魔都の死神   作:アレクサンドル三世

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第18話 現世の異端者、霊子の光

魔都の重苦しい紫色の空から一転、翌日の現世は、雲一つない抜けるような青空が広がっていた。

七番組組長・羽前京香と、管理人の和倉優希は、珍しく揃って現世の街を歩いていた。

魔都での激戦、八雷神という絶対的な脅威との遭遇、そして優希の幼馴染である黒嶺真護との再会。怒涛のような出来事が立て続けに起こり、二人の心身には見えない疲労が蓄積していた。そのため、上層部への報告を終えた後、京香の提案でほんの少しだけ現世の空気を吸いに来たのだ。

行き交う人々は、皆平和な顔をして笑い合っている。

車が走り、ショーウィンドウには色とりどりの商品が並ぶ。

桃の存在によって地球規模の資源問題や紛争は99%解決したとはいえ、いつ「魔都災害」という理不尽が日常を食い破るか分からない世界だ。

 

(……それでも、この平和な世界を、俺は守りたい)

 

優希は、隣を歩く京香の凛とした横顔を見上げながら、密かにそう決意を新たにしていた。

その時、ふと路地裏の奥に、奇妙な空気を纏った古い木造の建物があることに気がついた。

 

「あれ?こんなトコに駄菓子屋……?」

 

「ん?どうした優希。何だ、駄菓子でも買うのか?」

 

京香が足を止める。

見れば、大通りの喧騒から切り離されたようにひっそりと佇むその店の看板には、かすれた字で『浦原商店』と書かれていた。

どことなく懐かしく、同時にどこか足を踏み入れてはいけないような、不思議な引力。

興味本位に駆られ、優希は暖簾をくぐった。京香もまた、警戒心を微かに抱きながら後に続く。

 

「いらっしゃぁい!」

 

ガラガラと引き戸を開けた瞬間、奥から間延びした明るい声が響いた。

現れたのは、深緑色の作務衣に下駄を履き、目深に被ったバケットハットの奥で胡散臭い笑みを浮かべる、無精髭の男だった。手にはなぜか扇子を持っている。

 

「ここは古今東西、色んな地域の駄菓子を集めた隠れた名店っス! ……おや?」

 

男は、京香の顔を見るなり、大げさに目を丸くして扇子で口元を覆った。

 

「あなた、もしかして? 魔防隊七番組組長の、羽前京香さんっスか!? いやぁ、アタシ大ファンなんスよ! テレビで拝見するよりずっとお綺麗っスねえ!」

 

「ど、どうも」

 

突然のファンを名乗る男のハイテンションな絡みに、流石の京香も少し毒気を抜かれたようにたじろいだ。

男はズイッと距離を詰め、揉み手をする。

 

「よかったら、奥で冷たいお茶でもお出ししますんで、お話でもしていきましょう! いやぁ、光栄っス!」

 

「い、いや。我々はもう時間が……パトロールの途中ゆえ、失礼する」

 

京香は優希の肩を掴み、そそくさと踵を返そうとした。

ただの変わり者の店主だ。これ以上関わっても時間の無駄だと判断したのだ。

 

「そうっスか……」

 

男の声のトーンが、唐突に一段階落ちた。

先ほどまでの胡散臭い愛想笑いが消え、ハットの奥の瞳が、獲物を狙う蛇のように細められる。

 

「アタシの話、聞きたくないんすか? 例えば──『人型醜鬼』の話とか」

 

ピタリ、と。

京香と優希の足が同時に止まった。

振り返ると、男は再び扇子を広げ、口元を隠してニヤリと笑っていた。

 

「……貴様、ただの駄菓子屋ではないな?」

 

京香の目に、確かな殺気が宿る。

男は「まぁまぁ、そう殺気立たないで」と両手を挙げ、奥の居住スペースへと二人を案内した。

薄暗い裏部屋。

ちゃぶ台を挟んで、京香と優希は男と対峙していた。

出されたお茶には一切手をつけず、京香は静かに男を睨みつけている。

 

「どうも、初めまして。アタシは浦原喜助というもんス」

 

男――浦原は、帽子を脱ぐこともなく、飄々とした態度で自己紹介をした。

 

「なぜ貴様が、人型醜鬼のことを知っている……? まさか!」

 

京香の脳裏に、先日天花が口にしていた「陰陽寮」という言葉が閃く。魔防隊の上層部と繋がり、裏で人体実験や醜鬼の研究を行っているという、魔防隊の組織の一つ

 

「ええ。羽前さんが今頭の中で考えていることは、多分あってます」

 

浦原は、まるで心の中を読んだかのように、あっさりと肯定した。

 

「アタシは、陰陽寮の技術部門における責任者でしたから。……まぁ、何年か前に『やらかして』、クビになったんスけどね」

 

「やらかした……?」

 

優希が思わず聞き返す。

その瞬間、優希の脳裏に、ある会話の記憶が蘇った。

隠れ里で青羽から聞いた、波音やココたちの過去。彼女たちは魔防隊に見捨てられた後、陰陽寮のような研究施設に捕えられ、モルモットにされていた。しかし、ある「変わり者の研究員」が、わざと警備のシステムに隙を作り、彼女たちを逃がしてくれたのだと。

 

(あの時の……波音さんたちを逃がしてくれた研究員って……!)

 

優希が驚きに目を見開くと、浦原は「内緒っスよ」と言うように、唇に人差し指を当ててウインクしてみせた。

やはり、この男が波音たちの恩人だったのだ。

しかし、なぜ陰陽寮のトップエリートが、そんな反逆行為に及んだのか。

 

「アタシには、昔から不思議な力がありましてね」

 

浦原は扇子を畳み、ちゃぶ台を軽くトントンと叩いた。

 

「羽前さん達のような、魔都の『桃』を食べたことで発現する力じゃないんです。現世の、もっと根源的な……霊的なアレっすよ。まあ、霊感の超強化版だと思ってください」

 

桃の恩恵を受けられない「男」でありながら、特異な力を持っている。

その事実だけで、彼がこの女尊男卑の世界において、いかに異端な存在であるかが分かる。

 

「その霊的な力で、アタシはここ一年から半年の間に……魔都の奥底から、ものすごい『圧』を感じたんスよ」

 

浦原の目が、スッと真剣なものに変わる。

 

「桃の気配じゃない。醜鬼の瘴気でもない。アタシと同じ……純粋で、バカみたいに巨大な『霊的な力』の奔流。おそらく、アタシと同じ力を持つ異常なモノが現れたんだと直感しました」

 

優希は息を呑んだ。

一年から半年前。それはちょうど、真護が魔都で行方不明になり、人型醜鬼として覚醒した時期と重なる。浦原は現世に居ながらにして、真護の『天鎖斬月』の霊圧を感知していたのだ。

だが、京香は眉間への皺を深くし、腕を組んだ。

 

「……にわかには信じられんな。桃に由来しない、男の異能だと? 奴の力は確かに常軌を逸していたが、現世の人間にそんな力があるなど……言葉だけなら何とでも言える」

 

京香は立ち上がり、浦原を見下ろした。

 

「ならば、その力とやらを見せてみろ。納得のいく証明ができなければ、お前を連行し人型醜鬼について洗いざらい吐いてもらう」

 

一触即発の空気。

しかし、浦原は困ったように後頭部を掻き、やれやれとため息をついた。

 

「しょうがないっスねえ。アタシも荒事は好きじゃないんスけど……疑り深いお客さんには、実体験してもらうのが一番っスからね」

 

浦原が、ちゃぶ台の上に置いてあった右手を、スッと京香の方へ向けた。

人差し指と中指を揃え、まるで銃のようにつきつける。

 

「──『六杖光牢』」

 

詠唱もなく、ただその名を口にした瞬間だった。

 

「なっ……!?」

 

京香の動きが、完全に停止した。

見えない何かが、彼女の胴体を六方向から串刺しにするように叩き込まれたのだ。

いや、見えないわけではない。

バチバチと火花を散らす、六枚の「光の帯」のようなものが、京香の四肢と胴体を強固に拘束していた。

 

「くっ……! 体が……動かん……!」

 

京香が全身の筋肉を弾けさせんばかりに力を込めるが、光の帯はビクともしない。物理的な鎖や縄ではない。エネルギーそのものが、彼女の動きを根源から封じ込めているのだ。

 

「京香さん!」

 

「大丈夫っスよ、傷つける気はありませんから」

 

慌てて立ち上がる優希を制し、浦原は扇子で京香を拘束する光の帯をトントンと叩いた。

 

「その光が視えますか? 桃の力を持たないアタシが操る、このエネルギーの基本単位。アタシはこれを『霊子(れいし)』って呼んでます。幽霊の霊に、原子の子っス」

 

「れ、い、し……?」

 

「ええ。魔都の瘴気とも違う、魂そのものを構成する物質っス。これを見ることも、触ることも、操ることもできる。それがアタシの力であり……魔都で暴れてるっていう、アナタのお友達の力の正体っスよ」

 

浦原が指を鳴らすと、京香を拘束していた六枚の光の帯が、パチンとガラスが割れるような音を立てて霧散した。

拘束を解かれた京香は、体勢を崩しかけながらも踏みとどまり、荒い息を吐きながら自身の体を確認する。

傷一つない。だが、先ほどの絶対に抜け出せないという恐怖と、未知のエネルギーの感触は、確実に彼女の体に残っていた。

 

「……なるほど。確かに、桃の能力とは根本的に違うエネルギーだ。……納得した」

 

京香は再び座り直す。

己の常識の外にある力だと、身をもって実感させられたのだ。これ以上疑うのは、魔防隊組長としての冷静な判断力を欠く行為だった。

優希は、浦原の底知れない力に圧倒されながらも、一つだけ気になっていたことを口にした。

 

「浦原さん……。その『霊子』を操る力って、浦原さん以外にもいるんですか? こういうことができる人って」

 

もし、この現世に彼らのような規格外の存在が他にもゴロゴロいるのだとしたら、世界のパワーバランスは根底から覆ってしまう。

だが、浦原は被っていたバケットハットの鍔を少しだけ上げ、確信に満ちた真剣な瞳で優希を見据えた。

 

「いや、いないっス」

 

その言葉には、一切の迷いがなかった。

 

「あの馬鹿デカい圧の持ち主以外は、アタシと同類の人間は一人もいない。……これだけは、断言できます」

 

静かな駄菓子屋の奥底。

魔都と現世、桃と霊子。

決して交わるはずのなかった二つの理(ことわり)が交差し、世界の裏側に潜む巨大な謎の輪郭が、今、微かに浮かび上がろうとしていた。

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