「八雷神だと?」
京香の鋭い声が、ビリビリと震える空気を切り裂いた。
紫黒は降り立ち、まるでピクニックにでも来たかのように無邪気に笑う。
「そうだよ。人を滅ぼす存在さ」
八雷神。初めて聞く名だった。
これまで魔防隊の長い歴史の中でも、彼らが歴史の表舞台に姿を現したことはなかったからだ。
だが、京香の優秀な頭脳は即座に一つの記憶と結びつけていた。
以前、六番組と七番組の合同鍛錬の際、突如として彼女たちの前に姿を現した謎の存在――『雷煉』。
人語を解し、多くの醜鬼を統率し、圧倒的な力を見せつけたあの異形の怪物。そして寧が視たという他の存在。寧の描いたイラストが彼女達の特徴と一致した
(あの雷煉も、この八雷神の一角……奴らの仲間か!)
京香は即座に結論付けた。この強大なプレッシャー、醜鬼たちをゴミのように扱う傲慢さ。間違いない、こいつらは魔都の「深淵」そのものだ。
息をするのも困難なほどの重圧。
空間そのものが軋みを上げているかのような錯覚。
京香は、この絶望的な状況下で最も確実な生存ルートを弾き出した。
(まずは優希だ。優希に乗らなければ、戦いにすらならない……!)
「優希!」
京香は背後の天花たちを日万凛に任せ、縛られたままの優希の元へ駆け寄る。『無窮の鎖』を再発動させる準備に入った。
だが、その数秒すら待てない者がいた。
「何が神よ! アタシは姉よ!!」
和倉青羽の絶叫が轟く。
弟である優希を、そして家族同然の仲間たちをゴミのように扱われた怒りが、彼女の理性を吹き飛ばしていた。
『
しかし。
「ふん」
壤竜は全く動じることなく、無造作に腕を振るった。
ただの腕の振り。それだけで、硬質化したはずの青羽の髪が根本からへし折られ、青羽自身の体がボロ雑巾のように宙を舞う。
「がはっ……!」
「青羽さん!」
凄まじい勢いで岩壁に叩きつけられそうになった青羽を、間一髪で真護が跳躍し、その腕に抱き留める。
強烈な衝撃が真護の腕の骨を軋ませたが、なんとか致命傷は避けた。
その一瞬の隙。壤竜が青羽を投げ飛ばした直後のコンマ数秒を、波音は見逃さなかった。
「『
波音の体が泥のように崩れ、影と同化する。彼女の能力は、対象の内部へと潜り込み、内側から破壊するという暗殺に特化したもの。
波音は音もなく壤竜の足元から侵入し、その屈強な肉体の「体内」へと潜り込んだ。
同時に、ココが涙目で突撃する。
「青羽姉に何しやがる!!」
小さな拳に、人型醜鬼の全膂力を乗せた渾身の一撃。
だが、その拳が壤竜に届くことはなかった。
「あーあ、ダメだよ。神様に歯向かっちゃ」
紫黒が、楽しそうに指を鳴らす。
「『黒渦巻』」
空間がねじれ、漆黒の重力場がココの小さな体をあっけなく吸い寄せた。
さらに、その異常な引力は、壤竜の体内に潜り込んでいた波音の体すらも、強制的に外部へと引きずり出したのである。
「きゃああっ!?」
「なっ……私の能力ごと、引き剥がされた……!?」
空中に無防備に放り出されたココと波音。
紫黒はクスクスと笑いながら、さらに手をかざした。
「『闇蛇牢』」
地面から無数の漆黒の蛇が這い出し、二人の体に幾重にも巻き付く。それは単なる物理的な拘束ではなく、生命力と霊力を直接削り取る呪いの檻だった。
「ああっ……! 力、が……」
「ココ……!」
「テメェら!!」
仲間を次々と無力化され、真護の怒りが頂点に達する。
紫黒は、そんな真護を冷たい目で見下ろした。
「うるさいなぁ。君も大人しくしててよ」
紫黒の背後から、ココたちを縛ったのと同じ無数の闇の蛇が、今度は鋭い牙を剥いて真護へと殺到する。
全方位からの、回避不能の暴雨。
だが、真護は退かなかった。
刀の柄を握り、極限まで研ぎ澄まされた動体視力と反射神経で、殺到する蛇の群れを迎え撃つ。
黒い刃が閃く。
斬、斬、斬、斬、斬!!
瞬きする間に数十、数百の斬撃のドームが形成され、襲い来る闇の蛇を細切れにしていく。常人であれば目で追うことすら不可能な、神速の剣舞。
その凄まじい剣幕に、紫黒は少しだけ目を見開いた。
「へえ……少しはやるじゃん」
余裕の笑みは崩れないが、単なる雑魚ではないと認識したようだった。
蛇の群れをすべて斬り伏せた真護は、刀を真っ直ぐに構え直し、左手を添える。
呼吸を整え、己の魂の奥底にある「力」の源流へとアクセスする。
先ほど、日万凛たちとの戦いで見せたのは、あくまで牽制と制圧のための力。だが今は違う。目の前にいるのは、明確な殺意を持って排除すべき「絶対悪」だ。
「……オレの家族に手を出したこと、あの世で後悔しな」
真護の全身から、凄まじい霊圧が爆発的に噴き上がる。
足元の岩盤が粉々に砕け散り、大気が悲鳴を上げる。魔都の淀んだ空気を吹き飛ばすほどの、漆黒のエネルギーの奔流。
背後で手綱を握ろうとしていた京香や、魔防隊の面々すらも、その異様な気配に息を呑んだ。
「───卍解!」
ドォォォォォン!!
視界を埋め尽くす黒い光の柱が立ち昇り、それが晴れた後。
そこには、先ほどまでのボロボロの着物姿ではない、漆黒の装束に身を包んだ黒嶺真護が立っていた。
手には、卍の鍔と黒い鎖を持つ、漆黒の細身の刀――『天鎖斬月』。
「へえ…いいねそれ」
紫黒はニヤリと笑みを浮かべる
「消えろ」
真護の姿がブレた、と思った瞬間には、彼はすでに壤竜の目の前にいた。
先ほど、蛇を切り刻んだ時よりも遥かに速い。
紫黒でさえ、一瞬見失うほどの超絶的なスピード。
「チッ……!」
ガギィィィィンッ!!
壤竜が咄嗟に交差させた剛腕に、天鎖斬月の黒き刃が激突する。
凄まじい衝撃波が円形に広がり、周囲の瓦礫を吹き飛ばした。
あの青羽の全力の攻撃を無傷で弾いた壤竜の腕の皮膚が、薄く裂け、血が滲む。
超高速から放たれた、質量を伴う一撃。
腕を斬り裂かれ、わずかに後退した壤竜は、驚きよりもむしろ歓喜に近い色をその冷徹な瞳に浮かべた。
「ほう……」
壤竜の声が響く。
「醜鬼にしては……やるな」
魔都の神と、漆黒の死神。
次元を超えた超常の激突が、今、ここに火蓋を切った。