魔都の死神   作:アレクサンドル三世

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第20話 休息の朝、そして嵐を呼ぶ会議

二日後。

七番組寮の長い廊下には、小気味良い雑巾がけの音が響いていた。

和倉優希は、額に汗を浮かべながらも、その表情はここ数日の中で最も晴れやかだった。魔都での激戦、八雷神という絶対的な絶望との遭遇、そして幼馴染である黒嶺真護や姉・青羽との再会。

怒涛の出来事に振り回されたが、今はただ、この帰るべき場所を綺麗にすることに全力を注いでいた。

 

「精が出るな、優希」

 

不意に背後から声をかけられ、優希が振り返ると、そこには凛とした佇まいの七番組組長・羽前京香が立っていた。

 

「あ、京香さん! 寮の掃除、大体終わりましたよ」

 

「うむ。ご苦労だったな。……皆は明日、退院予定だ」

 

京香の口から告げられたその言葉に、優希は手に持っていた雑巾を置き、深く、深く安堵の息を吐き出した。

 

「本当ですか!? 良かったぁ……!」

 

「五番組に腕のいい治癒能力者がいるからな。流石だ。日万凛たちも、明日には元気に戻ってくるだろう」

 

「……ホッとしたら、なんだか考えるべき事が色々と頭に湧いてきました」

 

優希は立ち上がり、少しだけ表情を引き締めた。

真護たちのこと。波音やココを攫っていった八雷神のこと。そして、魔防隊の上層部と裏で繋がっているという陰陽寮のこと。

問題は山積みだ。だが、京香はそんな優希の不安を見透かしたように、静かに、しかし力強く告げた。

 

「うむ。今回の事件で上層部に報告書を提出するが……人型醜鬼の正体や、目的のみ伏せておいた。天花もこれに合わせる」

 

「えっ……いいんですか? 報告義務違反に……」

 

「構わん。馬鹿正直に報告して、青羽や真護が陰陽寮の実験動物にされるのを黙って見ているわけにはいかないからな。陰陽寮の動向は、私と天花に任せろ」

 

京香の頼もしい言葉に、優希の胸の奥にあった重い鉛がスッと消え去るのを感じた。

自分一人ではどうにもならない巨大な組織の闇。だが、目の前にはこれ以上なく頼もしい主がいる。

 

「……ありがとうございます! 俺はまず寮をピカピカにして、退院してくる皆にうまい飯を作ります!」

 

「その意気だ。……だが、休息が終わったら鍛錬だぞ。八雷神という未知の脅威が現れた以上、我々もさらに強くなる必要がある」

 

「はい!!」

 

優希の元気な返事が、ピカピカに磨き上げられた廊下に響き渡った。

 

翌日の朝。

ジリリリリリリッ!と、けたたましく鳴り響く目覚まし時計の音で、優希は重い瞼を開けた。

 

「ん……朝か……」

 

優希は体を起こそうとしたが、なぜか胸のあたりにズシリとした重みがあり、身動きが取れなかった。

寝ぼけ眼を擦り、視線を下に向けると――。

 

「おはよ」

 

至近距離。

私服姿の六番組組長・出雲天花が、優希の上に馬乗りになるような形で覆い被さっていた。

美しい顔が優希の顔を覗き込み、細い指先が優希の頬をツンと突く。

 

「て、天花さ──」

 

優希がパニックを起こして悲鳴を上げそうになるのを、天花は「しーっ」と人差し指を立てて制した。

 

「まぁまぁ落ち着いて。ほら、完治したよ」

 

天花はそう言うと、着ていた私服の襟元を少しだけはだけさせ、白く滑らかな肌を優希に見せつけた。青羽の攻撃や、洞窟の崩落で負っていたはずの痛々しい傷跡は、五番組の治癒能力によって跡形もなく消え去っている。

 

「本当だ……良かったです……って、なんで俺のベッドの上に!?」

 

「その事で優希くんに挨拶に来たら、寝てたから。ついね……」

 

天花は悪戯っぽく微笑むと、さらに身を乗り出して優希に密着してきた。シャンプーの甘い香りが優希の鼻腔をくすぐる。

だが、優希は顔を真っ赤にしながらも、グイッと両手で天花の肩を押し返した。

 

「天花さん。俺、言わなきゃいけないことがあるんです」

 

その真剣な眼差しに、天花の心臓がドキンと大きく跳ねた。

(え……もしかして、ついに私への想いを……?)

天花が期待に胸を膨らませ、頬を染めた、その瞬間。

 

「今回は……本当に色々とありがとうございました!!」

優希のあまりにも真っ直ぐな感謝の言葉。

天花は一瞬、(あぁ……そっちか……)と内心で肩を落としたが、優希らしいその誠実さに、すぐにいつもの柔らかな笑顔を取り戻した。

 

「……全然いいよ。それより──」

 

天花が気を取り直して、優希の頬に手を伸ばそうとした時だった。

ガラララララッ!!!

優希の部屋の引き戸が、外れるのではないかというほどの勢いで乱暴に開け放たれた。

そこに立っていたのは、軍服姿で完全に臨戦態勢の羽前京香だった。

 

「優希、そろそろ起き……」

 

京香の言葉が途切れる。

ベッドの上で、優希に覆い被さる私服姿の天花。

三人の間に、気まずすぎる沈黙が数秒間流れた。

京香は一瞬ピキッと硬直したが、すぐにこめかみに青筋を浮かべながら、極めて事務的な、しかし絶対零度の声を出した。

 

「……お前は、寝ていた分これから報告が忙しいだろう」

 

「あはは……そうだね。あ、そうそう」

 

天花は全く悪びれる様子もなく、優希の上からどくと、自身のポケットからある「端末」を取り出した。

それは、黒塗りの無骨な通信機。

京香が先日、現世の駄菓子屋で浦原喜助から受け取ったものと全く同じものだった。

 

「お前!!」

 

京香の目が驚愕に見開かれる。

 

「まさか……会ったのか!? あの男に!」

 

「うん。現世でちょっとお散歩してたら、珍しいお店があるなって思って。……あの人、只者じゃないね」

 

天花は通信機を弄りながら、事もなげに言った。

浦原喜助。彼は天花のことも「協力者」として見定めたのだ。魔防隊の上層部ではなく、現場で真実を知る組長たちだけをピンポイントで選び出し、自身の正体を明かしてこの専用回線を渡してきた。

その情報収集能力と手回しの早さに、京香は改めてあの男の底知れなさを実感していた。

 

「それじゃ……『組長会議』で」

 

天花はニッコリと微笑むと、「にょんっ」という独特の擬音と共に能力『天御鳥命』を発動させ、空間の歪みの中へと姿を消した。

部屋に残されたのは、ベッドの上で呆然としている優希と、仁王立ちでそれを見下ろす京香だけ。

 

「まったく……」

 

「あ、あの! 今起きます!」

 

優希が慌てて布団から飛び出そうとすると、京香はズンッ!とベッドの端に片足を乗せ、優希の逃げ道を塞いだ。

 

「まったく……とは言ったものの、それは天花にではない。お前に対してだ、優希!」

 

「えっ!?」

 

「天花に対して顔が緩んでいたぞ。隙だらけだ」

 

京香の瞳が、獲物を狙う鷹のように細められる。

その冷たい視線に、優希は背筋が凍る思いだった。

 

「まだ、主が誰か理解してないな」

 

京香は、足で優希の胸元を軽く小突いた。

 

「鍛錬(しつけ)だ。覚悟しろ」

 

数十分後。

七番組寮の裏手、結界の外に広がる魔都の荒野。

そこには、『無窮の鎖』によってスレイブ化され、巨大な白い獣の姿となった優希と、その背で手綱を強く握り締める京香の姿があった。

 

「いくぞ優希!! 組長会議が始まれば、目が回るほど忙しくなる! それまでに、徹底的に集中的に鍛え上げるぞ!!」

 

「はい!!」

 

獣の咆哮が、魔都の紫色の空に響き渡る。

優希は、京香の意のままに荒野を駆け抜け、次々と現れる野生の醜鬼たちを粉砕していく。その動きは、以前よりも遥かに力強く、洗練されていた。

魔防隊の全組長が集結する、最高意思決定機関『組長会議』。

通常であれば定期的に行われるものだが、今回は意味合いが全く異なる。

神を自称する絶対的な脅威・八雷神の出現。

そして、その裏で蠢く陰陽寮の影と、現世から干渉を始めた謎の技術者。

世界を揺るがす巨大な嵐が、もうすぐそこまで迫っている。

京香は、手綱から伝わってくる優希の力強い鼓動を感じながら、来るべき戦いに向けてその瞳を鋭く光らせていた。

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