小説ドラえもん 出木杉英才の異説回帰録 作:エコノミック・アニマル
解読不能の青切符を切られたオイカッツォが、ログアウトしてから7時間。
つまり昭和41年6月24日も、残り7時間で終わろうとしている。
あばら屋に屯う異界の若人達は、無力と絶望と空腹で突っ伏していた。
和箪笥に置かれた目覚まし時計が、17時42分のデジタル表示を、無慈悲を貫いて43分へ入れ替える。
肩を優しく揺すられたアリューシアが、開きかけの乾いた唇にペンシルゴンの「静かに」の指サインが当てた。
そのまま向こう壁の様子を指し示す。
背を突いて、萎れリボンのクルニと抱きつかれた垂れ耳エムルを起こす。
同様に彼女らの挙げかけの声をアリューシアとペンシルゴンが「しっ」と止める。
――無音で忍ぶサンラクが、丸くなって寝入る出木杉のズボンポケットを細心の注意で探っている。
やがて白い半月形のアップリケを掴んで一瞬で戸外に飛び出していく。
怪訝の顔々に対して、ペンシルゴンが外に出るよう顎で促した。
そろそろと3人と抱えられた1羽が、玄関戸ではなく、土間に空いた破れ壁から出たのだった。
「わかってて我慢すんのは限界だ。このままじゃ次のエンカウント前に、飢えて全滅する」
閉めた雨戸は朽木で強引に打ち付けられている。
鍛えられたサンラクの隆々たる二の腕が乱暴に入れておいて、形の全く変わらないアップリケみたいなポケットに、クルニとエムルが驚愕していた。
「あなた達は、あの少年の素姓を前もって知っていたのですね」
アリューシアは、愛剣の鞘に憤り分の握力を締めていき、井戸端に立つペンシルゴンを問い詰めている。
「知ってはいるけど、まーだ信じられないというか。でもそうとしか考えられないというか……」
――はぐらかしの効きそうにない面倒な女騎士さんだ。
「同じ21世紀のよしみだし、あのポケットの便利は知っているんだよ」
ペンシルゴンは開き直り、アリューシアの不審をより誘ったのだった。
「で、サンラク君。『あれ』を探してるんだと思うけど見つかった?」
「それが物の感触がまったくねえん……お」
ペンシルゴンの言う『あれ』を具体的に意識した瞬間に、サンラクの右手に編み布の感触が当たった。
サンラクは確信して、鷲掴みにして一気に引き出す。
「『グルメテーブルかけ~』」
幼少から親しんだ台詞に似せたサンラクによる迫真の高いドラ声は、同様に知っているペンシルゴンにとっては赤点の猿真似だった。
そんなことを気にする余地もないサンラクが、転がっている外れ雨戸板に小さなテーブルかけを広げる。
「悩んでいられるだけの腹はねえ」
そう血気して欲望の限りをテーブル掛けにぶつける。
「上トロから赤味までホンマグロで一通り、サンマにニシンにホタテにサーモンにカツオのタタキ――とにかく刺身の特大豪華な盛り合わせ、それにすぎ家の牛丼メガ盛!!! 味噌汁いいや豚汁、いっそ芋煮!! ライオットブラッド本国仕様で5本!!!!」
怪訝に白黒するクルニの嗅覚が、30秒して立ち込める塩気を含む不思議な香りと魚の生臭さに理解が追いつかなかった。
「よっしゃあああああああ、こんなクソ昭和SAOで最初にして最強のボーナスイベントぉおおおおおおお!!!!!!」
自身の絞れきった胃の配慮など、極限の食欲によりまったくしない。
一緒に出てきた漆塗りの箸を構えるサンラクが、ほとんどクチバシで啄むように出てきた刺身をかっ食らっていく。
唖然のアリューシアをほったらかすペンシルゴンが、サンラクの前からテーブルかけを引きずっていく。
「おかゆとキムチと生卵、お味噌汁は豆腐とお揚げ。牛乳は低脂肪でコップ1杯。完熟バナナ1房」
注文通り。
「いっただっきまーす」
大口のにこやかに、警戒するアリューシア・クルニ・エムルに対して「あんたらも頼んだら?」とばかりに、テーブルかけへ目配せした。
「う……」
アリューシアの気も知らないで、サンラクが乱暴に食らっていく。
――見たことのない魚や独特の盛り方だ。
しかし王宮の晩餐会でしか食したことのない赤い刺身の銀輝に、お腹がとうとう最大級に鳴って、激痛も走る。
「団長!」
クルニより前に、アリューシアが屈してしまった。
ペンシルゴンから引きずりとったテーブルかけに対して、もはや神縋りで唱えていく。
「ベーコンたくさんの油の満ちるカルトッフェル、白アスパラガスと苺のサラダ。それにラガービール……叶うなら、レベリス王宮お抱えの酒倉で作られた最高等級を。指定できるならバミュミートンの造りで」
「団長、欲を隠さないっすね」
普段なら財布とにらめっこして絶対に躊躇する至高な注文のタダ実現だ。
澄まされていた碧瞳から感動と涙がこぼしながら、波々注がれてキンキンに冷えたラガーの凍てつくガラスジョッキを煽っていく。
人参だけの山盛りサラダを出し終えたエムルから、テーブル掛けを受け取るクルニが最後に唱える。
「おっきな白パンで、ローストビーフとレタスをたっぷり挟んだ特大サンド。コンソメスープをつけてほしいっす」
クルニの所望がテーブル掛けの上に実現された時、泣くより先にがっついたのだった。
「乙女に対して無粋でありえない」とペンシルゴンが反対するのをサンラクが押し切った。
食後のグルメテーブルかけへ山盛りに頼んだレトルトパウチを破って、男子の嗜みな受け売りで扱い方を説明している。
アルコールの抜けきれないアリューシアが、湯煎されたハンバーグを一匙掬って味見する。
「アテに良さそうですね」と惚けてぼやくので、素面のクルニが再確認でパクリと食べた。
「温めが一番っすが、これならそのままでもいけそうっすね」
大量の食器が積まれる横に、テーブルかけの敷かれたままの雨戸板には、付属された発熱剤の袋が取り出されて置かれている。
「ニッポンの騎士達が遠征に持たされるもんだから、腹持ちやエネルギーはあるはずだ」
読めない日本語が印字されるオリーブドラブの、つるつるした不思議なパッケージを、ぐにゃぐにゃと揉んで確かめる。
「重たいから、何個もは持ってけないかな」
食べたのと同じ副食とクラッカーのパックを、アリューシア分も含めてクルニはそれぞれ6個受け取った。
続くエムルが紅茶をポットごとテーブルかけへ注文する。
ペンシルゴンに、アリューシアにクルニに、サンラクにとカップへ注いでいるところに、夕刻になりさすがに起きてきた出木杉が困惑した。
「わりぃ。腹減るあまりで全員の持ち寄り漁ったら、寝ているお前のポケットから色々出てきた」
サンラクのごまかしの素振りも悪びれもない通告にかえって安堵した出木杉が、エムルから紅茶の温いカップを受け取って座に寄った。
「これ、友達が持っているひみつ道具なんです。僕もたびたび助けられています」
「出来杉君の世界は、同じ21世紀なのにずいぶんと便利ね」
刃槍を肩に携えながら頻繁に藪蚊を叩くペンシルゴン。
インベントトリから雑魚除け効果のある香水を取り出して振り撒くと、現実の虫にも効果があるのか、湧き上がるゲンジボタルも避けている。
「デキスギ君も、好きなの食べるっす」
「こんなときぐらい、ごーせーにいくのですわ!!」
出木杉の前にぐるめテーブルかけを敷き直した、クルニとエムルがよく囃し立てる。
「じゃあ」
そうして頼んだ一杯の濃厚な醤油ラーメンの麺を、絡めては啜り、絡めては啜りを繰り返す。
――2日間ずっと気にせず食欲もなかったのが、こうして味わうと、途端に爆発し、行儀悪く早食いになっていく。
水を欲するままに頼んだエビアンのペットボトルを潰しつつごくごく飲んだ。
口内の塩気と粘りを一通り流し込むと、残りのスープを飲み干してしまった。
「ごちそうさま!」
「おう、元気出て良かったぜ」
童謡の狸のように膨れたお腹をぽんっと叩くと、サンラクの鳥目が満足そうに笑んだのだった。
出木杉に隠れる必要がなくなり、陽も落ちたのであばら屋の囲炉裏へ戻る。
夜襲警戒にサンラクが屋根に風見鶏みたく立って、周囲の音へ研ぎ澄ませている。
囲炉裏の横で立ち膝し、エビアンをゆっくりと少量ずつ流し込んでいくペンシルゴンが、対する左手で大げさにうちわを扇いで暑がっている。
すでにクルニが涼むので効果ありとみたエムルが、屋根のサンラクを含む全体へクールダウン・スキンを唱えた。
「その魔法、こういう使い方もできるのか」
ペンシルゴンは感心している。
やっと醒め始めるアリューシアが、3分の2ほど残って波打つエビアンのペットボトルをピシリと鳴らす。
「しかし、不思議ですね」
「何が?」
「何がっすか?」
揺らぎ火を支えるろうそくは、もういくらかの蝋も残していない。
熱によって余分に溶けていき、燭台から滴りかけている。
「カッツォの『らじお』には罰を与えるのに、デキスギのヒミツ道具には何ら反応がないことです」
「そうっすよね。さっきのテーブルかけなんて、使い方によっては戦局をひっくり返すとんでもな魔道具のはずなのに、なんで来ないんすかね」
アリューシアの指摘に、エムルを抱くクルニも、振り向いた出木杉も不思議がっている。
しかしペンシルゴンには確信できる答えがあった。
「システムの穴を突いた点が駄目だったんだろう」
「しすてむ?」
わからない単語にアリューシアとクルニとついでにエムルが首を傾げる。
すかさず出木杉が「複雑な魔法を組む際の術式をより複雑に組み合わせた、構文のからくり仕掛け」と捕捉する。
「出木杉君のひみつ道具はあくまで出来杉君と一緒に巻き込まれてきた、いわばあの白バイ警官が正規として認める所持物だけど、カッツォのは普通のオンゲーでもBAN対象になりうるような不正チートの持ち込み方だった。そのロジックでないと、あたしやサンラク君が使うインベントリアのシャンフロの効果アイテムが、取り締まられない理由にならないし」
ペンシルゴンは和箪笥の上に鎮座する、所有の目覚まし時計を見上げた。
――これだってシャンフロで公に実装されている、この昭和41年には存在し得ないインテリアだ。
どっかで手に入れたそのまんまで、あたしがそこに置いた。
ラジオの存在をどう感知したのかは知らない。
しかし機能し始めたその時に感知するのなら、あの白バイ警官のバグウィンドウ顔が見逃すはずがない。
バックライトされるデジタルが22時23分を印字した。
「そろそろ、かしらね」
眠そうなペンシルゴンが左手首を触って、宙に右人差し指を指しては押して引いてを繰り返すのを、アリューシアはやはり不可思議に見つめている。
「……っ!」
一瞬、白バイ警官を前にしても不敵を維持したペンシルゴンが動揺によって硬直するのを、目の良いアリューシアは見逃さなかった。
「なにかあったのですか?」
「あーいや、大丈夫。大丈夫。ちょっとリアルの仕事先がトラブルだっていうんでね。先のスケジュールが大幅にキャンセルになっただけー」
床に置いていた刃槍を取って立ち上がる。
魔法の涼を得て汗一つないペンシルゴンが「サンラクくんと交代するねー」とケタケタ嗤って出ていく。
「いやーまいったよ。まいったぁー、まいったー」
「……」
うとうとしているクルニの懐をエムルが解いて脱すると、横座りから足を伸ばすアリューシアに、とことことやってきた。
「アリューシアさん。そちらの世界のお話、聞かせてほしいのですわー」
――ヴォーパルバニーだというのにこれは愛くるしく、満月より丸い赤瞳を津々させている。
アリューシアはクルニの真似で白子兎の頭を優しく撫でる。
「こそばいですわー」
エムルは垂れうさ耳で戯れるのだった。
遠くの武埼新宿線の終電同士が月見台の駅で上下列車を交わして、野太い汽笛を響かせるのを、出木杉の寝耳に残した。