒に走り、それとは別に音速の貴公子と呼ばれていたセナとプロフェッサーと呼ばれていたプロストとの対決は当時セナ・プロ対決としてよく取り上げられていた。あの時のモータースポーツの盛り上がりは俺が観ていた頃の比にならなかっただろうな。
それが今じゃこの体たらくだ、F1ですら地上波でやる生中継は無くなり、レース結果をニュースなんかで報じることもほとんどない。
今、生中継でF1観るとなったらスポーツ系のサブスクサービスで月に何千円も払わないといけない。スーパーGTなんかももちろん地上波でやらない。この国のモータースポーツはもう終わったも同然だよ」
全てを悟ったようにそう語りながらも灰皿にトントンとタバコの灰を落とし、再び咥えていく主任。そんな彼に新入社員は「で、でも...」とある事を思い出してはふとそれを伝えた。
「今年のF1、日本GPの鈴鹿サーキットの観客動員数スゴイ多かったって聞きましたよ!あながち、まだ見捨てられたものじゃ...!!」
「その増えた観客の大半がインバウンドで来た外国人観光客ってのは知ってるか?昔よりも来やすくなってるんだから、そりゃ増えて当然だろ。
もっと言えば、安い状況下で来てる客だからマナーは最悪、持ち帰るなって言われてる備品を持ち帰り、整備されてる植木に集団で足踏み入れて無茶苦茶にしたりしてたって話だ。
もう終わりなんだよ、この国のモータースポーツやらは。
鈴鹿や富士といった最高クラスのサーキットがあり、トヨタや日産、ホンダといった世界的自動車メーカーが揃ってるのにこの体たらくだ」
諦めたような口調でそう告げてからタバコを灰皿に捨てて主任。力を入れられ、ジュッと潰されながらも音を立てる吸い殻に目を向けることなくポケットに両手を軽く突っ込みながらも出入り口に向けて歩く背中を見た新入社員は最後に「あの...!」ともう一言声をかけた。
「しゅ、主任は五十嵐ハジメはご存知ですか...!?
メディアなんかにも良く出てるレーシングドライバーで...確か、去年のGT300だかなんだかのチャンピオンです!
最近はレギュラー番組も抱え始めたような存在で...」
対抗するような勢いからついつい前のめりになってしまう新入社員。しかし、主任の表情は変わらない...再び新入社員の方に顔を向けてはため息をつきそうな表情でこう答えてきた。
「無理な話だろ...うちの社長が現役時代に300より上のクラスの500で4連覇、更にはスーパーフォーミュラ制覇を成し遂げても世間はちょっとばかし盛り上がってくらいですぐに寂れた。
メディアに持ち上げられてるって話も今後その状態がずっと続くわけがない、番組側が視聴者が飽きてると感じたらすぐに切られるのがオチだ。ちょっとやちょっとチヤホヤされたぐらいでは熱気なんて戻らねえよ」
そう吐き捨てるような口調で告げてから喫煙室から出ようと再び出口の方に顔を向けた時に以外な人物が目の前に姿を現した為、思わず身体をガチガチに硬直させてしまった。
TKマッハコーポレーション代表取締役社長、高橋啓介だ。
「っ...!?しゃ、社長....!?」
新入社員と共にガチガチに身体を硬くさせる主任。
先程までの気怠い雰囲気は何処へと言わないばかりにビシッと軍隊ばりに気をつけをしてみせる彼らに啓介は思わず「ハァ...」とため息をついてはどこか呆れたような表情でこう告げた。
「何も聞かなかったことにしてやる...さっさと持ち場に戻りな」
啓介に言われて「し、失礼しました...!」と立ち去る二人。他の喫煙していた社員達もまさかの社長の登場にいそいそと距離少しずつ取っていく中、啓介は軽く壁に背中を預けるようにしてその場でタバコを吸い始めた。
その味はいつになく雑味のようなモノを感じる。
「(アニキ、このタイミングで始めるのは本当に合ってんのか...?
確かにウチの会社は昔よりか十分大きくなって資本もあるし、人材もある。ただ、世間の環境が環境だと続くモノも続かねえ。
ウチがモータースポーツ事業を昔より縮小させて不動産事業を大きくさせていったのが分かりやすい例だ....世の中のニーズは昔とは違う、俺等が山走ってたあの頃とは違うんだ。
もし、赤字続きの業態で続けるハメになったら..俺は株主総会で株主たちになんて言えばいい?)」
今ここにいない兄に向けて心の中で問いかける啓介。
届かない言葉をまとめるようにため息混じりにフゥー...と副流煙を吐き捨てては会社用のスマホで各部署の進捗確認。MFG広報部からはついに地上波でのCM配信を決定するなど進められるところまで進められてしまっている状況だ。
...今さら後には引けない。
そんな中、MFG執行本部長の上祐史浩からメッセージが届いているのを確認...届いた内容を確認するとPDF化された五十嵐ハジメの詳細情報が添付されていたが、表向けには書かれていない裏の情報までビッシリと綴られた内容に思わず啓介は軽く目を見開かせた。
今の国内レース業界の惨状の片鱗が見える...
何度も同じ部分を往復するように目で辿っていっては眉間にシワを寄せながらもピッピッとスマホを操作してある人物に問い合わせた...
その相手はこの情報を送った主である上祐史浩だ。
惨状への同情からか、無意識にもいつもの口調に比べてやや尖り気味の口調で通話を始めた。
「俺だ、史浩」
「―啓介か、あのデータは読んだのか?」
「ああ、読んだ上で頼みがある。
アイツの高校時代のレースをもっと掘り下げてまとめて欲しい。それから当時アイツを支援していたスポンサー企業についてもだ」
「―そうくると思ったよ...お前も当時の惨状がどんなものか察したみたいだな」
「まあな、時期が時期だ...アイツの世代的にも合ってるハズだ。また調べて報告してくれ」
そう告げてから通話をピッと切る啓介。
スマホの画面を見て視界に入った五十嵐ハジメの顔写真に同情するような目を向けてはスマホをしまってタバコに着けていた火を消すように灰皿に押し潰す。静かな環境下でジリッ...という独特の音が鳴り響き、そのまま吸い殻を捨てると足早に喫煙室から出ていった。
・
―翌日 昼 五十嵐ハジメの借家
セパンから帰ってきたハジメは自室でシミュレーターの座席に座っていた。しかし、走っているコースは次の富士ではなく、前回のセパンだ。周回数を多めに設定し、リトライなしで全体のラップタイムとタイヤの消耗具合を確認...まるで実戦をした後の答え合わせをするかのようだ。
しばらくして走り終えると座りながらもグイッと仰け反るように両手を伸ばしてから電源をオフ。軽くタオルで汗を拭いてから立ち上がると部屋を出て居間の方へと移動していった。
廊下を歩いているとふとTVからの音が聞こえてくる...
居間にあかねがいると察するとそのまま軽く忍び足で入室、案の定ソファーに座ってテレビを観ていた。
観ていたのはハジメが最近レギュラー出演するようになった料理番組だ。
番組名は「男のランチ de TIME」。
鏑木Pプロデュースの番組でイケメンシェフと二人三脚で時折ボケやツッコミを交えながら一品ものをつくっていくという番組だ。
日曜の昼前に放送しているものを配信サービスで見直しているようだが、それよりも気になるのがあかねの表情だ。
楽しんでいるというよりかはどこか考え込みながら観ている感じ...それもどことなく悲壮感すら感じられる。
「どうしたんだ?浮かない顔して」
話し掛けるとハッと驚くような反応を一瞬見せてからハジメの方を向くあかね。すぐに笑顔で「そんなことないよ」と答えて見せたが、いくら相手が一流の女優とは言えども三年も付き合っていれば些細な変化の1つや2つは見抜ける。
....何かを隠している。
だが、それを指摘して嫌われるのは嫌だと小さく笑みを浮かべて見せてはソファーの空いている隣のスペースに腰を掛けた。
「今日は本物が家にいるっていうのに画面の中の俺見てたの?」
「う、うん。この前観れなかったのお出かけの時間まで観てようかなって」
「....そっか。そろそろ時間だからと思って練習引き上げてきたけど、せっかくだから俺も観ようかな。ちょっと恥ずかしいけど」
そう言いながらもあかねの肩に腕を軽く回して視聴を始めるハジメ。しかし、彼女の方も三年も付き合っていることもあって何かを勘付かれたと察しがついた。
これから彼が家にいる時はこういうことは下手にしないほうがいい。
この前見つけたあの資料...
星野アクアの出生や経歴、精神鑑定...全て揺すりに使えそうな資料だ。
あれを使って今ガチ放送時の三年前にアクアを嵌めたと疑っている部分もある...が、今までの彼を見ている分、本心では嫌われたくないのだ。
そんな中、ピロンッとハジメのスマホが何かしらのメッセージを受信。マネージャーの吉住からだ。
「ごめん、あかね。仕事のやつだからちょっと確認する」
横に座る彼女に一言だけ伝えてメッセージの内容を確認...PDFファイル付きのメッセージだ。
"お休みのところ申し訳ありません。
明日のドリームエンジェルスの講師の件ですが、依頼人のTKマッハコーポレーションの高橋啓介社長から見せたいモノがあるということで急遽PDF付きのメッセージをお送りさせていただきました。ご確認ください。"
ざっくりと内容を読んでからPDFファイルをアイコンをタップ操作...そこにはドリームエンジェルスの新設コースの情報が書かれていた。
レイアウト図面、竣工日、付属施設、全長、実際の写真....
富士スピードウェイに似たようなというよりかは瓜二つと言っても過言ではないレイアウト。木々に周囲を囲まれた写真等を凝視するように目を通してからあらゆる情報を確認していく。
すると、何かに気づいたのか無意識ながらも小さく苦笑いのような笑みを零してしまった。
「....どうしたの?」
「いや、何でもないよ。ただ、次の依頼人...随分捻くれてるなって」
「捻くれてる?」
あかねの確認するような問いかけに小さく頷きながらも答えるハジメ。
スマホをズボンのポケットにしまいつつも「さてと...」と気を取り直すようにその場で立ち上がると軽く身体を反らすようにしてストレッチしながらもこう促した。
「そろそろ行こうか。テレビもいいところだし」
「う、うん。そうだね」
促しに対して頷きながらのリモコンを手にしてテレビの電源を切るあかね。その場で立ち上がって一緒に外に出ようと横並びで歩くと「ねえ、ハジメくん」と話し掛けてはこう質問を投げ掛けた。
「最近、あの娘(NSX)も寂しがってるんじゃない?あまり乗ってくれないって...」
「かもな。吉住雇ってからは仕事で乗ることも少なくなったし...こうして休日に乗るか、帰宅してから気晴らしに乗るかぐらい。.....そのうち拗ねかも」
「拗ねるって?」
「壊れたり、不調になること」
「んー....それで言ったら私のエイト、頻繁に乗るように心掛けてるのに結構拗ねるよ?」
「まあ、ロータリーって結構捻くれ者だから」
ハジメの言葉に「もおー....!」とプクーと思わず頬を膨らませるあかね。
...こういう会話をしている間に先程まで疑っていたことを忘れそうになる。
彼が本当に他人を貶めるようなことをして自分を手に入れただろうか?
そう自分の中で問いかけている間に膨らませていた頬は無意識にも縮こまってしまった。
「....あかね?」
「...ううん、なんでもないよ」
「...そっか。じゃあ、早く行こっか。明日から一泊二日で家離れることになるし、しっかり楽しまないと」
そう言いながらも外に出てNSXに乗り込むハジメ。あかねがRX-8に乗り込んだのを確認してからキーを差し込んでセルを回した。
・
―同時刻 群馬県 ドリームエンジェルス
本日の講義を終えて帰り支度を進める真奈美。
颯爽と廊下を歩いて外に出た時、門の前で「ねえ」と意外な人物に声を掛けられた。
現在、ドリームエンジェルス首席になっている舘由梨花だ。
「明日、何の日か分かるわよね?」
「...うん、特別講義。その翌日は中間実技試験」
「そう、1年目上半期の全てが決まると言ってもいいほどの中間試験。で、その前日が貴女の師匠でもある五十嵐ハジメ選手による特別講義、翌日の試験も見ていく予定よ」
「...で、それがどうかしたの?」
真奈美の問いに対してゆっくりながらもどこか力強さを感じさせるような足取りで歩み寄る由梨花。ある一枚の紙をスッと見せてきてはそれについてこう説明した。
「明日のスケジュールよ...
実車のドライビング授業は午前中の一時間だけ、それも第一コースで全員のタイムを見るのが目的みたい。
翌日に中間実技試験が控えてるのにこれは流石に如何なものかと思うのだけれども。案の定、私以外の生徒も拍子抜けだって騒いでるわ。
...元教え子の貴女なら、この構成にどういう意図があるのか分かるんじゃないかしら?」
由梨花の問いかけに思考を巡らせるように間を空ける真奈美。すると、確信できると言うほどではない様子ながらも顎に軽く手を当てるようにしてこう答えた。
「...何かに気づかせたいのかも」
「何かに?」
「うん。あの人、教える時にキモになりそうな部分は直接言わずにヒントを出して気付かせるようなスタイルだったから。」
「直接答えを言ったほうが早そうなのに....
それで、貴女は答えがわかったの?」
「いや、分からない。...正直言って」
真奈美の言葉に今にもため息をつきそうな表情を浮かべる由梨花。呆れたと言わないばかりに無意識にも肩の力が抜けてしまうとこう言い残してきた。
「教え子の貴女にも分からないだなんて、随分無茶なことしてくるわね。私たちのこと女だからって舐めてるわ」
「そんなことはないと思うけど...」
「...まあ、いいわ」
若干不機嫌そうにそう吐き捨てつつもスッと背中を向けて立ち去ろうと歩き始める由梨花。そのまま駐車場に停まってるEK9の方に歩みを進める彼女の背中を見ていた真奈美はグッと両手で力強く握り拳を作っては「待って!」とその背中を呼び止めた。
「...ナメてるのは貴女の方じゃない?現状成績1位だから自分以外は認められなくなってるんだ」
真奈美の言葉に一瞬眉間にシワを寄せる由梨花。しかし、自分を落ち着かせるように少し間を置いてはフッと小さく鼻で笑ってから片足を半歩下げるようにして振り向いた。
「成績最下位の貴女が私に言うの?それ」
「意見として言っただけだよ。最近、教官相手にも物申す時も結構ある...流石にちょっと目に余る」
「私がどんな生徒か背景まで知って言ってるの?」
「もちろん。貴女が過去にカートやってたのも、おじさんがプロだったのも知ってる」
その言葉に軽く睨みを効かせる由梨花とその睨みを返すように強く睨みつける真奈美。静かに風が吹き、二人の髪を靡かせる...そこから少し間を空けると由梨花が再び背中を向けてEK9の方へと歩みを進めてこう言い残した。
「中間実技試験の楽しみが増えたわ、その首を洗って待ってなさい」