小説ドラえもん 出木杉英才の異説回帰録 作:エコノミック・アニマル
電鉄池袋線の時計坂駅へ発車していく武埼バスが、いすゞディーゼルの黒ずんだ排ガスを撒き散らす。
標高100メートルの裏山が横にそびえて、その木々を青く湛えている。
旧街道のまま拡張の追いつかない渋滞の大通りを、出木杉を先頭にベリルと佐々木が1列で歩いた。
対向する通行人のたびに塀へ背を張り付ける。
戦前と戦後と最近の激しい建屋の雑然の中に、出木杉の覚えのある銭湯や和菓子屋もそこにあって、出木杉はいよいよ実感した。
「デキスギ君」
険しさを小さな背に見たベリルが、少しでも解したいと出木杉に話しかける。
しかし往来の激しさにほとんど掻き消される。
ベリルは、直近に通り過ぎていった黒塗りのプリンス・グロリアのハイヤーへ振り向き、よく睨んだ。
人指し指をかけてYシャツ襟に隙間を空ける佐々木はため息して、行方知らずのピーちゃんをふと思う。
――いったいどこに。まさかスモッグで窒息ってことは。
……いや、それは炭鉱のカナリアか。シャトーブリアンを好んで食べる文鳥なのだから、そりゃいくらかは頑丈なんだろうけど。
2019年と街区の配置が変わっていないのを出木杉は確信すると、次の交差点でドブ川に繋がる街路へ折れた。
――変わらないのなら、のび太君の家が右手にあるはずで、ここが53年前とするなら彼の曽祖父一家が住まうはずだ。
激しいクラクションを叩きつけながら過積載のボンネットトラックが後ろから突っ込んできた。
搭載クレーンもろくに固定しないまま、フロントガラス上の割れた速度灯を3つとも点けて後ろから爆進する。
「危ない!!」
真っ先に察したベリルが出木杉の肩を掴んでブロック塀へ退かせる。
「こんな道をあんなスピードで……なんなんだあのトラックは」
佐々木もトラックの乱暴に呆れると、呆れたそばから急ブレーキが間に合っていなかった。
針山土建のトラックがそのまま逃げてしまった。
道の真ん中でおばあさんが崩れ落ちて、もう一方で筋肉質の若い男が立ち尽くしている。
男は叫んで地にひれ伏す。ひれ伏したのではない。何かを抱えたのだと出木杉はすぐにわかる。
ベリルが出木杉の青ざめた視界を強引に剥がす。
佐々木が彼らに駆けつけて、思わず治癒魔法をかけるも間に合っておらず、すぐに男が突き飛ばして土固めの砂利道に転がる。
転がった佐々木の背に、ひっしゃげたレトロの三輪車が転がっていた。
ベリルに塞がれた出木杉は、それでも叫ぶあの男に見覚えどころか、昨日会って喋って知っていた。
――力なく手折れた幼児を抱えるあの男の人は、10ほど若いが、野比のび助で間違いない。
ということは、あの子。は……。
喉元に酸の込み上げるのを感じたが、すぐに押し込めて思考を巡らせる。
――簡単だ。ここは昭和41年、つまり昔、53年前ののび太君の家の前だ。
あの人は若い頃ののび助さん、隣はのび太君の、健在の頃の祖母に違いない。
じゃあ轢かれたのはのび太君だ。のび太君と僕は友達なのだから、この昔ののび太君が死んでしまえばタイムパラドックスが発生するはずだ。
つまり何かしらの要因でここでのび太君が助かることにはなるはずだ。
自分が特別なわけではないはずだが、ここに自分がいるという事実を特別に思うのは必然だ。
ベリルの隙間から、やや遠目の男の腕から見える様子は、もう119番で間に合う段階じゃない。
でもここで助かるのは確定事項のはずだ。
探せ探せ、探せ探せ探せ探せ、探すんだ。絶対に見つかる。
半ズボンのポケットを無意識にまさぐると、裏地と思っていた布地が、実は1個の内容物だとわかった。そのまま引き出す。
半月型のポケット形状になっている真っ白なアップリケ。
――ドラえもんの、ポケットだ。
のび太君が泣いてせがむたびに、ドラえもんが未来の道具を取り出している。あのポケットだ。
何かないか。
――あれは病院に運んでも間に合わない。
何かないか。
――あれは今ここで治療しても遅すぎる。
何かないか。
――あれは時間ごと元に戻さなければ、息を吹き返すことは無理だ。
ベリルが抑える腕の中で、ポケットに手を突っ込んでいた出木杉は、指に感触を感じて正体不明の布地を握りしめる。
青地と赤地の表裏ツートンになった時計柄の風呂敷を、ポケットから引きずり出せた。
――タイムふろしき。
これでスネ夫君がワニ革財布を新品にしようとして、生きたワニにまで戻っていたので大騒ぎになっていたのを又聞きで知っている。
つまり、は。
絶対に離れないベリルの腕へ噛みついてどうにか解くと、タイムふろしきを翻しながら出木杉はのび助に駆けつける。
腕の中身を引ったくると、手折れた幼児をふろしきに包んで一瞬を待つ。
意味不明の暴挙にのび助が激昂で出木杉を蹴り飛ばしかけるもベリルに抑えられる。
そんな後ろで、脂汗にまみれた出木杉は、ふろしきを解き、様子を確認した。
「あう」
何事もない小さな手が出木杉の頬を撫で、それから揉み上げを無邪気に掴もうとしている。
それを見たのび太の祖母の覗き込みに出木杉が目を合わせて無言のまま差し出した。
おばあさんは理解の追いつかない幼子を強く抱いて「無事だよ。無事に帰ってきたよ!!!」と叫んで泣いた。
抑えつけていたベリルを取っ組み合いで逆に組みして馬乗りになっていたのび助が、母の感涙で我に返る。
ベリルから剥がれて四つん這いで駆けつけた。
「のび太……のび太……!!! よかった、よかった……!!!!」
のび助とおばあさんと幼いのび太と、3者がそれぞれを腕に抱いて泣いているところに人だかりが出来ていく。
急いで引き剥がされる出木杉がのび太と同じ年頃の幼いしずかを確認するも、手首を掴んだ佐々木が、これ以上の関与を許さなかった。
砂利道をドブ川まで当たって曲がった。
四つ辻に至る途中の『いつもの空き地』の、神成さんの盆栽がある塀板の裏へ背をつけて3人は座り込む。
説明を求めるばかりのベリルに対して三白眼をきつくした佐々木が威圧をもって封じる。
出木杉に対しても言葉はないが憤りとも困惑ともつかない表情で、判断と、出すべき言葉を迷っていた。
「あの、……ごめん、なさい」
「謝ることじゃないんだ。ちょっと待ってくれ」
今出せる最大限の言葉がこれしかないのが佐々木の限界で、本来平凡な中年社畜には整理の時間が必要だった。
それはベリルも同様だが、出木杉英才の設定を知りようのない異世界剣聖にとって、この少年の成した技は、謳われるばかりの『スフェンの奇蹟』を本当に成してしまったに違いないと考える。
理屈はわからない魔法を少年が行使できたという事実関係が整理できたベリルの言葉として、
「デキスギ君。君は、よくやった」
と、太腕に残る歯型を親指で圧えてながら、やっと褒めることができた。
そうして出木杉は胸焼けを落ち着けて、しかし、ありえない矛盾がそこに成立していた理由を探し始めた。
佐々木はまず、矛盾を成立させる根拠を考える、聡明の過ぎた思考を止めたかった。
止めなければ少年が壊れるのを直感していた。
だから少年の自壊が自らの正体に対する理解という深刻まで及ぶ前に、こう切り出すしかなかった。
「その四次元ポケットからタイムテレビを出してほしい。この際、いろいろ確認しよう」
座り込んだ出木杉から、繰り出される言葉も、編み込まれる思考もすっかり除かれてしまった。
求められるままに出木杉が四次元ポケットの中をかき回す。
それらしいものを触れようと考えた瞬間に手のひらにプラスチックの分厚い板があったので引き出した。
一見は安っぽい液晶テレビで、アンテナ端子も電源プラグも見当たらない。
他に用途も見えないし、これがタイムテレビと見て間違いなさそうだ。
電源スイッチを探して筐体に触れると、たちまち先程の現場の続きが映し出された。
旧型制服を纏った警官達が、事後整理のためにのび助とおばあさんに聞き取りをしている。
触る出木杉があのトラックを思うと画面が代わって、大通りを走るトラックの運転席が映し出される。
時速80kmを指すスピードメーター。
骨皮ばかりの二の腕を我流注射の青痣まみれにした錯乱の運転手だ。
ハンドルを思いっきり切ってからのび太君の家のある街路へ曲がり、2人の中年男と自分の後ろ姿が横に過ぎ去ってから三輪車を跳ねて。
……ブレーキから放した右足でそのままアクセルを踏みつけ、シフトノブを叩き込んでさらなる暴走をかけていく。
ドブ川を曲がりないだろうという場面で、佐々木はタイムテレビを自らへひっくり返したのだった。
佐々木の横から覗き込むベリルが映像に圧倒されていた。
出木杉へ見せられない薬物中毒者の末路に、怒りより憐れむような、よくわからない引きつった表情を見せた。
そうして佐々木は、自分に向けたタイムテレビを一通り触って操作方法を理解する。
魔術で用いる水晶玉として理解したベリルに「これは念じれば、その時点から行き着く未来を見るための魔道具です」と補強するように説明する。
そのまま三白眼を液晶に見据えた。
まもなく険しくなって「出木杉君」と振り向いて、タイムテレビを差し戻す。
「例えば5分後の私達を映してほしい」と固い口調で指示した。
最初に触ったときの感触を元に5分後を念じてタイムテレビを触る出木杉だった。
しかし先程まで映っていた液晶画面がブラックアウトして、何も表示されない。
「おかしいな……」
最初は道具の使い方がなっていないだけと思った。
しかし、教えられて扱うベリルや、先んじて理解した佐々木であっても、映す場所や対象や未来の日時をランダムに念じても、全くブラックアウトしていた。
出木杉は、理解した。
だが理解を拒否し、脱力し、神成宅の塀板にもたれて、寸とも動かなかった。
2歳にしては大きな体躯の『ジャイアン』と刈り上げ坊っちゃんの『スネ夫』が、空き地の3人を見つけると言葉もなくケラケラ笑い、やがてそれぞれの母親が手を引いて去っていく。
「きついな」と佐々木は立ち上がる。
察したベリルに頼んで動かない出木杉を背負わせた。
この場に警官が現れる前に、月島の空き事務所へと帰ることにした。