小説ドラえもん 出木杉英才の異説回帰録   作:エコノミック・アニマル

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2話

 1966年6月15日、15時04分。

 昭和41年――

 

 東京都中央区月島の、かつての大空襲を免れて旧態依然に取り残された、河岸通沿いの空き事務所。

 擦り切れの4畳半から起き上がった出木杉英才は、佐々木から通告されると目を閉じる。

 1分、完全に鎮まって、正座に直った。

 対面する胡座のベリルに正座の佐々木は、出木杉の鎮座に動揺する。

 三白眼に困惑を纏って、佐々木は整理して改めて評価した。

――出木杉英才という少年は、その設定以上に聡明かもしれない。

 出木杉は、AIが発していたバグとエラーの濁流羅列文と分析結果報告を断片的に思い出す。

 齢不相応には蓄えた自前の知識で、可能な限りに整理していった。

 そして最後の分析報告をもって一応の結論を出す。

「時空間に起こったブラックホールにおける、イベントホライゾンを突破してしまった」

 突然の意味不明にベリルはたじろぎ、佐々木の三白眼が険しくなった。

「イベ……ええっと、ホライゾン?? ブラックホール??」

 ファンタジー田舎者ベリル・ガーデナントの語彙に、そんな高尚単語は存在しない。

 イベント・ホライゾン。

――相対性理論における『事象の地平面』。超えてしまえば二度と脱せないボーダーライン。……つまりは、

「アリ地獄のアリってことですか」

 ネット記事やコンビニ本から得た眉唾なSF情報を、佐々木が喩えで上書きする。

 ベリルがやっと半分だけ咀嚼しながら、出木杉に次の言を促した。

 しかし……出木杉は続けかけたが、時空間における空母ミニッツ――『ファイナル・カウントダウン』や、『クレヨンしんちゃん』におけるアニメの自家用車の目撃から導き出された答えが、跳躍をあまりに過ぎたのですぐに飲み込んで、発さなかった。

 だが……。

 出木杉は、自分に対して脂汗をかいているベリル・ガーデナントの、全くルーツを違う異常の説明には、これしか考えられないとは確信していた。

――異世界にあるべき、並行世界線を超えたところまで、昭和41年のイベントホライゾンが吸引してしまった。

 独立跋扈の1960年代にあっても……地球の有史においても、レベリス王国と名乗る国号は一瞬でも存在しない。

 少なくとも、出木杉英才の知の限りには。

 古ぼけ柱時計の長針が、かちんと15分目を刻んだ。

 一通り得たと判断する佐々木は、官給スマホのボイスレコーダーを停めて保存すると、電源ごと切ったのだった。

 

 事務所の外の街路に控えていたネズミ捕りの白バイが、ホンダ・ドリーム300の快調と機械式サイレンを唸らせて、違反のスバル360へ駆けつけていく。

 指で差し割るブラインドを戻したベリルが鷹目の限りに付近に異を見分けようとするも、少なくとも自分達に向けられた脅威は見当たらない。

 

 梅雨時に割れた赤の陽は、18時58分をもって地平へ入った。

 二股ソケットにねじ込まれた電球が、煌々と給湯室と4畳半を照らしている。

 太平洋戦争時代に造られたシャープの古いラジオが、張られた室内アンテナからAMを拾ってよく喋っている。

 夕げを準備する合間の佐々木が、気分転換にとNHK以外をチューニングしていく。

 

 この時代にも懐かしい『世界に轟け』との朗々の、かつての満洲開拓を鼓舞に歌う声を、ベリルは意味のわからないまま滲みさせた。

 次曲に移って『今日も暮れゆく』との囚われ歌を聞いて、いたたまれない佐々木がチューニングダイヤルを再びこねくり回す。

 月末に来日公演を控えたビートルズの特集の延長で、カンニバル&ヘッドハンターズの早回しが『ナーナナナナー』とぶち破った。

 剥き出しな鋳造コンロの五徳の上では、中くらいの炊飯釜がかたかたと鳴ってはふいている。

 小中の家庭科以来に直火で炊いた古米の味に「こんなもんだろう」と佐々木はほどほどに納得する。

 戸棚に残った3枚の平皿に等分盛って、この上からウィンナーの目立つ具少のクリームシチューをかけたのだった。

「いいねー、俺一人ならよくやるよ。おふくろには雑だと叱られるけどね」

 佐々木から皿を受け取ったベリルは、雑を極めるヤモメ飯をスプーンでよく掻いていく。

「やっぱりベリルさんもですか。まあ行儀の悪いのはわかるんですけどね」

 ベリルの同意に佐々木もほっこりして、自分のそれをスプーンで掬ってほふほふと口にしていく。

――最近はピーちゃんの求めだったりフレンチさんのプロ料理ばかりで舌が肥えていた。たまにはこうじゃないと贅沢を忘れてしまう。

「にしてもシチューの具にダイコンはないんじゃないの??」

 輪切りされたクリーム味の煮ダイコンをスプーンですくうベリルが、佐々木に苦言する。

「意外と合いますよ?」

 佐々木は動じず、煮えたもやしとキャベツをポリポリ噛み締める。

「……」

 クリームまみれの赤ウィンナーの軟感触と塩気を口に得て、出木杉はやっと現実感を取り戻す最中だった。

 黙々と食する佐々木を余所に、ちゃぶ台に皿を置いたベリルが「美味しいかい?」と優しく話しかける。

「はい」

 一緒に出されたテトラパックの牛乳を細ストローで吸い、なりがちな早食いにもなく出木杉は温かみをよく味わう。

 

 天井に吊れた笠電球が淡く食卓を照らすのを、出木杉はふと見上げて、見上げて思った。

 つられてベリルも見上げた。

 彼の生きる世界にエジソン電球も商用電源も存在しないが、ここが現在ではないのはよくわかった。

 最後に佐々木が細目に見上げ、「ここ、本当に昭和41年なんだな」と漏す。

 そして、テトラパックを啜ったのだった。

 

 ラジオ体操のピアノが、ラジオからノイジーに放たれていた。

 雑魚寝から出木杉が目覚めると、横でシャツ姿の佐々木がまだイビキをかいている。

 ラジオの持ち出された事務所の空けられたスペースはブラインドが開け放たれた。

 一張羅の田舎シャツに胸筋を張ったベリルが、出木杉にも覚えのある体操の指示に合わせて深呼吸したり腕腰を解している。

 第2を終えて番組が朝のニュースに移る。

 モルタル壁に立てかけていたコウモリ傘を構えたベリルが、剣術の基本形を徐々に早めながら何度も繰り返す。

 鋭利の先を空気へと、まったくのブレなく刺突の練習を、より俊敏に、より鋭敏に。

 腐り気味の木サッシ窓の外では、築地に出入りする小売業のオート三輪だったりリアカーだったり、自転車を押す納豆売りが喚呼しては小さく連なる雑居ビルを訪ね歩く。

 野菜を担いだ老若の女性群れが勝鬨橋から渡ってきたのを見る。

「おはよう、デキスギ君」

「おはようございます」

 コウモリ傘を元に立て掛けたベリルは、肩にかけていた東京第一銀行のロゴと電話番号の入った手ぬぐいで額や頬の汗を拭う。

「こんなときでも、素振りはするんですね」

「まあね。身体はなまるし気分も落ちるし。齢だから一度落ちると、元通りにするのには苦労するんだよ」

 開いたロッカーから掃き出し箒が飛び出しているのを見たベリルが、「君も箒で素振りしない?」と誘うが、出木杉はやんわりと断った。

「こんなときぐらい振ってみなよ、気持ちいいんだよ?」

 残念そうなベリルは給湯室のカランを開けて鉄臭い錆水をしばらく出し切ると、浸した手ぬぐいをよく絞って上半身を丁寧に拭いていく。

 まもなく佐々木が寝ぼけ気味に起き上がる。

 自分の魔法で作った製氷を突っ込んだ氷冷蔵庫を開けて、もう朝の人数分しかないテトラパックにストローを挿す。

 拭き終えたベリルも慣れない冷蔵庫を開け、紙のテトラパックにやや戸惑ってストローを挿す。

 ベリルから受け取った出木杉も2人に倣って、給食のそれとは異なる形状の容器に設けられた穴位置を見つけて、ストローを挿したのだった。

 

 

「やっぱり僕、すすきヶ原にある自宅へ行ってみます」

 朝支度と軽い食事を済ませたちゃぶ台越しの宣言に、ベリルは反するも佐々木は受け止めた。

「ベリルさん、今ここで危険だやめとけと避けていても、ここに留まっていることそのものが危険なんですよ」

――廃墟寸前の空きテナントとはいえ、占拠が続けば怪しまれて、警察に通報されるだろう。

 何も掴めないまま捕まるわけにはいかない。

 

 現代のダンジョンとも評される新宿駅の、当時の作りかけコンコースを3人は渡り歩いて、武埼電鉄の新宿線へ乗り換える。

――ソフト帽にアメリカンスタイルの背広を通してコウモリ傘を携えるベリルは、欧米風の商社マンにしては大雑踏に馴れていない。

 佐々木はというと、別理由ですっかりグロッキーになっていた。

 ベリルと違い新宿駅の混沌を知ってはいても、ピーちゃんと出会って転移魔法を常用してから満員電車など乗らずに悠々自適だったのだ。

 先導で前へ出て進む出木杉はというと、コンコースのルート違いぐらいで特に戸惑うことはない。

 不親切な案内板を辿り武埼の駅にたどり着き、ラッシュを過ぎた閑散の鈍行に乗れたのだった。

 

 車窓に流れゆく昭和41年の西東京地域は、梅雨の湿りと曇り空で、青くて暗く、家並も沈んだ黒ばかりだ。

『シモ・トモビキー、下友引ー』

 鷺ノ宮の次の覚えのない駅名の喚呼に出木杉は乗り間違えを疑うも、この路線に違いないと首を横振って、そのままロングシートに腰掛け、中年男に挟まれたまま乗車を続ける。

 湘南顔に赤電塗装の501系5両編成は吊り掛けモーターを甲高く唸らせて、終点の本川越へ向かって加減速を繰り返しながら突っ走っていく。

『イーオーギー、井荻』

 井荻駅には聞き覚えがある。

 安堵した出木杉は双方に振り向いて、不安げにきょろついているベリル。

 日常癖のままスマホを取り出して読んでいる佐々木に対して「次の次の駅です」と伝える。

『上友引』の喚呼に再び冷めて、鈍行が『月見台』に滑り込んだことに対して動悸の始まる出木杉は、建て替え前の地上駅舎から、迎えのダットサンや、タクシーや路線バスの屯ろする駅前ロータリーへ出る。

「これは……」

 宿題として題材された『町の歴史』の下調べで見た地域史に載る風景と、なんら違わず。

 いいや……今だ。これが今、現在の、生きている姿なのだ。

 記録ではない昭和41年6月16日の月見台が、出木杉英才の前に広がっていた。

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