魔都の死神   作:アレクサンドル三世

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第15話 一時の別れ

紫色の風が吹き抜ける、崩壊しかけた岩肌。

激闘の余韻と土煙が漂う中、出雲天花は倒れた隊員たちを一瞥し、そして黒嶺真護へと静かに視線を向けた。その瞳には、六番組組長としての冷徹な分析と、優希を愛する一人の女性としての気遣いが混在していた。

 

「幸いにも、ここの会話は誰にも聞かれていません。保護を求めるなら全力で守りますが……状況から見て、隠れていた方がいっそ安全です。…黒嶺真護くん、あなたは特に」

 

「……まぁ、そうだよな」

 

真護は自嘲気味に笑い、死覇装の襟を正した。

彼自身、自分がこの女尊男卑の世界においてどれほど「異端」であるかは理解している。

天花は、言葉を選ぶように、しかし残酷な事実をはっきりと告げた。

 

「男性でありながら能力を得ている。その時点で、あなたは魔防隊上層部や陰陽寮の捕縛対象になる。……それも人型醜鬼の体質を持っているならば、尚更です」

 

解剖、実験、あるいは兵器としての利用。

権力者たちが「男が力を得た理由」を知るために、真護という存在をどう扱うかは想像に難くない。それは、ただ魔都で野垂れ死ぬよりも残酷な運命を意味していた。

その重い現実を突きつけられ、優希は悲痛な顔で京香と天花を見比べた。

彼の体は未だスレイブ化の恩恵を受けており、巨大で強靭な肉体と獣のような骨格を保っている。だが、その表情には幼い頃から変わらない、家族を想う純粋な優しさと痛切な不安が浮かんでいた。

 

「でも……姉ちゃんたちは、いつまで隠れてればいいんだ……?」

 

一生、日陰者として怯えて暮らすのか。

やっと再会できたのに、また離れ離れにならなければいけないのか。

優希の悲痛な問いかけに、しかし、七番組組長・羽前京香は一切の迷いなく、凛とした声で答えた。

 

「簡単な話だ。私が前から言っていたことを実行するだけだ」

 

京香は、優希の目を真っ直ぐに見据え、そして真護と青羽へと視線を移した。

彼女の纏う空気が変わる。

それは、一人の戦士としてのものではなく、数多の命を背負い、世界を導く者の覇気だった。

 

「私が魔防隊の頂点に立つ。……総組長になる」

 

その言葉に、場が静まり返った。

風の音すらも消え去ったかのような、濃密な沈黙。

優希にとって、それは奴隷として京香と契約したあの日から、彼女がずっと口にしてきた目標だった。故郷の仇を討つため、そして理不尽な魔都の脅威から人々を守るため。

だが、今の状況で、この絶望的な暗闇の中で口にされるその言葉の意味は、以前とは全く違う次元の重みを持っていた。

 

「私が総組長になれば、ルールは私が作る。陰陽寮の腐った連中も一掃し、組織のあり方そのものを根底から変えてやる」

 

京香は、青羽と真護を力強く指差した。

 

「そうすれば、人型醜鬼だろうが、能力持ちの男だろうが関係ない。お前たちを『魔都の協力者』として、堂々と表の世界に迎え入れてやる」

 

「……!」

 

優希が、弾かれたように顔を上げた。

隠れる必要のない世界。

理不尽な迫害を受けることも、実験動物のように扱われることもない世界。

元の世界のように平和とはいかないかもしれない。それでも、姉や親友と、太陽の下で笑い合える未来。

それは、今の魔都の常識からすれば、あまりにも現実離れした夢物語だ。

だが、それを口にしたのが羽前京香だからこそ、優希にはそれが「必ず実現する未来の設計図」のように思えた。

しばらくの沈黙の後。

 

「はっ……!」

 

堪えきれないといった様子で、真護が吹き出した。

 

「デケェこと言うな、組長さん」

 

呆れているのではない。

そのスケールの大きさと、それを本気で成し遂げようとする京香の底知れない覚悟に、男として――いや、一人の戦士として、純粋に惚れ込んだ笑みだった。

自身の力で全てを切り伏せることしか考えていなかった真護にとって、「世界そのものを作り変える」という京香の盤面の広さは、途方もなく眩しく見えた。

 

「なるほどね。あんたがボスになれば、全部解決ってわけか。……痛快だね」

 

真護の横で、青羽もニヤリと不敵に笑う。

血と泥に塗れた顔を拭い、彼女は魔防隊の次代の頂点たる女に、真っ向から不敵な取引を持ちかけた。

 

「いいよ、乗った! あんたが天下取るまで、アタシらは影でしぶとく生き延びてやる。……その代わり、早くなってよね? 待ちくたびれちゃうからさ」

 

「フン、善処しよう」

 

京香は青羽の挑発を心地よさそうに受け止め、不敵に微笑んだ。

そして、愛すべき自身の「奴隷」であり、最高のパートナーである優希の方を振り返る。

 

「行くぞ優希。お前の姉と友人が安心して暮らせる世界を作るために……まずは私がもっと強くなる。付き合ってもらうぞ」

 

「……はいッ!!」

 

優希の瞳から、一切の迷いが消え去っていた。

姉と親友との、しばしの別れ。

だがそれは、絶望に満ちた永遠の別れではない。「希望」という名の約束を果たすための、前向きな助走なのだ。

必ず迎えに来る。そのために、京香と共に魔都の頂点を目指す。

優希の巨大な拳が、力強く握り込まれた。

ゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!

その時、彼らの立つ足元が再び大きく揺れた。

先ほど脱出した洞窟の奥深くから、連鎖的な崩落が入り口付近まで迫ってきているのだ。地割れが走り、岩肌が悲鳴を上げる。

 

「ここも崩れるわね……!」

 

天花が周囲を警戒する。

 

「アタシと真護は、こっちの奥の亀裂から別のルートで逃げる! ここはもう保たない!」

 

青羽が、崩れゆく岩肌の奥を指差して叫ぶ。

いよいよ、別れの時が来た。

立ち去る直前、青羽は優希の前に歩み寄った。

スレイブ化した優希は、青羽よりもずっと大きく、見上げるほどの巨体になっている。それでも、彼女にとって優希は、いつまで経っても可愛くて守るべき大切な弟だった。

 

「優希……」

 

青羽は、優希の獣のような金色の瞳を真っ直ぐに見つめた。

 

「見守ってるからね」

 

「姉ちゃん……」

 

優希は、自身の大きすぎる両拳をグッと胸の前で握りしめた。

今までずっと、姉に守られてきた。真護に助けられてきた。

だが今は違う。自分には、彼らを救い出すための力と、信じられる仲間がいる。

 

「俺……! 姉ちゃんと真護を、絶対に何とかしてみせるから!!」

 

悲壮感のない、力強い宣言。

その言葉を聞いた瞬間、青羽の顔から姉としての威厳が崩れ、代わって、太陽のように明るく、無邪気な満面の笑みが花開いた。

 

「強くなったわね! 百兆点よ……!」

 

ドンッ!と、青羽は優希の分厚い胸板に力いっぱい抱きついた。

異形の獣の姿であろうと関係ない。その胸の奥で打つ鼓動は、間違いなく彼女の愛する弟のものだ。

青羽は優希の頭に手を伸ばし、かつて人間だった頃と同じように、ワシワシと乱暴に、けれど限りなく優しく撫で回した。

 

「……っ」

 

優希の目から、たまらず熱いものがこぼれ落ちる。

 

「じゃあね、優希! あんたたちも、気をつけて!」

 

青羽はパッと体を離すと、京香と天花に片手を上げてウインクし、崩れゆく亀裂の奥へと身を翻した。

後に残った真護が、優希の前に立つ。

黒い死覇装に身を包んだ、かつての親友。

身長も体格も、お互いにすっかり変わってしまった。住む世界も、背負う力も。

だが、二人の間に流れる空気だけは、学校やいつもの遊び場で語り明かしたあの日のままだった。

 

「優希……!!」

 

真護が、優希を見上げてニカッと笑う。

それは、死神としての冷徹な笑みではなく、等身大の「黒嶺真護」としての、悪戯っぽくも温かい笑顔だった。

 

「また会えるよな?」

 

「ああ!」

 

優希は涙を拭い、満面の笑みで答えた。

そして、互いに右腕を突き出す。

魔都の瘴気を纏う巨大な獣の拳と、死神の力を宿した黒き剣士の拳。

ゴツンッ。

二つの拳が、崩壊する世界の中で力強く合わさった。

それは、いかなる神の力でも、いかなる組織の謀略でも引き裂くことのできない、男と男の、そして親友同士の絶対の誓い。

 

「死ぬなよ、真護!」

 

「お前もな、優希! ……組長さん、コイツのこと頼んだぜ!」

 

真護は最後に京香に向かって不敵に笑いかけると、踵を返し、青羽の消えた暗闇の中へと『瞬歩』で飛び込んでいった。

直後、凄まじい轟音と共に岩盤が完全に崩落し、彼らのいた空間は無数の瓦礫によって完全に遮断された。

舞い上がる土煙の中、優希はいつまでも、親友と姉が消えた岩壁を見つめていた。

もう、迷いも悲しみもない。

胸の中にあるのは、熱く燃え滾る決意だけだ。

 

「……行くぞ、優希」

 

京香が静かに声をかける。

 

「はい!」

 

魔防隊の頂点を目指す、白き獣と孤高の女戦士。

そして、魔都の深淵で牙を研ぐ、白き鬼と黒き死神。

理不尽な世界に抗う彼らの時計の針は、今、確かな未来へ向けて、力強く動き始めたのだった。

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