小説ドラえもん 出木杉英才の異説回帰録 作:エコノミック・アニマル
――整理は出来ていた。
自分の知りうる物理法則から因果律からは理屈がまったく合わないが、今この時がそんな異常条件にあると踏まえるとした。
あとはこの昭和41年において、野比のび太・源静香・骨川スネ夫・剛田武が存在するその現実を、そして自分を見つけることで認めるだけだった。
手ぬぐい頭巾をとった出木杉も、ミルク色の濃いカルピスを呷るたびに、カラカラと氷がコップ底で巻いた。
果実とも違うとろんだ甘酸味にベリルが不可思議な表情を浮かべる。
手ぬぐいマスクを下ろした佐々木はというと「久しぶりに飲むといいね」と感動している。
やり手な狐目との血の繋がりを感じられないハツラツの孫娘・瀬村アキラは、正座から音なく立ち上がってからスカートを軽めに整えた。
玄関手前の自室へ戻るのに染みだらけの襖を開ける。
なんとなくベリルは先の廊下の壁を見て「お」と物珍しそうに発した。
「ん? ああこれ、本物だよ。鎌倉時代の業物だって」
身の丈1丈――3メートル近い、漆黒漆と金細工の美しい立派な得物だ。
切っ先を布袋に包まれ、黒電話の真上に鍵付きで壁掛けされている。
「東方の立派な槍だな」
ベリルの関心を不思議がるアキラだったが、まずは廊下に置いた自分の竹なぎなたと防具を引きずりあげる。
後付けされたニス塗りの洋階段をトントンと登っていく。
「お孫さんも、槍の稽古を?」
「壁のそれは薙刀だよ。嫁いだときの爺さんが『来国俊』とか言ってたかね。でも随分年季の入っただけさ」
引きずり寄せた火鉢へハイライトの灰を落としていくトメ婆が、狐目を薄ら開いてから面倒そうに向けた。
「あの子ぁ、じいさまの猿真似して学校のクラブでやってんだ。ただ、学校のそれは最近になってスポーツ気取りに整えられたお作法だから、あの子にゃ合っとらんだろうね」
――通う御茶ノ水のお嬢様学校では、どうも邪険か、軽くとも腫れ物に扱われているようだった。
ベリルは自分が保護者をして魔術師学院へ通う親なしの少女ミュイを思い出す。
手ぬぐいで頭巾をし直した佐々木も、帰宅のたびによく話す隣人の女子中学生を思い出す。
そうやって中年2名は、親心故の憂いに浸るのだった。
役人になめし工程を禁止されてから30年以上経った、玉砂利固めの石浴槽のゴミをさらっていく。
デッキブラシで底を掻いていく出木杉は、手ぬぐいマスクを貫く渋みのある劇臭にむせてよく咳き込む。
出てきたゴミを分別していく佐々木だったが、ほとんどが鉄とガラスの不燃と断じて諦めた。
そこそこの分別を崩れない程度に、余りの木箱へ雑に突っ込んでいく。
煤とタンニン渋とクロム滓で粘つく小上がりを、屈んだベリルが道場床と同様に手慣れで拭いていく。
何度も何度も。
木目が見えてきたらさっき渡された研ぎ汁の霧吹きを加えて、より丁寧に拭いていく。
全力の冷風扇が2基も吹き荒れる無人の居間の鳩時計が、『カッコー、カッコー』と呑気なのに忙しく鳴って18時を告げた。
「あいあい、これ食って今日はもう終わんな」
台所の玉のれんをうっとおしそうに払ってトメ婆が出てきた。
お玉ごと蓋したアルミ鍋を、大きく立派な黒檀ちゃぶ台の鍋敷きの上に鎮座させる。
いつの間に降りてきたアキラが茶碗や深い取り皿を人数分揃える。
歴史展示でしか見ないような5合炊きの電気炊飯器を自分の座る横にどかりと置いた。
鍋の中身はおでんだ。特に、ほろほろの鶏むね肉がふわふわ浮いている。
アキラが「クソ暑いのにまたオデン!!?」と叫ぶ。
トメ婆が「エサの時間に汚ねえだろうがクソガキャ!!」と反射的にアキラを叱る。
――外から見れば、品の差はない。
呆れるベリルは本来のあるべき姿のダイコン煮を崩して口に運ぶ。
……やはりおふくろの玉ねぎコンソメスープより3倍はしょっぱい。
「うーむ」と苦悶するベリルの向かい、フランスパンのスライスを取り皿に掬ったおでん汁に浸すアキラだった。
ベリルと佐々木の中年2人に挟まれた出木杉少年を見る。
――学校どうしたんだろう。それにこの2人、親だったりでないよね……? 誘拐……いやさすがに、それだったら、さすがの狡猾ばあちゃんでも警察に突き出すだろう。
黙々と食べる出木杉をよくよくと訝しむアキラの目を確認した佐々木が、その多重生活の普段と同様、どう言い訳しようかと考えあぐねる。
しかし、おでん汁のねこまんまで流し込んでいるトメ婆が切り出さない限り、沈黙が可能と判断した。
食事を終えて出木杉と佐々木が率先し、食後の食器を片付けていく。
トメ婆に連れ立たれたベリルはというと、トイレ隣の閉め切られた丁稚部屋の和箪笥から、適当な男着とふんどしや猿股を次々投げ渡されて戸惑っている。
「あんたらの大きさは知らんから、合うやつを佐々木と分けて適当に着な」
「はあ」
それからトメ婆はアキラに後を頼むと、そのまま自室の襖を閉めていく。
アキラが焚いてくれた風呂で3人は1日の汗と埃をよく流し、雑に渡された中からマシを選んでベリルと佐々木が小ざっぱりへ着替える。
出木杉に至っては「あたしのお下がりだけど」というアキラの言葉で余計に恥ずかしい、それでも男の子物のシャツと短パンを選んで事なきを得た。
風呂場の勝手口に置いた真新しい2層式洗濯機に3人の汚れ物を、アキラは嫌悪もなく突っ込んでいく。
浅黒い細手首に巻いたソ連製の安腕時計と鳩時計を見比べた。
「婆ちゃん、もう遅いから、そろそろ送ってくね」
壁の釘に引っ掛けられたスバル360のキーを取る。
アキラの高校生らしいそぶりから佐々木は「無免許」を疑う。
が、その足で2階の自室からビニール折りの免許証も携えてきたので、「大丈夫なんだ」と流した。
「ばあちゃんが車出すたび店の路地を陣取っちゃうから、あたしがいつも月極に停め直しているのさ」
「なるほど」
佐々木の疑う目の理由を別に解釈したアキラは答えた。
片付けの進んで開通しきった店側から表へ出ると、スバルの空冷エンジンをよく鳴らしてヘッドライトをローに灯した。
「ばあちゃん! この人ら送ってくよ!! 三島屋通商の入ってた物件だよね!!?」
「そうだよ!! ついでだから橘乃家も寄って牛丼買ってきな!! あたしゃ足りないよ!!!」
襖の閉まるその向こうで、狐のドラ声が頷いた。
今日分の跳開を終えた勝鬨橋は晴海通りの流れのまま、ヘッドライトの白とブレーキ灯の赤で交互と、濡れる夏至の梅雨夜を光線で染めていく。
腕いっぱいに衣類を持たされたベリルが、佐々木と出木杉の手伝いで後席からやっと下りることが叶う。
助手席を戻した運転席のアキラが、「あんなばあちゃんだからこき使うと思うけど」と苦笑いを浮かべた。
「いや、俺達は助かっているよ。なにせ右も左もわからなくて」
ベリルの困り笑顔は暗がりでよく見えないが……
アキラは3人へ「またね」と右手をちょろちょろ振ってから大ぶりの細ハンドルを握る。
フロアを2速に入れてからゆっくり発進し、光の濁流を右に折れて紛れていった。
ラジオがノイズでよく乱れる、事務所の柱時計が22時を告げて鳴る。
喚く古住人のドブネズミを鷲掴みしたベリルが、そのまま腐れサッシを開けて外へ投げ捨てる。
「穴だらけだし、人が住んだのをわかっているんでしょうか?」
「そうだろうね。やっぱここも本格的に掃除して直さなきゃ駄目だ」
ネズミの煤まみれがついた剣ダコで硬い剣聖の両手を、ばっちいとばかりに全開の水道でガシガシ洗っていく。
雑棚の奥から古いが新品の石鹸を見つけ出した佐々木が、ベリルに渡す。
「それにしても泡立たないな」
受け取ったベリルは、口を酸っぱくしてよく愚痴る。
手の中で転がる石鹸は、欠けるばかりで痩せもしない。
脇から覗いた出木杉は当然だと見てわかった。
――固形に『戦時石鹸』と刻まれた白い固形物は、原爆ですら焼け残るただの粘土の塊だ。
煌々と灯る事務所電球の二股ソケットから充電器を引き抜いた佐々木は、私用スマホの購入メモに『石鹸』と『殺鼠剤』を加えた。
そして、今の財布の薄い中身でどれだけ揃うかを計算した上で苦慮した。
ラジオのNHKは6月21日を振り返って、男性アナウンサーが甲高の淡々を推しニュース原稿を読み上げていく。
――ベトナム戦争、アメリカ軍が繰り広げる北爆の様相。
――文化大革命で加熱の先鋭化していく北京。
――パリ発、フランスのNATO脱退にかかっての議論。
――このほど来日するビートルズ。
そして、
――2019年の未来からやってきた、『アイドル』を冠する娘達の刺激を受けた、渋谷の発する一大流行『みしろ族』の奇っ怪。
佐々木と出木杉の気配が変わったことを、ベリルは頬で感じ取って皺の鷹目をよく細めた。
しかし始めは外様にあったベリルとて、次のニュースに細めた鷹目を見開かざるを得なかった。
『本日正午、神奈川県川崎市幸区を通う国道1号線で発生したタンクローリーの爆発炎上事故ですが、神奈川県警の記者会見によれば死者はありませんでした。警察は事故に巻き込まれた運転手を果敢にも助け出した、ヘンブリッツ・ドラウトなる西洋人風の青年について、感謝を述べたいと情報提供を求めています』
そして、畳み掛けて佐々木と出木杉が次のニュースに顔面蒼白となった。
『北海道夕張山地にて確認されていた未確認生物の群れのうち、何者かに斬り伏せられた死骸を北海道大学が検死を行った結果、鷲の上半身に獅子の下半身を持つ伝説上の生き物『グリフォン』である可能性を述べました。こうした異常は日本各地で目撃されており、動揺が広がって』
鉛の空気を察したベリルが、いつもの佐々木の見様見真似でボリュームダイヤルを回して、23時のラジオを静かに寝させる。
「明日でちょうどセムラの家を片付け終えるんだ。そうしたら俺にトーキョーを案内してくれ。何せバルトレーンぐらいでもおのぼりさんなのだから、地平線まで摩天楼が続く町なんて生まれて初めてなんだ」
そう言ってベリルが愛想しながら給湯室の擦れた4畳半へ大きく寝転んだ。
隅の座布団山から1枚取って枕にし、先んじて鼾をあげたのだった。