魔都の死神   作:アレクサンドル三世

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第24話 玉座の気まぐれと、助手席の追憶

魔防隊本部の外壁。

絶海の底へとテロリストのリーダーを転移させ、残りの者を完全に平伏させた山城恋は、ふわりと宙に浮いたまま、駆けつけた羽前京香と白き獣(和倉優希)を振り返った。

 

「ご苦労様、京香」

 

恋は、無邪気な笑みを浮かべたまま、白き獣の背に跨る京香に告げた。

 

「京香、能力を解いて」

 

逆らうことなど許されない、甘く絶対的な命令。

京香は無言で頷き、手にしていた鎖からスッと手を離した。

その瞬間、優希の巨大な獣の身体が青白い光に包まれ、瞬く間に元の人間の少年の姿へと戻っていく。

恋は、宙に浮いたまま、その一部始終を興味深そうに観察していた。

 

(京香の能力を限界以上に引き上げ、あの天花にも気に入られている特異な子……。興味あるわよね)

 

魔防隊において、男は守られるべき存在であり、戦場に出ることなどあり得ない。しかし、この少年は自らの意志で鎖に繋がれ、強力な戦力として魔都を駆けている。

恋は、地面に足をついた優希を見下ろし、京香に向かって小首を傾げた。

 

「あの能力……契約を解除した後は、報酬を与えないといけないのよね。どう言うのかしら?」

 

恋の問いに、京香は僅かに眉を動かしたが、すぐに無表情を取り繕った。

そして、戸惑って突っ立っている優希の首根っこをガシッと掴むと、強引に自身の方へと引き寄せた。

 

「わっ!?」

 

優希の顔が、京香の豊満な胸の谷間にすっぽりと埋まる。

京香はそのまま、優希の頭を優しく撫で始めた。

 

「よしよし」

 

それは、まるでよくできた飼い犬を褒めるような、極めて事務的かつ(優希にとっては)刺激的なスキンシップだった。

その光景を見た瞬間。

恋の瞳から、スッとハイライトが消え失せた。

 

「……それだけ?」

 

声のトーンが、数度下がった。

先ほどまでの可憐な少女の顔つきから、絶対零度の無機質な冷たさが漏れ出す。底知れない深淵を覗き込んだような恐怖に、優希は京香の胸に顔を埋めながらも背筋を凍らせた。

だが、京香は全く動じることなく、淡々と答えた。

 

「今回は現場に急行した程度ですから。これ以上の過剰な報酬は不要です」

 

その毅然とした態度に、恋は数秒間じっと京香を見つめていたが、やがて「フフフ」と楽しげな笑い声を漏らした。

ハイライトの消えていた瞳に、再び無邪気な光が戻る。

恋はふわりと高度を下げ、京香の胸に顔を埋めている優希の顔を、下から覗き込むように顔を近づけた。

至近距離で合う、美しくも恐ろしい瞳。

 

「それで済むとは……可愛いんだ。犬みたい」

 

恋は、クスクスと笑いながら優希の鼻先を指でツンと突いた。

その仕草は、純粋に新しい玩具を見つけた少女のようでもあり、気まぐれな神のようでもあった。

 

(なんだろう……この感じ……)

 

優希は、心臓をバクバクさせながら、目の前の最高権力者を見て、ふとある人物を思い出していた。

自分の姉である、和倉青羽だ。

見た目も、性格も、纏っている空気も全然違う。青羽はもっと豪快でガサツだ。だが、この「有無を言わさぬ絶対的な圧力」と、「男を可愛いペットか何かのように扱う態度」の根底にあるものが、なぜか姉とひどく似ている気がしたのだ。

 

(姉ちゃんにも散々振り回されたけど……この人の方が、何百倍も心臓に悪い……!)

 

その後、恋は「さて、お掃除の続きをしなきゃ」と微笑み、捕縛した襲撃犯たちを連れて本部へと戻っていった。

襲撃犯の取り調べと尋問を総組長自らが行うことになり、当初予定されていた組長会議の議題は大幅にカットされた。必要最低限の各組の状況報告のみで会議は終了となり、三番組組長・月夜野ベルは「助かったぁぁ……!」と、会議室の隅で本気で安堵の息を漏らし、へたり込んでいた。

魔防隊本部での慌ただしい時間が過ぎ、魔都の空がさらに深い紫色に沈む頃。

京香が運転する軍用ジープが、荒涼とした大地を土煙を上げて走っていた。

助手席には優希が座り、後部座席には一番組の新旧組長――多々良木乃実と冥加りうが乗っている。一番組寮まで送り届ける道中だった。

 

「送っていただきありがとうございます! 姉弟子!」

 

後部座席から、木乃実が元気よく礼を言う。京香はハンドルを握ったまま、頷く

 

「構わん。パトロールのついでだ」

 

優希は、窓の外の流れる景色を見ながら、ポツリとこぼした。

 

「思ったよりあっさり終わりましたよね、組長会議」

 

「その代わり、今後はこまめに行われるぞ」

 

京香が厳しく釘を刺す。八雷神の暗躍、そしてテロリストの襲入。魔都を巡る状況は、今まで以上に緊迫しているのだ。

 

「そして、更に合同任務が多くなるだろうねぇ」

 

腕を組んだりうが、渋い声で同調する。

 

「各番組が単独で動くには、敵がデカくなりすぎた。これからは、組の垣根を越えた連携が必須になるさ」

 

京香は、少しだけ声のトーンを落とし、後部座席の師匠に尋ねた。

 

「師匠。……木乃実以外の弟子は、どうなんです?」

 

「ん? ああ、アタシの道場の連中かい。……まずまずってところだね」

 

りうは、やれやれと肩をすくめた。

 

「皆を同じ環境下で修行させても、誰も生身で京香より強くなれないねえ。アンタのあの執念と格闘センスは、ちょっと異常だからな」

 

「恐縮です」

 

「それに……剣術に関しては、"あの子"にも及ばない。アタシの弟子でモノになりそうなのは、アンタと木乃実、それに銀乃くらいかねえ」

 

りうの言葉に、優希は首を傾げた。

 

(あの子? さっき会った、飄々としてた銀乃さんの事かな……? でも、言い方が少し違うような……)

 

すると、木乃実が身を乗り出して、目をキラキラと輝かせながら京香の肩越しに声をかけた。

 

「醜鬼を素手で倒せる姉弟子はすごいです! 私、もっと強くなりたいです! 今度稽古お願いします!!」

 

「ああ、構わんぞ。いつでも相手になろう」

 

京香が快諾すると、木乃実は「押忍!!」と嬉しそうに返事をした。

車内が和やかな空気に包まれる中、京香はふと、視線をフロントガラスの先へ落とし、少しだけ俯き加減で口を開いた。

 

「……師匠。今度、海燕殿に会いに行ってもよろしいですか?」

 

その名前が出た瞬間、車内の空気が、ピンと張り詰めたような、それでいてひどく静かで優しいものに変わった。

りうは、窓の外の流れる景色に視線を向けたまま、目を細めて穏やかに微笑んだ。

 

「ああ、構わんよ。……あの子も、お前が最近来なくて寂しがってるだろうさ」

 

京香の横顔には、普段の冷徹な組長としての仮面が外れ、かつての「一人の弟子」としての静かな哀愁が漂っていた。

やがてジープは一番組寮に到着し、木乃実とりうを下ろした。

「ありがとうございましたー!」と大きく手を振る木乃実を見送り、ジープは再び魔都の荒野へと走り出した。

七番組寮へと戻る道すがら、優希はずっと気になっていたことを、意を決して尋ねた。

 

「あの……京香さん。海燕さんって、誰なんですか?」

 

京香は、前を向いたまま、しばらく沈黙していた。

ハンドルを握る手に少しだけ力がこもる。やがて、彼女は静かに口を開いた。

 

「私たちの兄弟子で……師匠の、お孫さんだ」

 

優希は息を呑んだ。

りうの孫。そして、京香の兄弟子。

先ほど、りうが「剣術に関してはあの子にも及ばない」と語っていたのは、他でもない、その海燕という人物のことだったのだ。

 

「……そうだ。お前も、墓参りについて来い」

 

「えっ……。俺が、ですか?」

 

「ああ。私が今、こうして組長として戦えているのも、お前という存在を信頼できるのも……彼から学んだことが多いからだ。お前にも、挨拶しておいてほしい」

 

京香の不器用だが真っ直ぐな言葉に、優希は深く頷いた。

 

「はい。分かりました」

 

少しの感傷的な沈黙の後、京香は空気を変えるように、ふっと息を吐き出して優希を一瞥した。

 

「……それにしてもお前、総組長に目をつけられていたぞ」

 

「えっ!」

 

優希は、先ほどのエントランスでの恐怖を思い出し、ビクッと肩を震わせた。

 

「なんか、俺の顔を下からジッと見てましたよね……。あれ、めちゃくちゃ怖かったんですけど……」

 

「当然だ。総組長は動物が好きなんだ。……特に、犬はな」

 

京香の言葉の裏にある「気に入った犬(ペット)は、どう扱われるか分からない」というニュアンスを感じ取り、優希は冷や汗を流した。

 

「そんな……俺、別に犬じゃないのに……」

 

「だが、あの場で総組長から目を逸らさなかったのは評価できる」

 

京香は、少しだけ口角を上げた。

 

「初めての組長会議だったが、気になる組長はいたか?」

 

京香の問いに、優希は少し考え込んだ。

美羅の凶暴な優しさ、ベルの臆病さ、天花の飄々とした態度、そして恋の絶対的な恐怖。誰もが常軌を逸した個性を持っていた。

だが、その上で優希が出した答えは、極めてシンプルなものだった。

 

「色々すごかったですけど……俺はやっぱり、京香さんが一番すごいと思いました」

 

「……ほう?」

 

「木乃実さんとか、後輩の組長さんからもあんなに真っ直ぐ慕われてて……。俺、京香さんの背中が一番かっこいいなって」

 

優希が照れくさそうに頭を掻きながら言うと、京香はフッと小さく鼻で笑った。

 

「世辞でも覚えたか?」

 

「違いますよ、本心ですよ! 本当に、俺の主が京香さんで良かったなって、改めて思いましたから」

 

優希の曇りのない笑顔に、京香は何も言い返せなくなった。

ただ、ハンドルを握る彼女の耳が、魔都の冷たい風を受けているにもかかわらず、ほんのりと赤く染まっていたことだけは確かだった。

 

「……ふん。口の減らない奴隷だ」

 

強がりの言葉とは裏腹に、ジープの車内には、どこか温かい空気が満ちていた。

遠くに見えてきた七番組寮の明かりが、彼らを帰るべき日常へと優しく導いている。

激動の組長会議を終え、魔都の闇がさらに深まる中。

人類の盾たる少女たちと、それを支える少年の戦いの日々は、明日へと続いていく。

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